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2024/09/26

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 弘岡町蛭子堂之大黒 / 「南路志」「巻三十六」~了

[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。標題は「ひろをかまちえびすだうのだいこく」と訓じておく。

 なお、本篇を以って「巻三十六」は終っている。]

 

     弘岡町蛭子堂之大黒

 弘岡町(ひろをかまち)、夷堂(えびすだう)の蛭子の尊像は、行基菩薩の作也。根元(こんげん)[やぶちゃん注:「当初」の意。]、弘岡村、辻(つじ)といふ所に有(あり)。慶長六年、御町割(おんまちわり)の時、弘岡の町を引(ひか)れしかば、此夷堂をも、引移(ひきうつ)されぬ。其時迄、惠美須一體なれば、

「大黑を相殿(さうでん)にせん。」

と、衆議(しゆうぎ)しぬ。

 寬永・正保の年間、紺屋町に鞍屋常貞(くらやつねさだ)といふ者あり。當時、「細工」の名(な)ありければ、大黑天を此(この)常貞に賴みぬ。

 既に、彫刻、成就(じやうじゆ)しければ、山伏、開眼して、安置す。

 翌朝、山伏、看經(かんきん)に出(いで)て見れば、大黑を檀(だん)より下へ、落(おち)し有(あり)。

『定(さだめ)て、鼠の仕業(しわざ)ぞ。』

と思ひて、其儘、檀上へ直(なほ)しぬ。

 又、翌朝も、轉(ころ)び落(おち)て、有(あり)。

 四、五日がほど、朝々(あさあさ)、落し有(ある)故(ゆゑ)、

「若(もし)、開眼(かいげん)の不足もや、あらん。」

とて、町中(まちぢゆう)の山伏を集め、護摩(ごま)を修(しゆ)して、開眼供養して安置せしに、翌朝、看勤[やぶちゃん注:ママ。「看經」の誤記。国立公文書館本56)原写本の誤字であろう。]に出(いで)て見れば、以前の如く、又、檀より下へ落し有(ある)故、

『直事(ただごと)にあらず。』

と、おもひ、五臺山(ごだいさん)の和尙を請(しやう)じ、開眼を賴みぬ。

 和尙、供養有(あり)て、其翌朝より、落(おち)給はずして、相殿(さうでん)し玉ふ、とぞ。

 

 

 

南 路 志 巻 三 十 六 

 

[やぶちゃん注:「弘岡町」前に何度も出た、JR四国駅を南下した「潮江橋」の手前の左側(鏡川河口左岸)現在の高知市南はりまや町(ちょう)一丁目(グーグル・マップ・データ・以下同じ)・二丁目、及び、九反田(くたんだ)相当。現在のそのはりまや町一丁目の、ここに恵比須神社があるので、ここであろう。最後の恵比須神社のサイド・パネルを開いて、同神社境内にある高知市が立てた「旧 朝倉町(あさくらまち)」の解説板の写真を見て驚いた。本書「南路志」の著者である富商美濃屋武藤致和(よしかず)・平道(ひらみち)親子もこの地に住んでいたことが記されあったからである。この町、平凡社『日本歴史地名大系』に拠れば、『鏡(かがみ)川沿いに築かれた大堤防の北側に沿い、西は南北筋の八百屋(やおや)町の南詰を挟んで掛川(かけがわ)町、東は横堀。江戸時代中期の「高知風土記」によると』、『東西一四〇間、南北二〇間、家数八五。山内氏入国後の城下町づくりの折、吾川(あがわ)郡弘岡(現春野町)』(現在の高知市春野地区附近)『の住民を移して成立したため、この名がつけられた。万治二年(一六五九)町の西部に、のちの八百屋町北部にあたる地にあった魚棚を移した』。『町内にある恵比須堂は城下七恵美須の一とされ、もと吾川郡弘岡村の辻(つじ)というところにあったものを移したもので、「高知県神社明細帳」に』『二淀川洪水之節厨子共ニ海中へ流出、然(しかる)ニ浦戶之方へ漂寄(ただよひより)浦戶城下江(え)取揚(とりあげ)安置之(これをあんちす)。其後(そののち)高知御町(ごちやう)出來候(さふらひて)当町へ勧請、其節ハ「辻夷(つぢえびす)」ト唱(となへ)候』『とある』とあった。

「慶長六年」一六〇一年。「関ヶ原の戦い」の翌年。江戸幕府開府の二年前。

「寬永・正保の年間」一六二四 年から一六四八年まで。

「紺屋町」現在のこの附近。恵比須神社のある地区の北方直近。

「五臺山」現在の高知県高知市五台山にある真言宗智山派五臺山金色院(こんじきいん)竹林寺。四国八十八箇所第三十一番札所。]

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