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2024/11/16

和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 雙岐竹

 

Hutamatanotake

 

ふたまただけ

 

雙岐竹

 

 

五雜組云武夷城高巖寺後有竹本出土尺許分兩岐直

上此亦從來未見之種  五行志云太平興國寺亦有

△按攝州天王寺有之淡竹之二岐者處處亦希有

 

   *

 

ふたまただけ

 

雙岐竹

 

 

「五雜組」に云はく、『武夷城の高巖寺《かうがんじ》の後《うしろ》に、竹、有り。本《もと》、土を出《いづ》ること、尺許《ばかり》にして、兩岐《ふたまた》に分《わかれ》て、直《ちよく》に上《のぼ》る。此れも亦、從來、未だ見ざるの種なり。』≪と≫。 「五行志」に云はく、『太平興國寺にも亦、有り。』≪と≫。

△按ずるに、攝州、天王寺に、之れ、有り。淡竹(はちく)の二岐《ふたまた》なる者なり。處處《ところどころ》にも亦、希《まれ》に有り。

 

[やぶちゃん注:「日本国語大辞典」の『ふたまた-だけ【二股竹】』に、ここにある通り、『二股になって生えている竹。大阪天王寺』(四天王寺。グーグル・マップ・データ)『にあったのが有名で、人目にふれず』、『これをまたぐと、縁談または子宝が授かるとの俗信があった』とあり、用例に「邇言便蒙抄」(天和二(一六八二)年成立)を挙げる。「和漢三才圖會」の成立は正徳二(一七一二)年。「二股の竹」は稀れに生ずるらしい。グーグル画像検索の「二股の竹」をリンクしておく。期待するほどには、あまりズバりの当該写真は少ない。やはり、希少なのだ。

「五雜組」既出既注。以下は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここにあるものを参考に示しておく(表記に手を加えた)。

   *

武夷城高巖寺後有竹本出土尺許、分兩岐直上、此亦從來未見之種。按「宋史・五行志」、天禧間太平興國寺亦有此。而大中祥符間、黃州・江陵・武岡・晉原諸處且以祥瑞稱賀矣【按陶谷「淸異錄」載浙中有天親竹、皆雙岐、自是一種。】。

   *

これを見ると、良安が、二字空けをして、別個に引用したかのように見えるのは、「後雜組」の丸写しに過ぎないことが判ったので、当初、別に引用記号を用いて訓読したのを、改めた。因みに、この「宋史・五行志」の引用も「維基文庫」の電子化されたここにあるものを以下に同前でソリッドな条で引用しておく奇瑞の植物名数絡みの出現で纏まっているからである)。当該部に下線を引いた。

   *

天禧元年三月、新津縣平蓋下玉皇案下芝草生。鄂州天慶觀聖祖殿芝草生。四月、邵陽等縣竹生穗如米、民饑、食之。又浮梁縣竹生穗如米。七月、漢陽軍太平興國寺異竹一本、生二莖、節皆相對。十二月庚午。內出芝草如眞武像。二年正月庚子、內出眞遊、崇徽二殿「梁上芝草圖」示宰相。五月、兗州景靈宮昭慶殿生金芝二本。三年六月、漢陽軍芝草生一百五十餘本。七月、嵩山崇福宮獲芝草一百本、有重台連理、貫草者、知河南府馮拯以獻。四年四月、梁山軍民王崇扆竹園生金暈紫芝五本。十一月、上饒縣民王壽園中生芝草三本、皆金暈、其二連理。

   *

「武夷城の高巖寺」「武夷城」は、現在の福建省にある名山の山名。江西省と福建省の境界に跨る武夷山脈にある黄崗山(こうこうざん:標高二千百五十八メートルで、昔、武夷君という神仙がいたとされることからの名。福建省崇安県の北西にある。グーグル・マップ・データ)を中心とする山系の総称。山水の名勝として知られ、黄山・桂林と並び、中国人が人生に一度は訪れたいとされる場所の一つとされていると、当該ウィキにあった。寺は現存しないようである。

「太平興國寺」東洋文庫訳の割注に、『(湖北省漢陽県の北。大別寺とも文殊院ともいう。唐代に建てられ』、『宋の太平興国年間に重建された)』とある。「太平興国」は北宋の九七六年から九八四年まで。小学館「日本大百科全書」の「太平興国寺」に拠れば、『河南省開封にあった寺。宋』『の太宗』『が』太平興国二(九七七)年『に重建、太祖の像を安置した。寺の西方に訳経院(のち伝法院と改む)を建て、インドより来朝した天息災(てんそくさい)』・『施護(せご)』・『法天(ほうてん)などが』、『訳経に従事した。神宗の代』の一〇七二年『には、日本の成尋(じょうじん)』・『頼縁(らいえん)』・『快宗(かいそう)らが訪れ、月称(げっしょう)』。『慧賢(えけん)』・『慧詢(えじゅん)』・『定照(じょうしょう)などに謁している。当時の寺のようすは成尋著』「参天台五台山記」(さんてんだいごだいさんき)『に詳しい。徽宗(きそう)の』代、一一一九年『に破却され、その後のことは不明。そのほかにも全国に同名の寺が多くあるが、それは』九七八『年に勅して天下の無名の寺に寺額を下賜し、太平興国寺と称したからである。なかでも有名なのは江西省袁州(えんしゅう)、山西省翼城県、五台山の太平興国寺である。また、江蘇』『省鐘山(しょうざん)の太平興国寺は、梁』『代の名刹』『の開善寺を』九八〇『年に』、『この寺名に改めたもので、明』『代に太祖の孝陵』『を築くために東方に移し、霊谷寺(れいこくじ)と改めた』とある。]

 

 

未明の二時半に起きて二項やった。これでおしまい。今日は母校玉縄小学校で「玉縄まつり」。町内会の出店で、一日中、飲み物の売り子。実行委員会の役員じゃないから、昼飯も出ない。やれやれだぜ……そもそも俺は、大の「祭り嫌い」だからな……【十五時十六分追記】九年目にして、実行委員にされていたので、昼の弁当、あった!

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