「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 犬神
[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。今回の底本はここから。]
犬神
「御伽婢子(ヲトギバウコ)」といへる草紙(さうし)に、『土佐國幡多と云(いふ)所に犬神(いぬがみ)といふ物(もの)、有(あり)。』とて、此病(このやまひ)、唐土(もろこし)にも有(ある)事を載(のせ)たり。
しかれ共(ども)、此國に不限(かぎらず)、「四國の犬神」にて、其中(そのうち)、阿波・土佐に、多し。いつ頃、渡りし事を不知(しらず)。
按ずるに、昔、元親朝臣(もとちかあそん)、朝鮮の生捕(いけどり)を、あまた、此國へ、連れ來(こ)られしが、若(もし)、其時より、傳へたる事も、あらんか。
先年、南都の梅田淸兵衞、當地へ下りし時、咄(はなし)に、
「奈良にも、狐付(きつねつき)、多し。その時は、『封じ物』にて、爪の間(あひだ)を探ると、直(ただち)に退(しりぞ)くもの也(なり)。」
とて、封じ物を見せぬ。
筆の軸(ぢく)程(ほど)ある竹を、三寸程に切(きり)て、先(さ)きを、そいで、其內(そのうち)へ、「封じ物」を入(いれ)たるもの也。狐は人に付(つく)と、虛然(ウツカリ)して居(を)る故、每度(まいど)、犬に喰殺(くひころ)さる、よし。
「その狐の附(つき)たるは、戾る所なき故(ゆゑ)、一生、不退(しりぞかず)、死にいたるもの、多し。」
とかや。
[やぶちゃん注:私は、二〇二一年四月から二〇三二年一月にかけて、ブログ・カテゴリ『浅井了意「伽婢子」』で、正規表現・オリジナル注附きで全篇を電子化を終えている。ここで言及されているのは、「伽婢子卷之十一 土佐の國狗神 付金蠶」である。そこでも相応に考証しているが、そこにもリンクさせてある、それ以前の、「古今百物語評判卷之一 第七 犬神、四國にある事」での私の考証(特に、ここでは、「此病(このやまひ)、唐土(もろこし)にも有(ある)事を載(のせ)たり」とする部分に就いてである)で、十全にその関連性を述べておいたので、そちらを読まれたい。言っておくが、私の注は、かなり膨大であるので、覚悟して見られたい。結論から言うと、根っこは古代中国に於いて存在した呪術「蠱毒」の焼き直しとするのが、私の結論である。
「元親朝臣」長宗我部元親。先行する「安喜郡甲浦楠嶋傾城亡霊」で既出既注。
「朝鮮の生捕」文禄元(一五九二)年から従軍した「朝鮮出兵(文禄・慶長の役)」での捕囚を指す。しかし、西日本に広く分布する犬神信仰の存在は、こんな新しい時代に四国を発信のルーツとするとは、到底、考えられない。手っ取り早い、空起源説と言わざるを得ない。
「狐」南都奈良の者の語りであるから、別段、問題はないが、一応、言っておくと、既に述べているが、四国には狐(食肉目イヌ科キツネ属アカギツネ 亜種ホンドギツネ Vulpes vulpes japonica )は、近世、或いは、近代まで、四国には棲息していなかったのではないかと私は考えている(現在は、少数の群が確認されている。これは人為的に本土から持ち込まれたものと私は疑っている)。民俗学的にも、四国に狐憑きが殆んど見かけられず、犬神憑きが台頭しているのは、その証拠であると思っている。因みに、ホンドタヌキは四国に分布しており、実際の狸や妖狸の話は、江戸時代にも普通に見られる。
『筆の軸(ぢく)程(ほど)ある竹を、三寸程に切(きり)て、先(さ)きを、そいで、其內(そのうち)へ、「封じ物」を入(いれ)たるもの也』これは先に示した二つのリンク先で言及した「管狐(くだぎつね)」である。但し、この異獣は、「きつね」「狐」と附帯するものの、諸地方の語りの様態を見ると、ルーツは狐ではないと断言出来る。古層の「くだぎつね」の話に出るそれは、決して、狐の姿をしていないからであり、これは、寧ろ、中国の「蠱毒」がルーツである、異様な、ごく小さなゴブリンみたようなものをイメージとして伝えているからである。]
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