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2024/10/31

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 山茶科

 

Ryoubu

 

りやうぶ  俗云利也宇布

       名義未詳

山茶科

 

 

農政全書云山茶科生田野中高四五尺枝梗灰白色葉

似皂莢葉而團又似槐葉而團四五葉攅生一處葉甚稠

宻味苦做茶煮飮

△按山茶科俗云料蒲是乎生山野中丹波多有之高五

 七尺木皮灰白色𮔉理其葉似茶及櫻嫩葉而柔有細

 鋸齒五七葉攅生枝耑形如單瓣菊花樣二三月小白

 花開於葉間不結實四月摘嫩葉渫食或和飯或和豆

 醬味甘能治瀉痢補脾胃蓋出𠙚與葉形有少異耳

 

   *

 

りやうぶ  俗、云ふ、「利也宇布」。

       名義、未だ、詳かならず。

山茶科

 

 

「農政全書」に云はく、『山茶科《さんちやか》は、田野の中に生ず。高さ、四、五尺。枝-梗《えだ》、灰白色。葉、「皂莢(さいかし)」の葉に似て、團《まろく》、又、「槐《えんじゆ》」の葉に≪も≫似て、團《まろし》。四、五葉、一處《ひとつところ》に攅生《むらがりしやうず》。葉、甚《はなはだ》、稠宻《ちゆうみつ》≪にして≫、味、苦≪し≫。茶に做《ならひて》、煮て飮《のむ》。』≪と≫。

△按ずるに、山茶科は、俗、云≪ふところの≫、「料蒲《れうぶ》」、是れか。山野の中に生ず。丹波、多く、之れ、有り。高さ、五、七尺。木の皮、灰白色。𮔉-理(きめこまか)にして、其の葉、茶、及び、櫻の嫩葉《わかば》に似て、柔《やはらかく》、細≪かなる≫鋸齒、有り。五、七葉、枝の耑《はし》に攅-生《むらがりしやうず》。形、單-瓣(ひとへ)の菊花の樣に《✕→の》ごとし。二、三月、小≪さき≫白≪き≫花≪を≫、葉の間に開く。實を結ばず。四月、嫩葉《わかば》を摘み、渫《すすぎ》て、食す。或《あるい》は、飯に和(ま)ぜ、或は、豆醬《タウチアン》に和(あゑ[やぶちゃん注:ママ。])、味、甘し。能《よ》く瀉痢を治し、脾胃を補す。蓋《けだ》し、出≪ずる≫𠙚≪と≫、葉の形と、《「農政全書」とは》、少し、異、有るのみ。

 

[やぶちゃん注:これは、

双子葉植物綱ツツジ目リョウブ科リョウブ属リョウブ Clethra barbinervis

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。漢字表記は『令法』『北海道から九州、中国、台湾までの山林に分布している。夏に長い総状花序に白い小花をたくさん咲かせる。若葉は山菜とされ、庭木としても植えられる。別名、ミヤマリョウブ、チャボリョウブ、リョウボ(良母)、サルダメシ、古名でハタツモリ。中国名は髭脈榿葉樹』(「維基百科」の「髭脈榿葉樹」を見よ)。『落葉広葉樹の小高木で、高さは』七~九『メートル』『になる。樹皮は表面が縦長な形に薄く剥げ落ちて、茶褐色と灰褐色のまだら模様で、滑らかな木肌になる。樹皮がサルスベリ(ミソハギ科)』(先行する「百日紅」及び「猿滑」を見よ)『のように剥げ落ちるので、「サルスベリ」と呼ぶ地方もある。若木の樹皮は灰褐色。一年枝は細く、枝先で星状毛が残る。樹皮はナツツバキ』(ツツジ目ツバキ科ナツツバキ属ナツツバキ Stewartia pseudocamellia )『にも似る』。『葉は長さ』十『センチメートル』、『幅』三センチメートル『ほどの楕円形から倒披針形で、先が尖り、葉縁には細かい鋸歯がある。葉の形はサクラに似ている。葉の幅は葉先に近い方で最大になる。表面にはつやがなく、無毛または微毛を生じる。葉は枝先にらせん状に互生するが、枝先にまとまる傾向が強い。新葉はやや赤味を帯びる。秋には紅葉し、日光の当たり具合によって、黄色、橙色、赤色、赤褐色などいろいろな色になり、日当たりのよい葉は鮮やかな橙色から赤色になる。落ち葉は褐色に変わりやすく、乾くとすぐに縮れる』。『花期は真夏(』六~九『月)。枝先に長さ』十五センチメートル『くらいの総状花序を数本出して、多数の白い小花をつけ、元の方から咲いていく。花弁は白く』五『裂する。果実は蒴果で』三『つに割れる。球形の果実は、秋に褐色に熟す。葉が散ったあと、冬でも長い果序がぶら下がってよく残る』。『冬芽は側芽は互生するが』、『小さくて』、『ほとんど発達せず、頂芽は円錐形で芽鱗が傘状に開いて落ち、毛に覆われた裸芽になる。葉痕は三角形や心形で、枝先に集まる。維管束痕は』一『個つく』。『北海道南部から本州、四国、九州、済州島、中国、台湾に分布する。低地や山地、丘陵の雑木林の中や、斜面などに自生する。日当たりのよい山地の尾根筋や林縁に多い。平地から温帯域まで広く見られるが、森林を構成する樹種というより、パイオニア的傾向が強い。庭木としても植えられている』。(後注参照☞)『リョウブ属には数十種あり、アジアとアメリカ大陸の熱帯・温帯に分布する』。『家具材や建材、庭木などに用いられる』。『春に枝の先にかたまってつく若芽は山菜になり食用にする。採取時期は、暖地が』四『月、寒冷地は』四~五『月ごろが適期とされる。若芽は茹でて水にさらし、細かく刻んだものを薄い塩味をつけて、炊いた米飯に混ぜ込んでつくる「令法飯」などの材料にする。そのほか、おひたし、和え物、煮びたし、汁の実にしたり、生のまま』、『天ぷらにする。昔は飢饉のときの救荒植物として利用されたといわれる。ただし、一度に多く食べ過ぎると下痢を起こす場合がある』。『また』、五『年に一度しか採取できないが』、『ハチミツが市場に出ることも』あり、『結晶化せず、香り高い』。『令法という名は、救荒植物として育て蓄えることを法で決められたからといわれるが、花序の形から「竜尾」がなまったとの説もある。ハタツモリは畑つ守などの字が当てられるが、語源ははっきりしない』とある。

 引用元の「農政全書」は、複数回既出既注だが、再掲すると、明代の暦数学者でダ・ヴィンチばりの碩学徐光啓が編纂した農業書。当該ウィキによれば、『農業のみでなく、製糸・棉業・水利などについても扱っている。当時の明は、イエズス会の宣教師が来訪するなど、西洋世界との交流が盛んになっていたほか、スペイン商人の仲介でアメリカ大陸の物産も流入していた。こうしたことを反映して、農政全書ではアメリカ大陸から伝来したサツマイモについて詳細な記述があるほか、西洋(インド洋の西、オスマン帝国)の技術を踏まえた水利についての言及もなされている。徐光啓の死後の崇禎』十二『年』(一六三九年)『に刊行された』とある。光啓は一六〇三年にポルトガルの宣教師によって洗礼を受け、キリスト教徒(洗礼名パウルス(Paulus))となっている。以下は、同書の「第五十四 荒政」(「荒政」は「救荒時の利用植物群」を指す)にある。「漢籍リポジトリ」の同巻の、ガイド・ナンバー[056-14b] に、以下のように出る(一部表記を改めた)。

   *

山茶科 生中牟土山田野中科條髙四五尺枝梗灰白色葉似皂莢葉而團又似槐葉亦團四五葉攅生一處葉甚稠宻味苦

  救飢 採嫩葉煠熟水淘洗淨油鹽調食亦可蒸晒乾做茶煑飮

   *

「皂莢(さいかし)」日中ともに、マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ(皂莢)属サイカチ Gleditsia japonica 。先行する「皂莢」を見よ。

「槐《えんじゆ》」バラ亜綱マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。先行する「槐」を参照されたい。

「料蒲《れうぶ》」「維基百科」も「維基文庫」も検索に掛ってこないから、本邦での宛て漢字であろう。

「豆醬《タウチアン》」「豆漿」の方が一般的だが、「豆醬」と記す記事も多い。「醬」(ジャン)は所謂、舐め味噌や種々の塩漬けを意味する「ひしびしお(ひしお)」から推測出来る通り、半流動状の粘稠性を持つ調味食品の総称でもあり、「豆板醤(トウバンジャン)」や「甜麺醤(テンメンジャン)」などが知られる。ウィキの「醤」をリンクさせておく。特に、この場合は「豆乳」を指す漢語であるウィキの「豆漿」によれば、『豆漿(とうちあん)は、中華文化圏における豆乳を指す』。『中華文化圏では、伝統的な豆乳を「豆漿」(トウチアン、dòujiāng)と呼び、牛乳代替品を「豆奶」と呼ぶ』。『中国語では「豆漿」と称され、よく飲まれている。中華文化圏では、パオズ(包子)などの朝食とともに、暖かい豆乳に砂糖を加えた甘い豆乳(中国語で「甜豆漿」(ティエントウチアン tián dòujiāng)という)を飲んだり、これに油条と呼ばれる揚げパンを浸して食べたりする習慣がある。食堂、街頭の露天商、ホテルの朝食などで提供されており、カップやポリ袋に入れて買って帰ることも一般的である。また、中国ではミキサー以外にも、家庭用の自動豆乳製造機も売られており、自宅で大豆から作る人もいる。このほか砂糖を加えて乾燥させた、顆粒状のインスタント豆乳も販売されている。熱湯を加えれば、暖かく甘い豆乳となる』。『また、豆乳に塩味の出汁を加え、浅葱と細かく切った油条を浮かべた塩からい豆乳(中国語で「鹹豆漿」(シエントウチアン xián dòujiāng)という)は、小さく凝集したおぼろ豆腐が含まれ、朝粥感覚の「食べる豆乳」である。豆漿は元々』、『華北を中心に飲まれていたが』、一九五五『年に台湾台北県永和市で開店した豆漿店「世界豆漿大王」(現・新世界豆漿大王)が人気を集め、各地でチェーン展開した事によって、中華圏を代表する軽食として知られるようになった』。『中国と台湾には黒豆の豆乳もある。黒豆を用いた豆乳は、日本でも製品化・販売されている。香港では、「ビタソイ」という商品名の豆乳がガラス瓶入りで売られて人気があったが、現在は』『紙パック入りの方が主流となり、瓶入りを扱う店は減っている』とある。

『《「農政全書」とは》、少し、異、有るのみ』先の引用通り、リョウブ属には数十種があるとあるから、「農政全書」で記しているそれは、本邦のものとは異なるものを種である可能性がある。そこまで調べる気は、ない。悪しからず。]

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