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2024/09/12

葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版 象

[やぶちゃん注:底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

      

 

 それは、若いダニエルが象の見まはりをする時刻である。

 いつもの見物が彼を待つてゐた――勞働者、兵卒、娘、放浪者、それから外國人。

 「さ、好い顏をして見ろ」ダニエルは、指を擧げて云ふ。

 象は、一度ではうまく行かなかつた。重くるしいからだを、やつと起したかと思ふと、前に倒《たふ》れる。そして鼻を鳴らす。

 「もつと上手に」ダニエルは突慳貪《つつけんどん》に云ふ。すると、象は檻《をり》よりも高く立ち上る。そして恐ろしい、どえらい、太古時代の唸(うな)りを發する。あたりの空氣は水晶のやうにひゞり[やぶちゃん注:「罅(ひび)」に同じ。]がはひる[やぶちゃん注:ママ。]。

 「さうだ」ダニエルが云ふ。

 象はもう四本の脚《あし》で立つてもいゝのである。鼻を眞直ぐに擧げて、口を開《あ》けてもいゝのである。ダニエルは、その中に、遠くから麵麭《パン》のかけらを投げ入れる。狙ひがうまいと、麵麭のへた[やぶちゃん注:「端っこ」の意と採れるが、如何なる辞書にも載らない、一般的でない言い方である。]が、黑い、爛《ただ》れた口の奧で音を立てる。つぎに、手のひらへのせて、一つ一つ野菜の切屑《きりくず》を與へる。ざらざらした、しかし銳敏なその鼻が栅の間を行つたり來たりする。そして、丁度、象が、その中で息を吐いたり吸つたりしてゐるやうに、曲つたり伸びたりする。

 糸で引つ張つてあるやうな薄い耳が、滿足げに飜《ひるがへ》る。然し、小さな眼は、相變らずどんよりしてゐる。

 最後にダニエルは、紙で包んだ美味(うま)いものを口の中へ投げ込む。その紙包みは、納屋の拔穴《ぬけあな》を猫が通るやうにはひつて[やぶちゃん注:ママ。]行く。

 

 象はたつたひとりになると、家の留守番をしてゐる村の老いぼれ爺《じじい》のやうなものである。彼は戶の前で、からだを曲げ、ぼんやり鼻をぶらさげて、靴を引《ひき》ずつてゐる。

 上の方へ穿《は》きすぎた股引《ももひき》の中に殆どからだが隱れ、そして、その股引から、紐のはしがだらりと垂れてゐる。

 

[やぶちやん注:本篇は、後の「博物誌」には、ない。臨川書店一九九五年刊の「ジュール・ルナール全集」第四巻の「葡萄畑の葡萄作り」の末尾には、先の「雄鷄」以降については『『博物誌』(第5巻所収)にそのまま収録されているので、ここではタイトルだけあげておく。』とし、掲げたタイトルの中には「象」も含まれている。しかし、該当第五巻の『博物誌』にも、その注にも、また第五巻の解説にも「象」が載っていないことへの注記が、どこにも、ない。摩訶不思議と言わざるを得ない。ともかくも、ルナールが削除したことは間違いない。これは叙述から、彼の動物の芸に対する憐憫の思いから書かれたものであることは明白であり、その動物虐待への「ノン!」の主張表明であるが、それへの嫌悪が、ルナールの中で、後、より深刻にイメージされてしまった結果、削除されたものと私は思う。私は幼少期から、動物園や水族館の芸を見る都度、面白いと思いながら、同時に、終わった後、ある種のやるせないペーソスを感じるのを常としてきた。だから、大人になってからは、自分から見ることはなかった(最後に自律的に見たのは、二十三の時だった。短期間の興行であったことから、殆んどの人は知らない、江ノ島水族館でのラッコの芸だった。鎌倉に訊ねてきた私を愛した高校時代の後輩の女性に見せるためだった。その後は、教員最後の高校の遠足の引率で金沢八景シーパラダイスで見たイルカ・ショーが事実上の最後だ。嘗つての教え子の一人が飼育員だったから、敢えて見た)。特に象は幼稚園の時、サーカスで見たのだが、芸をしながら、糞をボロボロと零しているのを見て、幼な心に、強く、悲惨に感じたのを忘れない。

原文を掲げておく。

   *

 

       L’ÉLÉPHANT

 

   C’est l’heure où le jeune Daniel fait sa visite à l’éléphant.

   Son public ordinaire l’attend : l’ouvrier, le soldat, la fille, le vagabond et l’étranger.

   Fais le beau, dit Daniel, un doigt levé.

   L’éléphant ne réussit pas du premier coup. Il se dresse à peine, pesamment, retombe et grogne.

   Mieux que ça, dit Daniel d’un ton sec.

   Il se dresse alors plus haut que la grille, et terrible, énorme, antédiluvien, il pousse un barrit dont l’air est fêlé comme du cristal.

   Bien ! dit Daniel.

   L’éléphant peut se remettre à quatre pattes et, la trompe droite, ouvrir la bouche. Daniel y jette, de loin, des morceaux de pain et, quand il vise avec adresse, la croûte sonne au fond du palais noir et gâté. Puis il offre, au creux de sa main, une à une, des épluchures. La trompe rugueuse et délicate va et vient entre les barreaux, se ferme et se déroule comme si l’éléphant aspirait et soufflait dedans.

   Les oreilles minces, tirées par quelque ficelle, planent de satisfaction, mais le petit œil reste morne.

   Pour finir, Daniel jette à la bouche le papier qui enveloppait les bonne choses et qui passe comme un chat par une chatière de grange.

 

   L’éléphant seul n’est plus maintenant qu’un pauvre vieux de village qui garde la maison. Il traîne ses chaussons devant la porte, courbé, tête vide, nez bas. Il disparaît presque dans sa culotte trop remontée et, derrière, un bout de corde pend.

   *

「さ、好い顏をして見ろ」原文は“Fais le beau”で、「見栄えを、良くしなよ!」という意である。後の岸田氏の改版では、「さ、ちんちんだ」で、直後に続く動作から、言い得て妙である。]

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