「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 吉利子樹
きりししゆ 急䕷子科
吉利子樹
農政全書云吉利子樹生荒野中科條髙五六尺葉似野
桑葉而小又似櫻桃葉而小其枝葉閒開五瓣小尖花碧
玉色其心黄色結子如椒粒大兩兩並生熟則紅味甜
*
きりしじゆ 急䕷子科《きふびしか》
吉利子樹
「農政全書」に云はく、『吉利子樹、荒野の中に生ず。科條《かでう》[やぶちゃん注:東洋文庫訳では『木枝』と訳してある。]、髙さ、五、六尺。葉、「野桑《のぐは》」の葉に似て、小さく、又、「櫻桃(ゆすら)」の葉に似て、小さし。其の枝葉の閒に、五瓣《ごべん》の小≪さき≫尖《とが》≪れる≫花を開く。碧玉色《へきぎよくしよく》。其の心《しん》[やぶちゃん注:幹枝の芯。]、黄色。子《み》を結び、椒(さんせう)≪の≫粒(つぶ)の大いさのごとし。兩兩《ふたつながら》、並《ならび》生《はえ》、熟すれば、則《すなはち》、紅《くれなゐ》にて、味、甜《あま》し。』≪と≫。
[やぶちゃん注:この「吉利子樹」は(「急䕷子科」では見当たらない)、
双子葉植物綱マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属ロニセラ・モデスタ Lonicera modesta
である。和名は不詳(恐らくは、ない)。中文名は「下江忍冬」で、同種の「維基百科」のページに、『中国固有種』とし、別名として、『吉利子树(浙江天目山)』とあった。また、シノニムとして、Lonicera modesta var. lushanensis を挙げてあった。学名のグーグル画像検索で樹の全体画像を見ようと思ったが、殆んど、花と葉の部分画像であり、複数のものを見た結果、スイカヅラ属に多い蔓性木本で低木であろうことが判明した。
この引用書である「農政全書」は、何度も既出既注だが、再掲すると、明代の暦数学者でダ・ヴィンチばりの碩学徐光啓が編纂した農業書である。当該ウィキによれば、『農業のみでなく、製糸・棉業・水利などについても扱っている。当時の明は、イエズス会の宣教師が来訪するなど、西洋世界との交流が盛んになっていたほか、スペイン商人の仲介でアメリカ大陸の物産も流入していた。こうしたことを反映して、農政全書ではアメリカ大陸から伝来したサツマイモについて詳細な記述があるほか、西洋(インド洋の西、オスマン帝国)の技術を踏まえた水利についての言及もなされている。徐光啓の死後の崇禎』十二『年』(一六三九年)『に刊行された』とある。光啓は一六〇三年にポルトガルの宣教師によって洗礼を受け、キリスト教徒(洗礼名パウルス(Paulus))となっている。
以上の引用は、同書の「第五十五 荒政」(「荒政」は「救荒時の利用植物群」を指す)の巻末にある。「漢籍リポジトリ」のここである。良安は記載をそのままに完全に引いてある。
なお、「コトバンク」の日外アソシエーツの「動植物名よみかた辞典 普及版」のここで、この「吉利子樹」を『ウスノキ・ウグイス』を指すとし、『学名』 Vaccinium hirtum 、『ツツジ科の落葉低木』で『高山植物』と記載してあったが、これは、ツツジ目ツツジ科スノキ亜科スノキ属ウスノキ(標準学名)Vaccinium hirtum var. pubescens:(広義学名) Vaccinium hirtum ということになるものの(当該ウィキをリンクさせておく)、この種は日本固有種で、中国には自生しないので、本記載とは全く関係が、ない。
「櫻桃(ゆすら)」この良安の読みは――完全なるハズレ――であるので、注意。本邦で「ゆすら」と言った場合は、
×バラ目バラ科サクラ属ユスラウメ Prunus tomentosa(当該ウィキによれば、『中国北西部』・『朝鮮半島』・『モンゴル高原原産』であるが、『日本へは江戸時代初期にはすでに渡来して、主に庭木として栽培されていた』とある)
を指すが、中国語で「櫻桃」は、
○サクラ属カラミザクラ Cerasus pseudo-cerasus(唐実桜。当該ウィキによれば、『中国原産であり、実は食用になる。別名としてシナミザクラ』『(支那実桜)』・『シナノミザクラ』・『中国桜桃などの名前を持つ。おしべが長い。中国では』「櫻桃」『と呼ばれ』、『日本へは明治時代に中国から渡来した』とあるので、良安は知らない)
である。「維基百科」の「中國櫻桃」をリンクさせておく。
]
« 葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 商賣上手の女 | トップページ | 「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 幡多郡伊与木郷庄屋不閉門 »