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2024/11/23

ブログ・カテゴリ「西尾正」創始・「海蛇」やぶちゃん版校訂本文+オリジナル注附

[やぶちゃん注:ブログ・カテゴリ「西尾正」を創始する。私は既に古く十七年前、サイト版で、「骸骨 AN EXTRAVAGANZAをオリジナル注を附して、二〇〇七年五月に公開している。私の西尾体験は、大学一年の春、「骸骨」を大学図書館でレファレンスし、読んだことに遡る、古くから好きだった作家である(彼は鎌倉に住み、鎌倉をロケーションとしている作品が多いことが、私の郷土史研究・鎌倉探索癖と完全にシンクロしたのである)。その後、正規表現版で彼の作品を電子化する目論見を忘れなかったのではあるが、驚くべく、国立国会図書館デジタルコレクションには、彼(実際には彼の本格的活動時期前期は戦前であった)の作品は一つも発見出来なかったため、永いペンディングをしていたのだが、今朝、調べて見ても、何故か、やはり、全く見出すことが出来なかった。されば、諦めて、所持する二〇〇七年二月・三月に論創社から刊行された「西尾正探偵小説集Ⅰ・Ⅱ」(新字新仮名)を用いて、電子化注を開始することにした。

 探偵小説家西尾正(にしおただし:明治四〇(一九〇七)年~昭和二四(一九四九)年)は本名同じで、別名を「三田正」とも称した。東京(旧東京府東京市本鄕區)生まれ。当該ウィキによれば、『作品は全て短編かつ怪奇小説的な作品である』。『代表作に「骸骨」「海蛇」「青い鴉」など』。『亀の子束子』(たわし)『の製造で知られる西尾商店の一族として生まれた』。『慶應義塾大学経済学部に進学し、卒業後の』昭和八(一九三四)年に『雑誌『ぷろふいる』六月号に「陳情書」を発表してデビュー』した(但し、同作は発表直後に発禁となった)。『その後も『ぷろふいる』『新青年』などの雑誌に、コンスタントに短編を発表し続けた。太平洋戦争中は沈黙、戦後には執筆を再開している』。『米国のパルプ・マガジンに取材した異色作なども発表している』、昭和二二(一九四七)年、『雑誌『真珠』』十一・十二『月合併号に掲載した「墓場」は、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト』(Howard Phillips Lovecraft:一八九〇年~一九三七年:私は邦訳ではあるが、その殆んど読んでいるラヴクラフト好きでもある)『作「ランドルフ・カーターの陳述」に着想を得た作品であり、やや変則的な形ではあるものの』、『ラヴクラフト作品が初めて日本語訳されたものである』。『評論家・東雅夫は本作を『怪奇への狂熱ぶりにおいて相似た資質を有し、かたや『ウィアード・テイルズ』』、『かたや『新青年』という怪奇小説のメッカとなった雑誌を舞台に、太平洋の此岸と彼岸で』、『ほぼ同時代に活躍した両作家の軌跡が、この翻案作品において交錯する次第は、なにやらん運命的なものをすら感じさせます』と評価している』。『この他にAW・カプファー』(A.W. Kapfer)の「幻想の薬」(‘ The Phantom Drug ’一九二六年発表)『を下敷きにした「幻想の魔薬」、WF・ハーヴィー』(William Fryer Harvey)の「炎天」(‘ August Heat ’)『を元にした「八月の狂気」がある』。しかし、戦前から罹患していた結核が、戦中・戦後の食糧欠乏の結果、悪化し、敗戦から三年余りの昭和二四(一九四九)年三月十日(別資料では一日とする)、四十一歳の若さで、鎌倉にて逝去した。奥谷孝哉「鎌倉もうひとつの貌」(蒼海出版一九八〇年刊)によれば、彼は戦前の昭和八(一九三二)年頃から、鎌倉に住んでおり、海岸橋の近くに家があったとし、『乱橋材木座九七七という旧標記』があるとあるので、恐らく、滑川の左岸の乱橋(泉鏡花のドッペルゲンガーの近代小説の嚆矢たる「星あかり」(正規表現・私のオリジナル注附・PDF縦書版)所縁の「妙長寺」附近のここ。グーグル・マップ・データ)から、若宮大路の海岸橋の間に住居していたものと推定される。

 私の好みで、上記二冊の中から、チョイスする。本文は、当該書をOCRで読み込む。ここに御礼申し上げる。但し、「青空文庫」が先行して公開している「陳情書」「墓場」「放浪作家の冒険」の三篇は、オリジナル注をしても、屋上屋となるので、電子化対象から外す。

 最初は、代表作の一つで、現在、評価の高い「海蛇」とする。初出は『新靑年』昭和一一(一九三六)年四月号である。なお、底本の「西尾正探偵小説集」カバーに記されてある西尾の履歴では、この「海蛇」を公開後、昭和十四年まで、一旦、筆を断って保険会社に勤務したとある。これは、戦中の沈黙に続いており、西尾の思想的な立ち位置をそれとなく感じさせるものがある。但し、読みについては、別に所持する立風書房一九九一年刊の『新青年傑作選』第三巻の同作を対照して、適宜、追加することとする。

 実は、ルビは、そちらとは、これ、かなり異なるからである。恐らく、「西尾正探偵小説集Ⅰ」と立風書房版のそれとは、注記がないが、孰れも、ルビをそれぞれ独自に選択しているようである。例えば、冒頭の「貞子(さだこ)」には、立風書房版では、ルビは存在しないからである。また、基礎底本の冒頭から三段落目の最初の部分の「距(へだ)たる」と「余り」とあるのが、立風書房版では、ここは「距(へだた)る」と「余(あまり)」とになっていたりするのである。

 いやいや! 送り仮名・ルビ違いどころではなく、本文そのものの相違(改行・行空け・漢字表記・送り仮名違い等々)さえ、かなりある、のである。

 思うに、「西尾正探偵小説集Ⅰ」が底本としたものは、初出版ではなく、後に再録された際に作者が手を加えたものである可能性が高いようである。

 されば、この本文については、概ね、私は、立風書房版の方が初出に近い表記であると判断しており、多くを、そちらに代えた箇所も多い。

 さらに、私が個人的に若い読者のためには、振った方がいい、と判断した推定ルビも加えた。それは、当時のこの手の雑誌は、総ルビであることが多かったからである。

 しかし、この細部の変更を、いちいち、注記するのは五月蠅いだけなので、それらは、原則、示さない。

 但し、両者の表記が大きく異なる箇所は、例外的に、割注で、細かく指摘しておいた。

 なお、両書ともに、電子印刷の端境期に当たり、ルビの促音・拗音表記がなされていないので、適宜、修正してある。

 さらに、立風書房版では、ひらがなになっている箇所が、「西尾正探偵小説集Ⅰ」では、漢字になっている箇所も多い。これは、或いは原作では、ひらがなである可能性が高いと思われるものの、作品の気品を引き締めるためにも、ここでは、後者の漢字表記(作者による再録時の変更と採って)を多く採用した。しかし、その逆転の場合もあり、立風書房版を採用している箇所もある。また、同義の漢字の別字や異体字の相違もあるが、そこは、私が勘案して、選んだ(これは幾つか割注で述べた)。さらに以降の電子化でも見られることになるので、言っておくと、この「西尾正探偵小説集」では、漢字が新字ではない正字体や異体字で示している箇所が、かなりある。これは「舊漢字崇拜者」たる私にとっては、願ってもないものなので、しっかり活字化してある。

 さればこそ、則ち、

 

――この私の電子化本文そのものが――出版物に同じものは一つとしてない――全く新しい――やぶちゃん版「海蛇」となっている――

 

のである。

 なお、本文の「海蛇」には、一切、両者ともルビがない。「うみへび」と読んでおく。傍点「﹅」は太字とした。]

 

   海 蛇

 

 貞子(さだこ)

 ……滅多に手紙など書いたことのない俺が突然こうした長々しい手紙を送れば、お前はきっとよほど俺が心境に変化を来たしたか、或いは、都会を遠く離れた僻地に孤独な療養生活を送っている俺の身辺に、何か起こったのではないかを案ずるかも知れぬ。――そうだ。その通りだ、到頭恐ろしい異変が襲って来たのだ。

 お前はこれまで俺がちょっとでも突飛な行動に出(い)でようものなら、闇雲に俺を気違いか有り難くもない天才扱いにして、損の行く時だけは驚き慌(あわ)て、そうでない場合には座興にして、くすくす盗み笑いをして来たのが為来(しきた)りであった。お前は齢(よわい)二十八歳にして既に諸々の哲理を悟り澄ました最も月並みな俗物、お偉い合理主義者なのだ。だがどうか今度だけは俺の言うことを真面目に受け取ってくれ。

 ここは東京を汽車で距(へだた)ること十時間余(あまり)、南日本の一角、海辺の寓居だ。俺の眼の前には今一段と低く、どす黒い凄惨な浪がざぼおんざぼおんと踊り狂っている。俺の借家は崖(がけ)の頂辺(てっぺん)に立った一軒家だ。部屋は八畳一間切りだ。後ろは高い山だ。森林が北方の空を被(おお)い尽くしている。来た当座は狂い波の響きが木谺(こだま)して煩(うるさ)くて眠られなかったが、三月も暮らせば平気にもなる。左方にI岬(アイみさき)の突出した入江があるが、右方前方は何一つ遮(さえぎ)る物のない海、海、海の連続だ。遠くは紫色に霞んで何にも見えぬ。荒海ではあるが時として幕のように鎮(しず)まり返る凪(な)ぎの日の続くことがある。手摺(てす)りに凭(もた)れ、無心に海を眺(なが)めていると堪らなく物倦(ものう)くなる。体中の毛穴からは汗が滲(し)み出(だ)し、神経が飴のように溶(とろ)けてしまう。

 

 海岸の二月には時たま春のように暖かい夜の訪れるのをお前は知っているか。そういう夜は如何(いか)に病的な俺だとて人並みに烈しい精神の高揚を覚える。寒気に萎縮していた空想は奔放(ほんぽう)となり、五体は熟(う)れ上がって誰でも好(い)い、ただ女でさえあればそいつを全身で我武者羅(がむしゃら)に搦(から)み締(し)めたい衝動でわくわくするのだ。窗外(そうがい)には、森にも海にも岩蔭にも牛乳色の靄(もや)が棚曳(たなび)いて月が眠(ねむ)た気(げ)にぼやけていた。俺は当てもなく瓢然(ひょうぜん)と部屋を立ち出で、足に委(まか)せて漫歩を続けて行くうちに、不知不識(しらずしらず)、I岬の突端まで来てしまったのだ。それが今日(こんにち)の恐怖の種を蒔いた最初の夜であるとは誰が知ろう。月はだいぶ落ち掛けていた。海は神秘の情操を綾(あや)どる天来の音楽だ。嘘のようだが全くこれに相違はない。俺は陶然と小一時間も立ち続けていたが岡へ上がろうと踵(きびす)を巡(めぐ)らせた時、反対に岡の方から突端へ歩いて来る一人の女を認めたのだ。夜半女に出会うのは気味の好いものではない。しかも、洗い髪の若い女なのだ。女はよほど岩伝いには馴れている者と見え身も軽々と駈け下りて来たが、見知らぬ男の彳(たたず)むを認めると慌てて裾から洩れる白い脛(すね)を隠し、草履(ぞうり)の音も秘そやかにそろりそろりと近寄って来た。下膨(しもぶく)れのぽっちゃりした顔であったが教養はありげで土着の女ではないらしい。摺(す)れ違う時、体を堅くしながらも上眼遣(うわめづか)いに凝(じっ)と俺の眼に見人ったが、それは警戒ではなくむしろ大胆な流眄(ながしめ)であった。俺はその後姿(うしろすがた)を見送りながら一体何者であろうと考えた。俺と同じように戸外の夢幻に誘われたのであろうか? 何分深夜だ。俺は半ばの好奇心と半ばの気味悪さを覚えながら、もう一度俺の方へ近寄って来たら言葉を掛けてみようと、煙草(たばこ)の火を点じ、岩蔭に蹲(かが)んでその後ろ姿を窺(うかが)っていた。

 けれど女はそれ切りこっちを向かなかった。あたかも満潮時で折々沖の方から黒々としたうねりが足許(あしもと)を渫(さら)うように押し寄せて来るのだが、その波が岩の両脇に別れて消えることをよく知っているらしく、悠然と袂(たもと)に入れた手を胸の辺りで重ねたまま相変わらず沖を見ている。雲の中にたたずむその幽婉(ゆうえん)な後ろ姿は幾分か淋し気で、背中に俺の視線を意識しながら言葉の掛けられるのを待っているようにも見えた。と、――訝(おか)しなことが起こった、女が突然くるりと振り向き艶(つや)やかな頰にあるかないかの小さな靨(えくぼ)を浮かべ、嫣然(えんぜん)媚笑(びしょう)したと見るや、ぷいと海の中へ見えなくなってしまったのだ。[やぶちゃん注:「幽婉な」奥ゆかしく美しいさま。「嫣然」「艶然」とも書き、「にっこりほほえむさま・特に美人が笑うさま」を言う。「媚笑」男の気を惹くような笑い。艶(なま)めかしい笑い。]

 俺は無論啞然(あぜん)とした。が、次の瞬間たちまち恐ろしくなった。汗ばんだ皮膚にぞっと悪寒(おかん)が襲った。俺は、変だなあ変だなあと、無意識に衝(つ)いて出る呟(つぶや)きを何遍も何遍も繰り返しながら、来た時よりは早足で家に帰った。

 部屋に落ち着いて俺は考えた。或る記録に拠(よ)れば、この地方はレプラ患者の多い漁村で、海浜に平行して連なる山脈の或る区域には人目を避けた部落が営まれ、年頃の漁夫の娘などは発病の症候と同時に山奥に送り込まれてしまうと誌(しる)されてある。往時から漁村にレプラの多いのは鮪(まぐろ)が細菌を媒介するからだと謂う。都会からも、だいぶ入り込んでいる噂であるから、彼女もそういう種類の女であの夜(よる)自殺を決意して岩に渡り、最後の虚無的な笑いとともに俺の瞬(またたき)の間(ま)を利用して変化のない鈍重なうねりに肉体を委(まか)せてしまったのではないか、と考えた。この解釈は如何にも不満ではあったが、幾分の安神(あんしん)を得たことは事実であった。眠りに堕ちた時は暁(あかつき)の鳥が鳴き、雨戸の透間(すきま)から白々(しらじら)とした光の射し込み始める頃であった。[やぶちゃん注:「レプラ」ハンセン病。旧称の「癩病」は、字背に差別的ニュアンスが濃厚にダブっているので、使用してはならない。ハンセン病は細菌門放線菌門放線菌綱放線菌目コリネバクテリウム亜目マイコバクテリウム科マイコバクテリウム属マイコバクテリウム・レプラ Mycobacterium leprae による純粋な感染症であるが(現行、種名和名を「らい菌」とするが、私はこの謂い方も「癩病」を廃している以上、廃するべきと考える)、歴史的に永い間、「生きながら地獄の業火に焼かれる」といった「天刑病」「業病」の差別、潜伏期が長いことから(一般的には三~五年であるが、十年から数十年の後に発症する症例もある)感染症とは考えにくいという誤認、後の悪法「らい予防法」(昭和二八(一九三三)年)などに見るように、日本政府自らが優生学政策を掲げたことなどから、「遺伝病である」というとんでもない誤解が広まってさえいたのである(実際、私のブログで電子化している怪奇談集の中には、江戸時代、癩病筋(すじ)の家系をモチーフとした実話奇談物が存在する)。そうした顕在的潜在的差別意識に対して充分に批判的視点を持ってお読みになられるようお願いする。そうして、かくも誤った認識によって、かくも凄絶に孤独に死んでいったハンセン病に罹患した人々が、大勢いた事実を記憶に刻み込んで戴きたいのである。なお、この「I岬」のロケーション・モデルを考証しなかったのは、この部分を考慮したためである。但し、後で、ここには鉄道が通っており、「I岬駅」があるとするのは、西尾に具体なモデル駅があったのだろうと考えられはする。「安神」「安心」に同じで、「後漢書」に現われる古い漢語である。]

 翌日になっても若い女の溺死体が流れ着いた模様もなかった。ではやはり俺の錯覚だったのかと数日を過ごすうち、同じように暖かい月明(つきあかり)の夜、同じ所で同じ女に、またしても出会ったのだ。[やぶちゃん注:「西尾正探偵小説集Ⅰ」では、ここで、このように、改段落行空け行われているが、立風書房版では、そのまま次の段落に繋がっている。これは、原初出は改行・行空けはないものと考えられるが、効果としては、あった方がよいと考えて、かくした。]

 

 相手が何らの怪異の対象でもなく、一個の熟(う)れ切った肉塊であると思い始めると、何時(いつ)か俺の体内に生温(なまあたた)かいものが流れ出した。俺は毎夜(まいよ)岬へ出て女を待った。三度、五度、六度、――こうして女は、はじめて眼と眼と戛(か)ち合う時、唇許(くちもと)を歪(ゆが)め上眼遣いに例のあるかないかの微笑を泛(うか)べて見せた。俺は或る目的のために特に強烈な酒を呷(あお)り、婬(みだ)らな欲望にうずきながらついに嫌がる女を欺(だま)し欺し部屋に引き摺(ず)り込んではじめて肉体を知った。何気なく女の素性(すじょう)を問うた時、女の眉間(みけん)に悲し気(げ)な陰(くも)りが、窗(まど)に落ちる黒い島影(しまかげ)のごとく射すかと見ると素早く消え去った。ただあなたと同じように体(からだ)のためにきているのよ、どうかそれ以上はなんにもきかないで頂戴、と答えるのみで、更に追求すれば切れの長い眥(まなじり)を怒らせて、棘々(とげとげ)しい素振(そぶ)りを見せた。やがて異様な疲れが、嗚呼(ああ)眠(ねむ)るぞ眠るぞと呟(つぶや)く俺を死人のごとき眠りに吸い込んだ。既に陽(ひ)の高い頃眼覚めた時、寝床には生々しい体臭が残っているだけで女は見えなかった。体中がびっしょり生汗(なまあせ)に濡れていた。[やぶちゃん注:「戛(か)ち合う時」「窗(まど)」は「西尾正探偵小説集Ⅰ」を採用した。二つの、一般的でない漢字の効果が、ともに影響し合って奇体なシークエンスを装飾していると考えたからである。それに合わせて、前に一度出ている「窓」も「窗」に代え、以下、最後までそれで通した。立風書房版では、前者は、「搗(か)ち合う」、後者は、「窓」、である。「生汗(なまあせ)」両書ともルビはないが、私が附した。但し、作家によっては、これで単に「あせ」と読むケースもある。]

 

 ところが昨日(きのう)のことだ、俺は別に深い仔細(しさい)もなく例のI岬へ釣りに出掛けたと思ってくれ。海は干潮から満潮に移る頃であった。俺はあちこちに凸出(つきだ)した岩肌に石炭酸を打(ぶ)ち撒(ま)けてイソメをふんだんに掘り出した。生憎(あいにく)昨日は弱い弱い北風で、相当の深間(ふかま)でも判然(はっきり)透き通って見えるくらい水が澄んでいた。二時間ぐらいは辛抱していたが餌を代える機会さえ来ないのだ。俺は自棄(やけ)を起こし竿(さお)を畳むと、碌々(ろくろく)使いもしない餌(えさ)を手摑(てづか)みにして海に投げ込んだ。すると、ちりぢりに四散してやがて水底(みなそこ)に舞い落ちようとする餌に向かって、海草や岩の間から種々雑多な珍しい小魚(こうお)の群(むれ)が飛び出して来(き)、彼方(かなた)に走り此方(こなた)に戻り猛烈な争奪戦を開始したのだ。俺は癪(しゃく)に障(さわ)った。が、眼舞苦(めまぐる)しい光景が面白いので立ち掛けた腰を下ろし、飽かず見入っていた。と、海底に、ゆらりゆらりと這うように流れて行く黄色い女の帯(おび)のような物が眼に留まった。俺は怪訝(けげん)に捕らわれて眼を瞠(みは)っていると、その帯のような物は必ずしも水の流れに従ってはいないのだ。言い換えれば、一定の生物の運動動作を以て海草を薙(な)ぎ倒しながら、そいつは騒然たる小魚どもを尻目に懸けて尖った口をパクリパクリ開いて俺の投げ入れた餌を喰(くら)っているのだ。[やぶちゃん注:「石炭酸」フェノール類(英語:phenolbenzenol)。化学式ArOH当該ウィキによれば、『毒性および腐食性があり、皮膚に触れると薬傷をひきおこす。絵具に似た臭気を有する。毒物及び劇物取締法により劇物に指定されている』とある。「イソメ」環形動物門多毛綱イソメ目イソメ上科イソメ科Marphysa 属イワムシ Marphysa iwamushi 。私の『畔田翠山「水族志」 (二四九) イソメ (イワムシ)』を見られたい。残念ながら、「イソメ」は「磯蚯蚓・磯目」で、「磯女」ではない。]

 貞子、それが身長六尺以上もあろうと思われる海蛇なのだ。――お前は恐らく海蛇がどんな動物であるか知るまい。動物! そうだ、彼奴(あやつ)は魚類には相違ないのだが、ふと動物と呼びたくなるほど陸上の毒蛇に近い感じを備えている。全身茶色で一面に黒い斑点(はんてん)がある。ただ腹だけが白い。眼かカツと大きく、吻が尖っていて歯が鋭い。漁師はなだと呼び、喰いつかれたら殺されても放れぬ執念深い妖魚として食用にもならぬままにむしろ恐れ遠去(とおざ)けているのだ。体は縦に扁平で鰭(ひれ)がないからぬらぬら光っている。鰭はただ一個所胸鰭(むなびれ)があるだけだ。しかもそれが極度に発達しているので、砂上ぐらいは這い回り、敵に向かって嚙みつくぐらいの跳躍力はもっている。俺はかつて地曳き網に入った奴を見たことがあるので、其奴(そやつ)が海蛇であることはすぐ判ったが、俺の見たのは高々三尺ぐらいであったので、一間以上もある奴が海底をうねうね這い回っている態(さま)を見て漫(そぞ)ろに寒気(さむけ)を覚えた。心なしか、其奴は俺の存在に気付いているらしく時折瞳を凝らして俺の様子を窺うが、するとまた嘲笑するようにぬらりぬらり這い回り始める。体の向きを代える度に背中の虎班(とらふ)が鈍い色に晃り、それが人の五体を痺(しび)れさす魔薬に似た鬼気を放つのだ。一分……三分……五分……俺はその鬼気に憑(つ)かれ、苦行僧のごとく身動きも出来なくなった。息苦しい無音の時間が刻一刻と過ぎて行った。と、俺はぴょんと跳ね上がった。今眼前の海蛇こそ女の本体なりとの疑惑が通り魔のごとく俺の胸を掠(かす)めたのだ。俺は下駄の角を岩のあちこちに打(ぶっ)つけながら這(ほ)う這(ほ)うの態で我が家に逃げ帰った。[やぶちゃん注:「虎班(とらふ)」立風書房版の読みを採用した。「西尾正探偵小説集Ⅰ」では、「虎班(こはん)」で、音が硬く、しっくりこない。]

 

 さて、右の事実によって布衍(ふえん)させる俺の悲劇については、お前の想像に委(まか)せる。ただそれをどう処置したら宜(い)いかが問題なのだ。この事実は最凶の疫病よりも恐ろしい。だが貞子よ、安堵してくれ、俺は昨夜来の襖悩(おうのう)の果(はて)、やっと自身満足の行く解決法を見出した。それは女をできるだけ惨虐(ざんぎゃく)な方法でいびり殺すことだ。すなわち復讐だ。動物の頭蓋には頂点に一個所比較的脆弱(ぜいじゃく)な部分があるとのことだ。そこで俺はもう一度女を誘(お)びき寄せ、あいつの脳天に五寸釘を打ち込むことに決心したのだ。

 貞子、以上で俺の近況報告は終わった。お前はことによったら怒っているかも知れぬ。だが、許してくれ、そしてどうか打遣(うっちゃ)っといてくれ、俺が目的を敢行した暁(あかつき)にこそお前を呼び寄せよう。その時こそ俺の生まれ変わる日だ、もう一度都会へ帰り、愛するお前と新しく始めから生活を遣(や)り直す、春の雲のような、愉(たの)しい愉しい希望の燃える日なのだから。……

     三月二十九日   喬太郎(きょうたろう)記

 

     ※  ※      ※  ※

 

 前掲の手紙はかつての絢爛(けんらん)たる浪漫(ろうまん)主義者今日(こんにち)の敗惨の人黒木喬太郎が、その妻わたくしに与えた文(ふみ)でございます。これによってもわかりますように、黒木は思いきって変質者と呼んでもさしつかえのない人で、結婚前からかずかずの不審な行動がございました。今でもはっきり憶えておりますのは、ある日銀座の珈琲店(コオフイてん)で向かいあっておりますと、突然なんの外部的な衝撃もなしに白い珈琲盃(コオフイ・カップ)をとりおとして真っ青になった日のことで、まだあまり黒木の性格をしない許嫁(いいなずけ)時代のわたくしはあっけにとられてしまいました。黒木はその時、僕はいまひどい神経衰弱でささいなことにも驚くのだ、コオフイ・カップの柄をもたずに口へもっていったら、柄が眼球のまじかにせまり奇態な距離の錯覚をおこして、薄(うす)ぐらいテエブルの下から一匹の白鼠(しろねずみ)が組んでいた脚をつたってのどの方へかけあがってくるようにみえたのでギョッとして手をはなしてしまったのです、と説明して額の生汗をぽたりぽたりテエブルに落としたままじっと心臓の動悸をしずめている模様でした。[やぶちゃん注:「珈琲店(コオフイてん)」「珈琲盃(コオフイ・カップ)」ここは、立風書房版と「西尾正探偵小説集Ⅰ」を折衷し、一部に手を加えた。まず、「西尾正探偵小説集Ⅰ」では、この二箇所は『珈琲(コーヒー)店』・『珈琲盃(コーヒー・カップ)』となっている。立風書房版では、『珈琲(コオフイ)店』『コオフイ・カップ』である。]

 病気はつねづね自分からいっておりましたように婦人病以外はたいてい患(わずら)いつくしたようなもので、その癖ねこむようなことはめったになく体の芯になにかこう強靭な鋼鉄線でも貫いているかのようで、仕事はひとときなど時流(じりゅう)のまにまに三人分くらいは果たしました。同棲してみますと極端なわがままもので、女性の肉体にいだく感情もけっして正常でないことがわかりました。犬や猫や鶏(にわとり)を飼った上で獣姦の文献をあつめたり、家系も血統も調べずに結婚したわたくしを非難する人もございましたが、もともとわたくしはあるったけの愛をささげて黒木の異常な病癖をためられるならためてやろうといういわばヒロイックな気持ちから一緒になったこととて、驚きもし悲しみもしましたがなかなか失望はしませんでした。それだけ黒木がすきだったのでございましょう。

 ところが黒木は昨年の夏から秋にかけて病名のわからぬ病気におかされて突然卒倒してしまいました。医者は全身の極度なる疲労で肺結核もあるし腎臓もわるいし脳組織もめちゃめちゃに破壊されているといい、もはやなおそうともせず死を宣告しましたが黒木は二三年も前からもうなにも書けなくなり、幻想をよびおこすために親しい医師から奪取するさまざまの魔薬を喫して小説をかいたり、一度獲得した名声の喪失をおそれるのあまりワルアガキがひとかたではなくその心労から一種の発狂状態に陥り、自殺企図や誇大妄想や、骨も髄(ずい)もくたくたに亡びて次に卒倒に移行したのでございます。尊(たっと)い自己を犠牲に魔薬の力をかりてまでも小説をかかなければならないというのはなんという愚かなことでございましょう? わるあがきをする前に適度に人生を軽蔑してこころにゆとりの流れるいわば諦観の境地に漬(ひた)ることができれば、それこそ真の積極(せっきょく)の道であるのに黒木にはそういう東洋的な教養がなく、この意味で救われない悲劇的(トラギッシュ)な人でございました。けれど、――黒木の体はどこまで強靭なのでございましょう、三月(みつき)ほどもするとふたたびシャンとして二三本宛名(あてな)のわからぬ手紙を往復しておりますと、突然I岬沿岸に療養かたがた仕事をはじめるのだといいだして、本年正月匆々(そうそう)仕度(したく)もそこそこに放たれた鳥のように飛びたっていってしまいました。空気のいい海のこととてたって反対する筋もないので時期をみてつれもどす考えで賛成してしまいましたが、極端に手紙ぎらいの黒木から三月ぶりで手紙をもらいました時にはなにかしら不吉な胸さわぎのしたのは事実でございます。なにしろ便りのないことは平和を立証することになりますから、ない間はむしろ安心していたのでございます。ですからわたくしは翌朝匆々の列車で、黒木の転地先をおとずれてゆきました。

 

 「I岬」が駅名になっておりますI岬駅をおりたら馬車に一時間もゆられやっと目的の黒木の借家につくことのできたのは、さすがに永い春の陽ざしも斜めにおちかかり赤あかともえた空がもうやがてたそがれどきにくれようとするわびしい夕ぐれでございました。でも駅をでた時は明るい春の光がいっぱいで、早いタクシイもありましたがなんとなくただのんびりと古風な馬車にゆられてゆきたいと思い、馬車をえらびました。家並みのたてこんだ駅前をはなれると馬車はまもなく山と山とのあいまの田圃(たんぼ)にかこまれた道にはいり、そろそろ山間僻地(さんかんへきち)の風貌がひらけはじめました。馬車は海に近よったとみえ、新鮮な磯の匂いがぷうんと鼻にせまりました。やれやれという思いで馬車が山のふもとをめぐるあらたな道を眼をみはって眺めましたが海はまだみえずに左に山、右に岩石のつらなる細ながい道が行く手に、白(しろ)じろと展(ひろ)がります。道はよほどかたいものとみえ馬の蹄(ひづめ)が戛々(かつかつ)と一層たかくなりひびきました。すぐ右手が海なのだが岩にさえぎられてみえぬのだと初老の馭者(ぎょしゃ)が鞭(むち)をうちふりうちふり答えました。なるほど囂々(ごうごう)たる潮鳴(しおな)りが遠雷のように響き過ぎゆく岩と岩とのわれめからは時折どろりと黝(くろ)ずんだ海の面(おも)が古代の想像動物(イマジンド・モンスタア)のおなかのように物倦(ものう)げなスロオ・モオションでゆれている点景がほのみえ、癩病部落はどこだときくと、もっといったらしらせるといい、ほどなく行く手はゆるい登り勾配となり、崖の麓(ふもと)には飲食店や薬屋が軒をならべ、そこをゆきすぎると、のぼりきった右手の崖ふちにちっぽけなあばらやがぽつんとたっておりました。それがとりもなおさず黒木の寓居だったのでございます。

 馭者は今度は下り勾配となる蜿蜒(えんえん)たる道の彼方(かなた)の森を指さし、あのくらいところが部落ですと答え、馬車をひき返してゆきました。雑草のはえた前庭(まえにわ)の道をすすんで素通(すどお)しの格子(こうし)の前にたつと、垢(あか)じみたよれよれの青紬(あおつむぎ)をきて座敷の真ん中にあぐらをかいて蹲(うずくま)っている黒木のなつかしい後ろ姿がのぞけました。それにしてもなんという荒涼とした住居(すまい)なのでございましょう。屋根のかわらはおち、木材という木材はことごとく薄墨色(うすずみいろ)にくちかけ、周囲(まわり)にはえしげる雑草のなかに「水死精靈供養塔南無觀世音菩薩」と刻まれた青苔(あおごけ)の石碑がたち、右手についた木戸も蝶番(ちょうつがい)ははずれ地にひくくたおれかかっております。わたくしはいっそきたことを驚かせてやろうと木戸をあけ、海向きの窗(まど)の方へ薄(すすき)の音をころしころし足音をしのばせて近よっていきました。その三尺にもたらぬ小路(こみち)はそのまま波のあたる崖に通じているらしくみえ、正面の窗には回れそうもないので、幸いあいていた西窗から首をいれ、こんにちはあ! と頓狂(とんきょう)によびかけようとしましたが、三月余(あまり)もみぬまの黒木の横顔があまりにもみじめにやつれはてているさまにせっかくの声ものどの奥につかえてしまいました。転地前の黒木はいかにも病人じみた青瓢簞(あおびょうたん)ではありましたが、髪の手入れもし髯(ひげ)もそり、瞳には微(かす)かながらもはりつめた意欲の輝きがひそんでおりましたのに、眼の前の黒木は東京で苅ったままともみえる蓬髪(ほうはつ)を衿首(えりくび)のあたりまでふさふさとためこみ、肉のいっそう殺(そ)げおちた額から頰に近くおどろおどろに散らしながら一心不乱と形容したいくらい夢中になって、いつのまに買いこんだのか金槌(かなづち)やヤットコや鑢(やすり)をつかいおぼつかぬ手つきで、なにやら太い針金のようなものをギイギイガアガア磨いております。そこへにゅうっと首をだしたので、突嵯(とっさ)にあわてふためきぴょんとはねあがるや、そこいら中(ぢゅう)にちらばっている道具類を部屋の隅に蹴(け)こんでしまってから、なにものだ? と詰問するような眼差(まなざし)で防禦の姿勢をとりつつわたくしにするどい一瞥をなげつけました。かれはちょっとの間(ま)そうしてむかいあっている女がわたくし、自分の女房であることが信ぜられぬように眼の光も暫時(ざんじ)警戒から怪訝(けげん)の色に移りましたが、やがてわたくしであることがわかると一時(いっとき)に緊張のゆるみ、深い溜息をふう……とはきだすと、なんだ貞子だったのかと唇許(くちもと)に安堵の笑(えみ)をうかべてふらふらと部屋の真ん中にくずおれるようにあぐらをかき、するともう、なにしにきやがったといわぬばかりの邪魔者あつかいの色が顔中(かおじゅう)に瀰漫(びまん)し、あらためてわたくしをみかえしました。[やぶちゃん注:「水死精靈供養塔南無觀世音菩薩」は、正字版を電子化出来ない鬱憤ばらしに、せめても、正字で示した。「瀰漫」一面に広がり満ちること。蔓延(はびこ)ること。]

 わたくしは手紙をみてそういう神秘的な土地が急に恋しくなったから無断できてしまったのですと、ことさら冗談めかしくいいながら部屋に上がり、火鉢に火をおこしたり敷きっぱなしの布団やくちゃくちゃの衣類をかたづけはじめました。いいえ、冗談というよりもむしろ本音(ほんね)で、一昔前の怪談ばかばかしいお伽噺(とぎばなし)をもちだし人をかついで興(きょう)がっている黒木はなんという好人物でしょう。黒木が海蛇の精に誘惑されたというのですからふきだしたくなるのもむりがないではございませんか。くる時にはもしや手紙にあるような有閑女(ゆうかんマダム)となにか関係でもできたのではないかと疑ってもみましたが、剥(は)げおちた壁、稜毛(のげ)の逆立った古畳、室内の乱雑さから古手拭(ふるてぬぐ)いのように薄汚(うすぎた)ない黒木のさままでおよそ女でいりのありそうな模様はみあたらないのでございます。けれど、窗から首をだすと、海の形容だけは、黒木の手紙にすこしの誇張もないことがわかりました。崖にあたった波が、沖にひきかえし沖からおしよせるうねりと衝突して真っ白い飛沫を発し、方向を逸した二条の浪脈が互いに嚙みあいぶつかりあい、四分五裂にあれまわる狂い波と変ずるさまは、折りしも夕暮れの暗澹(あんたん)たる空、轟々たる咆哮(ほうこう)とともに凄(すさ)まじい限りで、それに黒木は一口に「窗」とよんでおりますが実際は窗ではなく、海に面した縁先で、それが淵[やぶちゃん注:ママ。「縁(ふち)」であろう。]いっぱいギリギリに崖際(がけぎわ)にのぞんでいるために危険千万ですから、ホンの申しわけのようにあとから急(きゅう)ごしらいの手摺(てす)りをつけたという感じで、この家の持ち主や建てた大工の神経を疑りたくなるくらいトボケた造作で、折しも荒れくるった怒濤(どとう)がこの家の土台岩(どだいいわ)に白い歯をたてて震動をおぼえるくらいがむしやらに嚙みついておりました。思わず吸いこまれそうになるのを手摺りにしがみついて下をのぞいてみると、崖の中腹にたった三尺幅くらいの道が横につづいて一方はみえなくなっているので、この道がどこに通じているのかきいてみると、――I岬へゆく近道だがはじめてのお前には足がすくんで通れやしないよ、と軽蔑するように答えました。道の一方の行方(ゆくえ)はさきほどわたくしが木戸をあけてはいった小路の上り口に通じているのでございます。[やぶちゃん注:「浪脈」このような熟語は見たことない。前のジョイントから「二条(にじょう)の浪脈(ろうみゃく)」と読まざるを得ないが、個人的には、女性の直接話法であるから、「二条(ふたすじ)の浪脈(みお)」と読みたいところだ。]

 かたづけものを終え、座敷もはきだしたころ、すすけた天井からぶらさがっている裸電燈にぽっと灯(あかり)がともりました。やれやれという思いで食事のことを気にかけはじめますとあたかも格子口(こうしぐち)に板草履(いたぞうり)と自転車をよりかける音がして、とりつけの蕎麦屋(そばや)が夕食をとどけてきました。こういう風にして毎日毎日東京の二倍以上もするその癖(くせ)大変そまつな食事をくりかえしているのかと思うと済まない気持ちでいっぱいになり、むりにでも東京へつれもどさなければ身もこころもめちゃめちゃになってしまうにきまっておりますし、仕事も読書もできぬ味気ない毎日では下らぬ妄想の遊戯にふけって人一倍大事にしなければならぬ神経をいっそう不健全にしてしまうのもむりはないと思われました。ところが黒木は、くどくもいう通りわたくしがきたことすら邪魔あつかいにし、いっしょに帰ろうという申し出には、肩を怒らせて反対しました。食事もそこそこにすますと薄くらい電灯の下でせむしのようにかがみこんだままギイギイガリガリ、きた時と同じ作業をつづけます。頑丈な釣針でもつくって例の海蛇でもつりあげようとでもいうのでしょうか? もしそうだとすると文字通り正気のさたではございません。けれど今さからうことは相手をますます意固地(いこじ)にさせるだけですから、ではわたくしはせっかくきたのだから蕎麦屋の一間(ひとま)でもかりて二三日海の空気を吸ってから帰るつもりだ、なにか用でもできたらいつでもよんでくれ、あなたの獲物もたのしみにしている、わたくしがいる間になんとかしてその怪物をとらえたいものですわねと、あたらずさわらずの軽口をききながら帰りかけますと、黒木はもうわたくしの言葉などまったく耳にはいらぬ様子で壁に骸骨のような影をうつしながら、いっそう高だかと鑢(やすり)の音をならしはじめました。

 

 それから数日の間は黒木の生活になんの変哲もおこらぬまま、幸い蕎麦屋の二階があいておりましたので、毎日毎日を付近の近海を歩いたり山端(やまのは)づたいに深緑の森を逍遙(しょうよう)したり、時には一日中部屋の窗をあけてうつらうつら居眠りをしたりして、そぞろ帰京するのがいやになるくらいすがすがしい命(いのち)の洗濯をしてすごしました。黒木はいる時といない時がございました。いない時はたぶんI岬へ釣りにでかけたあとなのでございましょう、嫌がるのでべつに探ってもみませんでしたが、まるたん棒のような太い竿に麻繩(あさなわ)のような糸をつなぎ親指ほどもあるイソメの箱をぶらさげてでかけてゆくところにゆきあわせたことがございます。漁師ですら相手にしない海蛇をどうしても釣りあげるつもりなのでしょうか、そういう途徹もないことに血道をあげている黒木はものずきを通りこしてあわれでございました。

 五日目の夜半、わたくしはなんのいわれもなくハツとめざめたのでございます。ねついてからこころよく熟睡したはずでしたのにめざめると急に胸のあたりがむかむかして今にもはきだしそうな悪寒(おかん)をかんじるので、夕飯のお惣菜を考えてみましたがそれが今ごろまで胃にもたれているはずのない消化のいいものですから、ムカツキがつのるばかりではきだすものがなく、大変くるしい思いをしました。床にうつぷしになったまま凝(じっ)と胸のくるしみを押さえておりました。と、次第に呼吸がらくになるにつれ、なんとなく黒木のことが気になりだしました。これが虫のしらせとでもいうのでしょう、ただむやみに黒木のことが心配でならないのです。今時分黒木は昼の疲れでねむっているか、でなければ暗(やみ)のなかで眼をパチクリさせてなんといって女房のやつをおいかえしてやろうかなどと考えこんでいるに相違ないと、思いこもうとすればするほど底しれぬ不安はますますつのってくる上に、いつからふきはじめたのかなまぬるい烈風が硝子窗(ガラスまど)をがたがたゆすぶり、それがゆけゆけと促(うなが)すように鳴っているのです。もういてもたってもいられません。着がえもいらだたしく蒼惶(そうこう)と蕎麦屋の二階をとびだしてしまいました。[やぶちゃん注:「悪寒」は立風書房版を採用した。「西尾正探偵小説集Ⅰ」では、『悪感』(ルビなし)となっているが、これは「あくかん・あっかん」で、「不愉快な感じ・悪感情」を意味するので相応しくない。「蒼惶と」「慌(あわ)てふためくさま・慌ただしいさま」。]

 ところが戸外へとびでたわたくしは一瞬いすくんでしまいました。中天にまんまるな物凄い月がかあっと耀いているのです。わたくしはきょうまであれほど逞(たくま)しい月に出会ったことがありません。いわゆる花鳥風月にうたわれる「名月」のような、そんななまやさしい月ではございません。なにかしら物質的な、悪魔的(デモニッシュ)な、――そんな感じのする研(と)ぎすまされた途方もなく大きな月で、それがすぐ眼の前にぶら下がっているようにみえるのでございます。わたくしはまずこの圧力に似た眩(まば)ゆさに立ちすくんでしまいました。これではならじと五体をふんばりなおし、濺(そそ)ぎかかる月光をきりはらいきりはらい息つく間(ま)ももどかしく、真昼のような崖道(がけみち)を一心不乱に走りつづけました。勾配の頂辺(てっぺん)についた時、眼前に水平線のむやみに高い夜半の海が展開しました。空には風があおられたちぎれ雲があとからあとから北へ北へと、その怪鳥に似た黒い影が凸面鏡(とつめんきょう)のような海面に伸びたり縮んだりして映ってはしり、その海の中間に首をつっこんだ小舟のような黒木の家がゆらゆらとゆれているようにみえました。わたくしは辛(かろう)じていなおると、――黒木のような夫をもったわたくしはいついかなる時でも己(おの)れだけはとりみだしてはならぬと強制したのでしょう。脚(あし)に力をいれ、一歩一歩格子にすすんでいこうとしましたが、まだ五歩と歩まぬうちに室内からドタンバタンと手足の畳にぶつかる格闘の音と、それに混じってなめし革(がわ)をよじるようなキュウキュウという得体のしれぬ叫びが聞こえてきました。思いきって格子をあけ土間に右足をいれると同時に、格闘の音もやみました。[やぶちゃん注:「かあっと」の傍点は、「西尾正探偵小説集Ⅰ」では「と」まで振られてある。立風書房版を採用した。]

 その時の恐ろしい光景はとうてい忘れることができません。髪ふりみだした猿又(パンツ)一枚の黒木が窗に背をむけ、両腕をだらんとたらしてゴリラのように突っ立っているのです。眼のなれるにつれ、黒木の右手にはしっかと金槌が握られ、しかも全身が血みどろであることがわかりました。青い鱗(うろこ)をはりつけたような顔はぱくりぱくりと痙攣(けいれん)をみせ、眼はうつろにわたくしを睨んだまま、とうとう殺(や)った、とうとう殺(や)っつけてやった!………と喘(あえ)ぎつつ、どうしたことか体が一歩一歩手摺りの方ヘズリ動いてゆくのです。あわててひき戻そうとした時はもう遅かったのでございます。黒木は同じことを呟(つぶや)きつつ歪(ゆが)んだ会心(かいしん)の笑みをうかべたとみるや、二三歩ツツーとあとじさりした時にメリメリッと木のくだける音がして、仰(あお)むけざまに眼のとどかぬ崖下(がけした)へ消えてしまいました。むだとはしりつつみおろせば、今(いま)可哀想な黒木喬太郎をのんだ黒い海は青白い飛沫をあげ砕けつつ、いかに荒れ狂うことができるかとわたくしどもに納得させるように囂々(ごうごう)と鳴っておりました。ああ、わたくしが黒木を殺したのです。殺したも同然なのです!

 おや? 崖の中腹に家守(やもり)のように両手をひろげて吸いつき、真下からわたくしをみあげている若い女はなにものなのでしょう? ああそうだ、この女こそ黒木の狂念の正体なのだ!

 女はたった今(いま)淫楽の逢瀬(おうせ)におもむいたのでございましょう、直前の変事もしらぬげに、それが癖(くせ)のかすかなかすかなあるかないかの媚笑(びしょう)を仄白(ほのじろ)い頰にうかべて凝(じっ)とわたくしの眼にみいったのは、わたくしを黒木とみちがいしたに相違なく、まもなく窗の首が男でないことがわかると一瞬ギョッと眼をみはり慌てて面(おもて)をふせると、横づたいに素早く崖の蔭に姿を消してしまいました。こうして最後に室内の異変をただす時がきたのです。窗際《まどぎわ》から身をおこした時にわたくしのながい影が左にうごいて、昭々(しょうしょう)たる月光が流れこむようにそれまでくらかった部屋の隅をてらしだしました。そこでわたくしははっきりとみたのです、――西窗の下に血しおにまみれた布団がもみくちゃにされ、その上に六尺あまりもある一疋の海蛇が、ぬらりくらりと断末魔の痙攣にもだえている態(さま)を、そしてこの、正しく獣(けだもの)とでも形容したい異形な性物のぬめぬめした脳天には手裏剣(しゅりけん)にも似た太い針(はり)がつきささり、その根元からはまっくろな血しおがドクリドクリとふきだしているのでございました。

 

[やぶちゃん注:さて。この『海蛇』(うみへび)とは何か?

・『身長六尺』(体長一・八二メートル)『以上もあろうと思われる海蛇』

・『魚類には相違ないのだが、ふと動物と呼びたくなるほど陸上の毒蛇に近い感じを備えている(ここで、真正のヘビ類=海生に適応したヘビ脊椎動物亜門爬虫綱 Reptilia有鱗目 Squamataヘビ亜目 Serpentesウミヘビ科 Hydrophiidaeのウミヘビではないことが示される)

・『全身茶色で一面に黒い斑点(はんてん)がある。ただ腹だけが白い。眼かカツと大きく、吻が尖っていて歯が鋭い

漁師はなだと呼び喰いつかれたら殺されても放れぬ執念深い妖魚として食用にもならぬままにむしろ恐れ遠去(とおざ)けている』

以上の条件を総てほぼ満たすのは、私の考えでは、ちょっと長過ぎであるが、水中でくねっている個体を岸辺から見たりした際には、倍近い長さに見えるのは常のことなので、

硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭(しんき)区カライワシ下区ウナギ目ウツボ亜目ウツボ科ウツボ亜科ウツボ属ウツボ Gymnothorax kidako

と同定比定してよい。なお、同種の最大個体は九十一センチメートル(英文ウィキの同種の数値)である。

 小学館「日本大百科全書」の「ウツボ」(広義・狭義を含む)を引く。『うつぼ』/『鱓』/英名『moray eels』『硬骨魚綱ウナギ目』Anguilliformes『ウツボ科』Muraenidae『の総称、またはそのなかの』一『種。世界には』十五『属』百八十五『種ほど知られているが、日本近海には』十『属約』五十七『種が報告され、そのうちの多くは沖縄諸島以南に分布する。体は細長くて側扁(そくへん)し、皮膚には鱗(うろこ)がなく、一般に肥厚する。鰓孔(さいこう)は小さくて丸く、舌がない。腹びれと胸びれがなく、多くは背びれと臀(しり)びれがあって尾びれと連続する。後鼻孔(こうびこう)は目の前縁の上方に開き、種類によっては』、『よく発達した鼻管を形成する。体色および斑紋』『は多様で変化に富み、種類の判別上重要な特徴となる。また、歯の形状とその配列も属や種の特徴となる』。『ウツボ類はウツボ亜科Muraeninaeとキカイウツボ』(喜界鱓:ネットでは素人方が「キカイ」に「機械」を宛てているのを見受けるが、可笑しい)『亜科Uropterygiinaeに分類される。ウツボ亜科はゼブラウツボ属、ハナヒゲウツボ属、モヨウタケウツボ属、コケウツボ属、タケウツボ属、アラシウツボ属およびウツボ属を含み、多くのウツボ類はウツボ属に入る。垂直鰭(すいちょくき)がよく発達し、背びれは肛門』『より前方から始まる。キカイウツボ亜科はタカマユウツボ属、アミキカイウツボ属およびキカイウツボ属を含み、日本での種数は少ない。その特徴はひれがまったくないか、あるいは尾端部にのみ存在することや、尾部の長さが躯幹(くかん)部(胴部)の長さにほぼ等しいことなどである』。『ウツボ類のレプトセファルス』(leptocephalus:「レプトケファルス」(leptocephalus)とも呼ぶ。ウナギ・ウミヘビ』(この場合は、前に掲げた本物の海蛇ではなく、魚類の顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区真骨亜区カライワシ下区ウナギ目アナゴ亜目ウミヘビ科Ophichthidae、或いは、同科ウミヘビ属 Ophisurus を指す)『・カライワシなどの幼体で、柳の葉形で半透明のもの。変態して稚魚になる)『(葉形(ようけい)幼生)は、一般に非常に退化した胸びれをもち、また尾端部が通常は幅広くて丸みを帯びる。消化管はまっすぐで膨らみがない』。『多くの種類は、浅海の岩礁域やサンゴ礁に生息するが、やや深い所の泥底にすむものもいる。夜行性で、性質が荒く、一般に貪食』『である。鋭い犬歯をもつ種類にかみつかれると』、『危険である。南方産のウツボの仲間には、かみつくときに毒液を出すものや、食べると中毒をおこすものがある。日本産のウツボ類のうち、ウツボ、トラウツボ、コケウツボなどは地方により食用とされている。捕獲には網籠(あみかご)(ウツボ籠)が使われ、餌』『にはタコが効果的である』。『ウツボGymnothorax kidako(英名kidako moray)は岩手県以南の太平洋沿岸、島根県以南の日本海沿岸、東シナ海、朝鮮半島南部、台湾南部の海域などに分布する。学名の kidako は神奈川県三崎』『地域の方言の呼称である「キダコ」に由来する。体は長くて側扁し、体高は比較的高い。前鼻孔は管状で長く、吻端(ふんたん)付近に開口する。後鼻孔には鼻管がない。口は大きく、およそ頭長の』二『分の』。一。『上下両顎』『の歯は』一『列に並び、長三角形で、各歯の縁辺に鋸歯(きょし)』は『ない。鋤骨(じょこつ)(頭蓋床』(とうがいしょう)『の最前端にある骨)に』三、四『本の歯が』一『列に並ぶ。背びれと臀びれはよく発達し、腹びれと胸びれはない。体は黄褐色で、暗褐色の不規則形の横帯がある。臀びれは白く縁どられる。口角部と鰓孔(さいこう)は黒い。水深』二~六十『メートルの岩礁、砂地、軽石帯、サンゴ礁などにすむ。昼間は穴や割れ目に隠れて、頭だけ出している。夜間に外に出て活動するため、夜釣りで釣れることがある。おもに魚類、軟体類、甲殻類、貝類などを食べる。最大全長は』九十二『センチメートルほどになるが、普通は』七十五『センチメートルほど。産卵期は』七~九『月』で、『卵径はおよそ』三・五『ミリメートル。孵化仔魚(ふかしぎょ)は上顎に』三『本、下顎に』四『本の歯を備える。自然の産卵行動は』昭和五五(一九八〇)年『に三宅』『島の水深』十二『メートルで観察されている。そのときの記録では全長約』九十『センチメートルの雌雄が尾部をからませ、突然』、『腹部を押しつけた後、離れて抱卵と放精。卵は丸く、浮性で、卵径は』二『ミリメートルであったとされている。本種はおもに延縄(はえなわ)、籠、筒、突き、釣りなどで漁獲される。日本ではもっともよく利用されているウツボ類で、干物、煮物、鍋物(なべもの)、湯引き、たたき、フライなどにする。和歌山県南部には干物にしてから佃煮』『にするウツボ料理があり、また、滋養強壮の食材として利用し、妊婦に食べさせる風習がある。皮膚は厚くて』丈夫『なので、なめして財布などに利用できる』。『鋭い歯をもつ奇怪な顔つきから、昔から恐ろしい魚とされてきた。ヨーロッパでは古くからタコの天敵といわれ、日本でもウツボとタコの闘争の話が各地に伝わっている。ウツボは実際にタコを捕食するので、この習性を利用し、タコの大好物であるイセエビをタコから守るため、イセエビの増殖を目的とする人工魚礁の中に見張り役としてウツボを飼うというアイデアが出されたこともある』とある。

 何時もお世話になる、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見られたい。その「生息域」の項に、『海水魚。浅い岩礁地帯』。『島根県〜九州の日本海・東シナ海、千葉県館山〜九州南岸の太平洋、瀬戸内海、屋久島、奄美大島』。『朝鮮半島南部、済州島、台湾』とあるので、本篇のロケ地である「南日本」に合致し、「地方名・市場名」の最後に、『ナダ』として、採集「場所」として『神奈川県三崎』が挙げられてある。なお、博物誌としては、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の「きたご あふらこ 鱓」を見られたい。ブログでは、「大和本草卷之十三 魚之下 鱧魚(れいぎよ)・海鰻(はも) (ハモ・ウツボ他/誤認同定多数含む)」と、「大和本草卷之十三 魚之下 ひだか (ウツボ)」、さらに、「大和本草卷之十三 魚之下 きだこ (ウツボ〈重複〉)」がある。なお、ウツボは江戸時代には、江戸で「海鰻」と呼ばれた。私の「譚海 卷之九 同所漁獵の事」を見られたい。]

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