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2024/09/02

葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 水甕

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここから。標題は「みづがめ」。]

 

      水   甕

 

 ジエロオムは八十になつた。

 彼は食ふだけの貯へはあるので、空氣を吸ふためにしか外へは出ない。日に一時間か二時間、病みついてなほらない脚《あし》を外に曳きずつて行くのである。彼が役に立つことゝ云つては、裏庭の井の水が渴れた時に、森の泉まで行くことだけであつた。

 彼は水甕を綱で括《くく》つて、それを手で提げて行く。サマリイの女のやうに肩に乘せることはしない。

 泉まで來ると、彼は先づ自分の喉を潤《うるほ》す。彼は冷えたところをその日の分だけ飮む。水甕に一杯を、うちで待つてゐるほかのものが飮めるやうに、さうするのである。彼は水甕を取り上げる。そして家に戾る。彼はゆつくり步く。その步き方の遲さは、杖を突いてゐるからでもあるが、水甕の水が少しも零《こぼ》れないほどである。

 彼が、喉を渴《かは》かして待つてゐるうちのものにそれを渡すとき、一滴も零さなかつたと云つて威張《いば》ることができるのである。

 たゞ、その水甕の水は、泉がそれほど遠くないのに、道で少し微温(ぬる)くなつた。

 

[やぶちゃん注:「サマリイの女」原文は“les Samaritaines”で「サマリアの女たち」であるが、知られる「新約聖書」に現われることで知られ、ここもそれを洒落たものである。“Samaria”(サマリア)は古代イスラエルの首都であつたが、アッシリア王サルゴンⅡ世の侵略を受けて紀元前七二一年に陷落の後、アッシリアから移民が入り込み、そこに殘つていたイスラエル人との間に混血を生じ、後、その土地の人々は「サマリア人」と称せられるようになった。彼等の宗敎は、アッシリアの土着信仰にユダヤ敎が混淆したもので、ユダヤ人はイスラエルの血を穢した存在として、サマリア人を忌避し、迫害した。「ヨハネの福音書」第四章によれば、ユダヤを去ってガリラヤへと戻ろうとしたイエスは、このサマリアの街シカルを通り掛かったが、弟子たちは食物を買いに町へ行き、彼は疲れ、「ヤコブの井」と呼ばれた井戸端に、独り、座つていた。その時、一人のサマリアの女が、辛(つら)い水汲みのため、この井戸へとやってきた。イエスは、女に、丁寧に、「水を飮ませて下さい。」と請うた。普段なら、異敎徒として蔑視されるはずの女は、驚く。イエスは優しく諭した。「この水を飮む者は、誰でも、また、渴く。しかし、私が与える水を飲む者は、決して、渴かない。私が与える水は、その人の中で、泉となり、永遠の命に至る水が、湧き出る。」 と。女は、イエスが救世主であると知り、二日の滞在の内に、シカルの多くのサマリア人たちが、イエスに帰依したと伝える。]

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