「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 南天燭
なんてん 南燭草木 南燭
惟那木 男犢
南天燭 猴菽草 牛筋
鳥飯草 染菽
ナンテン チヨツ 墨飯草 楊桐
本綱南燭是木而似草故稱草木之王人家多植庭除間
此木至難長初生三四年狀若菘菜之屬亦頗似巵子二
三十年成大株葉不相對似山礬光滑味酸凌冬不凋枝
莖微紫大者高三四尺而甚肥脆昜摧折也七月開小白
花結實成簇生青九月熟則紫色內有細子其味甘酸小
兒食之取汁漬米作烏飯食之健名之青精飯或云其子
赤如丹
枝葉【苦酸濇】 止泄除睡强筋益氣力久服長年令人不饑
子【酸甘】 強筋骨益氣力固精駐顔
△按南天燭【俗云南天】𦘕譜名闌天竹其葉儼似竹生子成穗
[やぶちゃん字注:「𦘕」は「畫」の異体字。]
紅如丹砂經久不脫植之庭中可避火災甚驗亦可入
糖𮔉供食
[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]
原生山中故性惡濕糞之茶煎滓或注米泔水亦可也
種子能生其子朱赤色剥皮內白如大豆肉爲二片未
見紫色內有細子者近頃出子白南燭以爲珍凡用南
燭葉布於饙飯以檜葉布於饅頭饋之皆以無毒也凡
此樹雖難長而山陽地有大木作州土州之山有長二
𠀋余太周一尺二三寸者作枕俗謂邯鄲枕【邯鄲枕事見中華卷】
以希有之物稱之耳遠州一宮滿山皆南天實盛甚美
*
なんてん 南燭草木《なんしよくさうもく》
南燭
惟那木《ゐなぼく》
男犢《だんとく》
南天燭 猴菽草《こうしゆくさう》
牛筋《ぎうきん》
鳥飯草《うはんさう》
染菽《せんしゆく》
墨飯草《ぼくはんさう》
ナンテン チヨツ 楊桐《やうとう》
「本綱」に曰はく、『南燭《なんしよく》は、是れ、木にして、草に似《にる》。故《ゆゑ》、「草木《さうもく》の王《わう》」と稱す。人家に、多く庭除《ていじよ》[やぶちゃん注:庭。或いは、庭と階段。]の間に植《う》≪う≫。此の木、至つて、長《ちやう》じ難《がたし》、初生、三、四年は、狀《かたち》、「菘菜《しような》」の屬のごとく、亦、頗《すこぶ》る、「巵子(くちなし)」に似《にる》。二、三十年にして、大≪きなる≫株と成《なる》、葉、相《あひ》對《たい》せず。「山礬《さんばん》」に似《に》、光滑にして、味、酸《すつぱし》。冬を凌ぎ、凋まず。枝・莖、微《やや》紫。大なる者、高さ、三、四尺にして、甚だ、肥《こえ》、脆《もろく》、摧折《くだけを》れ昜《やす》し。七月、小≪さき≫白花を開き、實を結ぶ。簇《むらがり》成し、生《わかき》は青。九月、熟すれば、則ち、紫色。內《うち》に細≪かなる≫子《たね》、有り。其の味、甘酸にして、小兒、之れを食ふ。汁を取りて、米に漬け、「烏飯《うはん》」と作《な》して、之を食ふ。健《すこやか》なり。之れを「青精飯《せいせいはん》」と名づく。或いは、云ふ、「其の子《み》、赤きこと、丹《に》のごとし。」と。』≪と≫。
『枝葉【苦酸、濇《しぶし》。】』『泄《せつ》[やぶちゃん注:下痢。]を止め、睡《ねむけ》を除き、筋骨を强くし、氣力を益し、久≪しく≫服すれば、長年《ながいき》し、人をして饑《うゑ》ざらしむ。』≪と≫。
『子《み》【酸甘。】』『筋骨を強くし、氣力を益し、精を固(かた)くし、顔《かほ》を駐《とど》む[やぶちゃん注:正常な状態に保つ。東洋文庫訳では『つやつやする』と訳す。]。』≪と≫。
△按ずるに、南天燭《なんてんしよく》【俗に云ふ、「南天」。】は、「𦘕譜《ぐわふ》」に、『闌天竹《らんてんちく》』と名づく。其の葉、儼《たしか》に竹に似《に》≪て≫、子《み》を生《しやう》≪じ≫、穗を成す。紅《くれなゐ》なること、丹砂《たんしや》のごとし。久≪しきを≫經《へ》て、脫(を[やぶちゃん注:ママ。])ちず。之れを、庭≪の≫中に植≪うれば≫、火災を避く。甚だ、驗《げん》あり。亦、糖𮔉《たうみつ》を入れて、食に供す。[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]
原(もと)、山中に生ず。故《ゆゑ》、性、濕《しつ》を惡《い》む。之れに糞《つちか》ふ[やぶちゃん注:肥料を与える。]に、茶の煎滓《せんじかす》、或いは、米≪の≫泔水《とぎじる》を注《そそ》ぐ≪も≫亦、可なり。子《み》を種(まひ[やぶちゃん注:ママ。])て、能く生ず。其の子《み》、朱赤色。皮を剥(は)げば、內《うち》、白≪く≫、大豆《だいず》の肉のごとく、二片と爲《な》る。未だ、紫色にて、內に細≪き≫子《たね》有つ者を見ず。近頃《ちかごろ》、子(み)白の南燭を出《いだ》す。以つて、珍と爲す。凡そ、南燭の葉を用ひ、饙飯(こはめし)に布(し)き、檜の葉を以つて、饅頭《まんぢゆう》を布きて、之れを饋《おく》る。皆、無毒を以つてなり。凡そ、此の樹、長《ちやう》じ難しと雖も、山陽の地には、大木《たいぼく》、有り、作州《さくしう》・土州《としう》[やぶちゃん注:「美作(みまさかの)國」・「土佐國」。]の山に、長さ、二𠀋余、太(ふと)さ≪の≫周(めぐり)、一尺二、三寸の者、有り。枕《まくら》に作り、俗、「邯鄲《かんたん》の枕」と謂ふ【「邯鄲の枕」の事は、「中華」の卷に見ゆ。】。希有《けう》の物を以つて、之れを稱するのみ。遠州《ゑんしう》、「一の宮」は、滿山《まんざん》、皆、南天にして、實《み》の盛り、甚《はなはだ》、美なり。
[やぶちゃん注:この項、東洋文庫版では、珍しく後注で、詳細な種同定に係わる内容を載せる(当該書は訳の中で種名まで出すことは、思いの外、少なく、科止まりの割注で示すことが甚だ多い(中国・本邦ともに標準種名と、本文の漢字や読みがほぼ一致する場合、特にそうした簡略処理で済ましている部分が甚だ多い)。以前にも言ったが、日本最初の百科事典の全訳でありながら、ちゃんと標準種名を示さないのは、根本的に不備極まりない仕儀である)。頭の「注一」は省略した。
《引用開始》
南燭 『国訳本草綱目』で牧野博士は南燭にシヤクナゲ科シヤシヤンボをあてておられる。しかし、難波恒雄氏は『花とくすり――和漢薬の話』(八坂書房)で、「ナンテンを中国で南天燭、南天竺、あるいは南天竹などと称していたものと思われる」とし、『本草綱目』の図はシャシャンボに似ているが、ナンテン(メギ科)に七も似ており、記事は明らかにナンテンを指していると思われるから、牧野富太郎博士が南燭にシャシャンボをあてているのは信じがたい、とされている。ちなみに北村四郎氏によれば『新註校定国訳本草綱目』の頭注で、『本草綱目』の南燭の記事の中には、ナンテンの説明(蘇頌の説)とシャシャンボの説明(時珍の説)とが混在していると指摘されている。
《引用終了》
最初の牧野富太郎が植物部を校定したそれは、国立国会図書館デジタルコレクションでは見ることが出来ないが、後の『新註校定国訳本草綱目』第九冊(鈴木真海訳(旧版をスライドさせたもの)・白井光太郎(旧版監修・校注)/新註版:木村康一監修・北村四郎(植物部校定)・一九七五年春陽堂書店刊)の当該部が、国立国会図書館デジタルコレクションのここで視認出来る。そこでは、本文の標題「南燭」の下方に、旧版で牧野が同定比定した(学名が斜体でないのはママ)、
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和 名 しやしやんぼ
學 名 Vaccinium bracteatum, Thumb.
科 名 しゃくなげ科(石南科)
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が記されてあり、罫外頭注に、
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南燭 時珍のは、シャシャンボである。陳嶸『中国樹木分類学』[やぶちゃん注:作者は「ちんこう」と読む:南京・中華農學會一九三七年刊。]九六七ページに寒節[やぶちゃん注:「寒食(節)」のことであろう。古く中国で、冬至から百五日目は風雨の烈しい日として、火断ちをして、煮炊きせずに物を食べた風習。また、その期間。]葉で飯を染めるのはこれであるという。
蘇頌のはナンテンである。『紹興本草』の江州南燭の図はナンテンである。(北村)
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とある。「蘇頌」(そしょう 一〇二〇年~一一〇一年)は北宋の科学者で宰相。「本草圖經」等の本草書があった(原本は散佚したが、「證類本草」に引用されたものを元にして作られた輯逸本が残る。時珍は彼の記載を「本草綱目」で、かなり引用している。
また、難波恒雄「花とくすり――和漢薬の話」(一九八一年八坂書房刊)の当該部も国立国会図書館デジタルコレクションの「ナンテン」の項で視認出来る(当該部分は右ページの八行目以降)。難波氏は同所では、牧野のシャシャンボ説を誤りとし、ナンテンに比定同定している。
以上から、「本草綱目」自体は、一部に、
△双子葉植物綱ツツジ目ツツジ科スノキ属シャシャンボ Vaccinium bracteatum
の記載と思われるものがあるものの、総体と、良安の認識は、
◎キンポウゲ目メギ科ナンテン亜科ナンテン属ナンテン Nandina domestica
であると言ってよいだろう。ああっ! 『東洋文庫』! 総ての項で、こうした後注を附して欲しかったなぁ! そうしたら、注の苦しみが半減以下になったのに!!
まず、「ナンテン」のウィキを引く(注記号はカットした)。同種は一属一種であり、『中国原産で、日本には江戸期以前に伝わった。庭木として植えられ、冬に赤くて丸い実をつける。乾燥させた実は南天実(なんてんじつ)として咳止め伝統医薬とされる』。『和名ナンテンの由来は、中国語の音読み。「南天」は南天竺(なんてんじく)からの渡来の意味で、南天竺とも、南天燭(なんてんしょく)とも、南燭とも書く』(しかし、これでは中国原産がおかしいことになる。「ブリタニカ国際大百科事典」では、『インドおよび中国の原産』とあり、また、フランス語の同種のウィキ(珍しく英語の当該種のウィキがない)では、『東アジア・ヒマラヤ・日本原産』とし、「維基百科」の同種の「南天竹」では、現原産を『中国・日本』するが、孰れも最後の「日本」はアウトだな)。『漢名(中国植物名)は、冬に目立つ赤い果実から灯火を連想して南天燭、また葉や幹の姿が竹に似ることから南天竹(なんてんちく)と名付けられた』。三『枚の葉が特徴的で、古い別名で「三枝」と書いてサエグサと読ませた、あるいはサエグサに「三枝」の字を当てたと和歌山県の博学者、南方熊楠が述べている』(これは南方熊楠の「七月に花咲く庭木」(大一四(一九二五)年七月二十九日から三十一日まで『大阪每日』に連載)正冒頭の「南天」の一節である。国立国会図書館デジタルコレクションのここ(右ページ二行目以降)で視認出来る。なお、万一、同図書館に本登録しておられない方のために、サイト「私設万葉文庫」の『南方熊楠全集』6(新聞随筆)・一九七三年平凡社刊)で電子化された同随筆の全文が読めることを言い添えておく)。『学名の属名 Nandina は、和名のナンテンがそのまま訛って用いられた。英名の Sacred Bamboo (セイクレッド・バンブー)は、細い幹が株立ちしている様子からの連想、あるいは中国で「聖竹」ともいうところからの直訳とみられている』。『学名の命名者は』一七八一『年に、スウェーデンの植物学者カール・ツンベルク』(Carl Peter Thunberg 一七四三年~一八二八年)『によるものであるが、日本国外の植物学者で日本のナンテンを初めに知り、記録したのはドイツのエンゲルベルト・ケンペル』(エンゲルベアト・ケンプファー Engelbert Kämpfer 一六五一年~一七一六年)『であった。ケンペルはヨーロッパに日本を紹介した』「日本誌」(‘ Geschichte und Beschreibung von Japan ’)『の原著者として知られる人物で』一六九〇年(元禄三年)『に来日して』二『年間』、『滞在したが、ナンテンの記録は発表されなかった』。一七七五年(安永四年)『にスウェーデン人のツンベルクが、表向き』、『当時』、『認められていたオランダ人医師という名目で来日し、その後』、「日本植物誌」(‘ Flora Japonica ’)『を出版した際にケンペルの記録と図を用いた。これが初めてヨーロッパにナンテンが紹介されたものとされている』。『日本では茨城県以西の本州・四国・九州の暖地、山地渓間に自生(古くに渡来した栽培種が野生化したものだとされている)し、観賞用に庭木としてや玄関前などに植えられるなど、栽培されている』。『原産地(中国)のほか、中国南部からインドまで分布する』(正確な原産地指示、遅過ぎ!)。『常緑広葉樹の低木。樹高は』一~三『メートル』『ぐらい、高いもので』四~五メートル『ほどになり、株立ちとなる。幹は叢生し、幹の先端にだけ葉が集まって付く独特の姿をしている。樹皮は褐色で縦に溝がある』。『葉は互生し』、三『回』三『出羽状複葉で、小葉は広披針形で先端が少し突きだし、葉身は革質で深い緑色、ややつやがあり、葉縁は全縁。葉柄の基部は膨らみ、茎を抱く。羽軸、小羽軸に関節があり、園芸種では形や色に変化がある。秋になって葉が黄色、次いで朱色、そして紅色に染まったものも美しく、冬に葉が赤くなる品種もある』。『花期は初夏』の五~六月頃で、『茎の先端の葉の間から、円錐花序を上に伸ばし』、六『弁の白い花を多数つける。雄しべは黄色で』六『本、中央の雌しべには柱頭に紅色が差す』。『果期は晩秋から初冬にかけて』の十一~十二月で、普通は『赤朱色、ときに白色で、小球形の果実をつける。果実は初冬に熟し、果皮は薄く、破けやすい。実の白いものはシロミノナンテンという園芸種で、これもよく栽培されている。果実は鳥に食べられることで、種子が遠くに運ばれて分布を広げる』。『冬芽は赤褐色で鞘状の葉柄基部に包まれているため、ほぼ直接見ることは出来ない。春になると、この葉柄基部が膨らんで、葉芽や花芽を伸ばしてくる』。『日本の庭木としては一般的で、住宅の庭や大きな庭園にも使われる。常緑の葉と赤い果実の色彩が妙で、冬の庭園に彩りを与えている。園芸種も豊富にある。生け花の花材としても用いられる』(私の今の家の旧家の時、裏庭にあって、幼少期から見慣れていたので、好きな樹となった)。『乾燥させた実は薬用として用いられ』、『南天実(なんてんじつ)として咳止め伝統医薬とされる。成分はドメスチン、イソコリジン。和薬(局方外生薬規格)で漢方薬ではない』。『平らに広がった複葉全体の感じが見栄えすることから、料理のあしらい、掻敷(かいしき)に好まれる。料理のあしらいに使われるのは、単に葉の美しさというだけに留まらず、笹の葉と同様に毒消しの意味が大きいとされる』。『材質は堅硬だが』、『生長が遅く』、『太材が得られないため』、『木材として流通することは少ない。しかし読みを「難転」「難を転じる」と解釈して縁起木とされて』、『箸や杖が作られる。また塊根状の地下部分から茶入れ、棗など工芸品が作られる。 まれに大きく育った幹を床柱として使うことがあり、鹿苑寺(金閣寺)の茶室、柴又帝釈天の大客殿などで見られる』。『日本の本州(関東以南)の寒冷地以外では露地植えできるため、庭木として庭先などでよく見られる。繁殖は挿し木で増やすことができ、春の萌芽前に挿すか、梅雨時期に株分けを行う。種子を採り蒔きすれば、容易に発芽する』。『江戸時代に様々な葉変わり品種が選び出された園芸種が盛んに栽培された。古典園芸植物として現在も錦糸南天など』、『一部が保存栽培されている。白い果実をつけるシロミナンテン』( Nandina domestica 'Shironanten')『は薬用に喜ばれ』、『希少価値がある』。『オタフクナンテン』( Nandina domestica 'Otafuku-nanten')『(葉がやや円形なのでオカメナンテンとも)は、葉が鮮やかなに紅葉しやすく実がつかないのが特徴で、高さも』五十センチメートル『程度しか伸びないことから』、『庭園や街路樹としてよく用いられる』。『葉は、南天葉(なんてんよう)または南天竹葉(なんてんちくよう)という生薬で、健胃、解熱、鎮咳などの作用がある。葉に含まれるシアン化水素は猛毒であるが、含有量はわずかであるために危険性は殆どなく、食品の防腐に役立つ。このため、彩りも兼ねて弁当などに入れる。古くは薬用として下痢止め、あるいは吐剤として不消化物を食べたときに使うなどされた。熊本県旧飽田町(現熊本市南区)では、すり潰したナンテンの葉の汁を濾したものを小麦粉の生地に加えた麺料理「しるかえ」を作る。もっとも、これは薬用でなく、食あたりの「難を転ずる」というまじないの意味との説もあり、当初から、殺菌効果があると分かって赤飯に添えられたり、厠(手洗い)の近くに植えられたのかは定かではない』(そうそう! 昔の家の南天は文化便所の外に茂っていたな)『実は、南天実(なんてんじつ)または南天竹子(なんてんちくし)といい』、十一月~十二『月から翌』二『月にかけて』、『実が成熟したときに、果穂ごと切り取って採取し、天日で乾燥して脱粒する。果実に含まれる成分としては、アルカロイドであるヒゲナミン・イソコリジン・ドメスチン(domesticine)・プロトピン・ナンテニン(nantenine:o- methyldomesticine)・ナンジニン(nandinine)・メチルドメスチンや、配糖体のナンジノシド(nandinoside)などの他、種子には脂肪油のリノール酸・オレイン酸・フィトステロールや、プロトピン、フマリン酸などが知られている。鎮咳作用をもつドメスチンは、温血動物に対して多量に摂取すると、大脳、呼吸中枢の麻痺作用があり、知覚や運動神経にも強い麻痺を引き起こすため、素人が安易に試すのは危険である。また、近年の研究でナンテニンに気管平滑筋を弛緩させる作用があることが分かった。また、ナンジノシドは抗アレルギー作用を持ち、これを元にして人工的に合成されたトラニラストが抗アレルギー薬及びケロイドの治療薬として実用化されている。脂肪油のリノール酸は、コレステロールの血管への沈着を防ぎ、動脈硬化の予防に役立つ。赤い実も白い実も成分は同じで、薬効は変わらない』。『知覚神経の局所麻酔、運動神経の麻痺作用があることから、鎮咳に有効とされていて、民間療法では、咳、百日咳、二日酔いに南天の実』を『服用する用法が知られている』。但し、喘息の『咳には南天実だけでは止められないので、専門医の指導で漢方薬を用いる必要がある。のどの渇き、黄色い痰の出る人に良いと言われているが、ナンテンは毒性も併せ持つため用量に注意が必要となり、また身体が冷える人への服用は禁忌とされている。扁桃炎や口内炎、のどの痛みには、うがい薬代わりに南天葉』を『煎じた』『液でうがいに用いる。湿疹には、葉を』五十『グラムほどを布袋に入れて、浴湯料として風呂に入れる。かつて、民間では船酔いにナンテンの葉を噛んでいた』。『毒成分』は『ナンテニン、ナンジニン、メチルドメスチシン、プロトピン、イソコリジン、ドメスチシン、リノリン酸、オレイン酸』で、『毒部位』は『全株、葉、樹皮、実、新芽』。『毒症状』は『痙攣、神経麻痺、呼吸麻痺』とある。『「ナンテン」を「難転」すなわち「難を転ずる」とみて、縁起の良い木とされた』。『花言葉も「福をなす」である』(。『俳句では、南天の花は仲夏の季語、実は三冬の季語とされる』。本種は、『縁起物として』、『「(難を転じて)福をもたらす、(災い転じて)福となす」と続けて、福寿草や葉牡丹と一緒に鉢植え(根を張るように)にしたものを、正月の飾り花として床の間に飾る習慣や、安産祈願の贈りものとされていた。 赤い色にも縁起が良く厄除けの力があると信じられ、江戸後期から慶事に用いるようになったという』。『江戸期の百科事典』「和漢三才圖會」『には』、『「南天を庭に植えれば火災を避けられる」とあり、赤い実が逆に「火災除け」として玄関前に庭木として、縁起木として鬼門または裏鬼門に、あるいは便所のそばに「南天手水」と称し葉で手を清めるため』、『植えられた』。『南天の箸を使うと病気にならないという言い伝えがあり、幼児のお食い初めに使われるといわれる。贈答用の赤飯にナンテンの生葉を載せているのも、難転の縁起からきている』。『邯鄲の枕は唐の沈既済』(しんきさい)『の小説』「枕中記」の『故事の一つであるが、その枕はナンテンの材でつくったとされる。ここから枕の下にナンテンの葉を敷いて寝ると悪夢を払うという言い伝えがある。日本では床にナンテンを敷いて妊婦の安産を祈願したり、武士が出陣前に床に差して、戦の勝利を祈願するためにも使われた』。『活け花などでは、ナンテンの実は長持ちし』、『最後まで枝に残っている。このことから一部地方では、酒席に最後まで残って飲み続け、なかなか席を立とうとしない人々のことを「ナンテン組」という』(これは知らなかった!)。
さて、次いで、聴き馴れない「シャシャンボ」も同前で当該ウィキを引いておく。漢字表記は『南燭・小小坊』で、『別名は、ナガバシャシャンボ、シャセンボ』。『漢字表記では「小小坊」と書くが』、『これは当て字で、シャシャンボの実際の語源は古語のサシブ(烏草樹)が訛ったものである』。『日本の関東地方南部・石川県以西の本州、四国、九州、沖縄と、朝鮮半島南部、中国、台湾に分布する。暖地の海沿いに生え、やや乾燥したところに多く見られる。庭木としても植えられる。佐世保の地名の由来ともいわれる』。『常緑広葉樹の低木または小高木。日本のスノキ属の植物には小柄なものが多い中で、かなり大きな樹木になるものである』。『枝は当初は細かい毛があるが、やがて無毛となり、白くなる。葉は長さ』二・五~六『センチメートル 』『の楕円形、やや厚い革質で表にはつやがあり、葉脈は』、『ややくぼむので、表面に網目状の溝があるように見える。葉裏の主脈上に小さな突起がある。葉縁には細かい鋸歯がある』。『花期は』七『月頃で、白色の鐘形の花が鈴なりになって咲く。花序は総状で、前年の枝の葉腋から出て、やや横向きに伸び、多数の小さな葉が付いている。果実は直径』五『ミリメートル』『ほどの球形の液果で、黒紫色に熟すと白い粉が吹いて食べることができる。これは同属のブルーベリー類と同じく、アントシアニンを多く含む』とある。因みに、「維基百科」の同種の標題は「南烛」で、こりゃ、ナンテンと混同して、チョーヤバいわ。「烛」は「燭」の簡体字だもん!
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「木之三」「灌木類」の「南燭」の記載のパッチワークである([088-45a]以下)。
「猴菽草」この「菽」(シュク)はマメ。豆類の総称。ナンテンの実の形からであろう。
「鳥飯草」本文にも「烏飯」と出るが、東洋文庫訳の割注に『道術家』(羽化登仙することを最終目的とする道教の道士)『の食物という』とある。
「菘菜《しような》」う~ん、現代中国語では、こりゃ、アブラナ目アブラナ科アブラナ属ラパ変種ハクサイ Brassica rapa var. glabra 'Pe-tsai' だが、およそ、おかしいなぁ。あと、アブラナ目アブラナ科アブラナ属ラパ変種タイサイ Brassica rapa var. chinensis が中文異名で「小菘菜」なんだが、これって、本邦のインゲンサイやで? ナンテンとは、孰れも似ているとは、逆立ちしても言えん! 判らん! 識者の御教授を乞う!
「巵子(くちなし)」双子葉植物綱リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ品種クチナシ Gardenia jasminoides f. grandiflora (以上は狭義。広義には Gardenia jasminoides )。先行する「巵子」を参照されたい。
「山礬《さんばん》」双子葉植物綱カキノキ目ハイノキ科ハイノキ属 Symplocos 。本邦産の代表種はハイノキ Symplocos myrtacea ではあるが、限定は出来ない。先行する「山礬」を見られたい。
「青精飯《せいせいはん》」「山梨県立図書館」公式サイト内であろうところの、「レファレンス事例」と思しい「赤飯にナンテンの葉を入れるのはなぜか。」という質問への回答に、『赤飯を贈るときにナンテンの葉を敷く風習は、江戸時代にはあった。赤飯にナンテンの葉を敷くのは、1.ナンテンを難転(難を転ずる)の意とする、2.ナンテンの葉の薬効により食物の腐敗を防ぐ、3.青精飯(せいせいはん)との関連による、などの説がある。』とあり、以下の「調査過程」に(一部引用)、
《引用開始》
■『世界大百科事典』(平凡社 1988)で「赤飯」を引くが、ナンテンについては記載がない。「ナンテン」「強飯(こわめし)」の項を見るが記載なし。
■『日本民俗大辞典』上(吉川弘文館 1999)で「赤飯」「強飯」を引くが、ナンテンの葉については記載なし。この時、まだ下巻は発行されていず、「ナンテン」については未調査。
■『図説江戸時代食生活事典』(日本風俗史学会編 雄山閣出版 1978)の総索引で「赤飯」を引き、「小豆」の項を見ると、「江戸期の学者によると……。吉事や祝儀に用い、ナンテンの葉を敷くのがならわしであった」とあるが、その理由は記載されていない。
■『古事類苑』植物部一(吉川弘文館 1971)で「南天燭」の項を見るが、関連の記載なし。『広文庫』第14巻(物集高見著 広文庫刊行会 1919)で「南天燭」の項を見ると、「……又仙方に南燭の汁にて飯を製する方ありて、其の名を青精飯という、其の色瑠璃のごとくにてめでたき薬なり、今時人の許に飯を送るに南天の葉を敷くも此の縁なるべし」(「夜光璧」)、「今の俗、赤豆飯を贈るに、南天の葉を志くハ、青精飯の遺意なるべし」(「乗穂録」)とある。また、「……又夏日食物を貯へておくに、南天の葉を掩ひ、下にも葉を志けバ、食物腐る事なく味変ぜず……」(「故実叢書安齋随筆」)などの記載あり。
■「青精飯」について調べる。『大漢和辞典(修訂版)』12巻(諸橋轍次著 大修館書店 1986)によると「青精」は南燭の異称で、青精飯は「……四月八日、南天の枝葉を採って搗いた汁に米を浸し、蒸して乾燥したもの。久しく服用すれば顔色を好くし寿を増すといふ」とある。
《引用終了》
とあった。
「𦘕譜」東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『七巻。撰者不詳。内容は『唐六如画譜』『五言唐詩画譜』『六言唐詩画譜』『七言唐詩画譜』『木本花譜』『草木花譜』『扇譜』それぞれ各一巻より成っている』とあった。
「糖𮔉」砂糖を水に溶かしたもの。
「邯鄲の枕」私が異様に偏愛する作品「枕中記」。私のサイト版の膨大な堆積物である『黃粱夢 芥川龍之介 附 藪野直史注 + 附 原典 沈既濟「枕中記」全評釈 + 附 同原典沈既濟「枕中記」藪野直史翻案「枕の中」 他』を見られたい。全部を精読するには、半日はかかります。お覚悟を――
『「邯鄲の枕」の事は、「中華」の卷に見ゆ』「卷第六十二本」の「廣平府」の「邯鄲枕(かんたんのまくら)」国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版で示しておく。まあ、前のリンク先をお読みになられたあなたには、全く必要ないと存じます。
『遠州、「一の宮」』遠江国一宮である小國神社(グーグル・マップ・データ)。しかし、いくら調べても、この神社のある山が、全山、南天が生えているという話は、ネット上には、全く見当たらないんですけど?]
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