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2024/09/03

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十六」 髙岡郡龍村無盗賊

[やぶちゃん注:凡例・その他は初回を見られたい。底本の本篇はここから。]

 

   髙岡郡(たかをかのこほり)龍村(りゆうむら)無盗賊(たうぞくなし)

 髙岡郡龍村は、世に「龍・鳴無(おとなし)」と並べ稱する霊地也。

 鎭守の神、末世(まつせ)といへども、威靈、衰へざるにや、一在所(いちざいしよ)に、昔より、盗賊、なく、正直を守りける。

 若(もし)、盗(ぬすみ)をすれば、忽(たちまち)に、神罰を蒙りぬ、といふ事、眞實(まこと)に、おもひ、恐(おそれ)けるにや。

 或(あるい)は、田畑へ、ゆき、農業をする者、鎌・鍬(くは)の類(たぐゐ)、一切の農具を遣(つか)ひ、日、暮(くれ)ぬれば、其所(そこ)に置(おき)て、宿へ、歸(かへる)。

 翌日、行(ゆき)て、又、遣ひぬるに、盗む、といふ事、なし。

 山本武兵衞、先年、普請役にて、彼(かの)地にて、大勢、人夫を遣ひ、暮(くれ)に及(およん)で、歸る時に、鐵道具を集(あつめ)させ、歸らんとするを、在所の役を勤(つとむ)るもの、右の趣(おもむき)を、いふ。

「『我々、請合申(うけあひまうす)。』由(よし)にて、其儘(そのまま)に置申(おきまうし)ける。」

と、直(ぢき)に物語、有りし。

 此事、「胎謀記事」に見へたり。

 

[やぶちゃん注:「髙岡郡龍村」「ひなたGPS」の戦前の地図のここで、「龍」の地名が確認出来る。現在は近現代の行政区画変更により、高知県土佐市宇佐町(うさちょう)竜(りゅう)となっている。グーグル・マップ(以下無指示は同じ)のここで、拡大すると、ここ。西から延びている複雑な形状をした横浪(よこなみ)半島の先端部である。平凡社「日本歴史地名大系」の「竜村」によれば、『竜岬付根の入江に面する半農半漁の小村。北は井尻(いのしり)村、西は浦ノ内村』(うらのうちむら:現在は須崎(すさき)市)で、『近年、横浪黒潮ライン』(半島の南側を走るこれ)『と宇佐大橋』(ここ)『の開通により、井尻・宇佐と直結した。集落南方に広さ四万平方メートルの湿原』「蟹(かに)ヶ池」(別名「七葉の池」)があり(同航空写真)、『西南山麓に四国霊場』三十六『番札所青龍寺』(しょうりゅうじ:ここ)『がある。近年、関(せき)ノ裏(うら)で』(高知県の公式遺跡報告書を見ると、『竜遺跡』とし、所在地を『土佐市竜関ノ裏』とするが、この地名では如何なる地図でも確認出来ない。試みに「ひなたGPS」で検索にこの地名を入れたところ、ここにポイントされた)、『七世紀の集落遺跡が発見されたが、これは古代海部のもので、蟹ヶ池周辺で水稲耕作も行っていたとみられる(土佐市史)』。『天正一七年(一五八九)の宇佐郷地検帳にみえる「竜ノ村」はすべて「青龍寺分」で、四八筆の農耕地のうち四〇筆まで青龍寺の手作地または脇坊分』とあった。

「鳴無」先の地図で、わざと入れて判るように配したのだが、横浪半島の根の方の北側の、須崎市浦ノ内(うらのうち)鳴無(おとなし)にある鳴無神社(おとなしじんじゃ)を指す。この神社のウィキがあり、『参道が海に向かって延びており、「土佐の宮島」とも称される』とあって、「龍村」と同じく、古くから海人族(あまぞく)の信仰の霊地であったことが窺われる。「須崎市観光協会」公式サイト内の「鳴無神社」のページが、写真や動画が豊富なので、是非、見られたい。

「山本武兵衞」土佐藩士には五家の「山本」姓がある。

「胎謀記事」前に既出既注だが、国立国会図書館デジタルコレクションの「土佐名家系譜」(寺石正路著・昭和一七(一九三二)年高知県教育会刊)のここに、書名と引用が確認出来る。土佐藩史・地誌のようである。]

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