和漢三才圖會卷第八十五 寓木類 附 苞木類 筱竹
しのだけ 長節閒竹
【俗云奈與太介
兩節閒稱與
畧言也】
筱竹
女子竹
なよたけ 【柔軟狀似婦女
をなごだけ 女故名之】
△按筱小竹也【和名之乃】篠同【俗云之乃布竹】髙六七尺周二寸許其
葉深青色節不𮥓其籜白色脆而難脱節閒長其筍味
[やぶちゃん字注:「𮥓」は「隆」の異体字。]
甚苦硬不可食其竹節際有白粉如濕熱甚浸則愈多
變黃色人取𭀚天竹黃可辨也其竹民家用爲天井及
[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。]
壁骨菅笠骨本草蘇頌曰肉薄節閒有粉者此竹矣
夫木我れなれや風を煩ふしの竹のおきふし物の心ほそくて西行
[やぶちゃん注:この一首の第三句目は「しの竹の」は「しの竹は」の誤り。訓読では訂した。]
大妙竹 狀似長節竹而大周三寸許葉亦大也可作笛
業平竹 似長節竹而葉似苦竹葉者名之中將業平之
容貌人以爲女而也此竹擬之名乎
著聞集髙しとて何にかはせんなよ竹の一よ二よのあたのふしをば爲家
[やぶちゃん注:「爲家」はママ。後注を参照されたい。]
*
しのだけ 長節閒竹(なよたけ)
【俗、云ふ、「奈與太介」。
兩《ふたつ》≪の≫節《ふし》の
閒、「與《よ》」と稱す。≪その≫
畧言《りやくげん》なり。】
筱竹
女子竹(をなごだけ)
なよたけ 【柔軟≪たる≫狀《かたち》、婦女
をなごだけ に似る。故。之れを名づく。】
△按ずるに、筱は小竹《こだけ》なり【和名、「之乃《しの》」。】。「篠」、同≪じ≫【俗、云ふ、「之乃布竹《しのぶだけ》」。】髙さ、六、七尺、周《まは》り、二寸許《ばかり》、其の葉、深青色、節、𮥓《たか》からず。其の籜《かは》、白色。脆(もろ)くして《✕→けれども》、脱《ぬ》け難《がたし》。節の閒《あひだ》、長く、其の筍《たけのこ》、味、甚《はなはだ》、苦《にが》く、硬《こは》く、食ふべからず。其の竹節の際《きは》、白き粉《こ》、有り、如《も》し、濕熱、甚≪だ≫浸《しむ》≪れば≫、則《すなはち》、愈《いよいよ[やぶちゃん注:送り仮名に繰り返し記号「〱」がある。]》、多く≪なりて≫、黃色に變≪ず≫。人、取≪とり≫て、「天竹黃《てんぢくわう》」[やぶちゃん注:先行する「竹」の私の後注の「天竹黃」を参照されたい。]に𭀚《あつ》≪れば、能(よ)く≫辨ずべし。其の竹、民家、用《もちひ》て、天井、及び、壁-骨(かべしたぢ)・菅笠の骨と爲す。「本草≪綱目≫」に蘇頌《そしよう》が曰はく、『肉、薄《うすく》、節の閒《あひだ》、粉《こ》、有る。』と云ふは、此の竹≪なり≫。
「夫木」
我れなれや
風を煩《わづら》ふ
しの竹は
おきふし物の
心ほそくて 西行
大妙竹《だいめうだけ》 狀《かたち》、「長節竹(なよたけ)」に似て、大きく、周《まは》り、三寸許《ばかり》、葉≪も≫亦、大なり。笛≪に≫作≪る≫べし。
業平竹《なりひらだけ》 「長節竹」に似て、葉は、「苦竹(まだけ)」の葉に似たる者、之れを、名づく。中將業平の容貌、人、以《もつて》「女《をんな》」と爲(おも)へば、男《をとこ》なり。此の竹、之れに擬《なぞら》ふ名か。
「著聞集」
髙しとて
何にかはせん
なよ竹の
一《ひと》よ二《ふた》よの
あたのふしをば 爲家
[やぶちゃん注:この「しのだけ」は、植物学上の基本的な狭義のタイプ種としては、
単子葉植物綱イネ科タケ亜科アズマザサ属アズマザサ Arundinaria ramosa
の異名「シノダケ」である。小学館日本大百科全書「アズマザサ/東笹」によれば、『常緑のササ』で、『稈(かん)は高さ』一~二『メートル、径』四~八『ミリメートル、上方の各節から』一『本ずつ』、『枝が出る。葉は広披針(こうひしん)形』を成し、『長さ』十五~二十五『センチメートル、幅』二・五~三・五『センチメートル、裏面に毛がある。肩毛(かたげ)』(「けんもう」とも呼ぶ。竹類・笹類の茎を包む筒形の葉鞘(ようしょう)に続いて、種によって異なるが、葉鞘の先端や辺縁部に毛状の突起を指す。それがない種もある)『は基部を除いて平滑。まれに総状の円錐』『花序をつける。小花は大きく、長さ』一・二~一・四『センチメートル、雄しべは』六『本ある。本州、四国、九州に自生し、とくに関東、東北地方の低地に多い。東京都小金井市で初めて発見されたので』、『この名がある。日本に』十三『種あるとされるアズマザサ属の代表種である』とある。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。
但し、以上の良安が語るそれは、そのアズマザサ一種を指してはいない。記載順に検証すると、まず、
「しのだけ」「なよたけ」「筱竹」は、普通名詞としては、本邦の漢字表記は「弱竹」で、「細くしなやかな竹・なよなよとした竹・若竹・なゆたけ」を指す一般名詞であるが、特に、
メダケ(雌竹)属メダケ Pleioblastus Simonii
を指す。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『関東地方以西の本州、四国、九州、琉球まで広く分布する多年生常緑笹の一種。主に川岸や海辺の丘陵などに群生する。稈の高さは』二~八メートル『ど、直径』一~三センチメートル『程度で笹としては大きい部類だが、その姿はすらっと細く伸び』、『女性を思わせる。別名』(☞)『シノタケ(篠竹)、オンナダケ』、(☞)『女竹』で『メダケ』、『ニガタケ(苦竹)』(これは、既に何度も出た通りマダケの別名でもある)、『カワタケ(川竹)、ナヨタケ』(☜)である。『筍皮』(じゅんひ:タケノコの表皮)『は緑暗色のち白黄色で、緑色の無毛滑らかな円筒形で』、『中空の稈のほぼ中ほどまでの長さがあり、落ちずにいつまでも稈に残る。節間は約』十五センチメートル。『節は低い。稈は柔らかく通常無毛、また』、『ねばり強いので』、『篠笛や煙管、筆軸、かごなどの竹細工に向く』。『葉は互生で無毛、平行脈、細長く』、『その先端部が垂れ下がる。葉柄は短い。葉鞘は無毛。冬にやや葉縁白っぽくなり、披針形あるいは卵長形で先が尖る。葉の基部は円形で急に狭まる。葉鋸歯は細かい』。『上部が密に分枝し、節から』三~九『本ほど出』て、『葉は枝先に』三~六『枚ほど』、『ついて』、『径』一~三センチメートル、『長さ』十~三十センチメートル、『ほどで無毛。地中に直径』二センチメートル『程の太い地下茎が這い、節から筍が出て』、『繁茂する。ニガタケという別名は』五『月頃に出る筍が苦いことに由来する』。『花は』五『月頃(毎年ではない)、緑淡色で、茎(稈)先と枝先に束生密生。先に』五~十一『個の花からなる』十~二十『個ほどの線形扁平で』、三~十センチメートル『の小穂をつける。花皮は針形で長さ』〇・三~一・五センチメートル『ほど。包穎は』二『枚の小形、護穎は大きく先は尖る。内穎』二『竜骨、鱗皮』三、『花柱』三、『おしべ』三。『時々』、『開花し、後に枯れる、花穂は古い皮をつけていることが多い』。『果実は穎果で尖った楕円長形、果長』一・四センチメートル。『農業資材や建築・漁業などに利用されていたため農家の周辺などに植栽されている。現在は利用されることが少なくなり、野生状態となっている』。以下、「品種」の項に以下の六品種が挙げられてある。
○アカメメダケPleioblastus Simonii f. akame(「赤目(眼)雌竹」?)
○キスジメダケPleioblastus Simonii f. aureostriatus(『黄筋女竹』・『葉に黄状斑がある』)
○ハガワリメダケ Pleioblastus Simonii f. heterophyllus (『葉変わり女竹』・一『つの稈に様々なタイプの葉が出る』)
○シロシマメダケPleioblastus Simonii f. variegatus (『白縞女竹』・『葉に多数の白縞斑がある』
○アオメダケPleioblastus Simonii f. viridis(『青女竹』)
○ウタツメダケPleioblastus Simonii f. zigzag(発伊藤浩司氏の報告論文(昭和三六(一九六一)年一月発行『北陸の植物』(第九巻・第三~四号)を入手したところ、下部の添え記事に写真入りで載り、発見者は植物学者正宗厳敬氏で、『金沢市卯辰山山塊の一部にメダケ』『の幹が電光形になっているものがある。面白い変わりものと考えられる』とされ、『数年前に発見したもので』、『他にもないかと探しているがまだ見当たらない。単なる一型なので』、『学名をつけるほどのものではないが』、『和名としてウタツメダケと呼ぶことにしたい。』とあったことから、漢字表記は「卯辰女竹」である)以上以外にも、種々のネット記事には、メダケの別品種が、かなり載るが、キリがないので、やめる。
『「本草≪綱目≫」に蘇頌《そしよう》が曰はく、『肉、薄《うすく》、節の閒《あひだ》、粉《こ》、有る。』と云ふは、此の竹≪なり≫』「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十七」の「木之五」の「苞木類」の「竹」の「集解」の[090-20a]の六行目に出る。「蘇頌」(そしょう 一〇二〇年~一一〇一年)は北宋の科学者で宰相。「本草圖經」等の本草書があった(原本は散佚したが、「證類本草」に引用されたものを元にして作られた輯逸本が残る。時珍は彼の記載を「本草綱目」で、かなり引用している。
「夫木」「我れなれや風を煩《わづら》ふしの竹はおきふし物の心ほそくて」「西行」既注の「夫木和歌抄」に載る西行の一首で、「卷二十八 雜十」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「13264」)。そこでは、確かに、
*
われなれや-かせをわつらふ-しのたけは-おきふしものの-こころほそくて
*
である。元歌は、「山家集」の「中 雜」の終りから三つ目の(岩波『古典文學大系』版通し番号1039・「続国家大観」番号8033)で、
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我なれや風をわづらふ篠竹は起き伏し物の心ぼそくて
*
である。
「大妙竹《だいめうだけ》」タケ亜科トウチク属トウチク Sinobambusa tootsik(唐竹)の異名だが、「大妙竹」ではなく、「大名竹」。当該ウィキによれば、『中国南部・台湾原産の多年生常緑竹。造園業界ではダイミョウチク(大名竹)』(歴史的仮名遣「だいみやうだけ」)『と称して流通している』。『庭園竹としては関東地方以西に植栽されている。やや紫色を帯び、高さ』五~八メートル『径』三~五センチメートル、『節と節の間が』六十~八十センチメートル『と日本の竹では最長』である(☜)。『各節から』三『本以上の短い枝が出、枝先に』三~九『枚の長さ』五~七センチメートル『の披針形の葉がつく。葉は葉耳が 発達して』、『その縁に』、『長い肩毛が開出』する。『洋紙質で、裏面に微毛が密生、枯れても落ちにくくそのまま吊り下がる。若い稈には徴毛が密生するが、成長すると抜け落ちる。稈鞘は斑点がなく、背面にまばらに毛があり、基部には 黒褐色の粗毛が密生する。先端には』、『葉片がつき、ナリヒラダケ』(以下の「業平竹《なりひらだけ》」を見よ)『に似るが』、『枝が多く、寒さに弱い。剪定により』、『節部に葉を密集させることができ、マダケの仲間など とはまったく異なる風情を見せ』、『美しいので』、『生垣や庭園竹として人気がある』。『タケノコの時期は』五~六『月頃で、皮が紫色をしている。食用とするが』、『灰汁』(あく)『がある』とある。
「業平竹《なりひらだけ》」タケ亜科ナリヒラダケ属ナリヒラダケ Semiarundinaria fastuosa 。当該ウィキによれば、『別名ダイミョウチク、セミアルンディナリア。 葉は葉枝先に』四~六『枚ずつ付き、長さ』十~十五センチメートル『で、無毛で硬質、葉耳は発達せず、狭披針形をしており』、『先が尖る。稈は直径』三~四センチメートル『と細く、節間は長く枝が短い。若竹は緑色だが、冬には次第に紫色を帯びる。高さは』五~八メートル。『枝は一年目は節から』三『本出るが』、二『年目からは』七~八『本出る。タケノコは』七『月上旬。皮(稈鞘)は、帯紫緑色で無毛』。『メダケに似ているが』、『背面の一部で』、『稈鞘』が『しばらくぶら下がってから脱落する点が異なる。また、トウチクにもよく似るが、稈鞘先端の葉片の基部に肩毛がないことで区別可能である』。『植物学者牧野富太郎によって、平安時代の美男歌人在原業平のように容姿端麗で美しいということから命名された。観賞用として庭園に植えられる。全体のすっきりした小型の竹なので、小さな庭の添景にしばしば利用される。原産分布は四国、九州』。『変種』に『アオナリヒラ(青業平竹)』( Semiarundinaria fastuosa var. viridis )』があり、『ナリヒラダケより大きく、桿や枝は緑色のままで、葉が細い。関東地方南部が原産と考えられる』とある。
「著聞集」「髙しとて何にかはせんなよ竹の一《ひと》よ二《ふた》よのあたのふしをば」「爲家」「古今著聞集」の「卷第八 好色」の三三一段の「第八十七代の皇帝後嵯峨天皇と申すは土御門天皇の第三の皇子なり。……」の中に出る、御嵯峨天皇が人に命じて、「これこれの内容を持った歌は何か」と訊ねたのに対し、為家が紹介する一首である。所持する「新潮日本古典集成」には、
*
たかしとて
なににかはせん
なよ竹の
一夜二夜の
あだのふしをば
*
である。全文は長いので、「やたがらすナビ」のこちらの電子化されたものを見られたい(但し、新字)。同書の西尾光一氏の訳によれば、『御身分がどんなに高くとも何になりましょうか。なよ竹の節のような一夜二夜のかりそめの契りでは。』とある。但し、この歌、もうお分かりの通り、定家の子藤原為家の歌ではない、古歌である。小林氏は頭注して、『『大和物語』『新勅撰集』巻十二等に載る。ただし、初句は「たかくとも」、三句が「くれ竹の」。「一夜」に竹の「一節(ひとよ)」をかけた。類例、「なよ竹のよながきうへに初霜おきゐて物を思ふころかな」(『古金集』巻十八)。また、「ふし」に「節」と「臥」とをかける』とある。古文が苦手な方は、「おおまろ」氏のブログ「鈴なり星」のここで、全文の訳が読める。]
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