「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 椐
やぶてまり 靈壽木
扶老杖
椐【音居】 【和名閉美】
俗云吾祢豆
やぶてまり 又云藪粉團花
又云以保太
本綱椐生山谷其木似竹有節圓長皮紫長不過八九尺
圍三四寸自然有合杖制不須削理作杖令人延年益壽
詩䟽云椐卽樻也節中腫卽今靈壽木也作杖及馬鞭漢
書云孔光年老賜靈壽杖者是也
△按椐丹波山谷有之高者七八尺徑寸許直上如竹嫩
木皮微紫色着葉處有節其間二三寸或四五寸中心
有纎孔經年者堅實而堪爲杖葉團尖有鋸齒皺文似
粉團花葉三四月開小白花攅生亦似粉團花而小踈
以接粉團花枝詩大雅云其檉其椐攘之剔之之椐者
卽是也
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やぶてまり 靈壽木《れいじゆぼく》
扶老杖《ふらうじやう》
椐【音「居」】 【和名、「閉美《へみ》」。】
俗、云ふ、「吾祢豆《ごねづ》」。
やぶてまり 又、云ふ、「藪粉團花《やぶてまり》」。
又、云ふ、「以保太《いぼた》」。
「本綱」に曰はく、『椐《きよ》、山谷に生ず。其の木、竹に似《にて》、節《ふし》、有り。圓長《まろくながく》して、皮、紫。長さ、八、九尺に過ぎず。圍《めぐり》、三、四寸。自然に、杖《つゑ》の制《せい》に合ふ[やぶちゃん注:「製造基準にぴったりと一致する」の意。]、有り。削理《けづりととのふこと》を須(もち)ひずして、杖を作《さく》して、≪しかも≫、人をして年《とし》を延《のべ》、壽《じゆ》を益せしむ。「詩」の「䟽《そ》」に云はく、『椐は、卽ち、樻《き》なり。「節の中、腫《こぶ》≪あり≫。」≪とあるは≫、卽ち、今の靈壽木なり。杖、及び、馬の鞭《むち》に作《な》す。』≪と≫。「漢書」に云はく、『孔光《こうくわう》、年、老いたり。靈壽杖《れいじゆぢやう》を賜ふ。』とは、是れなり。』≪と≫。
△按ずるに、椐、丹波≪の≫山谷に、之れ、有り。高《たかき》者、七、八尺。徑《わたり》、寸許《ばかり》。直《す》ぐに上《のぼ》り、竹のごとし。嫩木(わか《ぎ》)の皮は、微《やや》紫色。葉の着く處、節、有り。其の間《かん》、二、三寸、或いは、四、五寸。中心に纎《ほそ》き孔《あな》、有り。年《とし》を經《ふ》る者は、堅實にして、杖と爲《なす》に堪《たへ》たり。葉、團《まろ》く、尖《とが》り、鋸齒・皺文《しはもん》、有り。「粉團花(てまり《ばな》)」の葉に似《にて》、三、四月、小≪さき≫白≪き≫花を開く。攅《むらがり》、生《しやう》ず。≪花も≫亦、「粉團花」に似て、小≪さく≫、踈《まばら》≪にして≫、以つて、「粉團花」の枝を接《つ》ぐ。「詩」の「大雅」に云はく、『其の檉《てい》 其の椐 之れを攘(かきわ)け 之れを剔(も)ぐ』と云ふの「椐」は、卽ち、是れなり。
[やぶちゃん注:「椐」「藪粉團花《やぶてまり》」は、日中ともに、
双子葉植物綱キク亜綱マツムシソウ(松虫草)目レンプクソウ(松虫草)科ガマズミ属 Viburnum plicatum 変種ヤブデマリ(藪手毬) Viburnum plicatum var. tomentosum
である。「維基百科」の当該種は「粉团」(「团」は「團(団)」の簡体字)で、そこでは学名を、Viburnum plicatum としているが、解説の「異名」の項に、『Viburnum plicatum Thunb. var. tomentosum (Thunb.) Rehd』(斜体でないのはママ)とあるので、実はシノニムである。そこには、『分布在日本以及中国大』陸『的』貴『州、湖北等地』『生』長『于海拔200米至1,800米的地区』とある。
当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『和名は薮のような場所に生え、花序が丸いことに由来する』。『日本の太平洋側の本州(関東地方以西)、四国、九州に分布し、山地や丘陵地に生え、沢などの水辺や湿り気のある林縁に自生する』。『落葉広葉樹の小高木で、樹高』二~六『メートル』『くらいになる。樹皮は灰黒色で、枝が水平に伸び広がるのが特徴的である。一年枝の樹皮は褐色で皮目があり、星状毛が多い。古い枝は黒褐色で皮目が』、『まばらにある。樹皮は古くなってくると色も変わり、裂け目が入ってくる。葉は枝に対生し、形は倒卵形から長楕円形で』五~十六『センチメートル』『ほど、葉の先端は尖り、葉縁は全縁になる』。『花期は』五~六『月で、水平に伸びた枝に上向きに花序を並べて白い花をつける。花序は』一『対の葉の間から出た散房花序で、やや黄色を帯びた小さな両性花が集まる花序のまわりに、白色の大きな』五『枚の花弁の広がった装飾花が縁どる。装飾花は直径』三~四センチ『メートル』の『無性花で』、『花弁だけが広がったものだが、その』五『枚のうち』、一『枚が極端に小さくユニークな形』(同ウィキの画像)『であり、他の似た種との区別がしやすい。おおよそ小さい花弁が花序の内側を向き、花序の外周を大きい花弁が彩る。中心に集まる両性花は直径』五~六ミリメートルである』。『果期は』八『月。果実は長さ』六ミリメートル『の楕円形で、夏に赤く熟し、秋には黒紫色に変わる。果序は枝の上に並ぶように見える』。『冬芽は長楕円形で先が尖り、芽鱗は褐色で』二『枚あり、星状毛が多い。頂芽は側芽よりも大きく、短い柄がある。側芽は枝に対生する。冬芽のわきにある葉痕は、V字形や倒松形で、維管束痕は』三『個』、『つく』とある。
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「木之三」「灌木類」の「靈壽木」([088-80a]以下)のパッチワークである。短いので引用する(一部に手を加えた)。
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靈壽木【拾遺】
釋名扶老杖【孟康】椐
集解藏器曰生劍南山谷圓長皮紫漢書孔光年老賜靈壽杖顔師古注云木似竹有節長不過八九尺圍三四寸自然有合杖制不須削理作杖令人延年益壽時珍曰陸氏詩疏云椐即樻也節中腫似 扶老即今靈壽也人以作杖及馬鞭𢎞農郡北山有之
根皮氣味苦平主治止水【藏器】
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「以保太《いぼた》」この良安が添えた異名は非常に問題がある、というか、誤りである。これは、縁も所縁もない、
シソ目モクセイ科イボタノキ属イボタノキ Ligustrum obtusifolium
を指すからである。同種については、当該ウィキを見られたい。
『「詩」の「䟽《そ》」に云はく、『椐は、卽ち、樻《き》なり。「節の中、腫《こぶ》≪あり≫。」』「詩經」の「大雅」の「皇矣」(「詩經」中、最長の詩。後注参照)の「䟽」(注のこと)を指す。恐らく、呉の陸璣の著になる「毛詩草木鳥獸蟲魚疏」からの抜粋であろう。その「卷上」にある。「中國哲學書電子化計劃」より引く(一部に手を加え、当該部を太字で示した)。
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檉河栁生水旁皮正赤如絳一名雨師枝葉如松椐樻節中腫以扶老今靈夀是也今人以爲馬鞭及杖𢎞農共北山甚有之
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「漢書」後漢の班固の撰になる史書。漢の高祖から王莽(おうもう)政権の崩壊に至るまでの全十二代、二百三十年間の前漢の歴史を記述した、中国の正史の一つ。「本紀」十二巻・「表」八巻・「志」十巻・「列傳」七十巻の全百巻。後漢の明帝の永平年間(五八年~七五年)に勅命を受けて、二十余年の歳月を費やし、章帝の建初年間(七六年~八三年)に完成した。当該部は、「卷八十一」の「匡張孔馬傳第五十一」の以下の略述。「中國哲學書電子化計劃」から引く。
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十日一賜餐。賜太師靈壽杖【孟康曰、「扶老杖也。」。服虔曰、「靈壽、木名。」。師古曰、「木似竹、有枝節、長不過八九尺、圍三四寸、自然有合杖制,不須削治也。」。】黃門令爲太師省中坐置几、太師入省中用杖、賜餐十七物【師古曰、「食具有十七種物。」。】然後歸老于弟、官屬按職如故。」【師古曰。「言十日一入朝、受此寵禮。它日則常在家自養、而其屬官依常各行職務。」。】。
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「粉團花(てまり《ばな》)」バラ目バラ科シモツケ(下野)亜科シモツケ属コデマリ Spiraea cantoniensis 。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名、スズカケ。中国名は麻葉繡球。中国(中南部)原産で、日本では帰化植物』で、『庭や庭園に植えられる』。『落葉低木で、高さは』一・五メートル『になる。幹は叢生し、枝は細く弓なりに枝垂れる。樹皮は灰褐色で皮目があり、枝は表皮が剥がれやすい。生長すると縦に筋ができる。若い枝は暗紅色で無毛である。葉は互生し、葉先は鋭頭で、形は』菱『状狭卵形になる』。『花期は春(』四~五『月)。白の小花を花序に集団で咲かせる。この花序は小さな手毬のように見え、これが名前の由来となっている』(同ウィキの画像)。『果実は散房状につき、果柄は下部が長い。果序は冬でも残ることがある。冬芽は卵形で褐色、芽鱗は縁に毛があり多数(』十二~十五『枚)が重なる。側芽が枝に互生する。葉痕は半円形で突き出し、維管束痕が』三『個』、『つく』。品『種に八重咲きのヤエコデマリ』(Spiraea cantoniensis f. plena)『がある』とある。
『「詩」の「大雅」に云はく、『其の檉《てい》 其の椐 之れを攘(かきわ)け 之れを剔(も)ぐ』』既に示した「皇矣」は「詩經」最長であるので、全体は「中國哲學書電子化計劃」のここで見られたい。ここはその第二連である(一部の表記に手を加えた)。
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作之屛之、其菑其翳。
脩之平之、其灌其栵。
啟之辟之、其檉其椐。
攘之剔之、其檿其柘。
帝遷明德、串夷載路。
天立厥配、受命既固。
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全訳はサイト『崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座』の「皇矣(引用51:周建国伝説)」を見られたいが、当該連は以下のように訳されておられる。太字は私が必要なため、附したものである。
《引用開始》
元々周の地は狭隘な地であったが、
文王はそれらを開拓された。
除いたのは枯れ木、倒木である。
よく地ならしし、整地しされた。
除いたのは灌木や小木である。
生い茂る木々を切り開く。
除いたのはギョリュウ、ヘミである。
剪定によって木の形を整える。
対象はカラクワ、ヤマグワである。
天帝は殷より去り、文王に付かれた。
そのため蛮夷も文王を恐れた。
こうして文王に天命が下された。
《引用終了》
この「ギョリュウ」は御柳で、ナデシコ目ギョリュウ科ギョリュウ属ギョリュウ Tamarix chinensis 。当該ウィキを参照されたい。「ヘミ」は本ヤブデマリの別名である。しかし、以上から判る通り、良安は句のセットを間違えており、トンデモ引用になってしまっているので、注意されたい。
なお、「漢籍リポジトリ」が三日間に渡って接続出来なかったため、ポストをやめざるを得なかった。]
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