「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 𮅑樹
かうしゆ
𮅑樹
農政全書云𮅑樹生山谷中高𠀋餘葉似槐葉而大却頗
軟薄又似檀樹葉而薄小開淡紅色花結子如菉豆大熟
則黃茶褐色其葉味甜
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かうじゆ
𮅑樹
「農政全書」に云はく、『𮅑樹は山谷の中に生《しやう》≪ず≫。高さ、𠀋餘。葉、槐《えんじゆ》の葉に似て、大にして、却《かへつて》、頗《すこぶる》、軟《やはらか》に≪して≫薄し。又、檀(まゆみ)の樹≪の≫葉に似て、薄く小《ちいさ》し。淡紅色の花を開く。子を結≪び≫、菉豆《ろうとう》の大《おほいさ》のごとし。熟≪せば≫、則ち、黃茶褐色。其の葉の味、甜《あまし》。』≪と≫。
[やぶちゃん注:困ったもんだ。「𮅑樹」「𮅑」で検索すると、日本語では、私の本巻の「目録」が掛るばかりだ! 「維基百科」も「維基文庫」も掛かってこない! 東洋文庫でも、科も挙げていない。「中國哲學書電子化計劃」で「𮅑」で検索してもアウトだった。所持する「廣漢和辭典」にも載らない。中文サイトで漢字としては、複数、掛かってくるものの、意味(植物名)を示す記事は皆無であった。されば、遂に、正体不明とする他はない。識者の御教授を乞うものである。
「農政全書」何度も注しているが、「枯れ木も山の賑わい」で、再掲すると、明代の暦数学者でダ・ヴィンチばりの碩学徐光啓が編纂した農業書。当該ウィキによれば、『農業のみでなく、製糸・棉業・水利などについても扱っている。当時の明は、イエズス会の宣教師が来訪するなど、西洋世界との交流が盛んになっていたほか、スペイン商人の仲介でアメリカ大陸の物産も流入していた。こうしたことを反映して、農政全書ではアメリカ大陸から伝来したサツマイモについて詳細な記述があるほか、西洋(インド洋の西、オスマン帝国)の技術を踏まえた水利についての言及もなされている。徐光啓の死後の崇禎』十二『年』(一六三九年)『に刊行された』とある。光啓は一六〇三年にポルトガルの宣教師によって洗礼を受け、キリスト教徒(洗礼名パウルス(Paulus))となっている。以下は、同書の「第五十四 荒政」(「荒政」は「救荒時の利用植物群」を指す)の「木部」にある。「漢籍リポジトリ」のここの、ガイド・ナンバー[054-37b] に(字に補正を加えた)、
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𮅑樹 生輝縣太行山山谷中其樹髙丈餘葉似槐葉而大却頗軟薄又似檀樹葉而薄小開淡紅色花結子如菉豆大熟則黃茶褐色其葉味甜
救飢 採葉煠熟水浸淘淨油鹽調食
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「槐」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。
「檀(まゆみ)の樹」日中ともに、双子葉植物綱ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マユミ Euonymus sieboldianus var. sieboldianus 。先行する「檀」を参照されたい。
「菉豆《ろうとう》」「綠豆」で、これは双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ササゲ属ヤエナリ Vigna radiata の種子の名である。「維基百科」の同種は「绿豆」である。要は、我々が食べている「もやし」の種だ! 注することが貧しいので、当該ウィキを引いてお茶を濁しておく(注記号はカットした)。『食品および食品原料として利用される。別名は青小豆(あおあずき)、八重生(やえなり)、文豆(ぶんどう)。英名から「ムング豆」とも呼ばれる。アズキ ( V. angularis ) とは同属。 グリーンピースは別属別種のエンドウ』(マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum )『の種子』。『インド原産で、現在はおもに東アジアから南アジア、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアで栽培されている。日本では』十七『世紀頃に栽培の記録がある』。これには、注釈があって、『一時』、『日本では縄文時代にすでに渡来していたといわれていたが、現在では』、『この時代の遺跡からの出土種子はアズキ』(マメ亜科ササゲ属アズキ変種アズキ Vigna angularis var. angularis )『の栽培化初期のものとみなされており、リョクトウの縄文時代栽培は否定されている』とあった)。『ヤエナリは一年生草本、葉は複葉で』三『枚の小葉からなる。花は淡黄色。自殖で結実し、さやは』五~十センチメートル、『黄褐色から黒色で、中に』十~十五個『の種子を持つ。種子は長さが』四~五ミリメートル、『幅が』三~四ミリメートル『の長球形で、一般には緑色であるが』、『黄色、褐色、黒いまだらなどの種類もある』。『日本においては、もやしの原料(種子)として利用されることがほとんどで』、『ほぼ全量を中国(内モンゴル)から輸入している』。『中国では、春雨の原料にする』『ほか、月餅などの甘い餡や、粥、天津煎餅のような料理の材料としても食べられる。北京独特の飲料としてリョクトウからデンプンを採る際の上澄みを原料に、これを発酵させた豆汁がある』。中国の『凉粉』(りょうふん:北京の夏のおやつで、緑豆で作った「ところてん」状のものを切って、その上に酢・ニンニク・ゴマのペースト・醬油などをまぶして食べるもの)『の原料にも使われる』。『朝鮮半島では』十六『世紀前半の』韓国最古の調理書「需雲雜方」に、『リョクトウのデンプンを水溶きして加熱し、これを孔をあけたヒョウタンの殻に入れて、孔から熱湯にたらし麺状にして水にさらす食品が記載されている』。一六七〇『年頃の』朝鮮時代の張桂香撰になる料理書「飮食知味方」『では、同様な製法で麻糸のようにした食品を匙麺(サミョン)として記している。また、伝統的にリョクトウデンプンはネンミョンのつなぎとして利用されていた。 咸鏡道ではリョクトウのデンプンのみを使った』「押しだし麺」『がある。中国と同様に餡にするほか、水に漬けた上ですり潰したものを生地としてチヂミの一種ピンデトッにしたり、デンプンを漉しとってムㇰという寄せものにする。リョクトウから作ったムㇰをノクトゥムㇰ(ノクトゥ=緑豆)と呼び、特にクチナシの実で着色したものをファンポムㇰ、着色しないものをチョンポムㇰと呼ぶ。なお、朝鮮語ではこのリョクトウにちなんで、デンプンのことを一般的に「ノンマル」(녹말=綠末、「緑豆粉末」の略)と呼ぶ』。『香港やシンガポール、ベトナムでは、甘く煮て汁粉の様なデザート(広東料理の糖水、ベトナムのチェーなど)にすることが多く、それを冷やし固めたようなアイスキャンディーもある。リョクトウの糖水を緑豆湯または緑豆沙、リョクトウのチェーをチェー・ダウ・サイン(Chè đậu xanh)と呼ぶ』。『緑豆糕(りょくとうこう)と呼ばれる、木型に入れて成形した菓子は、ベトナムのハイズオン』(ここ。グーグル・マップ・データ)『や中国の北京、桂林などの名物となっている』。『インドやネパール、アフガニスタン、パキスタンでは、去皮して二つに割ったリョクトウをダール(豆を煮たペースト)にする。リョクトウと米を炊きあわせた米料理(キチュリなど)は、南アジアから中央アジアにかけて広く食べられている。南インドでは、ドーサに似たクレープ状の軽食ペサラットゥ』『が作られる』。『また、漢方薬のひとつとして、解熱、解毒、消炎作用があるとされる』。『リョクトウには、血糖値の上昇を抑制する効果のあるα-グルコシダーゼ阻害作用がある』とある。糖尿病歴十年になんなんとする私だから、せいぜい、「もやし」、食うかな。]
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