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2024/10/01

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 足摺御埼舟幽霊

[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。今回の底本はここから。]

 

     足摺御埼(あしずりみさき)舟幽霊(ふなゆうれい)

 幡多郡(はたのこほり)中村、正福寺(しやうふくじ)は、宗祖法然上人の開基にて、什物(じふもつ)に、舩板(ふないた)の名號(みやうがう)七枚、鉦鼓(しやうこ)、竹布(ちくふ)の袈裟(けさ)有る事を、此寺の緣起に書載(かきのせ)たり。

 頃は享保年中、淸水浦(しみづうら)、蓮光寺に、觀音の開帳を思ひ立(たち)、本寺、正福寺を請招(せうせい/せいじやう)し、幷(ならびに)

「彼(かの)什物をも、借り度(たき)。」

由(よし)、兼(かね)て賴入(たのみいれ)置きければ、開帳の前日、舩(ふね)を仕立(したて)て、迎(むかへ)に出(いだ)しける。

 やがて正福寺上人、什物を携(たづさへ)て乘舩(じやうせん)せられけるが、その日は、順風にて、出帆しけるに、足摺山(あしづりやま)近く成(なり)ける頃より、風、やみ、沖に紛(まぎ)れて有る中(うち)に夜に入(いり)けるが、此舩、塩(しほ)[やぶちゃん注:「潮」。]にも流れず、昼(ひる)、來(きた)りし所を、動かざれば、人々、不審におもひけるに、海上(かいじやう)に、形は、見へ[やぶちゃん注:ママ。]ねども、數(す)百人も、集りたるやうに聞へ[やぶちゃん注:ママ。]て、男女(なんによ)の愁歎(しうたん)して、泣聲(なくこゑ)、夥(おびただ)しかりける。

 其時、上人、思惟(しゆい)し、

「是ぞ、いひ傳ふる『船幽霊』成(なる)べし。」

とて、則ち、御經(おんきやう)、讀誦し、念佛、唱へられければ、無程(ほどなく)、船も動き出(いだ)し、漸(やうやう)、下田(しもだ)の湊(みなと)へ漕戾(こぎもど)しける、とぞ。

 

[やぶちゃん注:「幡多郡中村、正福寺」これは現在の高知県四万十市中村山手通(なかむらやまてどうり)にある浄土宗正福寺(しょうふくじ:グーグル・マップ・データ)。

「竹布の」思うに、これは竹を縫い取りにあしらった絹製の袈裟を指しているのではないかと思われる。長い間、水に浸して腐らせておいた竹を、細く裂き、それを繊維として織った布地である「竹布(ちくふ)」が本邦には存在するが、小学館「日本国語大辞典」を見るに、中国では「唐書」に出るので、古くからあったものの、本邦の初出例は室町後期の大永四(一五二四)年八月二四日附「實隆公記」としており、事実、法然の所持品であれば、あり得ないからである。但し、後年に捏造されたものであるのなら、後者でもよい。前者と判断したのは、三重県鈴鹿市国府町の真言宗御室派大平山(たいへいざん)府南寺(ふなんじ)の公式サイト内の「お知らせ」の「国府阿弥陀如来(こうあみだにょらい)【竹布の袈裟】」の『府南寺本尊 国府阿弥陀如来』『の伝説』に、鎌倉中期の覚乗上人の話が載るのだが、そこに、『身に着けている竹布(ちくふ)(絹製)』(☜)『の袈裟(けさ)を脱いで』という一条が出ているからである。

「享保年中」一七一六年から享保二一(一七三六)年四月二十八日まで。

「淸水浦、蓮光寺」現在の高知県土佐清水市元町(もとまち)にある浄土宗金色山(こんじきざん)清涼院蓮光寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「下田」四万十川の河口の左岸の四万十市下田。現在、下田漁港がある。船を元来た海路を戻ったのである。思うに、什物の中の「舩板の名號七枚」に原因があろう。この舟板の七枚を法然に奉じたのは海難から守護されることを祈願した漁師衆であり、或いは、その中に難破して亡くなった者がいたか、或いは、難船して亡くなった漁師らの供養に、その船の舟板の破片を、遺族か、仲間が持ち込んだものやも知れぬ。さればこそ、舟幽霊は出たのである。されば、その「南無阿彌陀佛」の六字の名号を記したそれらは、蓮光寺には、結果、貸し出さなかったであろう。

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