和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 䇞竹
くれたけ 呉竹
【和名久禮太計】
䇞竹
【初來於吳國而名
之乎又有漢竹唐
竹等皆異品也】
文字集略云䇞竹似䈽而節茂葉滋者也吉田兼好云呉
竹葉細河竹葉濶
△按䇞【音甘】實中竹也本草無䇞竹者今𢴃倭名抄則淡竹
之類小細黃潤長不過尺人多植庭院可以爲杖或爲
格子櫺子佳
[やぶちゃん字注:「櫺」は(つくり)の下部が「皿」になっているが、そんな異体字はないので、「櫺」とした。]
*
くれたけ 呉竹
【和名、「久禮太計」。】
䇞竹
【初め、吳の國より來《きたり》て、
之≪れを≫名づくるか。又、「漢竹
《からたけ》」・「唐竹《からたけ》」
等、有≪るも≫、皆、異品なり。】
「文字集略」に云はく、『䇞竹《かんちく》、䈽≪竹≫《きんちく》に似て、節、茂く、葉≪も又≫、滋《しげ》き者なり。』≪と≫。吉田の兼好が、云はく、『呉竹は、葉、細く、河竹は、葉、濶《ひろ》し。』≪と≫。
△按ずるに、䇞【音、「甘」。】≪は≫、實中《ぢつちゆう》[やぶちゃん注:中がしっかりと詰まっていること。]の竹なり。「本草≪綱目≫」≪には≫、「䇞竹」と云ふ者[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、無し。今、「倭名抄」に𢴃《よ》≪らば≫、則《すなはち》、「淡竹」の類《るゐ》にして、小《ちさ》く、細く、黃潤《わうじゆん》≪たり≫。長さ、尺に過ぎず。人、多《おほく》、庭院に植《うう》。以つて杖と爲《なし》、或いは、格子の櫺子《れんじ》と爲して、佳し。
[やぶちゃん注:この「䇞竹」は、総合的に見て、前の「竹」に出た、「淡竹(はちく)」、則ち、
マダケ属クロチク変種ハチク Phyllostachys nigra var. henonis
とするのが一般的である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。漢字表記は『淡竹、甘竹』で、『中国原産の竹の一種。黄河流域以南に広く分布する。日本ではモウソウチク』( Phyllostachys heterocycla f. pubescence :中国原産。本邦には十八世紀に移入された)『やマダケ』( Phyllostachys reticulata :中国南部からミャンマーにかけて自生し、長く中国原産とされてきたが、日本国内の化石が発見され、本邦のものは日本原産とする説が有力である)『とともに日本三大有用竹に数えられている』。『別名アワダケ、呉竹(くれたけ)』。『中国原産の多年生常緑植物で、直径は』三~十『センチ、高さは』十~十五『メートル』。『モウソウチクの節は一輪状であるのに対し、マダケやハチクは節が二輪状である』。『マダケとの区別では、ハチクは全体的に色が白く』、二『本ある節の隆起線は低く黒っぽいのが特徴である』。『開花周期は、マダケなどと同様に約』百二十『年とされており、開花後は一斉に枯死することが知られている。開花後に枯れてしまう現象は他の竹類にもみられるが、モウソウチクの場合には開花すると地下茎まで枯れてしまうのに対し、ハチクは地上部分は枯死しても地下茎は枯れないものがかなりあるとされ違いがある』。『マダケに比べて強靭さは劣るが』、『割り竹には適している。茶筅にするには竹材の先端を』八十『から』百二十『等分する必要があるが、割り竹に適したハチクの特権といわれている。茶道用具では花器にも利用される。枝が細かく分枝するため』、『竹箒としても利用される。正倉院の呉竹笙、呉竹竿、彫刻尺八、天平宝物の筆などはハチク製と鑑定されている。また、内側の薄皮は竹紙と呼ばれ、笛の響孔に張り』、『音の響きを良くする』。『ハチクの筍(タケノコ)は、えぐ味がなく』、『美味とされるが、店頭で見かけることは少ない』。『ハチクの稈(茎の部分)の内皮は竹筎・竹茹(チクジョ)、葉は竹葉(チクヨウ)といい生薬として用いられる(いずれも局外生薬)。また、稈を炙ると流れ出る液汁も竹瀝(チクレキ)という生薬として利用されている』とある。最後に出る「竹筎」・「竹茹」・「竹葉」・「竹瀝」は総て、前項の「竹」に出、私の注も附けてある。
「漢竹」・「唐竹」「デジタル大辞泉」は「からたけ」で「幹竹」に当てて、『マダケまたはハチクの別名』とするが、「日本国語大辞典」は『から-たけ【幹竹・唐竹・漢竹】』とし、『「からだけ」とも』として、『①(唐竹・漢竹)昔、中国から渡来した竹。笛などを作る材料とし、また、庭園に植え、生垣などにもした。寒竹(かんちく)のこととされる』とし、引用例を『からたけのこちくの聲も聞かせなんあなうれしとも思ひしるべく」(「古今和歌六帖」(天延四・貞元元(九七六)年~寛和三・永延元(九八七)年頃成立)の「卷五」、及び、「貞丈雑記」(天明三・四(一七八四)年頃成立)の「第十」から、『「から竹」は「漢竹(かんちく)」也。一說に「から」は「簳」にて矢がらにせし竹を筈になす故から「竹」と云(いふ)。されど、此說、惡(あし)し。「唐竹」と記せし書もあれど、「唐」の字は仮字(かりじ)也。』とするが、『②』では、『 植物「まだけ(真竹)」の異名。また、「はちく(淡竹)」の異名』とし、「類聚大補任」の建長四(一二五二)年「又、寳治の比より唐竹枯始て、建長年中諸國竹皆枯失畢。適相殘分九牛一毛云々」とし、更に『③植物「ほていちく(布袋竹)」』( Phyllostachys aurea :原産は、中国の長江流域、又は、浙江省・福建省の山地とされ、黄河以南の山野に分布する。また、ベトナムでは、バックカン省などの北部にも分布する。本邦や台湾などにも移入されて自生化している)『の異名』とする。
「文字集略」東洋文庫の書名注に、『一巻。梁の阮孝緒撰。字書。』とある。
「䈽≪竹≫《きんちく》」前の「竹」の私の「䈽竹」の注で書いたが、再掲すると、調布市の「つゆくさ医院」公式サイト内の「つゆくさONLINE」の「竹葉(チクヨウ)」の記載の中に、『『本草綱目』によると「竹葉」には、「淡竹」「甘竹」「䈽竹(キンチク)」「苦竹」があり、「淡竹」はハチク P. nigra Munro var.henonis Stapf ex Rendle、「甘竹」は淡竹の属、「苦竹」は、マダケ P. bambusoides Siebold et Zuccarini である。すなわち、『名医別録』にある 「淡竹葉」は、ハチクのことを示している。また、『本草綱目』中には、「張仲景、猛詵は、このうち淡竹葉を上とした」という記載があり、古くは、薬用にハチクを重用していたことが伺える。なお、「䈽竹」は『古方薬議』によるとカシロタケがあてられている』とあった(学名が斜体でないのはママ)。この「カシロダケ」というのは、マダケの品種 Phyllostachys bambusoides f. kashirodake である。
「吉田の兼好が、云はく、『呉竹は、葉、細く、河竹は、葉、濶《ひろ》し。』」「徒然草」の第二百段。
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吳竹(くれたけ)は、葉、細く、河竹(かはたけ)は、葉、廣し。御溝(みかは)に近きは河竹、仁壽殿(じじうでん)のかたに寄りて植ゑられたるは、吳竹なり。
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古典学では「吳竹(くれたけ)」はハチク、「河竹(かはたけ)」はマダケとする。「御溝(みかは)」「御溝水(みかはみづ)」の略で、一般名詞では「宮中の庭園を流れる溝」を指すが、特に固有名詞として「清涼殿の東庭の同殿に沿って南北に流れる溝」を指す。「仁壽殿(じじうでん)」は清涼殿の西、内裏の中央にある建物。内裏の中央にあるので「中殿」、清涼殿の東に当たるので「東殿」とも称する。当初は、天皇の常の座所であったが、後に常の座所は清涼殿となったため、ここでは、正月の宴会や角力・歌合・御遊(ぎょゆう)が開催された。南の紫宸殿、北の承香殿とは、ともに簀の子で繋がっていた。但し、平安後期には荒廃していた。ハレの普段は使用されない場所は、逆に魔界との通底器となり、「今昔物語集」では、紫宸殿や仁壽殿での怪異が語られている始末である。私の「萬世百物語卷之五 十九、高位の臆病」の注を見られたい。
『今、「倭名抄」に𢴃《よ》≪らば≫、則《すなはち》、「淡竹」の類《るゐ》にして』「和名類聚鈔」の「卷二十」の「草木部第三十二」「竹類第二百四十六」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年版を参考に訓読して示す。
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䇞竹(くれたけ) 「文字集略」に云はく、『䇞【音「甘」。「楊氏漢語抄」に云はく、『吳竹なり。和語に云ふ、「久礼太介」。】は、䈽に似て、節、茂(しげ)く、葉、滋《しげ》し者なり。
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