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2024/10/11

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 山內刑部

[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。当該部はここの三行目三字目から。前の話に、字空けさえもなく、そのまま続いているが、全く異なる話である。標題「山內刑部」は「やまのうちぎやうぶ」と訓じておく。]

 

     山內刑部

 山內刑部は、豊州永原の人、一豊公(かずとよこう)[やぶちゃん注:かの山内一豊。底本では、敬意の字空け(二字分)が頭にある。]、御入國の節、知行二千五百石、外(ほか)に御代官料千石被下(くだされ)、都合、三千五百石にて。長岡郡(ながをかのこほり)本山(もとやま)土居(どゐ)[やぶちゃん注:これは「城・館(やかた)の周囲に、外敵から守る備えとして設けた土の垣(かき)」を指す語で、ここはその山城の麓の城屋敷のこと。私もしばしばお世話になる、強力な城郭研究の個人サイト「城郭放浪記」の「土佐本山土居屋敷」を見られたい。地図もある。]を預りて、其後(そののち)、本山にて病死す。[やぶちゃん注:この「山內刑部」は土佐藩家老永原一照(ながはらかつあき)の別名である。当該ウィキを見られたい。因みに、彼は、かの板垣退助の先祖である。但し、彼は尾張国生まれである。ただ、彼の『祖先は宇多源氏佐々木氏支流である山崎氏支流の永原氏』であり、この永原氏は、注で、『近江国野洲郡永原村を領して永原氏を称した』とある。にしても、「豊州」=豊前ではない。何か、錯誤がある。

 嫡子但馬(たじま)、俸祿・格式共(とも)、無相違(さういなく)、相續(さうぞく)し、室は毛利次郞九郞娘【豊前永原の城主也、】、毛利壹岐守殿、養育にて、當國に被居(をられ)候を、見性院殿(けんしやうゐんどの)【一豊公御室。】、御所望被遊(あそばされ)、但馬が妻に被遣(つかはさる)。別(べつし)て、御恩、厚かりしが、但馬、生得(しやうとく)、愚昧にして、朝暮(てうぼ)、殺生を好み、其上、奢恣(しやし)[やぶちゃん注:贅沢を恣(ほしいまま)にすること。]の行跡(ぎやうせき)、兼〻(かねがね)、思召(おぼしめし)にも不叶(かなはざり)し、とかや。[やぶちゃん注:ウィキの「永原一照」の「系譜」によれば、長男山内一長(?~寛永一七(一六四〇)年:金右衛門、後に但馬を名乗った)『家禄は』千二百五十『石』十六『人扶持』二『歩半で、元和』六『年』(一六二〇年)『に父が歿して後、その跡式を継いだが、元和』八『年』『(一六二二年)』、『大坂城石垣普請に対し』、『藩主より叱責を受けた。滝山一揆ののち善政を布いた父』『一照と異なり、領民からも不満の声があったため、同年』十二『月、所領を没収され、捨扶持』三十『石のみを与えられ』、二『人の子供を連れて佐川深尾家にお預けの身となる。寛永』一七(一六四〇)年二『月、名誉回復のされないまま』、『配流地の佐川で歿した』とある。]

 或時、但馬、殺生にゆかれし道にて、出家に行逢(ゆきあひ)ぬ。如何成(いかなる)意趣や有(あり)けん、其儘、出家を殺害(せつがい)せられける。

 夫(それ)より三年に及(および)て、元和六年庚(かのえ)中(うち)、忠義公、御在府の節、於江戶(えどにおいて)、「八幡」の二字、班(フ)に明白に[やぶちゃん注:底本には「に」はない。国立公文書館本74:左丁三行目)で補正した。]見ゆる、鷹一本、賣(うり)に出(いで)けるを、御買求被遊(おかひもとめあさばさる)。

 鷹の出所(でどころ)、御尋有(おたづねあり)けるに、

「土佐國、本山鷹(もとやまのたか)。」

の段(だん)、申上(まうしあげ)ければ、忠義公[やぶちゃん注:底本には、同前の字空けあり。]、被仰(おほせらるる)は、

「珍敷(めづらしき)鷹、領内より出(いづ)る事、甚(はなはだ)、不審也。手痛、詮義仕候樣(つかまつりさふらふやう)。」

に被仰出(おほせいださる)。

 依之(これにより)、穿鑿有(せんさくあり)けるに、但馬、領內本山にて、隣國、讚岐へ賣(うり)に出候段(いでさふらふだん)[やぶちゃん注:「に」が欲しい。]及(および)、露顯、且(かつ)、

「爾來(じらい)、不心行旁(ふしんぎやうかた)。」[やぶちゃん注:「以来、思慮分別に欠ける行為が堪忍の度を越しておる!」という意味であろう。]

を以(もつて)、元和六年十一月五日、知行、被召上(めしあげられ)、三十(イ五)人扶持[やぶちゃん注:この傍注の「イ」は書誌学的記号であって、「異本」「一本」の略。書物を校合(きょうごう)して、異本の字句を傍注する時に用いる符号。されば、これは異本では「三十扶持」ではなく、「五人扶持」ということであろう。しかし、実際には先の記載では、元が十六人扶持二歩半であったものが、捨扶持三十石のみに落とされているので、おかしい。]被遣佐川へ(さがはへつかはされ)、御預(おあづけ)也(なり)。

 但馬、嫡子は、自殺す。[やぶちゃん注:ウィキの「永原一照」の「系譜」によれば、先の通りで、死を自殺とはしていない。しかし、失意の果て、自殺した可能性もあろう。]

 二男(じなん)を「命也(メイヤ)」とふ【本ノ云ふカ】[やぶちゃん注:左右にルビする。これは「とふ」を『本原本では「と云ふ」であったか?』の意か。或いは彼の幼名ということか。後注するが、この照一の次男は山内(主君の姓を賜ったもの)平九郎で、後に乾正行金右衛門と称している。当該ウィキを見られたい。]、吶(ドモリ)也(なり)。此(この)命也へ、廿人扶持被下(くだされ)、長壽にて、正保年中[やぶちゃん注:一六四四年から一六四八年まで。慶安の前。]、病死す[やぶちゃん注:同人のウィキによれば、生年不詳で、慶安二年十二月十八日(一六五〇年一月二十日)に病死とある。]。

 其子(そのこ)、名、不知(しれず)、佐川にて出生(しゆつすやう)故(ゆゑ)、御扶持不被遣(つかはされず)、佐川より、二人扶持被下(くだされ)、流浪(るらう)の躰(てい)なり。[やぶちゃん注:次男乾正行金右衛門には、乾正祐・乾正直・乾友正がいるが、その内の誰かは判らない。]

 其子、永原惣次、寬延三年正月[やぶちゃん注:グレゴリオ暦一七五〇年二月七日から三月七日相当。]、被召出(めしだされ)、五人扶持廿四石被下(くだされ)けるが、痴鈍(アホウ)にて、斷絕せし、とかや。[やぶちゃん注:「永原惣次」不詳。]

 又、但馬舍㐧(しやてい)[やぶちゃん注:ここは「義理の弟」の意であろう。]に權右衞門といふ浪人、有(あり)。沒落の砌(みぎり)、此人は播磨へ【姬路。】立退(たちのき)ぬ。其節、妾(めかけ)、姙娠(にんしん)にて、

「若(もし)、男子(だんし)、成(な)らば、遣はせ。」

とて、脇差を殘し置(おき)けるに、果して、男子、生(うま)れ、今、其(その)末孫(ばつそん)、本山郷(もとやまがう)の小夫(こヅカヒ)をして居(を)る由。去れども、所の者は「山內殿」と、いふ、とぞ。[やぶちゃん注:この人物、不詳。]

 又、本山上関(かみぜき)に「おそごへ」と云(いふ)所、有(あり)。其所(そこ)に、半五右衞門といふ百姓も、權右衞門曾孫(そうそん/ひこ)[やぶちゃん注:「曾孫(ひまご)」。]、とかや。[やぶちゃん注:「本山上関」長岡郡本山町上関(グーグル・マップ・データ)。「おそごへ」本山町上関遅越(おそごえ)の誤り。グーグル・マップ・データ航空写真で見ると、現在も小さな集落がある。]

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