「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 甲殿村住吉大明神
[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。当該部はここから。標題は「かふどのすみよしだいみやうじん」と訓じておく。当該の住吉神社はここ(グーグル・マップ・データ)。]
甲殿村住吉大明神
文明三年[やぶちゃん注:一四七一年。室町幕府将軍は足利義政。]の頃、吾川郡甲殿の海中に、夜毎(よごと)に、光物(ひかりもの)しければ、里人(さとびと)、怪(あやし)みて、夜〻(よよ)、窺見(うかがひみ)けるが、次㐧(しだい)に海岸に近(ちかづ)きければ、漁人、取り上(あげ)、是を見るに、古き器物(うつはもの)也。其(その)器物の中には、神像二体、鏡二面、有(あり)ける故、
「如何(いか)さま、是は、神社、破壞して、流れ來(きた)れるにこそ有(ある)べけれ。」
とて、里人、集(あつま)り、地を撰(えらび)て小祠(せうし)を建(たて)て、村の產神(うぶすな)に祝祭(いはひまつ)りけるが、其後(そののち)、神主に垂(の)り移らせ玉ひて、告(つげ)て宣(のたま)はく、
「吾は、住吉四所大明神(すみよしししよだいみやうじん)也。泉州『堺の浦』に跡を垂(たる)る事、數千載(すせんざい)に及べり。然(しか)るに、此頃(このごろ)、波の爲に衝(ツカ)され、社(やしろ)、頽廃(タイハイ)して、靈宝(れいはう)、悉(ことごと)く、流漂(ながれただよ)へり。此國は、隨緣(ずいえん)の地(ち)成(な)るにより、爰(ここ)に來(きた)れり。吾、猶、衆生の禍災(くわさい)を除き、人をして、祈願を充(ミタ)しめんと、おもへり。特(とく)には、小兒、疱瘡の難を消除(せうぢよ)して、福壽(ふくじゆ)を保(ほ)す[やぶちゃん注:「守る」に同じ。]べし。又、吾、大手の湊口(みなとぐち)に居(をり)て、常に魔障(ましやう)の來(きた)るを防護すべし。早く、吾祠(わがほこら)を、湊口に、建てよ。凡(およそ)、吾をいのるものは、紙の羽(はね)の矢を作り、吾が社內(やしろうち)に納(をさ)めよ。其(その)矢を以て、魔障の來(きた)るを、射て、退治すべし。里人等(ら)、他日(たじつ)、社(やしろ)へ來(きたり)て、試(こころみ)よ。必(かならず)、其矢、なかるべし。是、吾、魔を射るの證(しやう)とすべし。又、甲殿の一村にて、蛙(かはづ)を河水(かはみづ)に棲(スマ)すまじ。是(これ)、わが戒(いましむ)る所也(なり)。」
と、詫宣(たくせん)し玉ひぬ。[やぶちゃん注:というのは、「堺の浦」と言っていることから、住吉神社の南南西四キロメートル半離れたところにある住吉大社の御旅所(非常に古くからある)である「宿院頓宮(しゅくいんとんぐう)」(大阪府堺市堺区宿院町東のここ。グーグル・マップ・データ)を指すものと思われる。「大手の湊口」これは、「ひなたGPS」の戦前の地図から推理すると、これは甲殿川河口から入ってすぐの「菜切」地区の奥の両岸の「南」・「濱」の一帯に、漁師たちの舟留め場(湊)があったものと思われる。当該の住吉神社はまさに、遡上した場合、それらの地区の「大手」口に当たる位置にあるからである。]
里人、奇特の事におもひ、急ぎ、甲殿の湊口に、祠(ほこら)を新(あらた)に構營(かうえい)して、祈る者は、紙を以て、羽に代(かへ)て、矢に作り、是を、社内に納置(をさめおき)て、毎歲(まいとし)、年蓂(オホトシ)[やぶちゃん注:「蓂」を使う理由はよく判らないが、読みから、大晦日である。因みに、「蓂莢」と言う漢語があり、これは、古代中国の伝説的な聖王堯(ぎょう)の時代に生じたとされる瑞草で、毎月一日から十五日までは、毎日、一葉ずつ生じ、十六日以後は一葉ずつ落ちるという草で、その現象によって、暦を知ったとされるから、そこから「年替わり」の意で、使ったものかと思われる。]、一村、集(あつま)りて、開き見るに、神言(しんげん)の如く、其矢、なかりし、とぞ。
昔、此事を疑ふ者、有(あり)て、矢を作り、封緘(ふうかん)をして、みづから、是を社內に納置(をさめおき)て、其年の終(おはり)に、里人とともに、宮籠(みやごもり)して、彼(かの)封したる矢を、取出(とりいだ)し、見るに、封は、そのまゝ有(あり)て、矢は、なかりし、と也(なり)。
此者、初(はじめ)て疑(うたがひ)を、はらし、却(かへつ)て、信心を、おこしける。
又、里人、
「或夜、深(ふけ)て靜成(しづかな)るに、海上、はるかに、矢の鳴行(なりゆく)音(おと)を聞(きき)し。」
とも、いへり。
今に至るまで、此村に、かぎり、蛙の絕(たえ)て、生(しやう)ぜざるは、誠(まこと)、神の威德ならずや。
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