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2024/09/02

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 幡多郡有岡村眞靜寺本尊

[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。]

 

   幡多郡(はたのこほり)有岡村(ありをかむら)眞靜寺(しんじやうじ)本尊

 幡多郡有岡村、眞靜寺は、徃昔(わうじやく)、有岡村の地頭民部少輔といふ人、事の緣(えん)、有(あり)て、上京せしに、元亨元年[やぶちゃん注:一三二一年。]、日像(にちざう)上人、法華弘通(ほつけぐづう)[やぶちゃん注:日蓮宗を普及させること。]の爲(ため)、洛中に於(おい)て、說法、有(あり)しが、民部少輔、其法席(ほふせき)に臨(のぞみ)て、度々(たびたび)、聽聞(ちやうもん)し、感情の餘りに、改宗す。

 既に歸國に臨て、云(いはく)、

「願(ねがは)くは、師、吾(わが)土佐國へ下向(げかう)し玉(たま)はれ。我が舘(たち)を施し、一寺を建立して、師を開山に仰ぎ奉らん。」

と、いふ。

 日像上人、宣(のたま)ひけるは、

「汝、精舎建立(しやうじやこんりふ)の志(こころざし)、願(ぐわん)あらば、我(われ)、必(かならず)、下るに不及(およばず)。本尊、授与(じゆよ)すべし。」

とて、則(すなはち)、「曼荼羅(まんだら)」を書(かき)て、賜りぬ。

 民部少輔、國にかへり、一寺を建立す。

 今の眞靜寺、是也。

 然(しかる)に、昔は、伽藍にて有(あり)しが、永祿前後の亂世に、いつとなく、荒廃し、彼(かの)「曼荼羅」も、行方(ゆくへ)、知れざりしに、寛永年中[やぶちゃん注:一六二四年~一六四四年。]、中村大火、有(あり)、市中(いちなか)、不殘(のこらず)、燒亡する中(なか)に、一軒、怪(くわい)、有(ある)にして、燒殘(やきのこ)りぬ。

 不思義[やぶちゃん注:ママ。]の訳(わけ)にて、公義より、穿鑿(せんさく)有(あり)しに、

「何の火の守(まもり)も無之(これなき)。」

由(よし)。

「倂(しかしながら)、年久敷(としひさしく)、寺より預り居(をり)候。」

由にて、彼(かの)「曼荼羅」を差出(さしいだ)す。

 依之(これにより)、忠義公[やぶちゃん注:底本では、名の前に尊敬を示すための二字字空けがある。土佐藩第二代藩主山内忠義(在位:慶長一〇(一六〇五)年~明暦二(一六五六)年)。]、御上覽被遊(あそばされ)、

「奇特の事。」

に被思召(おぼしめされ)、新(あらた)に、表具、御仕替(おんしかへ)あり。則(すなはち)、御書附(おんかきつけ)を被添(そへられ)、再(ふたたび)、眞靜寺へ、御寄附(おんきふ)、有(あり)ける。

 

[やぶちゃん注:「幡多郡有岡村」現在の高知県四万十市有岡(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「眞靜寺」ここ当該ウィキによれば、日蓮宗有岡(ありおか)山真静寺。『四国最初の法華道場として日蓮宗宗門史跡に指定されている。旧本山は、京都妙顕寺』。建武三(一三三六)年、『肥後阿闍梨日像の開山で』、『檀越民部小輔の開基により建立』された。『上洛した地頭民部小輔が居館を寄進して』、『日像筆の題目本尊を祀り』、『寺に改めた』とし、「文化財」の項には、「県指定文化財」として、『真静寺文書』と『真静寺三十番神板絵』のみが挙がっているが、「コトバンク」の平凡社「日本歴史地名大系」の「真静寺」には、『有岡集落の北部山麓にある。有岡山本城院と号し』、『日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。かつては京都妙顕寺末』。『創建は元亨元年(一三二一)と伝え、檀越は有岡の領主有岡民部少輔という。「土佐州郡志」に「昔年有岡村領主有岡民部少輔ト云者、崇尊妙顕寺日像上人、因造此寺、当時堂宇壮麗僧舎若干、本尊釈迦、日像刻之」といい、「又有釈迦多宝二仏、其背後記曰、施主豊州若森ノ地頭上総守妙福寺左衛門尉為安、康安己巳歳十二月十二日」と記す』とあって、創建年に違いがあり、ここに出た曼荼羅も、本尊として現存するように書かれてある。

「有岡村の地頭民部少輔」上記以外に事績は見当たらない。

「日像」 (文永六(一二六九)年~康永元(一三四二)年)は鎌倉末・南北朝時代の日蓮宗の僧。京都妙顕寺の開創者。別名は経一麿、号は龍華院、通称は肥後阿闍梨。下総(千葉県)の豪族平賀忠晴の子。日朗の弟。日蓮、日朗に従い、永仁二(一二九四)年に入洛後は、たびたび京都を追われながら、大いに宗義を広めた。著書に「三秘蔵集」「宗旨弘通鈔」等がある(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「永祿」一五五八年~一五七〇年。天皇は正親町天皇、室町幕府将軍は足利義輝・足利義栄・足利義昭。最早、戦国時代である。]

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