「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 山茶花
[やぶちゃん注:この絵はサザンカですな。]
ささんくは 左牟佐久波
字之音也
誤如曰茶山花
山茶花
サン チヤアヽ
本綱山茶花產南方高者丈許枝幹交加葉頗似茶葉而
厚硬有稜中闊頭尖靣綠背淡代茶可作飮故得茶名深
冬開花紅瓣黃蕋有數種 寳珠花【花簇如珠最勝】 海榴茶花
【花青色】 石榴茶【中有碎花】 躑躅茶花【花如杜鵑花】 官粉茶花
串珠茶【皆粉紅花】 有一捻紅千葉紅千葉白等葉各少異或
云亦有黃色者
南山茶花【出于廣州】大倍中國者色微淡葉薄有毛結實如梨
大如拳中有數核如肥皂子大
遵生入牋云山茶花如磬口外粉紅色者十月開二月方
[やぶちゃん字注:書名「遵生入牋」は「遵生八牋」の誤刻。訓読文では訂した。]
已有數種 鶴項茶花【如碗大紅如羊血中心塞滿如鶴項】 瑪瑙茶花【有黃紅白粉四色爲心而大紅爲盤】
△按山茶花其樹葉花實與海石榴同而小其葉如茶葉
其實圓長形如梨而有微毛可小梅大老則裂中有核
三四顆搾油多於海石榴凡種子者必不佳可接枝凡
山茶花冬爲盛海石榴花春爲盛【遠州有山茶花大木周三尺餘髙三丈余】
*
さざんくは 「左牟佐久波《さんさくは》。」、
字の音(おん)なり。
誤りて、「茶山花(さざん《くわ》)」
と曰ふがごとし。
山茶花
サン チヤアヽ
「本綱」に曰はく、『山茶花《さんちやくわ》、南方に產≪す≫。高き者、丈許(ばかり)。枝・幹、交加《かうか》[やぶちゃん注:混じり合うこと。]≪し≫、葉、頗《すこぶ》る、茶の葉に似て、厚硬《あつくかたし》。稜(かど)、有り、中《なか》≪は≫闊(ひろ)く、頭《かしら》、尖《とが》り、靣《おもて》、綠、背、淡(うす)し、茶に代へて、飮《のみもの》と作《な》すべし。故、「茶」の名を得《う》。深冬《しんとう》[やぶちゃん注:真冬。]、花を開く。紅≪の≫瓣《はなびら》≪にして≫、黃≪の≫蕋《しべ》。數種、有り』、『「寳珠花《はうじゆくわ》」【花、簇《むれ》、珠《たま》のごとき、最も勝れり。】』、『「海榴茶花《かいりうさくわ》」【花、青色。】』、『「石榴茶《せきりうさ》」【中《なか》に碎花《さいくわ》、有り。】』、『「躑躅茶花《てきちよくさくわ》」【花、「杜鵑花《とけんくわ》」のごとし。】』、『「官粉茶花」』、『「串珠茶《くわんしゆさ》」【皆、粉紅《ふんこう》[やぶちゃん注:中国語で桃色(ピンク)の色名。]≪の≫花≪なり≫。】』。≪又、≫『一捻紅《いちねんこう》・千葉紅《やへべに》・千葉白《やへしろ》等、有り。葉、各《おのおの》[やぶちゃん注:原文には右下に踊り字「〱」が打たれてある。]、少し、異《こと》なり、或いは、云ふ、『亦た、黃色の者、有り。』≪と≫。』≪と≫。
『「南山茶花」【廣州[やぶちゃん注:現在の広東省、及び、その西の広西チワン族自治区(前者は狭義には広州市)相当。]に出づ。】、大いさ、中國[やぶちゃん注:明の首都は北京であり、中国北部と中部を主たる「中國」本土として、南方地方を差別化した言い方。]の者に倍す。色、微《やや》、淡《あはく》、葉≪は≫薄く、毛、有り。實を結ぶこと、梨のごとく、大いさ、拳(こぶし)のごとし。中《なか》に、數《すう》≪個の≫核《たね》有りて、「肥皂子《ひさうし》」の大いさのごとし。』≪と≫。
「遵生八牋《じゆんせいはつせん》」に云はく、『山茶花《さんちやくわ》、磬口《きんこう》のごとく、外《そと》≪の≫粉紅色《ふんこういろ》の者、十月、開き、二月、方《ま》さに已《や》む。數種、有り』、『「鶴項茶花」【碗《わん》の大いさのごとく、紅《くれなゐ》、羊の血のごとし。中《なか》の心《しん》、塞《ふさぎ》、滿《みち》、鶴の項《うなじ》のごとし。】』、『「瑪瑙茶花」《めなうさくわ》【黃・紅・白粉の四色、有り、心《しん》を爲《な》して、大なる紅の盤《ばん》を爲す。】。』≪と≫。
△按ずるに、山茶花《さざんくわ》、其の樹・葉・花・實、「海石榴(つばき)」と同じくして、小さし。其の葉、茶の葉のごとし。其の實、圓《まろ》く、長し。形、「梨」のごとくして、微毛《びもう》、有り。小梅の大いさ可(ばかり)≪なり≫。老《らう》すれば、則ち、裂けて、中《なか》≪に≫、核《たね》、有り、三、四顆《くわ》。油を搾(しぼ)れば、海石榴(つばき)より、多し。凡そ、子(たね)を種《うう》るは、必ず、佳(よ)からず、枝を接(つ)ぐべし。凡そ、山茶花《さざんか》、冬を盛りと爲《な》し、「海石榴(つばき)」の花は、春を盛《さかり》と爲す【遠州に山茶花の大木、有り。周《めぐり》三尺餘、髙さ、三丈余。】。
[やぶちゃん注:既に何度も示しているが(特にツバキならざるチャンチンである「椿」を参照されたい)、良安は総ての「山茶花」を「さざんくわ」と訓じていると考えられるのだが、残念なことに、中国語の「山茶花(さんさくわ)」は、
✕双子葉植物綱離弁花亜綱ツツジ目ツバキ科ツバキ連ツバキ属サザンカ Camellia sasanqua
ではない。本邦の「サザンカ」相当の「維基百科」の標題は「茶梅」である。
○ツバキ属ヤブツバキ(=ツバキ:薮椿・藪海石榴) Camellia japonica
を指す。「維基百科」の「ヤブツバキ」相当の標題は「山茶花」である(なお、本書の次の項は「海石榴」で引用なしの良安の解説のみの真正のヤブツバキ記載となっている)。
かなり長いが、私はツバキの花が好きなので、苦にならないから、ウィキの「ツバキ」を引く(注記号はカットした)。『和名ツバキの語源については諸説あり、葉につやがあるので「津葉木」とする説や、葉が厚いので「厚葉木」と書いて語頭の「ア」の読みが略されたとする説などがあり、いずれも葉の特徴から名付けられたとみられている。数多くの園芸品種が栽培されているツバキの、日本における海岸近くの山中や、雑木林に生える代表的な野生種をヤブツバキとよんでいる』。『植物学上の種(標準和名)であるヤブツバキ』『の別名として、一般的にツバキと呼んでおり、また』、『ヤマツバキ(山椿)の別名でも呼ばれる。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に「椿」と呼ぶが、同じツバキ属であっても』、『サザンカを椿と呼ぶことはあまりない。なお、漢字の「椿」は、中国では霊木の名で、ツバキという意味は日本での国訓である。ヤブツバキの中国植物名(漢名)は、紅山茶(こうさんちゃ)という』。『「椿」の字の音読みは「チン」で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお「椿」の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、「つばき」は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では』、天平五(七三三)年に完成した「出雲風土記」に(ウィキの本文では成立年を誤っている)『すでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。ツバキの古名はカタシである』。『中国では隋の王朝の第』二『代皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」もしくは「海石榴」として出てくる。海という言葉からもわかるように、海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは』、『国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に「山茶」と書き表されている。「椿」の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては』、『椿といえば、「芳椿」という東北地方の春の野菜が該当する』。『英語では、カメリア・ジャポニカ( Camellia japonica )と』、『学名がそのまま英語名になっている珍しい例である』。十七『世紀にオランダ商館員のエンゲルベルト・ケンペルがその著書で初めてこの花を欧州に紹介した。後に』十八『世紀にイエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルク・ヨーゼフ・カメルはフィリピンで』、『この花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その後』、『有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿の属名にカメリアという名前をつけ、ケンペルの記載に基づき「日本の」を意味するジャポニカの名前をつけた』。『日本原産。日本では北海道南西部、本州、四国、九州、南西諸島、日本国外では朝鮮半島南部と中国、台湾が知られる。本州中北部にはごく近縁のユキツバキ』( Camellia rusticana )『があるが、ツバキは海岸沿いに青森県まで自然分布し、ユキツバキは』、『より内陸標高の高い位置にあって住み分ける。主に海沿いや山地に自生する。北海道の南西部(松前)でも、各所の寺院や住宅に植栽されたものを見ることができる。自生北限は、青森県津軽郡平内町の夏泊半島で、椿山』(つばきやま:ここ。グーグル・マップ・データ)『と呼ばれる』一『万株に及ぶ群落は、天然記念物に指定されている』。『常緑性の低木から小高木で、普通は高さ』五~十『メートル』『前後になり、高いものでは樹高』十五メートル『にもなる』。但し、『その成長は遅く、寿命は長い。樹皮は黄褐色や淡灰褐色でなめらかであり、灰白色の模様があり、時に細かな突起がまばらに出る。枝はよく分かれて茂る。若い枝は褐色で無毛である。冬芽は互生する葉の付け根にでき、花芽は丸くて大きく、葉芽は小さな長楕円形で細く先端はとがり、円頭の鱗片が折り重なる。鱗片の外側には細かい伏せた毛がある。鱗片は枝が伸びると脱落する』。『葉は互生し、長さ』五~十二『センチメートル 』、『幅』四センチメートル『ほどの楕円形から長楕円形で、先端は短く尖り、基部は広いくさび形、葉縁には細かい鋸歯が並ぶ。葉質は厚くて固く、表面は濃緑色でつやがあり、裏面はやや色が薄い緑色で、葉身・葉柄ともに無毛である』。『花期は冬から春(』二月~四月『)で、早咲きのものは冬さなかに咲く。花は紅色あるいは紅紫色の』五『弁花で、枝の先の葉腋から』一『個ずつ下向きに咲かせる』。『花弁は長さ』三~五センチメートル『で半開きに筒状に咲き、平らには開かない』。一『枚ごとに独立した離弁花だが』、五『枚の花弁と多くの花糸のつけ根が合着した筒形になっていて、散るときは花弁と雄しべが一緒に落花する』。『果実は球形で』、十~十一『月に熟し、実が』三『つに裂開して、中から』二~三『個の黒褐色の種子が出てくる。冬も裂開した分厚い果皮が樹の下に見られる』。『ツバキ(狭義のツバキ。ヤブツバキ)とサザンカはよく似ているが、ツバキは若い枝や葉柄、果実は無毛であるのでサザンカとは区別がつく。また次のことに着目すると見分けることができる。ただし、原種は見分けやすいが、園芸品種は多様性に富むので見分けにくい場合がある』。『ツバキは花弁が個々に散るのではなく』、『萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散る』。『ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつかない』。『ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)。サザンカは、ほとんど完全に平開する』。『ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある』。『ツバキは葉柄に毛が生えない(ユキツバキの葉柄には毛がある)。サザンカは葉柄に毛が生える』。『ツバキの花期は早春に咲くのに対し、サザンカは晩秋から初冬(』十~十二『月)にかけて咲く』(太字は私が附した)。『琉球列島から台湾のものをタイワンヤマツバキあるいはホウザンツバキ( C. j. subsp. hozanensis )としたこと、あるいは屋久島のものは果実が大きく果肉が厚いことからリンゴツバキ( C. j. var. macrocarpa )として分けたこともあるが、それぞれに中間型もあり、分けないことも多い』。『島根県以北の日本海側の山地の多雪地帯には近縁種のユキツバキ( Camellia rusticana )があり、種内変異として変種( C. j. var. rusticana など)ないし亜種( C. j. subsp. rusticana )とされたこともある。ユキツバキは高さ』二センチメートル『ほどで、開花は雪が消える』四『月下旬から』五『月ごろになる』。『ヤブツバキ以外の原種など別種については「ツバキ属」を参照』。『ヤブツバキは園芸品種の母種でもあり、他家受粉で結実するため、また近縁のユキツバキなどと容易に交配するために花色・花形に変異が生じやすいことから、古くから選抜による品種改良が行われてきた。江戸時代には江戸の将軍や肥後、加賀などの大名、京都の公家などが園芸を好んだことから、庶民の間でも大いに流行し、江戸・上方(京都)・加賀・中京・肥後などの地域ごとに育成された品種が作られた』。『なお、「五色八重散椿」(ごしきやえちりつばき)のように、ヤブツバキ系でありながら花弁がバラバラに散る園芸品種もある。 散る性質は、サザンカから交雑種のハルサザンカ』( Camellia × vernalis )『を介して浸透交雑した物と思われる』。十七『世紀に日本から西洋に伝来すると、冬にでも常緑で、日陰でも花を咲かせる性質が好まれ、大変な人気となり、西洋の美意識に基づいた豪華な花をつける品種が作られた。ヨーロッパ、イギリス、アメリカで愛好され、現在でも多くの品種が作出されている』。『花色は赤色と白色があり、それぞれ紅椿、白椿と呼ばれるほか、作出されたツバキには一重咲きから八重咲き、斑入りの品種もあり、その数は極めて多数ある』。『ワビスケ(侘助)』( Camellia wabisuke )『は茶花としてよく知られているが、ワビスケツバキ品種群は太郎冠者(有楽椿)の子孫から成立し、太郎冠者は中国南部原産のCamellia pitardii var. pitardiiと、日本のヤブツバキを花粉親とする交雑種であることが葉緑体DNA解析などで示されている』。以下、「園芸品種の古木」と「花容による品種」の項があるが、省略する。以下、「地域による品種」の項。『江戸のツバキ』――『徳川幕府が開かれると、江戸に多くの神社、寺院、武家屋敷が建設された。それにともない、多くの庭園が営まれ、ツバキも植栽されていった。ことに徳川秀忠が吹上御殿に花畑を作り、多くのツバキを含む名花を献上させた。これが江戸ツバキの発祥といわれる』。「武家深祕錄」の慶長一八(一六一一)年(「大坂冬の陣」の前年)『には』『將軍秀忠花癖あり名花を諸國に徴し、これを後吹上花壇に栽ゑて愛玩す。此頃より山茶(ツバキ)流行し數多の珍種をだす』と『ある。権力者の庇護をうけて、ツバキは武士、町人に愛されるようになった。江戸ツバキは花形、花色が豊富で、洗練された美しさをもつ、一重では清楚な「蝶千鳥」「関東月見草」「蜀紅」、唐子咲きでは「卜伴」』(ぼくはん)、『八重では蓮華咲きの「羽衣」「春の台」「岩根絞」など』がある。『上方のツバキ』――『古来、都がおかれた上方でもツバキは古くから愛玩されてきた。ことに江戸期には徳川秀忠の娘東福門院和子を中宮として迎えた後水尾天皇や誓願寺の安楽庵策伝などの文化人がツバキを蒐集した。寛永』七(一六三〇)年『には安楽庵策伝によって「百椿集」を著した。さらに寛永』一一(一六三四)年『には烏丸光広によって』「椿花圖譜」が』『著され、そこには』六百十九『種のツバキが紹介されている。現在でも京都周辺の神社仏閣には銘椿が多い。品種としては「五色八重散椿」「曙」「菱唐糸」など。上方のツバキは変異の多いユキツバキが北陸から導入されたことと、京都、大坂の人々の独自の審美眼によって選抜されたことに特色がある』。『尾張のツバキ』――『江戸時代より名古屋を中心に育成されてきた品種群は、一重、筒咲き(または抱え咲き、椀咲き)、小中輪の茶花向きのものが多いのが特徴である。「関戸太郎」「窓の雪」「紅妙蓮寺」「大城冠」などがあるほか、名古屋好みの豊満な花容のものもある。近隣の三河、伊勢、美濃のものとあわせて「中部ツバキ」とも呼ばれている』。『加賀のツバキ』――『北陸各地に誕生したユキツバキ系の品種の京都の中継地として、この地は園芸の隆盛の大きな役割を果たした。茶の湯のさかんな土地柄ゆえに茶花向けの品種が多く、旧家の庭に多くの銘木がある。代表的な品種には「東方朔」「ことじ」「祐閑寺名月」などがある』。『富山、越後のツバキ』――『ユキツバキの自生地であることから、変化に富んだ選抜品種や、ヤブツバキとの交配によるユキツバキ系の品種が古くから栽培されてきた。氷見市老谷の「さしまたの椿」のような巨木も多い。代表的な品種に「大日の暁」「雪白唐子」「栃姫」「千羽鶴」など』。『山陰のツバキ』――『「つばきのふるさと」と言われるほどの自生地の多い地域である。古くから品種改良が盛んで、ことに江戸期松江藩がおかれてから盛んになり松平不昧は各地からツバキを集めた。萩から松江にかけて清楚な一重咲きが作られ愛好されている。代表的な品種は「花仙山」「意宇(おう)の里」「角(すみ)の光」など』。『久留米のツバキ』(記載なし)。『肥後のツバキ』――『肥後椿(ひごつばき)は、肥後・熊本藩の大名だった細川家にて、育種・保存されていた系統で、かつては門外不出であったが、現在では苗木が販売され、愛好者が多い。鉢植え・盆栽として栽培され、花は大輪一重で、梅蕊(ばいしん)咲きという花形で、花の中心から多数のおしべが放射状に広がり、赤・白・ピンクやその絞り咲きの花の色と、黄色のおしべとのコントラストが非常に美しい。肥後六花の一つ』。以下、「利用」の項。『庭木に良く植えられ、種子からとれる椿油は上質で、整髪用や養毛剤に用いる。材はかたく緻密で、ツゲ材と同様に木具材や細工物に使われる。材の灰は、紫根染の媒染剤になる』。『庭木として良く植えられ、住宅等の植栽では』、『防音の機能を有する樹種(防音樹)として知られる。植栽適期は』三』~『四『月上旬』、六『月下旬』から七『月上旬』、七『月とされる。日当たりが良く乾燥した場所は好まない性質で、やや湿った半日陰に植栽する。土壌の質は砂壌土で、そこに根を深く張る。施肥は』一『月』から三『月上旬と』、五『月下旬』から七『月に、剪定は』二『月下旬』から三月と、五『月』、八『月に行う』。『ツバキは生長すると樹高』二十メートル『ほどになるが、日本のツバキの大木は』、『ほとんど伐採され、最後の供給地として屋久島からも切り出されたが、現在では入手の難しい材である。大木は入手しにくいので、建築用にはあまり使われない。木質は固く緻密、かつ均質で、木目は余り目立たない、摩耗に強くて摩り減らない等の特徴から、工芸品、細工物などに使われる。代表的な用途は印材や将棋の駒、櫛、楽器、そろばんの玉などである。近年は合成材料の判子が多くなったが、椿材は、ツゲ』(ツゲ目ツゲ科ツゲ属ツゲ変種ツゲ Buxus microphylla var. japonica )『材に次ぐものとして、安価な印鑑などに利用されていた』。現行の公的な『樹の法定耐用年数は』二十五『年となっ』ている。『日本酒の醸造には木灰が必要で、ツバキの木灰が最高とされている。また、アルミニウムを多く含むことから、古くは紫根染の媒染剤として、染色用にも用いられた。しかし、ツバキが少ないため、灰の入手は難しい』。『ツバキの木炭は品質が高く、昔は大名の手焙りに使われた』。『椿油は、種子(実)熱を加えずに押しつぶして搾った油で、「東の大島、西の五島」の名産品としてもよく知られている。高級食用油、機械油、整髪料、養毛剤として使われるほか、古くは灯りなどの燃料油としてもよく使われた。ヤブツバキの種子から取る油は高価なため、同じくツバキ属の油茶などから搾った油もカメリア油の名で輸入されている。また、搾油で出る油粕は川上から流して、川魚、タニシ、川えび等を麻痺させて捕獲する毒もみ漁に使われた』。以下「薬用」の項。『花を山茶花(さんちゃか)、葉を山茶葉(さんちゃよう)、果実を山茶子(さんちゃし)と称して薬用にする。花は天日乾燥して生薬にし、葉は随時採って生を用い、果実は圧搾して油を採る。葉のエキスが止血薬になる』。『葉にはタンニンとクロロフィル(葉緑素)などが、花にはアントアチニン、ユゲノール、ブドウ糖、果糖、蔗糖、マルトースなどを含む。また』、『種子には、オレイン酸、パルミチン酸、ステアリン酸、配糖体のカメリン、カメリアサポニンなどを含』み、『タンニンは収斂作用、クロロフィルには肉芽の発生作用があることから傷薬に用いられ、花は滋養保健、種子から採れる椿油は精製して育毛剤、軟膏基剤の原料に使われる』。『民間療法では、切り傷、腫れ物に花や生葉を揉んだり、かみつぶしてつけたり、蒸し焼きした生葉に椿油をつけて冷ました後に患部につける。花を干したものを細かく刻み、小さじ』一『杯ほどをカップに入れて熱湯を注いで、蜂蜜などで調味したものを飲むと、滋養保健や便通に役立つとされる。椿油は昔から養毛料として使われていたもので、洗髪に使うと』、『サポニンが汚れを落として、頭部にできた湿疹、かぶれに良く、養毛に役立つ』。以下「食用」の項。『花を採って、根元側から甘い蜜を吸うことができる』(私も、少年の頃は、よく吸ったものだった)。『花は食用にでき、採取時期は暖地が』二~三『月、寒冷地で』三~四『月ごろ』が『適期とされ』、六『分から』七『分咲きの花を摘み取って利用する。食味は花にかすかな甘味があるが、渋みが強い。ごみや萼の部分を取り去ってから、生のまま丸ごと天ぷらにすると、花蜜由来の甘味がある。また、さっと茹でて水にさらし、おひたしや酢の物にしたり、花芯をとって花びらだけをさっと湯通しして、花の色がやや黒ずむが』、『甘酢漬けにする』。『ツバキは葉や枝も観賞の対象になる』。葉の『斑』(ふ)『入りの園芸品種「越の吹雪」』があり、『覆輪または散り斑が入る』。『江戸時代には好事家たちが、葉の突然変異』(ウイルスの感染によって葉に斑(ふ)のような模様が入ったもの)『を見つけ出し、選抜育成して観賞した』。『ツバキの花は古来から日本人に愛され』、「万葉集」の』頃『からよく知られ、京都市の龍安寺には室町時代のツバキが残っている』。『茶道でも大変珍重されており、冬場の炉の季節は茶席が椿一色となることから「茶花の女王」の異名を持つ。美術や音楽の作品にもしばしば取り上げられている』。『ツバキの花は花弁が基部でつながっており、多くは花弁が個々に散るのではなく、萼を残して』、『丸ごと』、『落ちる。それが、人の首が落ちる様子を連想させるために忌み、日本においては屋敷内に植えない地方があったり、病人のお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿(おちつばき)とも表現され、俳句においては春の季語である』。『縄文時代の遺跡鳥浜貝塚にて、ヤブツバキを加工した赤色漆塗櫛』『が出土している。その他にも杭、石斧の柄、魚掛用尖り棒、板、棒などの様々な加工品が出土している』。『ツバキは』「日本書紀」に『おいて、その記録が残されている。景行天皇が九州で起こった熊襲の乱を鎮めたおり、土蜘蛛に対して「海石榴(ツバキ)の椎」を用いた。これはツバキの材質の強さにちなんだ逸話とされており、正倉院に納められている災いを払う卯杖もその材質に海石榴が用いられているとされている』。先に示した「出雲風土記」には『海榴、海石榴、椿という文字が見受けられる。しかし、これらが現在のツバキと同一のものであるかについては議論の余地がある』。「万葉集」では、ツバキが使用された歌は』九『首ある』が、『サクラ、ウメといった』『題材と比較すると』、『数は多くない』。「源氏物語」に於いても、『「つばいもち」として名が残されている程度であり、室町時代まで』、『さほど芸術の題材として注目された存在ではなかった。しかし、風雅を好む足利義政の代になると、明から』、『椿堆朱盆、椿尾長鳥堆朱盆といった工芸品を数多く取りよせ、彫漆、螺鈿の題材としてツバキが散見されるようになった。また、豊臣秀吉は茶の湯にツバキを好んで用い、茶道においてツバキは重要な地位を占めるようになる。江戸時代に入ると』、『さまざまな花が観賞の対象になったが、椿も例外ではなかった。二代将軍徳川秀忠がツバキを好み、そのため』、『芸術の題材としてのツバキが広く知られるようになった。この時期、伝狩野山楽筆』「百椿圖」『(根津美術館所蔵)が描かれた。これは数ある品種の椿を』、『それぞれフラワー』・『アレンジメントのように描き、それらに烏丸光広、林羅山、水戸光圀ら公家、儒学者、大名といった文化人たちが漢詩、和歌の賛を書き添えた絵巻物である。以後、絵画、彫刻、工芸品のモチーフとしてツバキが定着する。ツバキの栽培も一般化し、園芸品種は約』二百『種にも及んだ』。『西洋ヨーロッパでは』十七『世紀末に園芸植物として大流行し』、十九『世紀の小説』「椿姫」(‘ La Dame aux camélias ’:アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils:小デュマ)の小説(一八四八年)、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi)のオペラ‘ La traviata ’(ラ・トラヴィアータ:「道を踏み外した女」。一八五三年初演))『にも主人公のヒロインが好きな花として登場する。西洋で園芸家に注目されたのは、ヤブツバキが花とともに、葉が常緑で地中海地方の樹木にはないツヤが見栄えすることが認められたのではないかとする説が言われている』。『年を経たツバキは化けるという言い伝えが日本各地に残る。新潟の伝説では、荒れ寺に現れる化け物の正体が椿の木槌であったり、島根の伝説では、牛鬼の正体が椿の古根だったという話がある』。『花がポトリと落ちる様子から、馬の世界においても落馬を連想させるとして、競馬の競走馬や馬術競技馬の名前としては避けられる。特に競馬では、過去にはタマツバキの様な名馬もいるが』、一九六九『年の第』三十六『回東京優駿(日本ダービー)で大本命視されたタカツバキが、スタート直後に落馬で競走中止するというアクシデントを起こして以降、ほとんど付けられることがなくなった』。『武士は、打ち首により首が落ちる様子に似ていることを連想させることを理由にツバキを飾るのを好まなかった、という話もあるが、それは幕末から明治時代以降の流言であり、江戸時代に忌み花とされた記述は見付からない』。一六〇〇『年代初頭には多数の園芸品種が流行』し、延宝九・天和元(一六八一)『年には』、『世界で初めて椿園芸品種を解説した書物が当時の江戸で出版され』ている、とあった。
以下、良安のために、ウィキの「サザンカ」を引く(同前)。『山茶花』は『別名では、オキナワサザンカともよばれる。童謡「たきび」の歌詞に登場することでもよく知られる』。『漢字表記の「山茶花」は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。もとは「さんざか」と言ったが、音位転換した現在の読みが定着した。ツバキ属の一種であるが、ツバキ(ヤブツバキ)よりも花が』、『やや小形であることから、ヒメツバキやコツバキなどの別名もある。また、漢名は茶梅である』。『常緑広葉樹の小高木。樹皮は淡灰褐色で表面は平滑である。樹皮が灰白色のツバキに対して褐色を帯びている。一年枝は』、『はじめ』、『紅紫色で』、『毛が生えている。葉は長さ』二~五『センチメートル』『程度の鋸歯のある楕円形でツバキよりも小さく、やや厚くツヤがあり、互生する』。『花期は、秋の終わりから初冬にかけての寒い時期(『十~十二月)で、枝の先に』五『枚の花弁の花を咲かせる。野生の自生種では花色は部分的に淡い桃色を交えた白色であるのに対し、植栽される園芸品種の花の色は、濃い紅色や白色やピンクなど様々である。花の奥には蜜があり、花粉の授受は昆虫と鳥の両方に頼っている。サザンカの開花はツバキよりも早い晩秋で、花弁が』一『枚ごとに散るので、ツバキとの見分けのポイントになる。また、サザンカの子房には毛があるが、ツバキにはない。花の付き方もやや異なり、ツバキが葉の裏側について葉陰で咲かせることが多いのに対し、サザンカは』寧ろ、『葉の表面側に付いて、目立ちやすい』。『果期は翌年の』九~十『月。花が咲いたあとに直径』二センチメートル『程度の球形の果実がつく。果実の表面には短い毛が生えていて、開花の翌年の秋に表皮が』三『つに裂けて、中から』二、三『個の黒褐色をした種子が出る』。『冬芽は葉の付け根につき、花芽や葉芽はツバキに似るが』、『全体に小ぶりである。花芽は広楕円形で白い毛があり、夏頃に見られる。葉芽は』、『やや平たい長卵形で毛があり』、五~七『枚の芽鱗に包まれている』。『冬の季語にされるなど、サザンカには寒さに強いイメージがあるが、開花時期に寒気にさらされると花が落ちること、四国・九州といった暖かい地域が北限である事などから、原種のサザンカは特に寒さに強いわけでは』ない。但し、『品種改良された園芸種には寒さに強く、真冬でも花を咲かせる品種も少なくない』。『サザンカ、ツバキ、チャノキなどのツバキ科の葉を食べるチャドクガ』(鱗翅目ドクガ科ドクガ属チャドクガEuproctis pseudoconspersa )『が知られている。この毒蛾の卵塊、幼虫、繭、成虫には毒針毛があり、触れると皮膚炎を発生させる。また、直接触れなくても、木の下を通ったり風下にいるだけでも毒針毛に触れ、被害にあうことがある』(家の椿で嘗つては多量に発生して困った経験がある)。『自生種は、日本の本州山口県、四国南西部から九州中南部、南西諸島(屋久島から西表島)などに、日本国外では台湾、中国、インドネシアなどに分布する。山地に自生するほか、人手によって植栽されて庭でもよく見られる』。『なお、ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生しており、ツバキ、サザンカ、チャ』(ツツジ目ツバキ科ツバキ属チャノキ Camellia sinensis )『は温帯に適応した珍しい種であり、日本は自生地としては北限である』。『ツバキと共に、代表的な冬から早春の花木で、庭木として人気が高く園芸種も多数あり、生垣によく利用される。サザンカもツバキも、ヨーロッパ、イギリス、アメリカで愛好され、多くの園芸品種が作出され、現在も多くの品種が作り出されている。ちなみに多くの言語でもサザンカと呼ばれている。種子は大きく、油が採れる。材木としては主に細工物に利用する』。『サザンカには多くの栽培品種(園芸品種)があり、花の時期や花形などで』三『つの群に分けるのが一般的である。サザンカ群以外はツバキとの交雑である』として、
サザンカ群
サザンカ Camellia sasanqua
カンツバキ群
カンツバキ(寒椿) Camellia sasanqua 'Shishigashira'(シノニム C. x hiemalis・C. sasanqua var. fujikoana :『サザンカとツバキ C. japonica との種間交雑園芸品種群』)
ハルサザンカ群
ハルサザンカ Camellia × vernalis
を挙げてある。
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「木之三」「灌木類」の「山茶」([088-70a]以下。「山茶」は中国語の「ツバキ属」を指し、「維基百科」の「山茶属」には実に二百二十四種ものリストが並ぶ)の項の「集解」からのパッチワークである。
「寳珠花《はうじゆくわ》」種不詳。
「海榴茶花《かいりうさくわ》」種不詳。
「石榴茶《せきりうさ》」種不詳。
「碎花《さいくわ》」東洋文庫訳の割注に『(雄弁の花弁化したもの)』とあるが、意味が採れない。『雄弁』は「雄蕊」の誤記か。
「躑躅茶花《てきちよくさくわ》」種不詳。
「杜鵑花《とけんくわ》」ツツジ目ツツジ科ツツジ属 Rhododendron の中文名。
「官粉茶花」種不詳。
「串珠茶《かんしゆさ》」種不詳。
「一捻紅」中国でツバキ属 Camellia の異名であるが、この「一捻紅」は、同時に、ユキノシタ目ボタン科ボタン属ボタン Paeonia suffruticosa の別称でもあり(「維基百科」の「見よ項目」である「一捻紅」を見よ)、本邦では、ツバキの異名ではなく、専らボタンのそれとして用いられいているようなので、注意が必要である。
「南山茶花」山茶(ツバキ)属南山茶 Camellia semiserrata 。これは「維基百科」に「南山茶」がある。それによれば、『中国固有種』で、『広西チワン族自治区、江西省などに分布し、標高二百メートルから三百五十メートルの山岳地帯に植生している』とある。異名に『廣寧紅花大果油茶』(簡体字を正字に直した)があり、シノニムが八つ挙がっている。
「肥皂子《ひさうし》」マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科 Caesalpinioideae ギムノクラドゥス(中文名:肥皂莢)属 Gymnocladus 肥皂莢(中文名)Gymnocladus chinensis の種子。先行する「肥皂莢」を見よ。
「遵生八牋」(じゅんせいはっせん)は、明の高濂(こうれん)の著になる随筆。全二十巻。万暦 一九(一五九一) 年の自序がある。日常生活の修養・養生に関する万端のことが述べられ、また、歴代隠逸者百人の事跡が記されており、文人の趣味生活に関する基礎的な文献とされている(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。引用は、「漢籍リポジトリ」の『欽定四庫全書』の同書の「卷十六」の「燕間清賞牋下」のガイド・ナンバー[016-27a]以下の「山茶花六種」のパートからである(多少、手を入れた)。
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山茶花六種【别名甚多以可觀玩世所廣者錄之】
如磬口外有粉紅者十月開二月方已有鶴頂茶如碗大紅如羊血中心塞滿如鶴頂來自雲南名曰滇茶有黃紅白粉四色爲心而大紅爲盤名曰瑪瑙山茶花極可愛產自浙之溫郡有曰寳珠九月發花其香淸可嗅
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この「磬口《きんこう》」の「磬」(キン:唐音)は、読経の際に打ち鳴らす、銅製や鉄製の鉢形をした仏具で、禅宗で用い始めたもの銅鉢を指す。この「口」とは、その「磬」の「口」の側面に開けられた独楽を平べったく潰したような飾り口(音響効果があるか)を指す。判らない人が多いであろうから、グーグル画像の「磬 キン」の中の、脚を持った炉のようなものがそれである。なお、東洋文庫訳では、『磬(けい)口』とルビした上、割注して『(寺院にある鉢盂』(はつう)『の形に造ったうちいしの口』とするのだが、ルビの『けい』が誤りである。「磬」を「ケイ」と漢音で読んでしまうと、これは、中国古代の打楽器で、枠の中に「へ」の字形の石板を釣り下げ、角)つの)製の槌(つち)で打ち鳴らすものを指してしまうからである(同楽器は、石板が一個だけの特磬(先のリンク先の最初の「コトバンク」の画像がそれである)と、十数個の編磬とがある。宋代に朝鮮に伝わり、雅楽に使用され、本邦には奈良時代以降、銅・鉄製の特磬を仏具に用いている)。
「鶴項茶花」種不詳。なお、東洋文庫は『鶴頂茶花』としてある。無論、「鶴頂茶」も調べたが、不詳である。なお、この判読は確信犯であり、「鶴の項《うなじ》のごとし』の部分も『鶴の頭のてっぺんのようである』と訳している。丹頂鶴を想起すれば、確かに「頂」である。いやいや、上に引用した通り、「遵生八牋」自体が「頂」なのである。
「瑪瑙茶花」種不詳。
「遠州に山茶花の大木、有り。周《めぐり》三尺餘、髙さ、三丈余」残念ながら、不識にして、存知ない。]
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