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2024/10/05

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 田邉嶋隼人明神

[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。前々から述べた通り、原書自体に綴じの際の乱丁が発生しており、これが当該の難に最も激しく遭っているものである。初回はここであるが、右丁最後の一行だけで、次は二コマ戻ったここの、左丁と、次のコマの右丁のみ、而して、再び、ここに戻って左丁の「元親」の名のある御触書(おふれがき)で終わる(以下の後ろから二行目は、続きのように一字下げであるが、別な話である)。標題は「たべしま はやとみやうじん」と訓じておく。]

 

     田邉嶋隼人明神

 田邊嶋(たべしま)の隼人明神(はやとみやうじん)は、福留隼人(ふくとみはやと)の霊を祭るとかや。今は、此村の產神(うぶすながみ)に祭れり。

「此神の加護にて、田辺島の者に限り、反鼻(ハミ)に喰はれぬ。」[やぶちゃん注:「反鼻(ハミ)」はクサリヘビ科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシGloydius blomhoffii の俗名。博物誌は私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」の「蝮蛇(はみ) まむしへび 」の項を見られたい。]

と也(なり)。

 又、

「他所(よそ)の者も、守(まもり)を懷中すれば、反鼻の恐れなし。」

と、いへり。

 されば、此(この)隼人は、元親(もとちか)の士にて、武功有(ある)人也。

 或時、元親、宣(のたま)ひけるは、

「凡(およそ)、禍(ワザハヒ)・過(あやまち)をなすものは、酒也(なり)。身を害し、家を亂(みだせ)る者、勝(かつ)て言(いふ)べからず。今より、我(わが)領內(りやうない)にて、酒を吞(のみ)たる者あらば、罪科(つみとが)に行ふべし。」

と、堅く、法(はう)を出(いだ)されけるよりして、酒の賣買(ばいばい)、止(やみ)て、顏色(かほいろ)赤き者をば、人、疑(ウタガ)ひ、冠婚の悅(よろこば)しきにも、餅(もち)にて、いはひ、月花(つきはな)の遊びにも、只(ただ)、茶を吞(のみ)てぞ、樂(たのし)みける。

 斯(かか)りしかば、亂舞遊興の道、絕えて、いまは、しかりし國政也。

 爰(ここ)に福留隼人、所用の事、有(あり)て、私宅(わたくしたく)を出(いで)て、行(ゆく)所に、向ふより、樽(たる)を、かたげて[やぶちゃん注:担(かつ)いで。]、來(きた)る者、あり。

 隼人、見て、

「其(その)酒樽(さかだる)は、何方(いづかた)へ持行(もちゆく)ぞ。」[やぶちゃん注:底本では、最後の「ぞ」は「て」であるが、国立公文書館本69)では、『そ』であるので、濁音化して訂した。]

と尋れば、彼者、

「御城(ごじやう)の御用にて候。」

と、いひ捨(すて)て行くを、隼人、

「何條(なんでう)、『御城御用』と言(いふ)事や、ある。」

とて、飛掛(とびかか)り、奪(ば)ひ取(とり)て、樽を、二、三に、打碎(うちくだ)きて、言(いふ)。

「諸人(しょにん)の鑑(かがみ)と成(なる)人の、其(その)法を背(そむ)き、民を苦しめて、獨(ひとり)、樂しみ玉(たま)ふ事、無道(むだう)といふに、餘り有(あり)。一命をすてゝ、諫(いさめ)ずば、有(ある)べからず。」

と、獨言(ひとりごと)して、歸(かへり)ける。

 使(つかひ)の者、肝(きも)を消し、城中(じやうちゆう)へ走行(はしりゆき)、役人に向(むかひ)て、その次第を告(つぐ)る。

 老臣の面〻(めんめん)、大(おほき)に驚き、急ぎ、元親の前に出(いで)て、

「隼人、狂乱の躰(てい)、か樣(やう)か樣に候。」

と、謹(つつしみ)て申(まうし)ければ、元親、聞玉(ききたま)ひ、

「いやとよ、狂氣にあらず。又、隼人は非義をなすものに非(あら)ず。察するに、一命を捨て、元親を、强く諫(いさむ)る者也(なり)。天晴(あつぱれ)、元親は、果報のもの也(なり)。我家(わがいへ)、長久(ちやうきう)、疑ひ、なし。唐(もろこし)の王子(わうじ)比干(ひかん)に異(こと)ならず。尤(もつとも)、義、有(あり)、忠(ちゆう)、あり。臣(しん)たるものゝ、手本也(なり)。」

 感賞(かんしやう)し、頓(やが)て、酒を、ゆるして、在〻所〻(ざいざいしよしよ)へ觸(ふれ)られける。

「今度(このたび) 酒を禁ずる事 法令のあやまり也 依之(これより) 是(これ)を改めゆるす也(なり) 但(ただし)、亂酒(らんしゆ)すべからず」

元親     

 

[やぶちゃん注:「田邉嶋隼人明神」現在の高知市大津にある「福留隼人(ふくとめはやと)神社」である(グーグル・マップ・データ)。

「福留隼人」当該ウィキがある。福留親政(ふくどめちかまさ 永正八(一五一一)年~天正五(一五七七)年)は『戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。官位は飛騨守。隼人とも称した。別名は儀実』(「よしざね」か)。『父は福留房吉(福留蔵人)と推定されている。子に福留儀重、福留民部』、『福留平兵衛』、『福留右馬丞』、『福留新九郎』。『長宗我部国親の代から長宗我部家に使え』た『家臣』で、『長宗我部元親に「親」の一字を与えられるなど』、『信頼され、感状』(戦功のあった者に対して主家や上官が与える賞状)『を受けた数は』二十一『回に及び』、永禄六(一五六三)『年に元親が』積年の「本山(もとやま)氏攻め」(ウィキの「本山氏」を参照されたい。本山城跡はここ:グーグル・マップ・データ。以下同じ)『に向かい』、『岡豊城』(おこうじょう:ここ)『の防備が手薄になった際』、『安芸国虎』(土佐安芸郡の国人。当該ウィキを参照)『が攻め』『くるも』、『撃退した』。「土佐物語」によると、二十『人切り』、「元親記」では、三十七『人切りをしたと伝わる。その働きぶりは』「福留の荒切り」『と呼ばれた。元親の嫡男の長宗我部信親の守役を務めるなど』『重用されていたが』、元親の伊予侵攻戦に『おいて戦死した』とある。この勇猛果敢の彼を祀ることから、本邦の最猛毒の蛇、マムシさえ怖れるという由縁を持つものである。オンチャン(とさっぽ)氏のブログ「南国土佐へ来てみいや」の「田辺島神社(隼人神社) マムシ(ハミ)も恐れる福留飛騨と隼人を祀る」のページに、本「南路志」のこの条を引かれ、『高知では、マムシのことをハミと言うがでして、土佐の童謡にも「蛇もハミ(マムシ)もそちよれ、隼人様のお通りじゃ」と歌われちゅうが。』『これは、息子の福留隼人さんの武勇伝承から、「ハミも恐れをなして逃げる」と歌われちゅう、一種の蛇(マムシ=ハミ)退治の御呪いながでして、神社の土を持つちょったらハミに咬まれる心配はないと信仰されちょるがです。』とあった。

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