葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 牝牛
[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。標題は「めうし」。]
牝 牛
これがいゝ、あれがいゝと、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]探しあぐんで、彼女には名前を附けないでしまつた。彼女のことはたゞ「牝牛」と呼ばれる。そして、それが一番彼女に應《ふさ》はしい名前であつた。
それに、そんなことはどうでもいゝ、彼女は食ふものだけのものは食ふのだから――靑草で御座れ、乾草で御座れ、野菜で御座れ、穀物で御座れ、麵麭や鹽に至るまで、何んでも欲しいだけ食つた。何に限らず、何時《いつ》でも彼女は二度づゝ食つた。吐き出してまた食うのだから[やぶちゃん注:反芻を指す。]。
彼女がわたしを見つけると、輕い細《ほそや》かな足取りで、割れた木靴を引つかけ、肌の皮を、白靴下のやうに脚《あし》の邊《あたり》に張り切らせて走つて來るのである。彼女は、わたしが何か食ひものを吳れると思ひ込んでやつて來るのである。彼女の姿を見てゐると、わたしは、その度每《たびごと》に、『さ、おあがり』と云はないではをられない。
然し、彼女が呑み込むものは、脂肪にはならないで、みんな乳になる。一定の時刻に、乳房が一杯になり、眞四角になる。彼女は乳を永く溜めて置くと云ふことができない――永く溜めて置く牝牛もあるが――護謨のやうな四つの乳首から、一寸おさへただけで、氣前よくありつたけの乳を出してしまふ。彼女は足も動かさなければ、尻尾も振らない。が、その大きな柔らかな舌で、乳を搾る女の背中を舐めるのである。
獨り暮しであるにも拘はらず、盛《さかん》な食慾が彼女の退屈を忘れさせる。最近に生み落した犢(こうし)のことを思ひ出して、啼くやうなことも稀れである。たゞ、彼女は人の訪問を悅ぶ。額の上ににゆつと生えた角、一筋《ひとすぢ》の涎《よだれ》と一《ひ》とすべの草とを垂らした、御馳走に飽きたらしい唇とで、愛想よく迎へるのである。
怖いものなしと云ふ男達は、そのはぢ切れさうな腹を撫でる。と、女どもは、こんな大きな獸(けもの)がそんなにおとなしいのを見て驚く。そして、彼女の愛撫だけには、まだ氣をゆるさないにしても、それがどんなに樂しいかと云ふことについて空想をめぐらすのである。
[やぶちやん注:この最終段落は、改版では、『こわいものなしという男たちは、そのはち切れそうな腹を撫でる。と、女どもは、こんな大きな獣(けもの)がこんなにおとなしいのを見て意外に思う。それで、まだ用心をしなければならないのは、例の愛撫だけということになる。そして彼女らは幸福の夢を描くのである。』で、未だ、日本語としては、やや、ぎくしゃくしている。原文がルナールによって改訂増補されており、補正決定版の戦前の『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「牝牛」』の訳では、『男たちは、怖(こは)いものなしだから、そのはち切れそうな腹を撫でる。女どもは、こんな大きな獸(けだもの)があんまりおとなしいので驚きながら、もう用心するのも、じやれつかないやうに用心するだけで、思ひ思ひに幸福の夢を描くのである。』となっていて、この方が自然体で、すんなりと、意味が採れる。以下に、本底本の原文を示しておく。
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LA VACHE
Las de chercher, on a fini par ne pas lui donner de nom. Elle s’appelle simplement « la vache » et c’est le nom qui lui va le mieux.
D’ailleurs, qu’importe, pourvu qu’elle mange ! et l’herbe fraîche, le foin sec, les légumes, le grain et même le pain et le sel, elle a tout à discrétion, et elle mange de tout, tout le temps, deux fois, puisqu’elle rumine.
Dès qu’elle m’a vu, elle accourt d’un petit pas léger, en sabots fendus, la peau bien tirée sur ses pattes comme un bas blanc, elle arrive certaine que j’apporte quelque chose qui se mange, et l’admirant chaque fois, je ne peux que lui dire : Tiens, mange !
Mais de ce qu’elle absorbe elle fait du lait et non de la graisse. À heure fixe, elle offre son pis plein et carré. Elle ne retient pas le lait, — il y a des vaches qui le retiennent, — généreusement, par ses quatre trayons élastiques, à peine pressés, elle vide sa fontaine. Elle ne remue ni le pied, ni la queue, mais de sa langue énorme et souple, elle s’amuse à lécher le dos de la servante.
Quoiqu’elle vive seule, l’appétit l’empêche de s’ennuyer. Il est rare qu’elle beugle de regret au souvenir vague de son dernier veau. Mais elle aime les visites, accueillante avec ses cornes relevées sur le front, et ses lèvres affriandées d’où pendent un fil d’eau et un brin d’herbe.
Les hommes, qui ne craignent rien, flattent son ventre débordant ; les femmes, étonnées qu’une si grosse bête soit si douce, ne se défient plus que de ses caresses et font des rêves de bonheur.
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