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2024/10/15

「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 柏尾山観音

[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。当該部はここから。標題は「かしをやまくわんのん」と読んでおく。現在の高知市春野町芳原にある(グーグル・マップ・データ航空写真)。「高知市」公式サイト内の「文化財情報 有形文化財 観音正寺観音堂」によれば、『この寺は、約』千百年『年前に行基が観音像を刻み、柏尾山(かしおやま)山頂に安置し、堂を建てて「観正寺(かんしょうじ)」としたのがはじまりといわれています。その後、堂は火災にあい、長宗我部元親』(本文にも出る、国司家一条氏を追い出し、土佐を統一して、その後、各地の土豪を倒し、四国を統一した戦国大名。詳しくは、「安喜郡甲浦楠嶋傾城亡霊」の私の注を見られたい)『が信仰した時期には一時移転したこともありましたが、再び柏尾山の麓に戻りました。その後寺は廃れていましたが、土佐藩二代藩主山内忠義が「観音正寺(かんのんしょうじ)」として再興したと伝えられています』。『観音堂は円柱』が四方に配された『三間』(五・四五メートル)四方の『仏堂であり、正面は正方形につくられています。内部は外陣と内陣にわかれ、内陣には円柱二本を建て禅宗様の仏壇もかまえています。江戸時代初期の建立とみられ、蟇股(かえるまた)や頭貫(かしらぬき)・木鼻(きはな)は』、『つくり方や材料まで含めて立派なものです。なかでも、蟇股の中に彫られた宝相花』(ほうそうげ:通常は「宝相華文(もん)」と言う。中国の唐代、日本では奈良から平安時代に盛行した文様で、八弁の先の尖った花で、インドの花文が東漸につれて複雑華麗になった)『ウメ・タチバナ・ボタン・モモ・ビワ・フジなどの植物の彫刻は、傑作として高く評価されています』とある(上記グーグル・マップ・データのサイド・パネルの教育委員会の説明版の画像を参考にして、一部、文章がおかしい箇所を、判り易く書き変えた)。「蟇股」・「頭貫」・「木鼻」については、栃木県宇都宮市の寺社建築を手掛ける「株式会社カナメ」公式サイトの中の、「蟇股」はここ、「頭貫」はここの「32」で、「木鼻」はここで、非常に判り易く解説されてある。]

 

     柏尾山観音

 慶長五年、盛親、關ケ原陣に登られし時、常に信じ玉ふ柏尾山の観音へ參詣ありけるに、既に、十四、五丁[やぶちゃん注:一・五三~一・六四メートル。]に至る所に、観音堂より、白布、廿𠀋[やぶちゃん注:六十・六〇メートル。]斗(ばかり)、髙く立上(たちあが)りぬ。

 盛親を初め、供の靣〻(めんめん)、不思議におもひ、目を放さず、守(まも)り、近づくまゝに、是を見れば、布には、あらで、白雲、靉靆(あいたい)たり[やぶちゃん注:棚引いているのであった。]。

 漸々(やうやう)に、ちかく成(なる)うちに、観音の尊像、現(げん)じ、行衞(ゆくへ)も知らず、失玉(うせたま)ふ。[やぶちゃん注:「現じ」は底本では「現し」。「近世民間異聞怪談集成」では、そのまま活字としているから、「あらはし」と読んでいるのであろうが、私は断じてそうは読まぬと断ずる。]

 上下(かみしも)、奇異のおもひをなす所に、観音堂より、黑煙(こくえん)を巻ひて、燃へ[やぶちゃん注:ママ。]出(いで)たり。

 諸人(しよにん)、驚(おどろき)て、息(いき)をばかりに、蒐付(あつまりつけ)ければ、はや、一時(いつとき)に灰燼(くわいじん)とぞ成(な)りにける。

 是れ、盛親、滅亡の「しるし」なり。

 

[やぶちゃん注:実は最後の「蒐付(あつまりつけ)ければ」は、どうもピンと来ないし、読みも「蒐」の字からは、ちょっとズレるのが気に入らないでいる。この「蒐」の字は、結局、「近世民間異聞怪談集成」が判読した字を用いたのであるが、底本(右丁後ろから二行目冒頭)も、国立公文書館本82:右丁後ろから二行目の中央やや下)も、どうも「蒐」の字のようには、私は見えない。当初は「莵」と判読して、「莵付」で「とつき」とでも読もうと思ったが、それも当て字に過ぎて、どうもいけない。何方か、まず、漢字の判読、而して、読みをお教え下さるよう、お願い申し上げるものである。

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