「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 安井村氷室明神
[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。当該部はここから。]
安井村氷室明神
吾川郡(あがはのこほり)安井村の氷室明神(ひむろみやうじん)は、天滿天神にて、御神體は、髙さ、六、七寸なる木像にて在(ましま)しける。[やぶちゃん注:恐らくは吾川郡仁淀川町(よどがわちょう)土居(どい)にある安居氷室天神社(グーグル・マップ・データ)であろう。]
「その製造の神妙なる事、いはんかたなし。」
とぞ。
此深山に鎭座在(ましま)し事、其來由(らいゆう)、知(しる)人、なく、社(やしろ)も、年ふりて、蕪絕(ぶぜつ)に及(および)けるが[やぶちゃん注:「雑草が茂って荒れ、人の参詣も絶えていたが、」。]、寛文年中、所の庄屋三郎右衞門といふものゝ枕神(まくらがみ)[やぶちゃん注:ママ。勢いで、「枕上」を誤記したものであろう。]に立(たた)せ玉ひぬ。
三郎右衞門、驚駭(オドロキ)恐れて、急ぎ、一村の者どもを催(ものほ)して新(あらた)に社(やしろ)を建立(こんりふ)して、毎年十一月廿五日に祭禮を行ひける。
此宮、林の中、小隴(こやま)[やぶちゃん注:「隴」は「丘」の意。]有(あり)。
此(この)小山、鳴(なる)事あり。
其時は、土居(どゐ)・安井兩村の者ども、競行(きそひゆき)て、聞(きく)事也。
「其(それ)、山北(やまのきた)の方(かた)にて鳴(なく)時は、其(その)妖(えう)[やぶちゃん注:災(わざわ)い。]、必ず、安井村に有(ある)也。若(もし)、南の方にて鳴る時は、土居村に、妖、あり。」
とて、大(おほき)に、恐れ愼(つつしみ)て、祈禱抔(など)する事也。
「是は、神の告知(つげし)らせ給ふ所にて、昔ゟ(より)、愆(アヤマツ)事、なき。」
と、いへり。
又、此宮林(みやばやし)の神木(しんぼく)は、枯枝、朽(くち)たる葉、假(たと)へ、風折(かぜをれ)にても、一枝一葉(いつしちえふ)、採去(とりさ)るもの、あれば、其人、忽(たちまち)、神罰を蒙(かうむ)る、とかや。
神のをしみ玉ふ事、甚(はなはだ)しければ、里人(さとびと)も、恐れ愼(つつしむ)、とかや。[やぶちゃん注:以下は底本でも改行されている。]
玉木翁の話にいふ、
「攝州、安井村の天滿宮の神躰(しんたい)は、菅神(くわんじん)の自(みづから)彫(ほら)せたまふ所の木像也。徃昔(わうじやく)、難波(なには)の浦江[やぶちゃん注:以上の「江」(「え」=「へ」)の助詞は国立公文書館本(78)で補った。]、浪に流れ寄(より)玉ひし神像にて、安居に鎭座在しけるが、應仁年中より、天下、一同、乱世と成(なり)て、神社・佛閣、荒廃に及(および)ければ、此天滿宮も、破壞に及(および)て、既に、屋根より、雨露(あめつゆ)洩落(もれおち)て、御神體、ぬれさせ給ひければ、里人も、是を、恐歎(おそれなげき)て、
『何とぞ、雨の當(あたら)せ給はぬやうに。』
とて、桧笠(ひのきがさ)を着(つけ)奉りぬ。[やぶちゃん注:「攝州、安井村の天滿宮」は大阪府大阪市天王寺区逢阪(おうさか)にある安居神社(グーグル・マップ・データ)であろう。当該ウィキによれば、『菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息(安井)をとったためにその名がついたという伝承がある』とある。]
太閤秀吉公、天下一統の後、神社の御改(おんあらた)め、有(あり)ける中(うち)に、此(この)安井の天滿宮は、徃古(わうこ)より、御造營の譯(わけ)有(あり)て、繕修(ぜんしゆ)、有(あり)ける故、神主、下遷宮(しもせんぐう)するに、桧笠を取除(とりの)けれども、固く取られざりける。
神主、
『不思義の事。』
に、おもひ、
『倂(ならびに)、神慮に叶(かなひ)たる事にもや。』
と、其まゝにて下遷し、程なく、社(やしろ)、成就しければ、笠を、めさせながら、遷(うつ)し奉りぬ。
その頃まで、近衞龍山公、傳へ聞(きこ)しめして、住吉御參詣の爲(ため)、難波(なには)に下らせ玉ひ、其節(そのせつ)、安井に御參拜ありて、神主を召して、扉を開かせて、拜し玉ひぬるに、兼(かね)て聞(きこ)しめしたるに不違(たがはず)、笠を召してありし故、龍山公、仰られけるは、
『是は下賤の着仕(きつかまつ)る笠と申(まうす)物に候。御着(おんき)ぶるし候へども、冠(かんむり)をさし上可申(まうすべし)。』
とて、召(めし)たる笠を、取り玉へば、笠は、取れけるに、其跡へ、御自分の冠を着せ奉られける、とかや。[やぶちゃん注:以下、一字下げ。再現した。]
愼(つつしみ)て考(かんがへ)れば、彼(かの)
社(やしろ)も安井といふ。此國にも安井村にて、
倶(とも)に、神體は木像にて在(ましま)しける。
若(もし)、天神の自(みづから)、彫刻の、御神躰に
ては無きかと、爰(ここ)に記(しる)し置きぬ。
[やぶちゃん注:「近衞龍山公」近衛前久(さきひさ 天文五(一五三六)年~慶長一七(一六一二)年)は戦国時代から江戸初期にかけての公卿。]
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