「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 岩佐村三亟竒事
[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。占卜で前話と連関する。]
岩佐村三亟(さんきよく)竒(きなる)事
岩佐に、三亟と云(いふ)召仕(めしつかひ)の者、風與(ふと)[やぶちゃん注:副詞の「ふと」。「不圖」とも当字する。]、行方(ゆくへ)、不知(しれざり)しかば、每日、鉦・太鼓にて尋(たづね)しに、九日振(ここのかぶり)に、大釜(おほがま)の後(うしろ)へ來りしを見付(みつけ)て捕へ、色々、介補(かいほ)して、正氣に成(なり)ける。
前は、一文不通(いちぶんふつう)の者成(なり)しが、戾りて後(のち)は、文字を覺へ[やぶちゃん注:ママ。]、「小學」抔(など)をも、よみ、或(あるい)は、卜(うらなひ)をしけるに、見通しに合(あは)せける。
平常、山中にて行掛(ゆきがか)りに伏(ふし)けるに、山犬抔、近付(ちかづく)事、なし。
「『四方(しはう)からめ』といふ事を習(ならひ)たる。」
由。
人々、不審を、し、
「誰(たれ)に習(ならひ)たるや。」
と尋(たづね)ければ、
「形を見る事、なし。松の枝の上に居(ゐ)て、障子のやうに覺へたるが、一重(ひとへ)を隔(へだて)て、物(もの)、習ひし。讀物(よみもの)抔(など)、致しぬ。食物(くひもの)は、『しきみ』の葉に包み、白き團子(だんご)の樣(やう)なるものを、一日に、三つ宛(づつ)被下給(くだされたま)へ[やぶちゃん注:ママ。]たる。」
と言(いひ)し、とかや。
[やぶちゃん注:「岩佐村」現在の安芸郡北川村安倉(あぐら:グーグル・マップ・データ航空写真)。以前の話に出た野根山街道の中の全き山間地である。但し、藩政時代には番所が置かれた。
「三亟」この名が、ちょっとハマり過ぎで、話しとしては、眉唾の類いを疑わせる。「三極」で、これは、とんでもない名前で、元来、宇宙の万物を意味する「天・地・人」=「三才」の意だからである。この事件以降に、かく綽名で呼ばれたというなら、まだ、納得出来なくはないが、凡そ山間の庄屋等の雇人が名乗る名前では、到底、あり得ないからである。
「風與(ふと)[やぶちゃん注:副詞の「ふと」。「不圖」とも当字する。]、行方(ゆくへ)、不知(しれざり)しかば、每日、鉦・太鼓にて尋(たづね)しに」近世以前の民俗社会で、ごく普通に行われた、共同体(村落・町屋)の中から行方不明になった者を捜索する極めてオーソドックスなやり方である。市街地でも行われた。鉦・太鼓は基原としては邪気を払うことがルーツであるが、共同体辺縁外延にも失踪事実が効果的に伝わり、実利性が認められる捜索方法である。
「大釜(おほがま)の後(うしろ)へ來りし」不詳だが、山間部の大きな岩の後ろ、或いは、扇状・羽状に山肌が抉られている地形の奥、といった地域呼称の地名と思われる。「ひなたGPS」の戦前の安倉の周縁を見ると、二ヶ所ほど、ピークから崩れたような有意に大きな崖狀地名が視認出来る。
「介補(かいほ)」介抱。
「一文不通(いちぶんふつう)」文盲。
「小學」宋の朱熹の門人であった劉子澄(しちょう)が編纂した初学者用漢文教科書。全六巻。一一八七年(鎌倉幕府成立直後の文治三年相当)成立。日常の礼儀作法・格言・善行などを古今の書から集めたもの。江戸時代に用いられた。
「見通しに合(あは)せける」占った予言が、後の事実等と合致した。
「四方(しはう)からめ」「四方搦め」で、一種の結界、目には見えない防御シールドを巡らして、害獣害虫及び邪気をシャット・ダウンする法であろう。
「『しきみ』の葉」双子葉植物綱アウストロバイレヤ目 Austrobaileyalesマツブサ科シキミ属シキミ Illicium anisatum の葉。シキミは、仏事に於いて抹香・線香として利用されることで知られ、そのためか、別名も多く、「マッコウ」「マッコウギ」「マッコウノキ」「コウノキ」「コウシバ」「コウノハナ」「シキビ」「ハナノキ」「ハナシバ」「ハカバナ」「ブツゼンソウ」などがある。最後の「カウサカキ」は「香榊」で、ウィキの「サカキ」によれば、上代にはサカキ(ツツジ目モッコク科サカキ属サカキ Cleyera japonica )・ヒサカキ・シキミ・アセビ・ツバキなどの『神仏に捧げる常緑樹の枝葉の総称が「サカキ」であったが、平安時代以降になると「サカキ」が特定の植物を指すようになり、本種が標準和名のサカキの名を獲得した』とある。サカキは神事に欠かせない供え物であるが、一見すると、シキミに似て見える。名古屋の義父が亡くなった時、葬儀(臨済宗)に参列した連れ合いの従兄が、供えられた葉を見て、「これはシキミでなく、サカキである。」と注意して、葬儀業者に変えさせたのには、感銘した。因みに、シキミは全植物体に強い毒性があり、中でも種子には強い神経毒を有するアニサチン(anisatin)が多く含まれ、誤食すると死亡する可能性もある。シキミの実は植物類では、唯一、「毒物及び劇物取締法」により、「劇物」に指定されていることも言い添えておく。
「白き團子(だんご)の樣(やう)なるものを、一日に、三つ宛(づつ)被下給(くだされたま)へたる。」これは所謂、「神隠し」様の失踪をし、後に帰還し、自ら「天狗に引かれて修行を受けた」と語る、数多ある、天狗やら神仙に攫われた話しの一つである。最も知られるのは、平田篤胤の代表的神道書の一つとして知られる「仙境異聞」(全二巻・文政五(一八二二)年刊)で、七歳の時、寛永寺の境内で出逢った神仙杉山僧正に誘われて天狗(幽冥)界を訪れ、彼らから呪術を身につけたという少年寅吉(下谷池の端で夜駕籠渡世をする庄吉の弟。後にそちらで高山白石平馬の名を授かる)からの聞書きをまとめたものである。別名「仙童寅吉物語」とも言う。私は若い時から、複数の版本で読んできたが、妄想作話型ではなく、意識的詐欺がパラノイアに高じたものとして、現在は全く評価しない。篤胤は彼を最初に保護していた雑学者山崎美成(よししげ)から強引に引き連れ、数年住まわせて聴き取りを行っている。ファナティクな篤胤は仕方がないにしても、馬琴を怒らせて絶交されてしまう若造ブイブイ高慢の美成がマンマと騙されているのは、痛快ではある。柳田の言うように、寅吉の語る一見整然とした異界の体系は閉鎖系自己完結型であり、検証のしようが一ヶ所もない点で(疑問や不審を問うと寅吉は決まって不機嫌になり、黙ってしまうのであった)、お話にならないのである。そうした類話を民俗学的に紹介した、私の『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 天狗の話』を見られたいが、柳田國男は明治の科学的ゴースト・バスター井上圓了を嫌っており、分析がフォークロア擁護に偏向していて、今一、好きになれない。寧ろ、個人的には、柴田宵曲が、淡々と怪奇談を紹介した「妖異博物館」の中の「天狗の誘拐」の「(1)」・「(2)」・「(3)」がお薦めである。それ以外にも、私のブログ・カテゴリ「怪奇談集Ⅰ」や、同「怪奇談集Ⅱ」にもワンサカあるが、ある程度読むと、ステロタイプに飽きてくるので、紹介はこれに留める。]
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