「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 三杈木
みつまたのき 正字未詳
三杈木
△按三杈木高丈許杈椏皆三叉而葉似水楊葉開小黃
花作房
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みつまたのき 正字、未だ、詳かならず。
三杈木
△按ずるに、三杈の木、高さ丈許《ばかり》。杈椏《きのまた》、皆、三叉《みつまた》にして、葉、「水楊(かはやなぎ)」の葉に似《にる》。小≪さき≫黃花を開き、房《ふさ》を作《な》す。
[やぶちゃん注:これは、
双子葉植物綱フトモモ(蒲桃)目ジンチョウゲ(沈丁花)科ミツマタ属ミツマタ Edgeworthia chrysantha
である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。現行の代表的漢字表記は『三椏』。『冬になれば』、『葉を落とす落葉性の低木であり』、『中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる』。三『月から』四『月ごろにかけて、三つ叉(また)に分かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。一年枝の樹皮は和紙や紙幣の原料として用いられる』。『ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分かれる持ち前があるために「ミツマタ」と名付けられた』「三枝」・「三又」『とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している』(「維基百科」の「結香」を参照されたい)。『園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、赤花三椏(あかばなみつまた)』(=園芸品種ベニバナミツマタEdgeworthia chrysantha cv.)『と称する』。『中国中西部から南部、ヒマラヤの原産。中国、ヒマラヤ、東南アジアに分布する。人の手によって、庭木などとしても植えられ、和紙や紙幣の原料として栽培もされている』。『落葉広葉樹の低木で、樹高は』一~三『メートルになる』。『幹は株立ち状になり、枝が必ず三つ叉状に分かれるのが特徴で、枝が横に広がる樹形となる。樹皮は灰褐色で滑らか。一年枝は紫褐色で』、七『月ごろに新芽が』三『つに分かれて枝が伸び始める。葉は互生で、葉身が長さ』八~十五『センチメートルの広披針形』。『花期は』三~四月。『葉が出る前に、花が球状に集まった黄色の頭花を枝先につけて、下向きに咲かせ甘い芳香を放つ。花には花弁がなく、筒状で先端が』四『裂した萼筒がつき、外側に白い細かい毛が密生して、内側が黄色い。果期は』七『月。冬芽は葉芽、花芽ともに裸芽で、白色の産毛が密生する。花芽は丸く、多数の花蕾が下向きにつく。葉痕は半円形で枝先の表面から突き出し、維管束痕が』一『個つく』。『樹皮は繊維質が強く、和紙の原料、特に日本紙幣の原料として重要である。和紙はミツマタやコウゾ』(楮・栲:バラ目クワ科コウゾ属コウゾ Broussonetia × kazinoki 。ヒメコウゾ Broussonetia kazinoki とカジノキ(梶の木)Broussonetia papyrifera )の交雑種)『などの切り株から、約』一『年で生育する枝の繊維を原料としており、ミツマタで漉いた和紙は、こすれや折り曲げに強い特徴がある。手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピ』(雁皮:ジンチョウゲ科ガンピ属ガンピ Diplomorpha sikokiana )『の代用原料として栽培し、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっている。現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、ミツマタを主原料としている』。『徳島県では、通常は廃棄されるミツマタの幹を使った木炭とそれを成分とした石鹸が製造されている。ネパールのミツマタは、ヒマラヤ山脈の麓・標高』二千メートル『以上の高地で栽培され、冬に収穫・加工し、対日輸出は『官報』販売などを行う企業』「かんぽう」『(大阪市)が支援している』。『ミツマタが中国から和紙の原料として日本へ渡来したのは、慶長年間』(一五九六年~一六一五年)『とされ、和紙の原料として登場するのは』、十六『世紀(戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。しかし』、「万葉集」『にも』、『度々』、『登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として使われなかったはずがないという説』のあるらしい。『平安時代の貴族たちに詠草(えいそう)料紙として愛用された斐紙(雁皮紙、美紙ともいう)の原料である雁皮(ガンピ)も、ミツマタと同じジンチョウゲ科』Thymelaeaceae『に属する。古い時代には、植物の明確な識別が曖昧で混同することも多かったために、雁皮紙だけでなく、ミツマタを原料とした紙も斐紙(ひし)と総称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するようになったとも考えられる』とも言われるらしい。『「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の慶長』三(一五九八)年『に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状である。当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じられていた』(以下の資料は私が原文に近づくように加工してある)。
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豆州ニテハ 鳥子草(とりこくさ) カンヒ ミツマタハ 何方(いづかた)ニ候トモ 修善寺文左右衛門ヨリ外ニハ 切ルヘカラス
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『とある。「カンヒ」は、ガンピのことで、他にミツマタ、鳥子草の使用が許可されている。「鳥子草」とは、ガンピ、ミツマタと同じジンチョウゲ科のオニシバリ』(ジンチョウゲ属オニシバリ Daphne pseudomezereum )『のことであると言う説がある』。『天保』七(一八三六)年『稿の大蔵永常』の著した「紙漉必要」『には、ミツマタについて、
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常陸 駿河 甲斐の邊りにて 專ら作りて 漉き出せり
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『とある。武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料であった。佐藤信淵の』「草木六部畊種法」『には』、
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三又木の皮は 性(しやう)の弱きものなるを以て 其の紙の下品なるを なんともすること無し
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『として、コウゾ(楮)と混合して用いることを勧めている』。『明治になって、政府はガンピを使』って、『紙幣を作ることを試みた。ガンピの栽培が困難であるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究』し、明治一二(一八七九)年、『大蔵省印刷局(現・国立印刷局)抄紙部で苛性ソーダ煮熟法を活用することで、日本の紙幣に使用されるようになっている。国立印刷局に納める「局納みつまた」は』、二〇〇五『年の時点で島根県、岡山県、高知県、徳島県、愛媛県、山口県の』六『県が生産契約を結んで生産されており、納入価格は山口県を除く』五『県が』、『毎年』、『輪番で印刷局長と交渉をして決定された』。『しかし、生産地の過疎化や農家の高齢化、後継者不足により』、二〇〇五『年度以降は生産量が激減し』、二〇一六『年の時点で使用量の約』九『割はネパールや中国から輸入されたものであった。国内では岡山県、徳島県、島根県の』三『県だけで生産されており、出荷もこの』三『県の農協に限定された』。『生産農家の減少などで、ミツマタの価格は』二〇一八『年に』三十『キログラムあたり』九万五千四百円と『過去最高水準まで上昇した(国立印刷局による)』。二〇二四『年度の新紙幣発行を視野に、耕作放棄地など徳島県山間部でミツマタを新たに栽培する動きもある。ネパールでは日本の企業による貧困対策としてミツマタ栽培が行われており、国際協力機構も協力して栽培された物が日本に輸入されている』。『ミツマタは栽培植物の中では鹿による食害が』、『比較的』、『少ないという』。二〇〇八年の『税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば』、二〇〇八年四月一日『以後開始する事業年度にかかるミツマタの法定耐用年数は』五『年となった』。『初春の』三『月から』四『月にかけて黄色い花を咲かせることから、「ミツマタの花」は日本においては』、『仲春(啓蟄』(三月六日頃)『から清明の前日』(四月四日頃まで)『の季語とされている』。『古代には「サキクサの」という言葉が「三みつ」という言端(ことば)に係る枕詞とされており、枝が三つに分かれるミツマタは昔は「サキクサ」と呼ばれていたと考えられている。そう名付けられた理由としては、ミツマタはあたかも春を告げるかのごとく一足先に淡い黄色の花を一斉に咲かせるため、それゆえに「先草(サキクサ)」と呼ばれたのだとの考えがある』らしい。但し、『他にもミツマタが縁起の良い吉兆の草とされていたため「幸草(サキクサ)」と呼ばれたのだとも言』う説もあるようだ。『最も古い用例である万葉歌人・柿本人麻呂が詠んだ和歌では』(「卷第十」:一八九五番。以下、引用のものとは異なる訓読・訳を中西進氏の「万葉集 全訳注原文付」(一)(昭和五三(一九七八)年講談社文庫刊)で示した)、
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春されば
まず三枝(さきくさ)の
幸(さき)くあらば
後(のち)にも逢はむ
な戀ひそ吾妹(わぎも)
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(中西氏の訳)――『春になると真っ先に咲く三枝のようにさきく(無事で)いたら、後に逢うこともあろう。恋に苦しむな』、『吾妹よ』――
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とあり、三枝(さきくさ)という言端の元が「先草(サキクサ)」とも「幸草(サキクサ)」ともとれる表現となっている』とある。
「水楊(かはやなぎ)」この標準和名では、キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属カワヤナギ(川柳)Salix gilgiana を指すが、本邦では、かの遙かに知られて人気の高い(私も好き)ヤナギ属ネコヤナギ Salix gracilistyla のことを誤用漢名として、少なくとも江戸時代中期から盛んに使用してきている。今回も、そこを考えて、画像で比較してみたところ、
◎ミツマタの葉(学名+葉のグーグル画像検索。以下同じ。但し、下の二つのリンクは他のヤナギ類の葉の画像が孰れも混入して提示されているので、要注意である。御自分で見やすいものを選ばれたい)
に対して、
である。『これでケリがつく。」と思ったのだが、実はカワヤナギとネコヤナギの葉は、一見、似て見えるのである。しかし、ミツマタには鋸歯がないのが大きな違いである。そこで、荒木武夫氏のサイト「葉と枝による樹木検索図鑑」の「オノエヤナギ―カワヤナギ―タチヤナギ―ネコヤナギ」のページにある葉の拡大写真を見た。すると、孰れも鋸歯があるのだが、ネコヤナギの方が、細かい鋸歯が連続しており、少し離れて見ると、鋸歯がないように見える。また、カワヤナギと比較すると、ネコヤナギの葉の方が、幅が広く、比較的には、ミツマタの葉には、カワヤナギより、より似ていると言える。されば、「似ている」発言眉唾男良安先生のこの時の観察が、珍しく正しかったと仮定するなら、この「水楊(かはやなぎ)」はネコヤナギであったと断定してよいと私は思う。
……思い出すね……横浜翠嵐の山岳部の引率で、毎年新春に金時山に登った。下りの沢に下ると、必ず、ミツマタの群生が待っていて呉れたね…………]
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