「神威怪異竒談」(「南路志」の「巻三十六」及び「巻三十七」)正規表現電子化注「巻三十七」 奈半利村二重柿
[やぶちゃん注:原書の解説や凡例・その他は初回を見られたい。今回の底本はここから。標題は「なはりむら ふたへがき」と訓じておく。]
奈半利村二重柿
安㐂郡(あきのこほり)奈半利村に大久保刑部(おほくぼぎやうぶ)といふ人の墓、有(あり)。田中(たのなか)也。
其(その)墓に、柿木(かきのき)有(あり)。
此(この)柿。熟すると、内に、皮、ありて、又、外輪(そとわ)にも、皮、ある也(なり)。
故に「二重柿(ふたへがき)」といふ。又、「大久保柿」ともいふ也。
[やぶちゃん注:「安㐂郡(あきのこほり)奈半利村」何度も注している。現在の安芸郡奈半利町(なはりちょう:グーグル・マップ・データ)。
「大久保刑部」不詳。
「二重柿」「公式高知県公式観光サイト」の「こうち旅ネット」の「奈半利の二重柿(なはりのにじゅうかき)」のページに、『一つの果実の中にもう一つ別の果実をつくる珍しい二重柿』とし、『県の天然記念物』で、『安芸郡奈半利町奈半利町』(ママ)『上長田の坂本氏宅地内にある』とし、『一つの果実の中に、もう一つ別の果実をつくるという一種の奇形樹』とあり、『木の目通り幹囲』九十センチメートル、『樹高』八メートル。『樹齢は』百『年前後といわれている』とある。グーグル・マップ・データにもポイントされてあり、サイド・パネルに五枚の写真もある。ストリートビューでも確認出来る。樹齢から、二、三代のものの子孫と思われ、周辺に墓も見当たらない。なお、愛媛県宇和島市にも県指定天然記念物となっている「二重柿」があり、宇和島市役所公式サイト「宇和島 ココロまじわうトコロ」の「新宇和島の自然と文化」の「県指定 二重柿」のページに、所在地を『津島町岩渕』、所有者を『満願寺』(ここ:グーグル・マップ・データ)とする(熟した柿を割った画像がある)。そこには、かなり詳しい記載があるので、部分引用する。『満願寺の境内に一本の柿の木がある。根回り二・八』メートル、『幹周り一・二』メートル、『高さ一〇』メートル『に達する小形のしぶ柿で、柿の実の内部にもまた果実を生じ、「二重柿」とか「子持ち柿」の名で呼ばれている』。『二重柿は昔から子宝に恵まれると信じられ、全国からこの柿で作られた干し柿の申し込みが絶えない。この柿の実の干し柿は満願寺で丹誠込めて作りあげられるのである』。『二重柿は大正一三(一九二四)年に発表された「愛媛県史跡名勝天然記念物報告書」にも詳細な記述が残る。このような柿は全国的にも非常に珍しい。旧津島町章はこの柿を図案化している』)個人サイト『車泊で「ご当地マンホール」』の「ご当地マンホール in 愛媛県旧津島町(宇和島市)」で、旧の町章が見られる)。『二重柿の縁起にはいろいろな言い伝えがある。「弘法大師行脚のおり、杖を立てて置かれたのが芽を出し、根を張り、枝葉を茂らせ、実をつけるまでに至った。今に残る二重柿がそれだ」という伝説はたいへん有名である。そして「世の中を仲睦じく親と子が二重の柿にそれを知るべし」の歌とともに伝承されている』。『二重柿は江戸時代から現在に至るまでの長期間を生き抜いてきたが、かなり老齢化しており、主幹部の腐朽が進行している』等々とある。]
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