「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 𣛴木
かんぼく 正字未詳
𣛴木
△按𣛴木高五六尺葉似葡萄葉而尖不皺四月開花毎
莖七朶五辨小白花攅生似紫陽花秋結子揷枝活
氣味【甘苦】折傷續筋骨之功與接骨木同取莖葉煎服
*
かんぼく 正字、未だ詳かならず。
𣛴木
△按ずるに、𣛴木、高さ、五、六尺。葉、葡萄(ぶだう)の葉に似て尖(とが)り、皺(しは)あらず。四月、花を開く。莖毎《ごと》≪に≫[やぶちゃん注:レ点はないが、返して読んだ。]、七朶《しちふさ》・五辨[やぶちゃん注:一枝に七つ生って、一つの花は五枚であることを言う。]の小≪さき≫白≪き≫花、攅《むらがり》、生《しやう》ず。紫-陽-花(あぢさい)に似《にて》、秋、子《み》を結ぶ。枝を揷して、活(つ)く。
氣味【甘苦。】折傷≪せる≫筋骨を續《つ》ぐの功、「接骨木《にはとこ》」[やぶちゃん注:前項を見よ。]と同じ。莖・葉を取《とりて》、煎《せんじ》、服す。
[やぶちゃん注:「𣛴木」は、本邦では、「肝木」で知られ、
双子葉植物綱マツムシソウ目ガマズミ科ガマズミ属セイヨウカンボク変種カンボク Viburnum opulus var. sargentii
である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。最初に「注釈」の以下を引く。『最新のAPG体系ではレンプクソウ科(Adoxaceae)にまとめられたものが』、二〇一七『年の採決によってガマズミ科(Viburnaceae)とされており、さらに古い分類体系のクロンキスト体系や新エングラー体系ではスイカズラ科(Caprifoliaceae)に分類されていた』とある。『別名ケナシカンボク』。『東アジア北東部に分布。シベリア東部、朝鮮半島、中国大陸(甘粛省・四川省・長江流域以北)、樺太、南千島、北海道、本州の中部地方以北に分布。日本には、北海道、本州、四国、九州に分布するという説もあり、北日本の山地に多く見られる。山地の疎林内や林縁、やや湿り気のある場所に自生する』。『落葉広葉樹の低木から小高木。樹高は』二~七『メートル』『くらいになる。樹皮は暗灰褐色で厚く、縦に割れ目が入ってくる。小枝は赤褐色で毛はなく、枯れた枝先がよく残っている。葉は枝に対生し、形は広卵形でやや深く』三『裂し』、三『本の葉脈が目立つのが特徴で、他の似た種との区別がしやすい。葉の先端は尖り』、『縁は全縁になる』。『花期は晩春から夏にかけて(『五~七』月ごろ)で、白色の小さな両性花のまわりに大きな』五『枚の装飾花が縁どる。花の姿はガクアジサイ』(ミズキ目アジサイ科アジサイ属アジサイ節アジサイ亜節アジサイ Hydrangea macrophylla 品種Hydrangea macrophylla f. normalis )や、『ムシカリ』(マツムシソウ目ガマズミ科ガマズミ属オオカメノキ(大亀の木) Viburnum furcatum )『にも似ている。秋には』、『びっしりと赤い実をつけ、秋の山を彩る。冬になっても』、『赤い果実や果序の柄はよく残っている』。『冬芽は枝に対生し、卵形や長卵形で、枝先には仮頂芽が』二『個』、『つく。冬芽の芽鱗は帽子状で毛はなく、外側は』一『枚で、内側』二『枚はべたつく。冬芽のわきに残る葉痕は、三日月形で維管束痕が』三『個』、『つく』。『材は白色で香気があり、日本では楊枝や房楊枝の材料として使われてきた。また』、『枝葉を煎じた液は止血効果があるとされ、切り傷や打ち身を洗う民間薬として利用されてきた。「肝木」の和名は、薬用として用いられた歴史に由来するとも推定されている』。以下、「近縁種・変種」の項。
〇セイヨウカンボク Viburnum opulus (別名ヨウシュカンボク。ヨーロッパから北アフリカにかけ)て『分布する原種。カンボクに比べて』、『樹皮が薄くて』、『割れ目が少ない点や、葯の色がカンボクは紫色なのに対し』、『セイヨウカンボクは黄色である点などで識別できる』)
〇セイヨウカンボク変種テマリカンボク Viburnum opulus var. sargentii f. hydrangeoides(『花序全体が装飾花となったもの(手毬咲き)で、観賞価値が高い。花の形状はオオデマリ』(キク亜綱マツムシソウ目レンプクソウ科ガマズミ属ヤブデマリ変種オオデマリViburnum plicatum var. plicatum f. plicatum )『に似るが、カンボクの仲間に特有の』三『裂の葉によって識別できる』)
〇セイヨウカンボク変品種ケカンボク Viburnum opulus var. sargentii f. puberulum(『枝・葉柄・花序枝が有毛で、葉の裏面にも開出毛がある』)
〇セイヨウカンボク変品種キミノカンボクViburnum opulus var. sargentii f. flavum (『果実が黄色の変種』)
中高を過ごした富山県高岡市伏木の矢田新町の奥の「矢田の堤」(私のギミー・シェルター( gimme shelter )だった)へ向かう小川に生えていた――既に堤は干上がったから(グーグル・マップ・データ航空写真)、カンボクも消えしまったであろう――、私の好きな木であった……]
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