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« 和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 虎彪竹 | トップページ | 和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 箟竹 »

2024/11/18

和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 鳳尾竹

 

Houbitiku

 

ほうびちく 鳳凰竹【俗】

      孟宗竹【俗】

鳳尾竹

 

 

本綱鳳尾竹葉細三分

△按此俗云鳳凰竹也筱竹之類而高五六尺不過葉細

 三分許甚茂竹太如筋及箭箆而肉厚今年生者葉亦

 竹畧肥大舊年者却瘦細九州平戸多有之其笋冬月

 生故俗呼曰孟宗竹

 吳孟宗之母冬好筍天感孝也雪中生筍取令吃之此

 竹雖非其種唯以冬生好事者名之此筍最細長甚苦

 不可食

 

   *

 

ほうびちく 鳳凰竹《ほうわうちく》【俗。】

      孟宗竹《まうさうちく》【俗。】

鳳尾竹

 

 

「本綱」に曰はく、『鳳尾竹は、葉、細きこと、三分。』≪と≫。

△按ずるに、此れ、俗に云ふ、「鳳凰竹」なり。筱竹(しの《だけ》)の類《るゐ》にして、高さ、五、六尺に過ぎず。葉、細《ほそく》、三分許《ばかり》。甚《はなはだ》、茂り、竹の太さ、筋(はし)[やぶちゃん注:これは「箸」の誤字か誤刻である。「筋」に「はし」・「箸」の意はない。]、及《および》、箭(や)の箆(の)ごとくにして、肉、厚し。今年《こんねん》、生≪とずる≫者は、葉も、亦、竹も、畧《ちと》、肥大《こえおおき》く、舊年の者、却《かへつ》て、瘦細《やせてほそ》し。九州平戸に、多く、之れ、有り。其の笋《たけのこ》、冬月《とうげつ》、生《しやう》ず。故《ゆゑ》、俗、呼んで、「孟宗竹」と曰ふ。

 『吳の孟宗の母、冬、筍を好む。天、孝を感じ、雪中に筍《たけのこ》を生ず。取《とりて》、之れを吃《く》はしむ。』≪と≫。此の竹、其の種《しゆ》に非ずと雖も、『唯《ただ》、冬、生ずる。』を以つて、好事(こんづ)の者、之≪れを≫名づく。此の筍、最《もつとも》細長《ほそなが》く、甚《はなはだ》苦《にが》≪くして≫、食ふべからず。

 

[やぶちゃん注:ここで、項目標題とする「鳳尾竹」と、民間で呼ぶとする「鳳凰竹」、及び、「孟宗竹」は、三種とも、現行では、別種である。まず、

メインの「鳳尾竹」は、単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科ホウライチク(蓬莱(蓬萊)竹)属ホウライチク変種 Bambusa multiplex var. ' Fernleaf ' 園芸品種Bambusa multiplex cv. ' Fernleaf '

である。これは「維基百科」の「鳳尾竹」で確認した。一方、

◆「鳳凰竹」というのは、現行では、同じホウライチクの別な変種ホウオウチク Bambusa multiplex var. gracillima(シノニム:(品種)Bambusa multiplex ' Fernleaf ' /(園芸品種) Bambusa multiplex var. elegants

であり、

◆「孟宗竹」は、既に出した通り、タケ亜科マダケ属モウソウチク Phyllostachys edulis

である。

 但し、跡見群芳譜」の「花卉譜」の「ほうおうちく (鳳凰竹)」には、『中国語名』を『鳳尾竹(ホウビチク)』とするので、「俗」称は今も生きているようである。

 まず、ウィキの「ホウライチク」を引く(注記号はカットした)。『ホウライチク(蓬莱竹)はイネ科ホウライチク属の多年生常緑竹である。地下茎を伸ばさず株立状となるためバンブー類に分類される。東南アジアから中国南部にかけての熱帯地域を原産とし、桿の繊維を火縄銃の火縄の材料とするため』、『日本へ渡来し、中部地方以西に植栽されている。マダケやモウソウチクと異なり』、『根を地面に垂直に深く張るため、斜面の崩壊を防止する効果を有する』『桿の高さは』三~八『メートル程、直径は』二~三センチメートル、『節間は』二十~五十センチメートル『と長く、節からは多くの小枝が束状に出る。葉は枝先に』三~九『枚ずつで』、『やや』、『密に束生し、長さ』六~十五センチメートル『の狭披針形で先は鋭く尖り、葉脈は平行脈のみで、横脈を欠く。タケノコは初夏から秋にかけて出る』。『桿が肉厚で重く』、『水に沈むことからチンチク(沈竹)、タケノコが夏に生えるので土用竹、高知ではシンニョウダケとも呼ばれる』(この「しんにょう」は漢字表記するサイトがないが、思うに、「之繞竹」ではあるまいか? 「之繞」はお馴染みの部首「辶」の名であるが、この語には、実は、「程度をはなはだしくする・輪を掛ける」意味がある。「ホウライチク」でグーグル画像検索を見ると、同種はワサワサと群生し、前の引用に在る通り、尖った葉もザワザワと生えている。そんな様子を言ったものではあるまいか? 郷土史研究家の方の御教授を得たいものである)。以下、「変種・品種」の項に、十種が挙がる。

○コマチダケ Bambusa multiplex  f. solida(『小町竹』。『孔のない品種で、葉が小さい』)

○オオバコマチ Bambusa multiplex  f. Ohkomachi’ (『大葉小町竹』。『コマチダケの大型種』)

○ギンメイホウライ Bambusa multiplex  f. Ginmei’(『銀明蓬莱竹』。『 緑地に黄色の縦筋が入る』)

○ショウコマチ Bambusa multiplex  f. Shyo-komachi’ (『小小町竹』。『コマチダケよりもさらに葉が小さい』)

○スホウチク Bambusa multiplex  f. alphonso-karri(『蘇枋竹』。『斑入り品種で、冬から春にかけては桿が黄色地に緑色の縦縞があり、夏から冬にかけては赤くなる。別名シュチク(朱竹)』)

◎ホウオウチク(鳳凰竹)Bambusa multiplex  var. elegans(『桿の高さは』二~三センチメートル『程。葉はとても小さくて』、二『列に密に並ぶ形が鳳凰を思わせる』)

○フイリホウオウチク Bambusa multiplex  f. Albovariegata(『斑入鳳凰竹』)

○ベニホウオウチク Bambusa multiplex  f. Viridistriata (『紅鳳凰竹』。『桿や枝が黄色地に緑色の縞が入る。紅色の縞が入るものもある』)

○ミキスジホウオウチク Bambusa multiplex  f. Albostriata(『幹筋鳳凰竹』)

○ホウショウチク Bambusa multiplex  f. Variegata(『蓬翔竹』・『鳳翔竹』。『稈に少数、葉に多数の白条を出現させる変異体。タケノコは秋に出、皮の縁と中央部分に白条が多い』)

 次に、「庭木図鑑植木ペディア」の「ホウオウチク」を引く(画像豊富)。『中国南部を原産とするタケで、ホウライチクの変種。他のタケには見られない小さな葉が密生する様子を、伝説の鳥「鳳凰(ほうおう)」の尾羽に見立てて、ホウオウチクと名付けられた』。『稈の直径が』一『センチほどと細く、刈り込みばさみ等で剪定しやすいことや、病害虫の被害が少ないことから、垣根や庭園の下草として使われることが多い。植栽の適地は関東地方以西の太平洋側。沖縄では垣根としての使用例が多い』。『葉は長さ』四~七『センチ、幅』五~六『ミリでホウライチクよりも小さく、羽根状に規則正しく並ぶ。先端は細く尖り、表面は無毛で緑色。裏面には細かな毛があるため』、『灰白色に見える』。『ササではなくタケであり、若い棹にはタケノコの皮が残るが、しばらくすると落ちる。棹は黄緑色で』、『地下茎は余り伸びず、株立ち状に直立する。広範囲』に『わたって繁茂することがないのも』、『こうした南方系のタケの特徴。タケノコは一年じゅうできるが、』六~九『月が多め』。以下、「ホウオウチクの品種」の項は、前で示したので、カットする。

 最後に、ウィキの「モウソウチク」を引く(注記号はカットした)。『アジアの温暖湿潤地域に分布する』。『中国原産。日本には』十八『世紀に移入されたが』、一九七〇『年代以降は竹林の放棄に伴う分布の拡大が問題視されたため産業管理外来種に指定されている』。『種名は』、本文に出た通り、『冬に母のために寒中筍を掘り採った三国時代の呉の人物、孟宗にちなむ。別名江南竹、ワセ竹、モウソウダケ。中国名は、毛竹(別名:貓頭竹、孟宗竹)』。『高さ』十~二十『メートル』、『径は』八~二十『センチメートル』『になる常緑高木で』、『条件が良ければ、高さが』二十五メートル『になるものもある。モウソウチクの節(環状隆起線)は一輪状であるのに対し、マダケやハチクは節が二輪状であることから区別できる。また、幹の太さは、モウソウチク、マダケ、ハチクの順に太く、モウソウチクの茎の表面は粉がふいたように白いのが特徴である』。『葉は披針形で長さ』四~十センチメートル『とマダケよりも小さく、幅は』四~十『ミリメートル』、『黄緑色で枝先に』二~八『枚ずつ密集して付き、裏面基部には軟毛がある。春に黄葉したあとに新しい葉に入れ替わる。枝は稈の中央部より上の節に』二『本ずつ互生する』。『根茎による繁殖力が強く、地下茎を伸ばして分布を拡大する。タケノコは』四『月頃に出てくる。タケノコを覆う稈鞘(いわゆる竹の皮)は黒褐色で背面に粗い毛が生える』。『花期は』五『月と』九『月だが、花はめったに咲くことはなく』、『開花は数十年に一回ともいわれる。雌雄同株。花は両性花、風媒花である。モウソウチクの場合には開花すると地下茎まで枯れてしまい、ハチクのように地上部分は枯死しても地下茎は枯れないものと』の、『違いがある』。『日本では北海道から南西諸島まで広く分布する。北限は函館市とされている。庭木として植えられたり、里山で見られる』。『日本への移入時期は』享保一三(一七二八)年、享保二一・元文元(一七三六)年『など諸説ある』他、延暦二〇(八〇一)年、『京都府長岡京市の海印寺、寂照院の開山・道雄上人が唐から持ち帰った、また』安貞二(一二二八)年(年)『に曹洞宗の開祖・道元禅師が宋から持ち帰った、などの説もあるが』、『全国へ広まったのは薩摩藩による琉球王国経由の移入によってと考えられている。「南聘紀考 下」によると元文元』(一七三六)年三『月に』、薩摩藩第四代藩主『島津吉貴』(よしたか)『が、琉球在番として琉球行きを命じられた物頭野村勘兵衛良昌に孟宗竹を輸入するように命じ、勘兵衛は琉球滞在中に清より輸入し、元文』三『年に帰国すると』『吉貴のいる仙巌園に孟宗竹を献上したという』(本書の成立は正徳二(一七一二)年であるが、良安の普段のフィールドは大坂・京都であるから、後者の移入の孟宗竹を見た可能性は十分にある)。一九七〇『年代以降は竹林の放棄に伴い』、『分布が拡大し、周辺の植生を破壊していることが問題視されている』(後述される)。『タケノコは』四『月頃に地下茎から発芽する。このタケノコは大型で肉厚で柔らかく、えぐみが少ないため』、『食用に供される。湿潤で粘土質の竹林では良質のタケノコが採れる』。『マダケに比べ』、『完密度や材質の脆さなどがあり』、『表面の緻密さも劣る』ものの、『花器、ざる、かご、すだれ、箸の他、鉄製品や』、『プラスチック製品が普及するまでは』、『建築材料、農業資材、漁業資材などとしても用いられてきた。また』、二〇〇〇『年代以降、野球で使用されるバットの原材料としての利用も盛んとなっている』。『突然変異によって竹に奇形や斑入りを生ずることがあり、その中から園芸的価値のあるものが選抜栽培される』。『平成』二〇(二〇〇八)『年度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば』、同年四月一日『以後開始する事業年度にかかるモウソウチクの法定耐用年数は』二十『年となった』。『モウソウチクは食用(タケノコ)や竹材として利用されていたが、安価な代替の素材の輸入などにより利用されなくなり』、『放置竹林が問題化した。それによって引き起こされたモウソウチクの他植生への侵入によって、広葉樹の生長が阻害され枯死することが判明している。さらに、他の樹種の影響をうけにくい杉でさえもモウソウチクの特性(』三『ヶ月で最大まで生長する。柔軟なので風が吹く度にしなってスギへ当たる)により生長が妨げられ、放置されたスギ林へもモウソウチクがよく侵入して群落を拡大している』。『地下茎の拡大は根元の周りに地下まで約』一『メートルの仕切板を埋め込むことで防ぐことができる。また、タケノコを継続的に採取して食用にすることも有効な駆除方法とされている』とある。

 「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十七」の「木之五」の「苞木類」の「竹」の「集解」の[090-20b]の六行目に出る。

「吳の孟宗の母、冬、筍を好む。天、孝を感じ、雪中に筍《たけのこ》を生ず。取《とりて》、之れを吃《く》はしむ。」東洋文庫の後注に、『元の郭(かく)居敬撰『全相二十四孝詩選』孟宗の項に、五言詩とともに、孟宗が雪中に筍を得て病母に食べさせた話が載っている。』とある。私は、高校時代に読んで(何で読んだかは記憶にないのだが、古典の蟹谷徹先生の授業の話に出て、昼休みに図書室で読んだことは確かだ)、何故か知らぬが、ひどく感銘したのを覚えている。「中國哲學書電子化計劃」の同書の電子化から、当該部を引用し(一部の表記に手を加えた)、自然流で訓読する。

   *

 哭竹生筍

竹而泣。孝感天地。須臾地裂。出筍數莖。歸持。作羹奉母。食畢疾愈。有詩爲頌。

 詩曰、

 淚滴朔風寒

 蕭蕭竹數竿

 須臾冬筍出

 天意報平安

 

   竹に哭(こく)して筍(たかんな)生ず

  竹にして泣き、孝、天地、感じ、須臾(しゆゆ)にして、地、裂け、筍、數莖(すけい)、出づ。歸り持ちて、羹(あつもの)と作(な)し、母に奉(はう)ず。食(しよく)し畢(をは)りて、疾(たちま)ち、愈ゆ。詩、有り、頌(しよう)を爲(な)す。

 詩に曰はく、

 

  泪(なんだ) 滴(しただ)りて 朔風(さくふう) 寒し

  蕭々(せうせう)たる竹(たけ) 數竿(すかん)

  須臾(しゆゆ)にして 春笋(しゆんしゆん) 出づ

  天意 平安を報(はう)ず

   *

「頌」原義は「詩經」での詩の形式の中で、「人君の盛徳を褒めたたえて神に告げる祭りの詩」を言った。この故事は後に、本来は「孝心の深い喩え」であったが、後、「有り得ないものの喩え」、或いは、「得難いものの喩え」へとスライドしている。]

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