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« 和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 紫稍花 / 寓木類本文~了 | トップページ | 和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 䇞竹 »

2024/11/14

和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 竹

 

Take

 

 

  苞木類


たけ   竹字象形

     【和名多計】

     篁 竹聚也

     【太加無

     良】

 

本綱竹不剛不柔非草非木大抵皆土中苞笋各以時而

出旬日落籜而成竹也莖有節節有枝枝有節節有葉葉

必三之枝必兩之根下之枝一爲雄二爲雌雌者生笋其

根鞭喜行東南以五月十三日爲醉日【或以辰日爲佳】此日栽竹

能茂盛也六十年一花花結實其竹則枯竹枯曰䈙竹實

曰𥳇小曰篠大曰簜其中皆虛其外皆圓其性或柔或勁

或滑或濇其幹或長或短或巨或細其色有青有黃有白

有赤有烏有紫有班

實心竹出滇廣 方竹出川蜀 暴節竹出蜀中高節𥗼

[やぶちゃん注:「滇」は「眞」が「真」であるが、表示出来ないので、正字で示した。]

砢卽筇竹也 無節竹出溱州空心直上卽通竹也 篃

竹出荊南一尺數節 笛竹出呉楚一節尺餘 篔䈏竹

出南廣一節近𠀋 由吾竹出交廣長三四𠀋其肉薄可

作屋柱 䈏竹大至數圍其肉厚可爲梁棟 漢竹出雲

南永昌可爲桶斛【五雜組云羅浮巨竹圍二十尺有三十九節節長二𠀋】 𥳍竹可

爲舟船【五雜組云舜林中竹可爲船猺人以大竹爲釜物熟而竹灼也】

[やぶちゃん注:「猺」は、原本では「グリフウィキ」のこれの(へん)の「玉」を「木」或いは「犭」にしたものであるが、表示出来ないので、この字で示した。東洋文庫訳でも、この漢字を使用している。]

 凡竹譜所謂竹六十一種不悉載之而入藥惟用䈽竹

 淡竹苦竹三種【淡竹爲上】


䈽竹  性堅促節體圓而質勁皮白如霜大者宜刺船

 細者可爲笛

淡竹  卽甘竹也似䈽而茂

苦竹  有白有紫其筍味苦

 堀川百首

                         仲實

 いにしへの七の賢き人もみな竹をかさして年そへにける


五雜組云栽竹特不限竹醉日正月一日二月二日直至

十二月十二日皆可栽大要不傷其根多斫枝梢使風不

揺雨後移之土濕昜活竹太盛宻則宜芟之不然則開花

而逾年盡死猶人之瘟疫也

△按竹諸草中長高故名多計本朝亦有數種而今唯淡

 竹苦竹及紫竹筱竹多有之其他植庭院以爲弄耳

苦竹  眞籜竹【和名加波多計】本朝式爲河竹其筍籜紫斑味

 苦辛其竹色靑節間不促大者周一尺六寸長六七𠀋

一種苦竹生痩地者大者三四寸長二𠀋許節高溝㴱以

 爲墻簀或染家爲晒布帛之柵名茂架籬【上畧曰賀里竹】

淡竹  白竹【俗云波知久】其筍籜白味淡甘其竹亦色白節

 間促於苦竹大者四五寸長二三𠀋【此內亦有賀里竹】

䈽竹亦淡竹種類乎未知何竹也其苦竹山州嵯峨豆

 州大島和州內山遠州瑞雲寺豊州筑州皆佳信州木曾山谷絕無之凡北國少

  河竹のなひく葉風に年くれて三世の仏の御名を聞くかな定家

[やぶちゃん注:この一首、第二句は「なひ(=び)く葉風も」が正しい。訓読では訂した。

凡斫竹秋爲勝冬次之如春夏性萌弱而昜蛀俗謂木六

 竹八言伐木六月伐竹八月可也

凡栽竹根埋死猫則良畏皂刺油麻又忌滑海藻以煑汁

 注根則多枯

凡竹作材用時以鰻鱺魚炙薫竹則經年不蛀

 


竹瀝 可用淡竹【苦竹不宜用也】

本綱竹瀝【甘大寒】 治暴中風𦚾中大熱煩悶中風不語痰

[やぶちゃん字注:「𦚾」は「胸」の異体字。]

在經絡四肢及皮裏膜外非此不達不行【薑汁爲之使】產後不

碍虛胎前不損子大抵因風火燥熱而有痰者宜之

 取瀝法以竹作二尺長劈開以磚兩片對立架竹於上

 以火炙出其瀝以盤承之【若寒濕胃虛腸滑之人服之則反傷腸胃】


竹葉 淡竹葉

   【草有淡竹葉者同名異物也】

淡竹葉【辛苦寒】 除新久風邪之煩熱止喘促氣勝上衝

 煎湯洗脫肛不收同根煎洗婦人子宮下脫


竹筎 俗云竹甘膚

   【可用淡竹削去筠取用皮肉閒】

氣味【甘微寒】 治嘔啘吐血鼻衂五痔隔噎傷寒勞復婦人

 胎動小兒熱癇

△按用竹筎綯糾繩爲火繩以爲行人煙草火獵人爲鳥

 銃用勢州鈴鹿關作之者多


竹實 𥳇

   【俗云自然穀】

本綱今竹閒時見開花小白如棗花亦結實如小麥子無

氣味而濇可爲飯食謂之竹米以爲荒年之兆其竹卽死

必非鸞鳳所食者

一種有生苦竹枝上者大如鷄子竹葉層層包之其味甘

 勝𮔉有大毒須以灰汁煑二度煉訖乃茹食煉不熟則

 戟人喉出血手爪盡脫也是此一物恐與竹米之竹實

 不同

古今醫統云竹多年則生米而死初見一根生米則截去

上梢近地三尺通去節灌入犬糞則餘竹不生米也

△按草實有自然穀者如麥也竹實相似之故俗名自然

 穀乎天和壬戌之春紀州熊野及吉野山中竹多結實

 其竹高不過四五尺枝細而皆小篠其實如小麥一房

 數十顆山人每家收數十斛以爲食餌至翌年春夏然

 大資荒年飢而後五穀豊饒米粟價減半予亦直見之

 然則荒年極當爲豊年之時出乎


仙人杖 【草有名仙人杖者枸𣏌亦同名異物】

      苦竹桂竹多生之

[やぶちゃん注:「𣏌」は「杞」の異体字。]

本綱凡筍欲成竹時立死者色黒如𣾰五六月收之

氣味【鹹冷】 治嘔噦反胃吐乳水煮服之小兒驚癎及夜

 啼置身伴𪾶良又燒末服之


  出柔滑菜下

竹變斑㸃法 神仙巧法云磠砂【一錢】青鹽【五分】五倍子

[やぶちゃん注:「鹽」は、「グリフウィキ」の、この異体字の「目」を「臣」とした字体だが、表示出来ないので、通常の「鹽」とした。]

 【三分各細末】用陳醋調隨意㸃在竹子上用火炙乾卽現黒

 斑其功立見㸃假棕竹亦是用此藥


【音託】 笋皮

      【太介乃古乃加波】

△按籜可以織履可以縫笠又堪裹膠飴淡竹籜淡赤乾

 色苦竹籜黃有黑㸃潤色山城嵯峨爲上丹波次之若

 狹豊後亦次之筑前安藝其次也


竹黃 竹膏 天竺黃

本綱竹黃諸竹內所生如黃土着竹成片者徃徃得之今

人多燒諸骨及葛粉等雜之

氣味【甘寒】 治小兒驚風天弔去諸風熱鎭心明目療金

 瘡治中風失音不語小兒客忤癇疾

△按天竹黃卽諸竹三四月斫者經日破裂之內多有天

 竹黃蓋濕熱熾於內暑熟蒸於外自生蛀然乎未見蟲

 形黃粉輕虛者也藥肆取筱竹外節所有黃粉𭀚竹黃

[やぶちゃん注:「𭀚」は「充」の異体字。]

 不可用

一種有竹蛀屎古竹生蠧者內肌食盡有小孔腐爛而生

 白粉此與天竹黃一物異品也瘡癤膿爛者傅之癒

 

   *

 

 《つけた》り

  苞木類《はうぼくるい》


たけ   「竹」の字、形に象《つかさど》る。

     【和名、「多計」。】

     「篁《こう》」は、竹の聚《あつまり》なり。

     【「太加無良《たかむら》」。】

 

「本綱」に曰はく、『竹、剛《つよ》からず、柔《やはらかならず、》草に非《あらず》、木に非《あらず》。大抵、皆、土≪の≫中《なか》≪にて≫、苞《つつまれ》≪たる≫笋《たけのこ》、各《おのおの》、時を以つて、出づ。旬日(とをか[やぶちゃん注:ママ。])、にして、籜(かは)を落《おと》して、竹と成るなり。莖に、節《ふし》、有り、節に枝、有り、枝に、節、有り、節に、葉、有り。葉≪は≫、必≪ず≫、之れ、三《みつ》にして、枝、必≪ず≫、之れ、兩《ふたつ》にす。根の下の枝、一つを、「雄《をす》」と爲≪し≫、二つを、「雌」と爲《なす》。雌は、笋(たけのこ)を生≪じ≫、其の根の鞭《べん》[やぶちゃん注:地下茎。]、喜《よろこび》て、東南に行く。五月十三日を以つて、「醉日《すいじつ》」と爲《なし》【或いは、辰《たつ》の日を以つて、佳と爲す。】、此の日、竹を栽《うゑ》て、能く茂盛《もせい》す。六十年、一たび、花さき、花、實を結ぶ≪も≫、其の竹、則ち、枯《か》る。竹、枯《か》るを、「䈙《ちゆう》」と曰ふ。竹の實(み)を「𥳇(じねんこ)」と曰ふ。小《ちいさ》なるを「篠(さゝ)」と曰ひ、大なるを「簜《たう》」と曰ふ。其の中《なか》、皆、虛(うつろ)≪にして≫、其の外《そと》、皆、圓《まろ》く。其の性、或いは、柔かに、或いは、勁(つよ)く、或いは、滑(なめら)かに、或いは、濇《しぶ》≪し≫。其の幹、或いは、長く、或いは、短く、或いは、巨(ふと)く、或いは、細(《ほ》そ)く、其の色、青、有り、黃、有り、白、有り、赤き、有り、烏(くろ)き、有り、紫、有り、班(まだら)、有り。』≪と≫。

『「實心竹《じつしんちく》」は滇《てん》[やぶちゃん注:現在の(以下、略す)雲南省。]・廣《くわう》[やぶちゃん注:広東省・広西省。]に出づ。』。『「方竹《はうちく》」は川蜀《せんしよく》[やぶちゃん注:四川省。]に出づ。』。『「暴節竹(こさん《ちく》)」は蜀中《しよくちゆう》に出づ。高き節《ふし》、𥗼砢(くれぐれ)[やぶちゃん注:ゴツゴツとして曲がっていること。]とす。卽ち、「筇竹(つゑ《たけ》」[やぶちゃん注:「暴節竹」の異名であるが、実際に杖にすることから。]なり。』。『「無節竹《むせつちく/ラウだけ》」は、溱州《しんしう》[やぶちゃん注:四川省。]に出づ。空心《くうしん》[やぶちゃん注:節が無いこと。]≪にして≫直《ちよく》に上《のぼ》る。卽ち、「通竹《つうちく》」なり。』。『「篃竹(び《ちく》)」は、荊南[やぶちゃん注:湖北省・湖南省。]に出づ。一尺≪に≫數節《すせつ》あり。』。『「笛竹《てきちく》」は、呉楚[やぶちゃん注:江蘇省・浙江省・湖南省・湖北省。]に出づ。一節《ひとふし》、尺餘《あまり》。』。『「篔䈏竹(うんたう《ちく》)」は、南廣《なんくわう》[やぶちゃん注:四川省宜賓(ぎひん)市珙(きょう)県。グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ。]に出づ。一節、𠀋に近し。』。『「由吾竹《いうごちく》」は、交・廣《かうくわう》[やぶちゃん注:「交」は交州で、現在のヴェトナム南部に当たる。]に出づ。長さ、三、四𠀋。其の肉、薄く、屋《をく》の柱に作《つく》るべし。』。『「䈏竹《ふくちく》」、大いさ、數《す》圍《めぐり》に至る。其の肉、厚くして、梁-棟(ひきもの)[やぶちゃん注:文字通りの家屋の梁(はり)や棟木(むなぎ)であるが、和訓の「ひきもの」は「挽き物」だろうが、これは、「轆轤で挽いたり、旋盤を用いて作られた木器や細工物」を指し、意味が合わず、おかしい。]と爲すべし。』。『「漢竹《かんちく》」は、雲南の永昌[やぶちゃん注:雲南省保山市隆陽区永昌鎮附近。]に出づ。桶(をけ[やぶちゃん注:ママ。])・斛(ます)に爲すべし』。【「五雜組」に云はく、『羅浮(らふ)[やぶちゃん注:広東省に在る名山羅浮山。]の巨竹は、圍り、二十尺。三十九節、有り、節の長さ、二𠀋。≪と≫。】[やぶちゃん注:この割注は良安による挿入である。]。『「𥳍竹《じんちく》」は、舟船(しうせん)に爲すべし。』。【「五雜組」に云はく、『舜林《しゆんりん》[やぶちゃん注:東洋文庫の後注に、『『山海経』大荒北経に載っている帝舜(俊)の竹林。俊(俊)とは古代の聖帝の舜のこととも、またそれ以前の黄帝の孫の顓頊のことともいう。』とある。]中《ちゆう》の竹、船と爲すべし。猺人《えうじん》、大竹《おほだけ》を以つて、釜と爲す。物、≪煮(に)≫熟して、竹、灼《や》けず≪と≫なり』≪と≫。】[やぶちゃん注:同前で、良安の挿入。]。

 凡そ、「竹譜」の謂ふ所の竹、六十一種、悉く≪は≫、之れを、載せずして、『藥に入《いる》る≪竹≫』≪として、≫惟《ただ》、』「䈽竹」・「淡竹」・「苦竹」の三種を用ふ≪とするのみ≫【『「淡竹」を上と爲《な》す』と≪せり≫。】[やぶちゃん注:これも「本草綱目」にはないので、良安の附言である。]


『䈽竹(きん《ちく》)は』、 『性、堅く、促(みじか)き節、體《たい》、圓《まろく》して、質、勁(つよ)く、皮、白≪くして≫、霜のごとし。大なる者、宜しく、船を刺(さ)す≪棹に作る≫べし。細き者は、笛と爲すべし。』≪と≫。

『淡竹』≪は≫、 『卽ち、「甘竹」なり。「䈽≪竹≫」に似て、茂る。』≪と≫。

『苦竹は』、 『白、有り、紫、有り。其の筍《たけのこ》、味、苦《にがし》。』≪と≫。

 「堀川百首」

               仲實

 いにしへの

   七《しち》の賢《かしこ》き

  人もみな

     竹をかざして

          年《とし》そへにける


「五雜組」に云はく、『竹を栽《うゑる》に、特《ひと》り[やぶちゃん注:「特に」「とりわけ」の意。]、「竹醉日《ちくすゐじつ》」[やぶちゃん注:陰暦五月十三日の称。俗説に、「移植が難しい竹を、この日に植えるとよく繁茂する」とする。「竹迷日」「ちくすいにち」。「遠州茶道宗家公式サイト」の「竹酔日(ちくすいび)」によれば、中国の古書に、「この日は、竹が酒に酔っていて、移植されたことに気づかないため。」と記されていたことに由来するらしいが。根拠は不明。また、この日に竹を移植出来なくても、「五月十三日」と書いた紙を竹に貼るだけでも、同じの効果が得られるとされる、とあった。]に限らず、正月一日、二月二日、直ちに[やぶちゃん注:ここは「各月直ちに=順次に」の意。]、十二月十二日に至《いたり》、皆、栽うべし。大要《だいえう》[やぶちゃん注:大よそ。]、傷(そこな)はず≪して≫、其の根、多《おほく》、枝・梢を斫《き》り、風をして揺《ゆるが》されざる《樣に》せしめ、雨後に、之れを、移せば、土、濕(しめ)りて、活《いか》し昜《やす》し。竹、太くして、盛宻なる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、宜しく、之れを、芟(か)る[やぶちゃん注:「刈る」に同じ。]べし。然らざる時は[やぶちゃん注:「時」は同前。]、則ち、花を開きて、年を逾(こ)へ[やぶちゃん注:ママ。]て、盡く、死《しぬ》る。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、人の瘟疫《おんえき》[やぶちゃん注:流行病。]のごときなり。』≪と≫。

△按ずるに、竹は、諸草の中《うち》、長(たけ)、高し。故に、「多計《たけ》」と名づく。本朝にも亦、數種、有りて、今、唯《ただ》、「淡竹(はちく)」・「苦竹(まだけ)」、及び「紫竹(しちく)」・「筱竹(なよ《たけ》)」、多く、之れ、有り。其の他は、庭院に植《うゑ》て、以つて、弄《もてあそび》と爲すのみ。

苦竹(またけ)は、  眞籜竹(まかは《たけ》)なり【和名「加波多計《かはたけ》」。】。「本朝式」[やぶちゃん注:「延喜式」。]、「河竹」と爲《なす》。其の筍《たけのこ》の籜(かは)、紫斑《むらさきまだら》、味、苦、辛。其の竹、色、靑。節の間《あひだ》、促《みぢか》≪なら≫ず。大≪なる≫者、周(まは)り、一尺六寸、長《たけ》、六、七𠀋。

一種の「苦竹」≪は≫、痩地に生ずる者≪にして≫、大≪なる≫者、三、四寸。長、二𠀋許《ばかり》、節、高く、溝《みぞ》、㴱《ふかく》、以つて、墻(かき)・簀(す)に爲《つく》り、或いは、染家《そめや》、布帛《ふはく》を晒《さら》す柵《さく/たな》と爲し、「茂架籬(もかり)」と名づく【上を畧して、「賀里竹《かりだけ》」と曰ふ。】。

淡竹《は》、  白竹(はくちく)なり【俗、云ふ、「波知久《はちく》。」。】。其の筍≪の≫籜《かは》、白く、味、淡《あはく》甘し。其の竹も亦、色、白く節≪の≫間、「苦竹《まだけ》」より促《みじか》く、大≪なる≫者、四、五寸。長《たけ》、二、三𠀋【此の內《うち》にも亦、「賀里竹」、有り。】。

䈽竹《きんちく》≪も≫亦、「淡竹《はちく》」の種類か。未だ何竹《なにたけ》と云ふことを、知らざるなり。其の「苦竹《まだけ》」、山州の嵯峨・豆州《づしう》大島・和州の內山《うちやま》[やぶちゃん注:現在の奈良県天理市杣之内町(そまのうちちょう)の旧名。]・遠州瑞雲寺[やぶちゃん注:現在の静岡県浜松市中央区佐藤にある曹洞宗龍珠山(りゅうじゆざん)瑞雲寺附近。]・豊州・筑州、皆、佳《よ》し。信州木曾の山谷には、絕《たえ》て、之れ、無し。凡《すべ》て、北國《ほくこく》には少なし[やぶちゃん注:後注で考証するが、この最後の謂いは不審である。単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科マダケ属マダケ Phyllostachys reticulata は、青森県を北限としており、現在も植生しているからである。]。

  河竹《かはたけ》の

     なびく葉風《はかぜ》も

   年《とし》くれて

    三世《みよ》の仏《ほとけ》の

      御名《みな》を聞くかな 定家

凡そ、竹を斫《き》るに、秋を勝(すぐ)れりと爲す。冬、之れに次ぐ。春・夏のごときは、性、萌《めばへ》、弱《よはく》して、蛀(むし、いり)昜《やす》し。俗、「木六、竹八。」と謂ふ。言ふ心は[やぶちゃん注:「心」は送り仮名にある。]、木を伐るには、六月、竹に《✕→を》伐るには、八月、可なり。

凡そ、竹を栽《うう》るには、根に、死≪せる≫猫を、埋(うづ)みて、則ち、良し。「皂-刺《さいかち》」・「油-麻《ごま》」を畏《おそ》る。又、「滑海藻(あらめ)」を忌《い》む。≪滑海藻の≫煑汁を以つて、根に注げば、則ち、多《おほく》は枯《か》る。

凡そ、竹、材用に作《つく》る時、「鰻--魚(うなぎ)」を以つて、炙《あぶ》りて、薫(ふす)ぶれば、竹、則ち、年を經て、蛀(むしく)はず。

 


竹瀝(ちくれき) 「淡竹《はちく》」を用ふ【「苦竹《まだけ》」は、用に宜しからざるなり。】。

「本綱」に曰はく、『竹瀝【甘、大寒。】 暴《はげしき》中風《ちゆうぶ》・𦚾《むね》の中《なか》≪の≫大熱・煩悶・中風の不語《ふご》[やぶちゃん注:重度の言語障害。]を治す。痰、經絡≪の≫四肢、及び、皮裏《かはのうち》≪の≫膜≪の≫外《そと》に在れば≪良きなれども≫、此れに非ざれば、≪藥、≫達せず、行(めぐ)らず【薑汁《しやうがじる》を之れの使《し》[やぶちゃん注:補助薬。]と爲す。】。產後≪の≫虛《きよ》に、碍(さはり)あらず、胎前の子[やぶちゃん注:出産する前の胎児。]を損せず。大抵、風火燥熱《ふうくわさうねつ》≪に≫因《より》て、痰、有る者、之れ、宜《よろ》し。』≪と≫。[やぶちゃん注:「𦚾」は「胸」の異体字。「竹瀝」マダケ属クロチク変種ハチク Phyllostachys nigra var. henonis の稈(かん:竹の幹)を炙って流れ出る液汁。竹炭製品・炭化装置・蒸留装置の製造・販売を事業とする「株式会社 夢大地」公式サイト内の「竹瀝(ちくれき)」に『竹から収集されるとても貴重な成分で、一般的な作り方は、イネ科ハチク』 Phyllostachys nigra の『青竹の茎を火であぶって流れ出た液汁を竹瀝という。新鮮な竹棹を縦に割って火であぶると』、『両端から液が流れ出る。竹瀝はこれを集めたもので、青黄色ないし黄褐色の透明な液体で焦げた臭いがある。成分には、酢酸・ポリフェノール・クレオソール』(creosol4-メチルグアヤコール(4-methylguaiacol))・『ビタミンK・クロロフィルの他に』三百『種類以上の成分を含み高い抗酸化作用を有する』。『漢方では清熱化瘀・定驚・通竅の効能があり、痰家の聖薬といわれ、脳卒中や癲癇、ひきつけ、熱病、肺炎などで咽に痰の音がして胸が苦しいときに用いる。単独で服用させたり、生姜汁などと混ぜて服用する。また丸剤や膏剤として用いることが多い』。『熱病で粘調稠』(ねんちょうちゅう:粘り気のある痰を出すことか)『のあるときや』、『意識状態が混濁しているときに生姜汁・青礞石』(せいぼうせき:点紋緑泥片岩に曹長石が混じた岩石)『などと配合する(竹瀝達痰丸)。竹瀝は入手が困難なため、天竺黄』(本項で後掲される)『で代用することもあるそうですが、竹瀝は天竺黄よりも痰を除く作用が強いといわれています』とある。]

『「瀝」を取る法。竹を以つて、二尺の長さに作り、劈開《きりひらき》、磚(かはら)を以つて、兩片を對立し、竹を上に架《か》く。火を以つて、炙り、其の瀝を出《いだ》し、盤(さら)を以つて、之れを承《う》く【若《も》し、「寒濕胃《かんしつい》」・「虛腸滑《きよちやうかつ》」の人、之れを服せば、則ち、反《かへり》て、腸胃を傷《いた》む。】。』≪と≫。[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、「寒濕胃」には、『(体内の湿濁によって胃が苦しめられ、脹(ふく)れたり』、『浮腫となったりの症があらわれる)』とあり、「虛腸滑」には、『(白い粘液を伴った下痢の症)』とある。]

 


竹葉(たけのは) 淡竹葉《たんちくやう》

   【草に「淡竹葉」と云ふ者、有り。同名異物なり。】

『淡竹葉【辛苦、寒。】 新・久《きう》の風邪の煩熱《はんねつ》[やぶちゃん注:発熱して苦しむこと。その激しい熱症状を指す。]を除き、喘促氣勝《ぜんそくきしやう》の上衝《じやうしよう》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『はげしく上につきあげてくる症)』とある。]を止め、湯に煎《せんじ》≪て≫、收《をさま》らざる脫肛を洗≪ふ≫。根と同じく、煎じて婦人子宮の下脫するを洗ふ。』≪と≫。


竹筎(ちくじよ) 俗、云ふ、「竹の甘膚(あまはだ)」。

   【淡竹《はちく》を用ふべし。削去《けずりさり》て筠《かは》を皮肉《ひにく》の閒《あひだ》を取≪りて≫、用ふ。】

『氣味【甘、微寒。】 嘔啘《おうゑん》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『(嘔血か。嘔血は嘔吐とともに血を吐くこと)』とある。]・吐血・鼻衂(はなぢ)・五痔[やぶちゃん注:先行する「丁子」で既出既注。]・隔噎《かくいつ》[やぶちゃん注:先行する「楊櫨」の東洋文庫の割注に、『(食物がつかえてのどを通らない症)』とある。]・傷寒[やぶちゃん注:漢方で「体外の環境変化により経絡が冒された状態」を指し、具体には、「高熱を発する腸チフスの類の症状」を指すとされる。]・勞復《らうふく》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『(治った病が過度の疲労により再発すること)』とある。]・婦人≪の≫胎動[やぶちゃん注:通常より異常な胎動を指す。]・小兒≪の≫熱癇[やぶちゃん注:これは小児の「瘧(おこり)」で、概ね、熱性マラリアを指す。]を治す。』≪と≫。

△按ずるに、竹筎を用≪ひ≫て、糾繩(みつぐみのなは)[やぶちゃん注:「三つ組みの繩」か。後の「ミ」が異様に小さいので、暫く判読出来なかった。]に綯(な)ひ、火繩《ひなは》と爲して、以≪つて≫、行人《かうじん》の煙草(たばこ)の火、獵人《かりうど》≪の≫鳥-銃(てつぽう)の用と爲す。勢州鈴鹿(すゞか)の關に、之れ、作る者、多し。


竹實(たけのみ) 𥳇《ふく》

   【俗、云ふ、「自然穀(じねんこ)」。】

「本綱」に曰はく、『今、竹≪の≫閒《あひだ》に、時(ときどき)、花を開くを見る。小≪さく≫白《しろく》「棗(なつめ)」の花のごとく、亦、實《み》を結ぶ。小麥の子《たね》のごとし。氣味、無くして、濇《しぶ》る。飯《めし》と爲《な》≪して≫、食ふべし。之れを、「竹米《ちくまい/たけのこめ》」と謂《いふ》。以≪つて≫、「荒年の兆《きざし》」と爲す。其の竹、卽ち、死《か》る[やぶちゃん注:「枯る」と同義。]。必《かならず》、鸞《らん》・鳳《ほう》の食ふ所≪の≫者にも、非ず。』≪と≫。

『一種、「苦竹《まだけ》」の枝≪の≫上に生ずる者、有《あり》。大いさ、鷄子(たまご)のごとく、竹≪の≫葉、層層として、之れを包《つつむ》。其の味、甘《あまく》して、𮔉《みつ》に勝れり。大毒、有り。須《すべから》く、灰-汁(あく)を以つて煑ること、二度、煉《ね》り訖《をはり》て、乃《すなはち》、茹《ゆで》、食ふ。煉ること、熟せざる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、人の喉《のど》を戟《さ》す。血を出《いだし、》手の爪、盡く、脫(ぬ)けるなり。是れは、此《これ》、≪別の≫一物≪にして≫、恐らくは、「竹米」の竹≪の≫實と≪は≫、同《おなじ》からず。』≪と≫。

「古今醫統」云はく、『竹、多年なれば、則《すなはち》、米を生じて、死《か》る。初め、一根、米を生《しやうず》るを見る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、上の梢を截り去《さり》、地に近き三尺≪まで≫、通《とほ》して、節を去り、犬の糞を灌入(そゝぎ《いる》)れば、則《すなはち》、餘≪の≫竹、米を生ぜざるなり。』≪と≫。

△按ずるに、草の實に有「自然穀《じねんこ》」と云ふ者、有《あり》。麥と《✕→の》ごとし。竹≪の≫實、之れに、相似《あひに》たり。故、俗、「自然穀」と名づくか。天和壬戌《みづのえいぬ》の春[やぶちゃん注:一六八二年一月二十八日から四月二十六日まで。]、紀州熊野、及び、吉野山中、竹、多《おほく》、實≪を≫結ぶ。其の竹、高さ、四、五尺に過ぎず、枝、細くして、皆、小篠(こざゝ)≪なりき≫。其の實、小麥のごとく、一房《ひとふさ》、數十顆《すじふくわ》。山人、家《いへ》每《ごと》に、數十斛《しじふこく》[やぶちゃん注:六掛けで一万リットル強。約一升瓶六千本相当。]を收めて、以≪つて≫、食餌《しよくじ》と爲《なす》。翌年、春、夏に至《いたり》ても、然《しか》り。大《おほき》に荒年《くわうねん》の飢(うへ[やぶちゃん注:ママ。])を資(たす)く。後《のち》、五穀、豊饒(ぶによう)にして、米・粟《あは》、價ひ、半《なかば》に減ず。予≪も≫亦、直《ぢか》に之れを見る。然《さ》れば、則《すなはち》、荒年、極《きはま》つて、當に豊年と爲るべきの時、出《いづ》るか。


仙人杖(たけのこのとまり) 【草に「仙人杖」と名づく者、有り。枸-𣏌《くこ》も亦、名、同じくして、異物なり。】

      『「苦竹《まだけ》」・「桂竹《けいちく》」、多≪く≫、之れを生≪ず≫。』≪と≫。[やぶちゃん注:以上は「本草綱目」の「仙人杖」の引用。前の割注も「異物也」以外は同一の文字列である。而して、「桂竹」は、本邦には自生しない中国及び台湾産のタイワンマダケ Phyllostachys makinoi である。

「本綱」に曰はく、『凡《およそ》、筍(たけのこ)、竹と成《なら》んと欲する時、立《ただち》に、死《か》る者、色、黒きこと、𣾰《うるし》のごとし。五、六月、之れを收《おさめとる》。』。

『氣味【鹹、冷。】 嘔噦《おうえつ》[やぶちゃん注:吐き気。東洋文庫訳はルビで『からえづき』と振る。吐き気はするが、物も血も出ない様態である。]・反胃《はんい》[やぶちゃん注:「東洋文庫の、この「仙人杖」の直後の後注を配し、『(治った病が過度の疲労により再発すること)』とある。]、吐乳《とにゆう》≪には≫、水煮《みづに》して、之れを服す。《✕→し、》小兒≪の≫驚癎、及び、夜啼を治す。身≪に≫伴《とも》に置けば、𪾶《ねむり》を良≪くす≫。又、燒末《しやうまつ》して、之れを服す。』≪と≫。

[やぶちゃん注:後注で示すが、この「仙人杖」とは、前掲のマダケが、子嚢菌門Diaporthe 目の近年発見された新たな菌種に感染して発症した「黒色立枯病」(こくしょくたちがれびょう)に罹患した枯死個体を指すものである。


(たけのこ)  「柔滑菜《じうかつさい》」の下《もと》に出《いづ》。

竹を斑㸃に變ずる法。 「神仙巧法」に云はく、『磠砂《けんしや》【一錢[やぶちゃん注:三・七三グラム。]。】・青鹽《せいえん》【五分《ぶ》[やぶちゃん注:一・八七グラム。]。】・五倍子《ふし》【三分[やぶちゃん注:一・一二グラム。]。各《おのおの》、細末≪とす≫。】陳(ふる)き醋(す)を用≪ひて≫、調へ、意に隨《したがひ》て、竹子《たけのこ》の上に㸃じ在(お)き、火を用《もちひ》、炙《あぶ》り乾《かはか》せば、卽≪ち≫、黒斑を現ず。其の効、立処《たちどころ》に見る[やぶちゃん注:「処」は送り仮名にある。]。棕竹(しゆろ《ちく》)を㸃假《てんか》[やぶちゃん注:東洋文庫訳に割注して、『(斑点をつけることか)』とある。]するに、亦、是れ、此の藥を用ふ。』≪と≫。

[やぶちゃん注:『「柔滑菜《じうかつさい》」の下《もと》に出《いづ》』これは、「本草綱目」ではなく(実際に「本草綱目」には「卷二十七」の「菜之二」の「柔滑類」があるが(「漢籍リポジトリ」のここ[069-45a]以下にある「竹筍」だが、ここに書かれている内容は記されていない)、良安の「和漢三才圖會」の「卷第百二」の「柔滑類」の「筍」を指しているので注意されたい。国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の当該部をリンクさせておく。「神仙巧法」東洋文庫の「書名注」に『不詳』とする。「磠砂」塩化アンモニウム(NH4Cl)の古名。食品添加物。「五倍子《ふし》」白膠木(ぬるで:ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の虫癭(ちゅうえい)。当該ウィキに、『葉にできた虫』癭『を五倍子(ごばいし/ふし)という。お歯黒の材料にしたり、材は細工物や護摩を焚くのに使われる』とある。グーグル画像検索「ヌルデの虫癭」をリンクしておく。「青鹽」平凡社「世界大百科事典」の「青白塩」に、『黄河オルドス』(現在のオルドス盆地、又は、陝甘寧盆地と呼ばれる広域。中国の陝西省・甘粛省・寧夏回族自治区・山西省・内モンゴル自治区に跨る地域)『の内陸乾燥地の湖でとれる塩。陝西と寧夏の境域』、『塩州五原付近には』『烏池(うち)』・『白池など多数の内陸塩湖があり』、『その色合いから青塩』、『白塩と呼ぶ良質の塩を産した。唐から宋初にかけて』、『この一帯に住むタングート(党項)族は』、『これを中国向けの主要な貿易品としてきた』とあった。]


(たけのかは)【音「託」。】 笋《イン/たけのこ》の皮《かは》

      【「太介乃古乃加波《たけのこのかは》」。】

△按ずるに、籜、以≪つて≫、履《ざうり》に織るべし。笠に縫亦ふべし。又、「膠飴(ぢわうせん)」を裹《つつ》むに堪《たへ》たり。淡竹《はちく》の籜は、淡赤≪の≫乾《かは》き色。苦竹《まだけ》の籜は、黃≪にして≫、黑㸃、有《あり》て、潤色《じゆんしよく》。山城嵯峨を上《じやう》と爲≪し≫、丹波、之れに次ぐ。若狹・豊後、亦、之れに次ぐ。筑前・安藝、其の次なり。

[やぶちゃん注:「膠飴(ぢわうせん)」「地黃煎」である。この場合は、「水飴」(みずあめ)のことである。漢方の地黄(解説すると長くなるので、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 枸杞蟲」の私の注を見られたい)を煎じたものに、水飴を混ぜて、飲み易くしたのが元で、後にただの水飴や、竹の皮に引き伸ばした飴(今の「笹飴」)や、固形の飴の名称となったものである。]


竹黃(ちくわう) 竹膏《ちくかう》 天竺黃《てんじくわう》

「本綱」に曰はく、『竹黃は、諸竹の內に、生ずる所、黃土(わうど)のごとく、竹に着《つき》て、片を成《なす》者、徃徃《わうわう》、之れを、得。今≪の≫人、多《おほく》、燒《やき》て、諸骨、及び、葛粉《くずこ》等を、之に雜(まぜ)る。』≪と≫。

『氣味【甘、寒。】』 『小兒の驚風[やぶちゃん注:ひきつけ。]・天弔(てんちやう)[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『天釣(てんちょう)とも書く。心肺の積熱によって生ずるひきつけの一種。また脳脊髄炎で眼球がそりかえったり、手がひきつる症。』とある。]を治す。諸風熱を去り、心を鎭(しづ)め、目を明《あきらか》にし、金瘡を療ず。中風《ちゆうぶ》≪の≫失音・不語、小兒≪の≫客忤癇疾《きやくごかんしつ》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『不意に人やものに恐れおびえて、ひきつけのような症状を呈するもの。』とある。]を治す。』≪と≫。

△按ずるに、天竹黃《てんぢくわう》は、卽《すなはち》、諸竹、三、四月、斫《き》る者、日を經て、之れを破裂《やぶりさ》くに、內に、多《おほく》は、天竹黃、有り。蓋し、濕熱、內に熾《さかん》≪にして≫、暑熟、外より蒸《む》せて、自《おのづから》、蛀《むしくひ》を生じて、然《しか》るか。未だ蟲の形を見ず。黃粉≪にして≫輕虛なる者なり。藥肆《やくし》に、「筱竹(しの《だけ》)」の外の節《ふし》に有る所の黃粉《わうふん》を取《とり》て、「竹黃」に𭀚(あ)つ≪る事あれども、其れ、≫用ふべからず。

一種、「竹の蛀屎(むし《くそ》)」、有り。古竹《ふるだけ》≪の≫蠧《きくひむし》を生≪ぜし≫者、內肌《ないひ》、食盡《くひつく》≪され≫、小孔《しやうこう》有り、腐爛して、白≪き≫粉を生《しやうず》。此≪れ≫、「天竹黃」と≪同≫一≪なる如き≫物≪なるも≫異品なり。瘡-癤《かさ》≪の≫膿爛《うみただれ》≪たる≫者、之れを傅《つけ》て、癒《いゆ》。

[やぶちゃん注:「竹黄」後注するが、これは、竹の竹の枝先に寄生した菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門クロイボタケ綱プレオスポラ亜綱Pleosporomycetidaeプレオスポラ目 Pleosporales(所属科未確定= Incertae sedis:インケルタエ・セディス))マダケ赤団子病菌 Shiraia bambusicola によって生じた、枝を巻き込むような、見た目はかなりグロテスクな塊り(結節)を指す。とある中文サイトでは「竹の結石」と表現していた。

 

[やぶちゃん注:本電子化注には、食事と家の仕事、及び、通院の時間を除き、実働は、間違いなく、七十時間を有に越えた「植物部プロジェクト」始動以来、最大の難物であった。それだけに、細部に慎重な再校正を施した。また、通常より長いため、読者の便を考え、訓読文の中への割注を普段より、かなり多くしてある。これは、

単子葉植物綱イネ目 Poales イネ科 Poaceae タケ亜科 Bambusioideae タケ連 Bambuseae のタケ・ササ類

の総論である。無論、「本草綱目」の引用する竹には、本邦に自生しない種が多くあるものと思うが(「維基百科」の「竹族」Bambuseaeの漢名属リストの何んと多いことか!)、特に漢名のみのもの、また、和名が同じでも、異なる種であると疑わられるもの以外は、同定比定考証はしなかった。

当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『竹(タケ)は、広義には、イネ目イネ科タケ亜科』Bambusoideae『に属する植物のうち、木本(木)のように茎(稈)が木質化する種の総称』である。『本項では便宜上、狭義のタケを「タケ」、広義のタケを「タケ類」と表し、タケ類全体について述べる。ただし、「タケ類」はタケ亜科、あるいは狭義のタケの意味で使われることもあるので、注意を要する。漢字の「竹」は人文・産業的な文脈に限って用いる。竹は英語でbambooであるが、「バンブー」と「竹」は狭義の意味で区別されるので注意が必要である』。『タケは気候が温暖で湿潤な地域に分布し、アジアの温帯・熱帯地域に多い。ササは寒冷地にも自生する。タケ、ササの分布は北は樺太から南はオーストラリアの北部、西はインド亜大陸からヒマラヤ地域、またはアフリカ中部にも及ぶ。北アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカの大部分には見られない』。『稈の丈は代表種であるマダケなどで』二十メートル『を超える。稈はとても強く』、『大きくしなっても簡単には折れない』。『通常は、地下茎を広げ、地下茎からタケノコが直接生えることでふえていく。これは、無性生殖の一種である栄養生殖である。次々とタケノコが生えることによって生息域を広げて竹林となるが、これらの竹はすべて遺伝子が同一のクローンである。このようにしてふえた(』一『本の)竹には寿命があるので、やがて竹林全体が花を咲かせて有性生殖を行い、子孫をつくったのちに一斉に枯死する。花が咲くことは極めてまれで、花が咲くときは』四『月から』五『月にかけてである』(私が初めて見たのは一九六八年三月中旬で、今いる鎌倉(と言っても今の二階の寝室の窓の近くの、それを見た裏山は藤沢市である)から富山に引っ越す直前であった。玉縄小学校を卒業した直後である。実も手で擦りほぐして生で食べた。生憎、味は覚えていない。父が前年から単身赴任しており、不安を抱えていた母は竹の花を見て、不吉な予兆を口にしていたのを思い出す。今も斜面に群生しているが、恐らくは、様態と場所等から、タケ亜科メダケ(雌竹)属メダケ Pleioblastus Simonii と思われる)。『一部のタケ類は周期的に開花し』、『一斉に枯れることが知られている。その周期は極めて長く、ハチク』(淡竹・甘竹:マダケ属クロチク変種ハチク Phyllostachys nigra var. henonis )、『マダケ』(真竹:マダケ属マダケ Phyllostachys reticulata)『の場合は約』百二十『年周期であると推定されている。しかし、まだ周期が分かっていない種類も多い(日本におけるモウソウチク』(孟宗竹:マダケ属モウソウチク Phyllostachys edulis )『の例では、種をまいてから』六十七『年後に一斉に開花・枯死した例が』二『例』(一九一二年と一九七九年/一九三〇年と一九九七年)『報告されている)。竹の種類によって開花周期に幅が見られるが、一般にはおおよそ』六十『年から』百二十『年周期であると考えられている』。『タケ類は成長力が旺盛で、ピークの時は』一『日で』一『メートル以上』、『成長する。生長は極めて早く、マダケではタケノコから成竹になるまで』三十『日という記録がある。竹林の近くにある民家の中に竹が侵入する(タケノコが生える)被害もある。放置された竹林で地滑りの発生が多いという研究も報告があり、事例も複数報告されている。また放置竹林によって山地が覆われ、元々植生していた広葉樹や針葉樹の光合成が妨げられ、生物多様性が損なわれ、結果として森林の減少を招くという問題も起こっており、各地で対策が講じられている』。二〇一七『年、林野庁によると、全国の竹林面積は』二〇〇二『年』で『約』十五『万』六千『ヘクタール』、二〇一七『年』で『約』十六『万』七千『ヘクタールと増え、都道府県別竹林面積は、鹿児島県』一『万』七千九百二十七『ヘクタール、大分県』一『万』四千四十二『ヘクタール、福岡県』一『万』三千六百十九『ヘクタール、山口県』一『万』二千一『ヘクタール、島根県』一『万』千百五十七『ヘクタールなど。竹材の生産は』一九六〇『年は年間約』四十『万トン』であったが、二〇一〇『年』に『は』三『万トンを切った』。『乾燥が十分なされたものは硬さと柔軟さを備えており、古来より様々な用途に使われてきた』。『竹細工の材料、建材などのほか、繊維を利用して竹紙も作られている。竹酢液や竹炭としても利用される。前述した放置竹林の問題においても、これらの素材としての活用を求め、様々な研究、試行錯誤が行われている』。『タケの芽を筍と呼び、食用とする』。『葉を食料として利用する動物もおり、ジャイアントパンダはこれを主食としている』。『モウソウチクを除く種の多くは、限られた地域でしか生育しないことが多い。その理由は不明である』。『タケが草本か木本かは意見が分かれている。多くの草本類と同じく茎にあたる稈に年輪は見られないが、一方で木本類のように堅くなる性質がある。また、通常の木本と異なり』、『二次肥大成長はせず、開花後は枯死することが多い。分類上も、タケは単子葉植物であるイネ科植物で、イネ科をはじめとする単子葉植物は大半が草本として扱われている。このようにタケには草本の特徴が多く見られるため、タケを多年草の』一『種として扱う学説が多い』。『タケ類はイネ科タケ亜科に属する。熱帯性木本タケ類と温帯性木本タケ類の』二『つの系統を合わせてタケ連として扱うこともある。タケ亜科にはタケ連のほかに Olyreae 連が属するが、Olyreae 連は典型的な草本であり、タケ連のような木質の茎を作らない』。『Sungkaew et al.2009)の分子系統学的解析によると、タケ連は単系統ではなく、熱帯性木本タケ類と温帯性木本タケ類の』二『つの系統に分かれる。熱帯性木本タケ類が Olyreae と姉妹群となり、温帯性木本タケ類はそれら全体と姉妹群である。彼らはこの結果から、温帯性木本タケ類を Arundinarieae 連に分割すべきとしている』。『タケ類は熱帯性木本タケ類と温帯性木本タケ類の』二『つの系統に分かれ生育型が大きく異なる。このことから、分類学的には従来、タケ連(Bambuseae)にまとめられていた。しかし、その後の研究によって単系統ではないことが判明し、分割が提案されている』。『温帯性木本タケ類は地下茎で生育繁殖するが、熱帯性木本タケ類は分蘖(株分かれ)によって株立ち状になる』。『バンブーは、熱帯地方に産する地下茎が横に這わず』、『株立ちになるもののことを指す場合がある。紙パルプ業界にはタケとバンブーの区別がある』。『タケは狭義にはササと区別され、稈が成長するとともにそれを包む葉鞘(竹皮)が早く脱落してしまうものをタケといい、枯れるまで稈に葉鞘が残るものをササという』。『一般的には丈の低いものが笹竹の略とされる。しかし、オカメザサ』(タケ亜科オカメザサ属オカメザサ Shibataea kumasaca )『のように膝丈ほどのタケや、メダケのような背の高いササもある。名前に「○○ダケ」「〇〇チク」「〇○ザサ」とついていても実際のタケやササの判断とは異なる場合がある』。(☞)『ちなみに、日本に見られるタケの多くは帰化植物と考えられ、一部種類には日本野生説もあるが、ほとんどは中国原産である』(☜)。『ササは日本産のものが多くあり、地方変異も数多い』。『竹皮の着生』は、『タケは生育後』、『落下するが、ササは生育後も着生している』。『葉の形態』は、『タケは格子目があるが、ササにはそれがなく』、『縦に伸びる平行脈である』。『開花』は、『タケは約』百二十『年周期、ササは』四十『年から』六十『年周期で』、『どちらも開花後には枯死する』。『日本ではタケは青森県(本州北端)から九州の広い範囲で見られるが、ほとんどは帰化植物と考えられる。ササは北海道や高山地帯にも自生する』。『タケ類の種は、世界で』六百『種とも』千二百『種とも言われる。日本には』百五十『種、あるいは』六百『種があるといわれる(いずれも学説によって異なる)。 日本に生育するタケ類のうち、代表的なものを以下に挙げる』(漢字表記は私が附した)。

マダケ Phyllostachys bambusoides

モウソウチク Phyllostachys heterocycla f. pubescence

ハチク Phyllostachys nigra

ホテイチク Phyllostachys aurea (布袋竹)

キッコウチク Phyllostachys heterocycla f. heterocycla(亀甲竹)

ホウライチク Bambusa multiplex(蓬莱竹)

ナリヒラダケ Semiarundinaria fastuosa(業平竹)

チシマザサ(ネマガリダケ)Sasa kurilensis(千島笹・根曲り竹)

トウチク Sinobambusa tootsik(唐竹)

シホウチク Chimonobambusa quadrangularis(四方竹:本種は鈍四稜形の茎を有することから)

カンチク Chimonobambusa marmorea(寒竹:単に晩秋から冬にかけて筍が出ることに由来するだけで、耐寒性種であるからではない)

ヤダケ Pseudosasa japonica(矢竹:シノダケ(篠竹)の別名がある。当該ウィキでは『本州以西原産で四国・九州にも分布する』とするが、辞書類を見ると、どれも、台湾・朝鮮半島・中国の一部にも植生するとある。種小名に騙されないように)

メダケ Pleioblastus simonii

以下、「病気とその利用」の項。『竹笹類に寄生する菌類には、細菌類、藻菌類、古生菌類などの菌類がない点で、近縁のイネ科植物と異なる』。一九六一『年頃の情報では、子嚢菌類が』四十三『科』二百十九『属』四百五十四『種、 担子菌類が』二十『科』五十『属』九十七『種、不完全菌類が』十『科』百六『属』百九十五『種である』。二〇二四『年時点で、「日本植物病名データベース」『(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)に集められているマダケ類病名一覧では』、三十『種以上の名前が挙げられている』。『通常、罹患した植物は商品価値が下がるものであるが、特徴的な模様が出る場合は』、『虎斑竹、彪紋竹、日向斑竹、涙斑竹、祖母斑竹、瓔珞斑竹、胡麻竹などと呼ばれ、正倉院に収蔵された御物や平安時代に書かれた』「延喜式」『にも』「斑竹」『の名があるように古来から価値が見いだされている』。『虎斑竹(虎竹)』『虎斑菌(』一九〇七『年に日本人の植物学者川村清一によって Miyoshia 属が新設されるが後に  Miyoshiella 属に改定)に感染することでトラの毛皮のような斑点ができた竹。特徴的な虎模様をもつことから、利用される』。『湘妃竹』は『中国の斑がある竹、病原菌の影響と考えられているが』、『病原菌の特定がされていない』。以下、「利用価値が下がる菌類・病気」の項。『朱病菌( Stereostratum corticioides 、赤衣菌)』は『イギリスの探険船チャレンジャー号が神戸に寄港した際に採取して』、一八七八『年にイギリスの菌類学者Berkeleによって竹笹類で初めて報告がなされた病原菌である。冬胞子堆ができる』。『タケ類天狗巣病』は『麦角菌科の糸状菌の一種( Aciculosporium take )によって、枝に菌』瘤(こぶ)『ができ、罹病枝が箒状・鳥の巣状になり、成長が衰え、最悪の場合は枯れる。罹病竹や老齢竹を間引きして焼却処分することで対策される』。以下「利用」の項。『ある程度大きく育った竹から、水を通さない硬い節で複数に仕切られた稈(かん)と呼ばれる茎などが得られる。伐採後に乾燥させた竹の稈は強靭であり、細工が容易で、木材に乏しい弾力性に富んでいる。そのため、和弓や釣竿など、ばね性の必要な製品の素材として古来広く利用されてきた』。『竹竿は内部が空洞なので、管としての性質を強く持つ。つまり、しなやかで強い素材である。しかもそれを構成するのが細長い繊維細胞であり、これも管である。したがって、特に引っ張りには強い。しかし、横からの力には管が壊れる形での破壊が起こりやすい。また、荷重を支えるのには向かない。状況に応じ、そのまま、また、割って細い板状にして使用される。横からつぶしたものはロープのようにも使用される。さらに細い棒状にしたものは竹ひごと呼ばれる。木とは異なり竹を割り竹にするときは穂先から根元方向に割るとほぼ均等に割れる(俗に木元、竹うらという)』。『伐採したままの竹を青竹(実際には緑色)と呼ぶ。火で焙ったり(乾式)、苛性ソーダで煮沸したり(湿式)して油抜きをした晒し竹、ある程度炭化させた炭化竹、伐採後に数カ月から数年間自然に枯らしたもの、家屋の屋根裏で数十年間囲炉裏や竈の煙で燻された煤竹と、種々の素材が得られる。これらは弾力性、硬さ、耐久性などが異なり、利用目的によって使い分けられる。 青竹は容易に入手できるが、耐久性に問題があり、晒し竹や炭化竹に加工することでその問題点は改善する。煤竹は独特の色(煤竹色)をしており、硬く、耐久性に富むが、入手は困難である』。『桿はほぼ円柱状で中空であり、軽量、丈夫でよくしなる。そのため釣り竿や棒高跳の竿などの特殊な使用例がある』。『伐採年齢は』四『年以上のものが強度、収縮率、比重などから良いとされている。また、伐採時期については、夏から初秋にかけての地下茎の成長期に貯蔵栄養分が糖として利用されるため』、二『月から』八『月(にっぱちと俗にいう)に伐採すると害虫の影響などで耐久期間が短く』、『長期保存に向かなくなるといわれている』。以下は、本項に関係のありそうな、或いは、文化的興味深い項目・解説のみをチョイスした。「生薬」の項。『ハチクまたはマダケの葉は、竹葉(ちくよう)という生薬で、解熱や利尿の作用がある』。『葉を酒に漬けて香りを付けた竹葉青というリキュールが中国にある』。『ハチクまたはマダケの茎の外層を削り取った内層は竹茹(ちくじょ)という生薬で、解熱、鎮吐などの作用がある』。『ハチクの茎を火で炙って流れた液汁は、竹癧(ちくれき)という生薬である』「繊維原料」の項。『竹の内側にある薄紙と、竹を発酵させて得た繊維を漉いて作った紙を竹紙と呼ぶ』。『中国』の『四川省や広西チワン族自治区などの一部製紙工場は竹を原料としたパルプを製造し、紙にまで加工している』。『竹酢液は除菌・殺菌や消臭剤、防虫剤として使われる』。『粉末にした竹(竹粉)は土壌改良に使われる。堆肥などとともに農地にすき込むことで、土中に空気の層ができて農作物の根の張りが良くなるほか、竹粉に付着している乳酸菌が病原菌や雑草を抑える効果がある』。『古代、紙の発明以前は中国および近隣の朝鮮・日本では、紙の代りに木簡および竹簡が広く使われた。しかし、日本では竹簡の使用例は少ない』。「習俗・慣習」の項。『青々としてまっすぐ伸びる様子から、榊(さかき)とともに清浄な植物のひとつとされている』。『地鎮祭などの神事において、不浄を防ぐために斎み清める場所の四隅に立てる葉付きの青竹を、斎竹(いみだけ)という。青竹には清浄な神域を示す注連縄を張り廻らせ、紙垂(しで)を垂らす』。『竹は種類によるが、前述のように』非常に長いスパンで一『度』、『花を咲かせ、結実し枯れる。花が咲くと竹が枯れ、地下茎で繋がった』一『個体の竹は』総て『枯れる。昔は、竹の花はめったに咲かない、咲くのは凶事、冷害凶作の兆候など、悪いことが起こる前兆のように言われていた。竹は花が咲くと枯れるが、大抵は寒冷・乾燥など凶作になりそうな気候条件のときに竹の花が咲くといわれている』(本文の「竹實」の「自然穀(じねんこ)」にも救荒植物としての事実が記されてある)。『地震のときに竹藪へ逃げろ、という言い伝えは、つながった地下茎で地面が守られているという理由から来ている』が、これはアウト! である。朔太郎じゃないが、地下茎がウジャウジャと伸びる結果、土はボロボロになり、大きな地震では、竹林全体が崩れてしまう危険性が高いからである。『竹の花がつける実は野鼠の餌となる。非常に稀な出来事であるため、平時の食物連鎖ではあり得ない野鼠の大量発生を引き起こし、急増した野鼠が他の植物などを食害することが知られている。この現象はインドでmautam''bamboo death)と呼ばれ、壊滅的な農業被害が発生している。このことから「竹の花は不吉の前兆」とする民間伝承が生まれた』という。『松、竹、梅』三『つをあわせて松竹梅(しょうちくばい)と呼び、縁起が良いものとされる。元は歳寒三友と呼ばれ』、『中国画での画題が日本に伝わったもので、符牒としても使われる。他にも竹・梅・蘭・菊を合わせた四君子などもある』。『竹の都』とは、『伊勢神宮に仕えた斎宮』(いつきのみや)『の古称、別称』である。「竹植うる日」は『陰暦』五月十三日で、『夏の季語』。『この日に竹を植えると枯れないという中国の俗信がある。竹酔日』(以下とともに本文に出る)。『竹八月に木六月』は『伐採に適した時期、陰暦』月である。

 「本草綱目」の引用は、基本、「漢籍リポジトリ」の「卷三十七」の中で続く「木之五」の「苞木類」([090-19b]以下)の「竹」及び「竹黄」・「仙人杖」のパッチワークではあるが、それ以外の中国の書籍からの引用も含まれる。

「苞木類《はうぼくるゐ》」この意味が、私にはよく判らない。中文サイトを見ると、「掌のような木」とあるが、竹類の葉の形から、判ったような気もするものの、今一、晴れない。「廣漢和辭典」を見ると、②に『もとねもと。草木の根本。』とあり、更に見ると、③で『つつむ。』で『包』と同じとする。⑤で『つとつつみ。』とする。掌のように物を包むのは、確かに粽や笹飴・笹団子でしっくりはくる。しかし、私は製品としての「包むもの」というのが、この意味で、生体である竹を指すようには思えないのである。すると、後の⑥に『むらがるむらがりはえる。』とある。竹や笹の植生には、まあ、しっくりくる。しかし、さらに⑧に『木の根がいりくむ。』とあって、これは、まさに朔太郎の「竹」の如く、地にモジャモジャと蔓延る根の様が想起されて、『これぞ! 竹の根だ!』と快哉を叫んだ。見当違いであっても、私はこれをメインとして、前の意味をハイブリットで勝手に納得したものである。

『「篁《こう》」は、竹の聚《あつまり》なり』「太加無良《たかむら》」「篁」の字の「皇」は「広く高い」の意で、かく訓読する。

「籜(かは)」原義が「竹の上皮」の意。

「笋(たけのこ)」この漢字は「筍」と同字。

「濇《しぶ》≪し≫」ここは「渋い」の意ではなく、反対語で「滑らかでないさま」の意。

「實心竹《じつしんちく》」タケ亜科マダケ属水竹(中文名)品種實心竹(中文名)Phyllostachys heteroclada f. solida 「維基百科」の同種を見よ。本邦には自生しない。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。節の長さが、有意に異なること、真っ直ぐではなく、単節がかなりはっきりと違った角度で伸びているのが、面白い。

「暴節竹(こさん《ちく》)」幾つかの類似性から、候補は、マダケ属ホテイチク Phyllostachys aurea を挙げたい。複数の中文サイトで、これは「笻竹」であるとあるのだが、当該ウィキによれば、『別名多般竹、鹿児島県では』(☞)『コサンダケ(小桟竹・虎山竹・五三竹)と呼ばれ、奄美大島ではくさんでー、だーなとも言う』。『直径』二~五センチメートル、『高さ』五~十二メートル『の中形の竹。表面に毛は無いが、底部には白く短い毛がある』。『枝先に葉が』二~五『枚』、『付く。花は穂状に付き、長さ』三~八ミリメートル。『原産は中国の長江流域、または浙江省、福建省の』『山地で、黄河以南の山野に分布する』。『ベトナムではバックカン省など、北部に分布する。日本や台湾などにも移入され、自生化している。開花周期は』六十~百二十『年』。『稈の基部から枝下あたりまでの節が斜めになって、節間が不規則に短く詰まって膨らんでいる。それが七福神の布袋の膨らんだ腹を連想させることから布袋竹と名付けられた。中国では「人面竹」と呼んでいるが、布袋と同じ連想の「羅漢竹」、「寿星竹」、「仏肚竹」や、「観音竹」、「邛竹」』(☜)『などの別名もある』。『同様の節の形を有するモウソウチクの変種はキッコウチク(亀甲竹)』(モウソウチク品種(突然変異とも)Phyllostachys heterocycla f. heterocycla )『と呼ばれ、その直径は約』十センチメートル『でホテイチクよりも太い』とある。また、そこにある「ホテイチクの根元付近の稈」の画像は「暴節」「𥗼砢」と言うに相応しくはなかろうか?【二〇二四年十一月十五日追記】☆「暴節竹」に進み、考証した結果、百%、ホテイチクに比定同定した。☆

「無節竹《むせつちく/ラウだけ》」種不詳。「ラウだけ」としたのは、小学館「日本国語大辞典」の「ラウ【羅宇】」に、『地名ラオスから』とし、異表記として『ラオ』を挙げ、『キセルの火皿と吸い口をつなぐ竹の管。また、それに使う竹。ラオス産の斑紋のある竹を用いたところからいう』とあって、引用例に『無節竹 今俗云良宇』とあり、これは『多識編』寛永八(一六三一)年刊の『三』とするのに拠っただけのことである。しかし、「空心《くうしん》」で「通竹《つうちく》」などという竹はあるんだろうか? 疑問だ。

「篃竹(び《ちく》)」これは複数の中文サイトで「箬竹」の別称「竹」を挙げているので、オオバヤダケ(大葉矢竹)属オオバヤダケIndocalamus tessellatus としてよい。Shu Suehiro氏のサイト「ボタニックガーデン」の「おおばやだけ(大葉矢竹)」のページに、『中国の中部、四川省に分布しています。標高』千四百~二千四百『メートルの山地に生え、桿は細く、高さは』〇・五~二・五『メートルになります。葉の長さは』二十五~三十『センチ、大きなものでは』六十『センチにもなります。わが国では九州の鹿児島市だけに見られます。ヤダケ属に分類されることもあります。別名で「じゃくちく(箸竹)」とも呼ばれ、中国名では「箸竹(ruo zhu)」』とあった。

「笛竹《てきちく》」豈図らんや、不詳。識者の御教授を乞う。

「篔䈏竹(うんたう《ちく》)」「由吾竹《いうごちく》」「䈏竹《ふくちく》」「漢竹《かんちく》」総て不詳。同前。

「五雜組」複数回既出既注。初回の「柏」の注を見られたい。以下は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここにあるものを参考に示しておくが、そこでは、節の数を「二十九」とする。「中國哲學書電子化計劃」でも「二十九」であるので、良安の誤りか、誤刻であろう(コンマは読点に代えた)。

   

高潘州有疏節之竹、六尺而一節。黎母山有丈節之竹、臨賀有十抱之竹、南荒有芾竹、其長百丈。雲母竹一節可為船。永昌有漢竹、一節受一斛。羅浮巨竹、圍二十尺、有二十九節、節長二丈。此君、巨麗之觀、一至於此。

   *

「𥳍竹《じんちく》」不詳。「山海經」絡みだと、実在は怪しいな。同前で、引いておく(少し手を加えた)。

   *

廣南多巨竹、剖其半、一俯一仰、可以代瓦。「桂海虞衡志」載徭人以大竹為釜、物熟而竹不灼。少室山竹堪為甑。「山海經」、舜林中竹、一節可為船、蓋不獨為椽已也。

   *

「猺人《えうじん》」東洋文庫訳に割注して、『(広東・広西・湖南・雲南に住む少数民族)』とある。

「竹譜」東洋文庫の書名注に、『一巻。晋の戴凱之(たいがいし)撰。七〇余の竹類をとりあげ、四言の韻語をもって叙述してある。』とある。作者は南北朝劉宋の植物学者である。「漢籍リポジトリ」のここで、「欽定四庫全書」の「子部九」から、一巻総てが視認出来る。そこを見ても、採録している竹の総数は判らないが、「維基百科」の「戴凱之」の最後に、「竹譜」について、『全書記述了六十一種竹類植物』、『是中國最早的一部竹類植物專著』とある。

「䈽竹(きん《ちく》)」調布市の「つゆくさ医院」公式サイト内の「つゆくさONLINE」の「竹葉(チクヨウ)」の記載の中に、『『本草綱目』によると「竹葉」には、「淡竹」「甘竹」「䈽竹(キンチク)」「苦竹」があり、「淡竹」はハチク P. nigra Munro var.henonis Stapf ex Rendle、「甘竹」は淡竹の属、「苦竹」は、マダケ P. bambusoides Siebold et Zuccarini である。すなわち、『名医別録』にある 「淡竹葉」は、ハチクのことを示している。また、『本草綱目』中には、「張仲景、猛詵は、このうち淡竹葉を上とした」という記載があり、古くは、薬用にハチクを重用していたことが伺える。なお、「䈽竹」は『古方薬議』によるとカシロタケがあてられている』とあった(学名が斜体でないのはママ)。この「カシロダケ」というのは、マダケの品種 Phyllostachys bambusoides f. kashirodake である。良安先生、ということです。

「いにしへの七《しち》の賢《かしこ》き人もみな竹をかざして年《とし》そへにける」「仲實」「堀川百首」の中の藤原仲実(なかざね)の一首。日文研の「和歌データベース」のここで確認した「雑」の部にある(01319番)。

『「五雜組」に云はく、『竹を栽《うゑる》に、特《ひと》り、「竹醉日《ちくすゐじつ》」に限らず、……』同前で、当該部(一部が略されてあるので、そこも含んで)引いておく(例によって手を加えた)。

   *

「栽竹無時。雨過便移、須留宿土、記取南枝。」。此妙訣也。俗說五月十三為竹醉日。不特此也、正月一日、二月二日、三月三日、直至十二月十二日、皆可栽。大要、掘土欲廣、不傷其根、多砍枝稍、使風不搖、雨後移之、土濕易活、無不成者。而暑月尤宜、蓋土膏潤而雨澤多也。

宋葉夢得善種竹、一日過王份秀才、曰、「竹在肥地雖美、不如瘠地之竹、或巖谷自生者、其質堅實、斷之如金石。」。夢得歸而驗之、果信。余謂不獨竹為然、凡梅、桂、蘭、蕙之屬、人家極力培養、終不及山間自生者、蓋受日月之精、得風霜之氣、不近煙火城市、自與清香逸態相宜、故富貴豢養之人、其筋骨常脆於貧賤人也。

栽花竹根下、須撒穀種升許、蓋欲引其生氣、穀苗出土則根行矣。

竹太盛密、則宜芟之、不然、則開花而逾年盡死、亦猶人之瘟疫也。此余所親見者。後閱「避暑錄」、亦載此。凡遇其開花、急盡伐去、但留其根、至明春則復發矣。

   *

『竹は、諸草の中《うち》、長(たけ)、高し。故に、「多計《たけ》」と名づく』小学館「日本大百科全書」の「タケ」の「語源」に、『タケは、英語ではbamboo、ドイツ語ではBambus、フランス語ではbambouと書き、いずれもマレー語のbambuから転訛』『したもので、これは、山火事などのとき、タケの稈の空洞が熱気のため破裂する音からきているといわれる。タケの語源については、一般に、タは高きの義、ケは木の古語、すなわち「高き木」の意味であるという説が採用されている。またタケノコの成長が速いことから「痛快茎延(いたくきは)え」が詰まってタケになったともいわれる。タケは万葉仮名で多気、多介、太計、陀気などと書き、現在一般に使われている竹は漢字であって、タケの葉の容姿から出た象形文字である』とある。

「紫竹(しちく)」既に示したカンチクの異名。「筱竹(なよ《たけ》)」タケ亜科メダケ(女竹・雌竹)属アズマネザサ(東根笹)Pleioblastus chino の異名。「なよたけ」も固有名詞としては、本種の別名ともされる。

「河竹《かはたけ》のなびく葉風《はかぜ》も年《とし》くれて三世《みよ》の仏《ほとけ》の御名《みな》を聞くかな」「定家」これは「六百番歌合」(建久三(一一九二)年に九条良経が企画した百首歌による歌合)にある一首(東洋文庫訳では、「夫木和歌抄」からと補訂するが、これは誤りである)。水垣久氏のサイト「やまとうた」の「六百番歌合 目録・定家番抜書」で確認した(0591番)。

「皂-刺《さいかち》」マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ(皂莢)属サイカチ Gleditsia japonica

「滑海藻(あらめ)」不等毛植物門 Heterokontophyta 褐藻綱コンブ目レッソニア科 Lessoniaceae アラメ(荒布)属アラメ Eisenia bicyclis 。博物誌は、私の「大和本草卷之八 草之四 海藻類 始動 / 海帶 (アラメ)」を見られたい。

「竹瀝(ちくれき)」確認のために、小学館「日本国語大辞典」を示すと、『新しい竹を火の上に置き、両端から出る褐色の液を集めたもの。漢方で、清涼・止渇・鎮咳・解熱剤として用いる。たけのあぶら。』とある。

「自然穀(じねんこ)」「自然粳」が一般的。読みも、こちらの「じねんこう」の略である。竹の実の異称。

「棗(なつめ)」バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis (南ヨーロッパ原産、或いは、中国北部の原産とも言われる。本邦への伝来は、奈良時代以前とされている。

「古今醫統」既出既注だが、再掲すると、明の医家徐春甫(一五二〇年~一五九六)によって編纂された一種の以下百科事典。全百巻。「東邦大学」の「額田記念東邦大学資料室」公式サイト内のこちらによれば、『歴代の医聖の事跡の紹介からはじまり、漢方、鍼灸、易学、気学、薬物療法などを解説。巻末に疾病の予防や日常の養生法を述べている。分類された病名のもとに、病理、治療法、薬物処方という構成になっている』。『対象は、内科、外科、小児科、産婦人科、精神医学、眼科、耳鼻咽喉科、口腔・歯科など広範囲にわたる』とある。

「仙人杖(たけのこのとまり)」本文中で示した通り、この「仙人杖」とは、前掲のマダケが、子嚢菌門Diaporthe の、近年、発見された新たな菌種に感染して発症した「黒色立枯病」(こくしょくたちがれびょう)に罹患した枯死個体を指すものである。これは、『神奈川自然誌資料』(『(25):79 80, Mar. 2004』)に載る論文『小田原市周辺より発見された仙人杖について』(出川洋介・正木照久・井上幸子・太田順子共著:「J-STAGE」のここからPDFで入手可能)で確認した。それを読むと、この菌の、この時の発見状況からは、『付近に生育するアズマネザサや他のタケ類には全く確認されなかった』とあり、マダケのみに感染していたとある(続けて、発見例の一つに『モウソウチクに発生した』一例を添えて、機序を説明してある)。現在の正式な当該菌の分類は、複数の論文と信頼出来るネットの分類表から、

子嚢菌門Ascomycotaクロイボタケ綱 Dothideomycetesクロイボタケ亜綱 Dothideomycetidaeタテガタキン目 Microthyrialesタテガタキン科Microthyriaceaeマダケ表黒点病菌 Microthyrium sp.

である。

『草に「仙人杖」と名づく者、有り』これは、ナデシコ目ヒユ科 Chenopodioideae亜科Chenopodieae連アカザ属シロザ 変種アカザ Chenopodium album var. centrorubrum である。廣野郁夫氏のサイト「木のメモ帳」の「木あそび」の「アカザ(藜)の杖は現在でも存在するか」を見られたい。

「枸-𣏌《くこ》も亦、名、同じくして、異物なり」双子葉植物綱ナス目ナス科クコ属クコ Lycium chinense 「神戸 林商店」公式サイト内の「中華食材」の「クコの実 (枸杞子)」に、『クコの実は『仙人の杖』といわれている』とある。

「竹黃(ちくわう)」「竹膏《ちくかう》」「天竺黃《てんぢくわう》」国立国会図書館デジタルコレクションの現代語訳の『国訳本草綱目』第三冊(鈴木真海訳,・白井光太郎校注/一九七四年春陽堂書店刊)の当該部の頭注(1)(木島正夫氏筆)に、

   《引用開始》

(現在は天竹黄、天竺黄と称するもので、ハチク(淡竹)Phyllostachys nigra Munro var. henonis Henonis Stapf マダケ(苦竹)P. bambusoides Sieb. et Zucc.syn. P. reticulata K. Koch)の茎(竹桿)の節孔の中に病的に生成した塊状物質を採り出したものである。しかし天然のものは極めて得難いので、今は人工的に竹桿を加熱して、竹節中に竹瀝を出させ自然に凝固したものを採り出して天竹黄としている。加熱の方法によっては黒色の炭塊となったようなものや土中に流入して泥を混じえて凝結したものもあり、これらは劣品とされている。(『葯材学』一一三九ページ)

      (木島)

   《引用終了》

とある(学名が斜体でないのはママ)。本文注で述べた通り、これは、竹の竹の枝先に寄生した菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門クロイボタケ綱プレオスポラ亜綱Pleosporomycetidaeプレオスポラ目 Pleosporales(所属科未確定= Incertae sedis:インケルタエ・セディス))マダケ赤団子病菌 Shiraia bambusicola によって生じた、枝を巻き込むような、見た目、これ、かなりグロテスクな塊り(結節)を指す。とある中文サイトでは「竹の結石」と表現していた。個人サイト「Discomycetes etc.」の「Shiraia bambusicolaに『マダケに発生していたもの』の画像がある。なお、サイト「TredMPD 伝統医薬データベース」の「天竹黄」には(一部の学名が斜体でないが、私が斜体に直した)、『天竹黄(てんぢくおう)』について、『生薬別名 竹黄』・『生薬ラテン名 Bambusae Concretio Silicea』・『生薬英名 Tabasheer』とし、『基原』植物を『ハチク Phyllostachys nigra var. henonis Rendle』とし、『薬用部位』は『樹脂』であり、『臨床応用』として、『清涼解熱』・『鎮静薬として』、『中風で口がきけず』、『熱病で神昏譫語するものに用いる』。『また』、『小児のひきつけに用いる』とあって、『頻用疾患』を(以下、コンマを「・」に代えた)、『発熱・中風・夜泣き・痰』を挙げる。『中医分類』では、『清熱薬』とされ、『薬能』として、『清熱豁痰・凉心定驚・熱病神昏・中風痰迷・小児痰熱驚癇・抽搐・夜啼に用いる』とある。『備考』欄に(ここでは一部のコンマを読点に代えた)、『タケ科(Bambusaceae)のハチク Phyllostacys nigra Munro var. henonis Staph、マダケ Phyllostacys bambusoides Sieb. et Zucc. (P. reticulata C. Kock)、その他タケ類の茎(竹桿)の節孔の中に病的に生成した塊状物質を採り出したもの』(☜)とし、『天然品が最佳であるが、得がたいので、現在では人工的に竹桿を加熱して、竹節中に竹瀝(竹桿を切って火炙して切口から滴下してくる液汁)を出させ、自然に凝固したものを採りだし』、『天竹黄と称するが、品質がまちまちで』、『劣品である』。『産地によって雲南竹黄(上等品は瓦片状を呈し、一面白色、一面黒色』。『次品は不斉塊状』を成し、『下等品は粉末状で、米黄とも称する』。『竹黄精(白色玉質の顆粒で上品である)、西竹黄(老竹黄、洋竹黄とも称す』。『ベトナム、マレー、スマトラなどから産し、不斉塊粒、灰白色または透明黄白色、ときに泥塊、炭塊などが混る)、広竹黄(土竹黄とも称し、広東,広西に産するもので、品質には差異がある』。『上等品は老竹黄に似、下等品は泥などが多くて重い)などがある』とあったのだが、最も、その正体と代用品を解説して余りある。 

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