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2024/10/09

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 年季夫勇吾癩疾

[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。当該部はここから。取り敢えず、標題は「ねんきふ ゆうご らいしつ」と訓じておく。「年季夫」は姓名とは思われないから、例えば、郷士・町役人クラスで、嘗つて、江戸に年季限りの条件で、臨時に、藩のある種の仕事を受け持っていた者を俗に呼んで指したものか。識者の御教授を乞うものである。

 

     年季夫勇吾癩疾

 寛政年間[やぶちゃん注:一七八九年から一八〇一年まで。徳川家斉の治世。]、年季夫勇吾といふ者、堺町西の橫町[やぶちゃん注:現在の高知市堺町(さかいまち)附近(グーグル・マップ・データ)であろう。]に住(ぢゆう)せり。

 久敷(ひさしく)、癩を病(やみ)て、愈(いえ)ざりし程に、其(その)向ふ隣(どなり)に法華(ほつけ)を信ずるもの、有(あり)。

 或時、

「題目を唱へ、信心する樣に。」

と、

「世間に奇特(きどく)有(あり)し事。」

を、語りて、すゝむれども、うけがはず、月日を經(ふ)るに、次㐧(しだい)に見苦敷(みぐるしく)、最早、手脚(テアシ)も叶はぬ体(てい)に成(なり)て、詮方(せんかた)や、なかりけん、彼(かの)隣家の人を招ていふ。

「我病も重(おも)りぬ。足下(そつか)が勸めし題目を唱(となへ)て見んとおもふ也。」

と、いふ。

「それは、一段の事也。今夜(こんや)、寺へ行(ゆき)、願込(ねがひこみ)すべし。」

とて、其夜、勇吾を肩に掛(かけ)、要法寺(えふはふじ)[やぶちゃん注:高知市筆山町(ひつざんちょう)のここ(グーグル・マップ・データ)にある。]へ參詣させ、直ぐ(スデ)[やぶちゃん注:「直ぐ」に対してルビが振られている。]に、脇寺(わきじ)なる妙修寺[やぶちゃん注:グーグル・マップ・データでは判らないが(敢えて言うと、この地番「9」の北直近の四角の建物)、「ひなたGPS」の国土地理院図で、要法寺の南西の『眞如寺山(筆山)』(戦前の図の山名)の北の麓に現存することが、サイト「日蓮宗全寺院マップ」のこちらで確認出来た。戦前の地図には「卍」記号がないが、恐らく要法寺の附属寺院(塔頭・小院)として包括されていたものであろう。]へ、つれ行(ゆき)、加持をたのみ、夫(それ)より、夜毎(よごと)に連行(つれゆき)けるが、三十余日には、段〻(だんだん)快(ここよく)、步行(ほかう)するやうに成(なり)て、一夜(ひとよ)も不怠(おこたらず)、加持を請(うけ)けるが、ふと、惡寒(おかん)出來(いできて)、宿へ歸否(かへるやいなや)、大熱(だいねつ)となり、汗をする事、夥(おびただ)し。

 又、翌日、快(こころよく)、加持に行(ゆき)、歸れば、惡寒・發熱、有(あり)て、毎夜、汗する事、衣(ころも)を濡(ぬら)せり。

 後(のち)は、虐疾(おこり)の如く、ふるひける、とぞ。

 次第に快(こころよく)成(なり)て、七十余に、全快す。

 加持は日法(につぱふ)、師、也。

 是(ここ)に存(そん)ス。[やぶちゃん注:以下は全体が二字下げであるので、ブラウザの不具合を考慮し、適切と思われる位置で、改行した。]

  「法華經」曰、『是好良藥、今留在ㇾ此。

  汝可取服、勿憂不一ㇾ差。』。

 

[やぶちゃん注:「癩」(民俗社会で、ごく近年まで、激しい不当な差別を受けていた関係上、この「癩(らい)」と言う語は、いまわしいものとされてきたことから、現行は「ハンセン病」と呼ばねばならない。だのに、病原体は「ライ菌」と呼称しているのは私は大いに不満である。「ハンセン菌」でよい!)については、何度も注してきた。その中でも最も古い記事である「耳囊 卷之四 不義の幸ひ又不義に失ふ事」の私の「癩」の注を読まれたい。なお、この主人公の場合、「久敷(ひさしく)、癩を病(やみ)て、愈(いえ)ざりし程に」と罹病年数が有意に長いこと、「次㐧(しだい)に見苦敷(みぐるしく)」(外見、特に顔面に起こる運動障害や変形は「ハンセン病」の代表的症状の一つではある。但し、必ず顕著に発生するものではない)、「最早、手脚(テアシ)も叶はぬ体(てい)に成(なり)」という手足の変形を伴う運動障害も、やはり「ハンセン病」で有意に発生する症状ではある。但し、ハンセン病によって直接に死に至ることは、ない。主人公は全快する直前、激しい高熱に襲われているが、これは「二型らい反応(らい性結節性紅斑)」血管炎・脂肪織炎が原因と思われる全身性炎症反応で、高熱を発することはある。しかし、まさに「惡寒・發熱、有(あり)て、毎夜、汗する事、衣(ころも)を濡(ぬら)せり。後(のち)は、虐疾(おこり)の如く、ふるひける、とぞ」というのは、私には、この描写、その「ハンセン病」の急性高熱症状というよりも、まさに「瘧(おこり)」そのもの、平清盛の死因である熱性マラリアそのものの病態と感じられる。但し、嘗つての梅毒療法のように、マラリア療法のように梅毒スピロヘータ(Spirochaeta)が高熱で死滅するというような効果が、ハンセン病に有効だという話は聴いたことがない。しかし、数え七十で、「癩」を「全快」したとするこの主人公、本当に「ハンセン病」だったのだろうか? という疑問が過ぎるのである。

『「法華經」曰、『是好良藥、今留在ㇾ此。汝可取服、勿憂不一ㇾ差。』「法華經」の「如來壽量品(によらいじゆりやうぼん)第十六」に載る一節。訓読しておく。

   *

「法華經(ほけきやう)」に曰はく、『是(こ)の好(よ)き良薬(らうやく)を、今、留(とど)めて此(ここ)に在(お)く。汝(なんぢ)は取りて服(ぶく)すべし。差(い)えじと憂(うれ)ふること、勿(なか)れ。』(と)。

   *

この「良藥」は「法華經」を指す。]

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