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2024/11/26

西尾正 謎の風呂敷包み

[やぶちゃん注:西尾正の履歴、及び、本電子化注の凡例は、初回の「海蛇」の冒頭注を見られたい。本篇は『探偵と奇譚』昭和二四(一九四九)年三月号(巻号記載なし)に初出。底本は、所持する二〇〇七年三月論創社刊行の「西尾正探偵小説集Ⅱ」(新字新仮名)を用いた。本篇はルビが少ない。私が個人的に若い読者のためには、振った方がいい、と判断した推定ルビも加えた(五月蠅いだけなので、同じ丸括弧で附加し、注も施さない)。傍点「﹅」は太字に代えた。オリジナル注は、例によってストイック乍ら、マニアックに附した。]

 

   謎の風呂敷包み

 

 Nさん――

 お宅をおいとました三十一目の晩、Nさんとその日の新聞にのった「首なし裸体事件」の話をしましたね。

 ――八月二十九日夜十一時半頃東京I駅――M駅間のいわゆる「魔の踏切」と呼ばれている踏切付近で折柄通過せんとする山手線電車に跳び込み自殺を企てた身許不明の青年があった。しかし屍体が全裸である点から他殺説が濃厚で、犯人はどこか異なる場所(たぶん現場付近)で殺害した後、痕跡を曖昧にし被害者の認定を不可能にする目的から屍体を全裸にし線路上に運んで車輪による切断を図ったらしい。車輪は四肢を全然別個の物とし枕木を鮮血で彩ったが、肝心の首が見当たらなかった。屍体の営養発育状態から見ると二十四、五歳の青年らしく、体格はいいが筋肉労働の経験なく、良家の子弟らしい。当局は生首の行衛と被害者の身許を鋭意捜査中である。――[やぶちゃん注:『I駅――M駅間のいわゆる「魔の踏切」』この踏切は山手線の池袋駅―目白駅間にあった「長崎道踏切」である。サイト「赤猫丸平の片付かない部屋」の「山手線、長崎道踏切 東京の栞(019)」に在りし日の踏切の画像とキャプション『山手線の池袋-目白間にあった長崎道踏切(20051月廃止)。東京都豊島区西池袋2-1、南池袋1-152003313日。』がある。グーグルマップでは、この中央部に当たり、「今昔マップ」の『1965~1968年』の国土地理院図が、はっきりと、道が山手線を横切っていて、踏切であることが判る現在の当該地はストリートビューのここである。これを、右に回して背後を見ると、緑色のビルが見えるが、これが、前者の踏切のキャプションのある真上の写真の踏切の向こうに見えるビルであることから、断定される。ここは西武池袋線が高架であるため、目白方向からの外回りでは、踏切の東側から入った直後の歩行者は見え難いと判断される。それが「魔の踏切」の由縁か。]

 確かこんな記事でした。それから僕がふと、「中村が……」と言いかけたらNさんも「ウン、僕も中村君のことを考えていたのだ」と言い、そこで中村には次郎という一つ違いの弟がいてそいつが最近ぐれて兄貴が尠(すくな)からず手古摺っていることなどを話し合いましたが、一体なぜあの時、中村のことなど思い浮かべたのでしょう。理由もないのに突然しかも同時に二人が念頭に泛(う)かべたというのは、後の事件と思い合わせると、やはり一種の精神感応(テレパシー)とか思想伝達(ソオト・トランスペアレンス)とでもいうのでしょうか。[やぶちゃん注:「精神感応(テレパシー)」「思想伝達(ソオト・トランスペアレンス)」telepathyと、thought tranceparencetranceparence:透明性・透明)は、ウィキの「テレパシー」によれば、『ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されること』『で、 超感覚的知覚(ESP)』(Extrasensory Perception:五感や論理的類推などの通常の知覚認識手段を介することなく、外界や他者の情報を得る超能力)『の一種』、且つ、『超能力の一種』とされるもの。但し、『この用語ができる以前は、思考転写 (thought-transference)と呼ばれていた』とある。]

 アポロとディオニソス、フロオラとフオーナ、――よく僕達は人間の性格を二つに類別して、気性の烈しい熱情的な男を「ディオニソス・フオーナ」秀才型の冷静な男を「アポロ・フロオラ」と呼んでいましたが、Nさんが初めて中村を見た時僕達の流行語を使って「中村君はあれでなかなかディオニソス・フオーナだね」と評したのには日頃中村を女性的な優しい男すなわちフロオラだと意見が一致していた僕達にとっては意外でした。しかしこの度(たび)の破局を見ればNさんの評言は当たっていたのです。僕は単なる脇役に過ぎなかったのですが、あんな恐ろしかったこと初めてです。旨くは書けませんが、作家であるNさんの何かの参考になればと思い、経験したままを卒直に誌してみましょう。[やぶちゃん注:「アポロとディオニソス」小学館「日本大百科全書」から引く。ドイツ語『apollinisch』・『dionysisch』。『ギリシア神話の酒神ディオニソスのうちに示される陶酔的・創造的衝動と、太陽神アポロンのうちに示される形式・秩序への衝動との対立を意味する。すでにシェリング』(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling(一七七五年~一八五四年):ドイツの哲学者。神秘的直観を重視し、「合理主義哲学」の限界を批判、絶対者に於いて自然と自我とが合一すると説く「同一哲学」を主唱した)『は、内容が形式に優越する詩と、両者が調和した本来の詩との対立を、またニーチェの師リッチュルは笛(ギリシア語でアウロス』(ラテン語転写:『aulos)と竪琴』『(ドイツ語でキタラKithara)との対立を、この対概念』(ついがいねん)『でとらえている。しかし』、『この対概念が広まった機縁は、ニーチェの』「音楽の精神からの悲劇の誕生」(‘ Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik ’。一八七二年刊。専ら「悲劇の誕生」の縮約タイトルで知られる)『である。すべてを仮象のうちに形態化・個体化する造形芸術の原理としてのアポロン的なものが、個体を陶酔によって永遠の生のうちに解体する音楽芸術の原理としてのディオニソス的なものと結び付いて、ギリシア悲劇が誕生する。それはいったん楽天的・理論的なソクラテス主義によって滅亡したが、ワーグナーの楽劇のうちに再生すると若いニーチェは考えた。ただし、後年のニーチェはこの対概念を用いず、永遠に創造し』、『破壊する生の肯定という彼の哲学の核心を、ディオニソス的と規定している』とある。「フロオラとフオーナ」フローラ(ラテン語:Flōra)はローマ神話に登場する花と春と豊穣を司る女神。「日本大百科全書」によると、『オウィディウスの』「祭暦」(Fasti)『によれば、彼女はもともとクロリスChlorisという名のギリシアのニンフであったが、西風ゼフィロスに求愛されて』、『すべての花を支配する力を与えられたという。彼女は古くから崇拝され、花と花による実りを守護した。その祭礼「フローラリア」では、豊作を祈る祭りにふさわしく、陽気でしかも卑猥』『な行事「フローラリア祝祭劇」が催された。またその神殿は、パラティンの丘にあったという』とある。現行の「植物相」(フローラ)の語源である。対する「フオーナ」は“fauna”で、「ブリタニカ国際大百科事典」に拠れば(コンマを読点に代えた)、「ファウナ」「フォーナ」とも言う。『特定の地域や水域にすむ動物の全種類。動物群について昆虫相魚類相など、地域について日本の動物相、南極の動物相など,環境について森林動物相、土壌動物相、湖沼動物相など、生活様式について浮遊動物相、遊泳動物相などが区分される。地球上の特徴のある違った動物相をもつ区域を動物区に区分する。動物群集が量的な集団であるのに対し、動物相は種を同定して決定される定性的な概念。植物相と合せて生物相 biotaを構成する』とある。植物相は原母的で、包括的集団的で単位生殖可能な総支配的女性性を、動物相は孤独性と支配性・闘争性をシンボライズし、精神分析学では、前者がエレクトラコンプレックス(ドイツ語・ Elektrakomplex)や、歯を持つヴァギナ、原初的創造者としてのグレート・マザーへ、後者はエディプスコンプレックス(同:Ödipuskomplex)と、リンガを切り取る「子殺し」の支配的暴力的モチーフへと展開する。]

 

 あの晩駅へ着くと際どいところで上りを逃してしまい、まだボストン・バッグには米が二升ばかり残っていたのと、残暑の厳しい東京へ帰るのも憂鬱でしたので、ふらふらと問題のJ島へ行ってしまったのです。[やぶちゃん注:「まだボストン・バッグには米が二升ばかり残っていた」発表年から判ると思うが、ヤミ米を買い出しに来ていたのである。]

 S湾、M半島の突端に浮いている小さな、戸数わずか百二三十戸の、雨で名高いJ島、戦時中の要塞から目下観光島に早変わりしようとしているJ島は、ほとんど灯を落として月のない暗澹たる夜空に黝々(くろぐろ)と浮かんでいました。[やぶちゃん注:「J島」は私の好きな城ケ島であり、「S湾」は相模湾、「M半島」は三浦半島である。「戦時中の要塞」城ケ島の東の安房崎の中央にあった旧城ヶ島砲台(グーグル・マップ・データ航空写真)。東京湾要塞研究家デビット佐藤氏のサイト「東京湾要塞」の「城ヶ島砲台」に、画像や構造図もあり、説明も詳しい。『関東大震災後の東京湾要塞復旧工事の一環で新設された砲台』で、『廃艦となった戦艦安芸の砲塔を改造して設置した。最大射程は約』二十四キロメートルで、『これは房総半島の洲崎まで届く距離であり、同じ砲塔砲台である洲崎第一砲台とともに、東京湾口防御の第一線を担っていた』。『城ヶ島の東半分が砲台用地で、砲塔は東西に約』八十メートル『隔てて』二『基(』四『門)が設置され、空から秘匿するため』、『屋根が掛けられていた。また、周辺には偽民家が建てられるなどの擬装が施されていた。砲塔は人力操作で、地下砲側庫は砲塔から離れた地下に設けられ』、『隧道で砲塔の下まで通じていた』。『戦後、砲塔は爆破され、二つの大穴が残されていたが、昭和』二五(一九五〇)『年に城ヶ島公園』設置が決定され(本篇の発表はこの前年の昭和二十四年)、昭和三三(一九五八)年に開園し、今に至っている。]

 島に渡ったのが十時頃、大体ここには旅館などないのですが、この頃は魚を仕入れに来る闇商人が泊まり込む半職業的な宿のあることを聞いていましたので、それらしいとある一軒家にあたりをつけました。すると小女(こむすめ)が出て来て、それでも思ったより愛想よく出迎えてくれたのですが、靴を脱ぎながら見るともなしに見ると、下駄、地下足袋などが散乱している土間の片隅にこんな場所には不似合いなチョコレエト色のスマートな女靴が一足、ちょこなんと脱ぎ捨てられてあるのです。女の靴というものは変に艶めかしいものですね。中国女の纏足(てんそく)は股を太くするためだと言いますが、それはいかにもキュッと締まった踵の低いスポオテイな型で、穿き主の小さな足から上方へすくすくと延びた肉付きのいい、靴下の破れそうな、白く逞しい腿を聯想させるのです。こんな陰気な闇宿(やみやど)に果して想像したような若い女が泊まっているのでしょうか。僕は何かを期待する故なき好奇心を覚えながら小女の後に従いました。[やぶちゃん注:「踵」「かかと」。「くびす」「きびす」とも読む。個人的には「きびす」と読みたい。「中国女の纏足(てんそく)は股を太くするためだと言いますが」ウィキの「纏足」に、『唐の末期から辛亥革命ごろまで中国で女性に対して行われていた』悪しき『風習』で、『当時の文化人は女性の小さい足を「金のハス」』(蓮)『に例えるなど美の対象と考えており、人工的に小さくする施術が考案された。具体的には幼少期から足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ、布で強く縛って足の整形(変形)を行うことで、年齢を重ねても足が小さいままとなる』。『理想的な大きさは三寸』(凡そ九センチメートル強)]『であり』、『これを「三寸金蓮」と呼び、黒い髪、白い肌と共に美しい女性の代名詞となった』。『小さく美しく装飾を施された靴を纏足の女性に履かせ』、『その美しさや歩き方などの仕草を楽しんだようである』。(☞)『また、バランスをとるために、内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられていた』(☜)。『足が小さければ走ることは困難となり、そこに女性の弱々しさが求められたこと、それにより貴族階級では女性を外に出られない状況を作り貞節を維持しやすくしたこと、足が小さいがために踏ん張らなければならず、そこに足の魅力を性的に感じさせやすくした』とある。]

 通された二階の部屋はあまりいい部屋ではありません。襖仕切りの隣室は南向きの海に面して涼しそうですが、既に先客があると見えて堺の欄閒に電灯がぼうっと反映していました。時々人の動く気配や咽喉をきる音が聞こえて来、どうやら馥郁(ふくいく)とした香料の匂いが漂うて、それはもう明らかに若い女のつくり出す雰囲気に相違ないのです。僕はその女が先刻土間で見た靴の主であるに相違ないと断定しました。寝つきのいいので有名な僕がその夜晩(おそ)くまで輾転反側したと言ったらNさんは笑われるかも知れませんが、僕だって若いし張りきっているし、それに多少は夢想家ですからね。若い女がたった一人でこんな田舎のインチキ宿に泊まるなんてどうも解せないな、きっとあとから男でも来るのだろう、一晩悩まされるのは敵(かな)わんぞ、と、こんな下らぬことを考えているうちに、さすがに昼間の疲れが出てそれきり前後不覚に寝入ってしまいました。

 どのくらい眠ったのか、何か夢にうなされたらしく、ふと眼を覚ましました。時計を見たら三時です。もう一寝入りしようと寝返りを打って眼をつぶると、潮騒の音もない沈々(しんしん)たる夜気(やき)のしずもりの中に、女の歔欷(すすりなき)と嗚咽(おえつ)が微(かす)かに微かに聞こえて来るではありませんか。どうやらうなされた夢はその泣き声に関聯(かんれん)がありそうです。とすると、僕の眠っているうちから女は泣いていたらしいのです、そこで僕は寝たまま隣室に向き直ってじいっと耳をすませました。[やぶちゃん注:「歔欷」は「きょき」「すすりなき」と読むが、個人的な好みは、後者である。しかし、次の段落で「啜り泣く」とするので、読みは読者に任せよう。]

 何か女はぶつぶつ独り言を呟いているらしいのですね。何を言っているのかハッキリ聞きとれないのですが、誰かそこにいる相手に向かって搔き口説(くど)いているらしく、言葉と言葉の間に、「ね?……ね?」と、甘えたような間投詞が入り、それから啜り泣くのです。

 身も消え入るような悲しみ、頬を伝って幾条(いくすじ)にも流れる押さえ切れない泪(なみだ)、――こんな風に 想像されるのですが、そのうちに好奇心がとうとう僕を床の上に起き直らせてしまいました。想像だけでは足らなくなって一眼覗いて見ようと、襖の隙間に片眼を押しつけたのです。

 電灯はついたままで蚊遣香(かやりこう)の煙が細々と立ち昇り、女は薄物をかけているだけで寝床に横になっていました。僕には部分を通してわずかな寝姿しか見えないのですが、その部分の中に女の上半身が入っています。寝巻も着ず恐らくはシュミイズ一枚なのでしょう、むっちりした二の腕は裸でした。そして女は顔の前に一個の丸い風呂敷包みをしッかり抱いて、その包みに向かって何やら口説いたり泣いたりしているらしいのですね。時々堪えられなくなったようにその包みを頰ずりするのですが、その度(たび)に枕に散ったパーマネント・ウェエヴの房々とした黒髪が震えます。女が半裸に近い姿態で眼前に啜り泣いている光景は旅の放縦さと隙見(すきみ)などという条件と搦み合ってかなり肉感的なものですが、実際は不気味さの方が先に立ちます。僕は以上のようなことを確かめただけで再びごろりと元の寝床に横たわりました。泣き声はとぎれとぎれにいつまでも続いていたようでしたが、もうじき夜も明けるのだろうと思っているうちにいつか眠りに落ちて行きました。

 

 翌朝寝坊をして歯を磨きながら隣室を覗いて見ると、女はいませんでした。持ち物らしいものが部屋の隅においてあるところを見ると、宿を発ったとは思われません。僕は昨夜のことを考えながらボンヤリ歯ブラシを動かし、見るともなく眼下の庭の生垣と向かいの家の間にある狭い路地に眼を落としていましたが、そこで思いがけない男の姿を見つけたのです。その男は破れた生垣の合間から腰を蹲めてこっちを覗いているのです。帽も被らず髪は乱れ、白い開襟シャツが目立ちました。あちこちと視線を移している模様で、やがて二、三歩あとずさりをすると今度は二階の方を見上げ、その瞬間に僕との視線がバッタリ出会ったのです。

 「あ、中村……」

 思わずこう大声で呼びかけました。この頃は毎日曇って暗い灰色の空の下、それも相当の距離をおき生垣の蔭に瞬間認めたわけですからハッキリ中村だとは断言し得ないのですが、その時はふしぎとそんな疑問や逡巡は起こらなかったのです。男は呼びかけられてまじまじと僕の顔を見上げていましたが、別に際立った表情も現さず、どうやら蹲んだような格好をしたと思ったらそれなり消えたように見えなくなってしまいました。顔色の悪い、面寠(おもやつ)れのした前髪垂れの、科人(とがにん)のような凄い形相だったのですね。僕は眼を屢叩(しばたた)きました。続けて二度三度「中村――おうい、中村!」と呼びながら廊下の隅まで走り圭した。路地には誰の姿も見えません。変だなと思いましたが、東京世田ケ谷の中村がJ島くんだりを野良犬のようにうろつているわけがないのです。僕は匆々に朝飯をすませると、何となくしかし奥歯にもののはさまったような気持ちで海岸へ出て見ました。

 雨雲に被われた海の渺茫たる拡がりは油のように澱(よど)んでいました。僕は砂丘を下り、さくりさくりと渚を往還しながら、ここへ来ると誰でもが思い出す「J島の雨」を口笛で吹き始めました。[やぶちゃん注:「J島の雨」知られた歌謡曲嫌いの私が特異的に幼少期より好きな「城ヶ島の雨」である。作詞は北原白秋で、作曲は梁田貞(やなだ ただし/てい)により、大正元(一九一三)年十月に発表された。北原白秋は、この三年前から、当時住んでいた青山の隣家の新聞記者松下某の夫人俊子と不倫関係となっていたが、この年の七月に俊子が白秋のもとへ走った結果、姦通罪で告訴され、二週間、市ヶ谷未決監に拘留された。翌月には示談が成立し、無罪・免訴となったが、流星の如く現われた新鋭詩人としての名声は一気に失墜した。翌大正二年一月、憔悴と絶望の果て、自殺をせんとして、海路で三崎に渡ったが、参照した所持する『日本詩人全集』第七巻「北原白秋」(昭和五三(一九七八)年新潮社刊)の年譜によれば、白秋は『「私はあきらめられなかった。突きつめても死ねなかった」』と述べており、『同月、処女歌集『桐の花』を東雲堂』(しののめどう)『より刊行。日本の短歌に新しい生命を吹き込むものとして称讃の批評が次々と書かれ、汚名をぬぐいさる。四月、夫と離別した俊子と再会し、結婚。五月、新生を求めて、一家をあげて神奈川県三崎郡三崎向ヶ崎』(みさきむこうがさき:現在の三浦市向ヶ崎町八―八に旧住居跡がある。グーグル・マップ・データ))『へ移り、通称異人館へ入る』とある(但し、翌年の七月には俊子と離別している)。なお、同歌を刻んだ詩碑(グーグル・マップ・データ)が城ケ島大橋の城ケ島側に建つが、これは、ずっと後の昭和四九(一九七一)年の建立である。もっと前の白秋生前に歌碑建立計画はあったようだが(白秋は昭和一七(一九四二)年十一月二日に糖尿病と腎臓病のため、阿佐ヶ谷の自宅で逝去した)、「西尾正探偵小説集Ⅱ」の横井司氏の「解題」によれば、『歌碑の建立が遅れたのは』、大正一五・昭和元(一九二六)『年に』先に注した『城ケ島砲台が竣工されたから』である、とある。なお、「城ヶ島の雨」は、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」のこちらに、作曲の経緯等が非常に詳しい。それの『2. レコードについて』によれば、『大正時代に「城ケ島の雨」がレコード化されていたかどうかの記述は見つけることができ』なかったとあり、『昭和初期』、『初めて「城ケ島の雨」のレコードが発売されたのは』昭和七(一九三二)年九『月で』、『歌手は「和田春子」』であったとある。]

 長く尾を曳いて海面へ消えて行く口笛はちょっといい気持ちです。自分で自分に酔っていたのですから世話はありませんが、どこからか急にその口笛に乗って同じ歌が聞こえて来たのには驚いてしまいました。立ち止まって見返ると、少し離れた丘の上にいつの間に来たのか洋装の若い女がほっそりした脚を擁(かか)えて、朗々と唄っているのです。穿いている靴、両腿の上に乗っている丸い風呂敷包み、――確かめるまでもなく僕の隣の部屋に泊まっていた女、夜通し泣き明かした女であることに相違はありません。

 僕は思わず黙礼しました。すると女も微笑を泛(う)かべてもじもじしましたが見入って来た眼は大胆でした。若いと言っても僕らと同年輩か、ことによると一つ二つ年上かも知れません。どういうものか僕達親がかりの学生連中は年上の爛熟した女に強く惹きつけられるようです。フロイドは母親代償(マザー・コンプレックス)と言ってこの性心理を説明していますが、僕はたった一眼でその女に魅せられた自分を悟らないわけには行きませんでした。

 僕達は当然言葉を交わしました。

 彼女は僕の来た前の晩にこの島へ来ているのです。前に来たことがあり、それ以来とても好きになったからと言っていました。僕の着ている上衣の金ボタンを見て懐かしそうに、あたしのお友達も貴方と同じ学校に行っていると言って、それから急に気を許したようです。僕が午後から近所の名所旧蹟を歩いて見るつもりだというと、一緒につれてってくれというのですね。

声音と言い態度と言い実に快活で、夜通し泣き明かした女だとは思いようがありません。[やぶちゃん注:作者は慶應義塾大学経済学部卒である。]

 それからその辺をしばらくぶらぶらしてから一緒に宿へ帰りましたが、その間中片時も風呂敷包みを身辺から離しません。紫地にトンボ模様の平凡な風呂敷でしたが、短い間の散歩にも部屋へ置いて来ないところを見ると、よほど大切な品物なのでしょう、だんだん僕の好奇心はその風呂敷包みに注がれて行きました。それほどに女とそれとの関係は異様だったのです。

 

 その日の午後半島めぐりを終えて路傍のとある註車場で帰りのバスを待っている時に、僕達は烈しい夕立に会いました。田舎の凸凹の街道の上に太い両脚がはね返って、行方が霞んでいるのは陰鬱な風景でした。女は恋人のように僕に寄り添い、片方の小脇にそれを濡らすまいと、例の物をしっかと抱え込んで、何だか悲しげな顔をしていました。バスの来る前に彼女はこんなことを言いました。

 「――あなたは幽霊をお信じになる?」

 「幽霊? お化けのこと?」

 「そうよ。――幽霊って、ほんとうにいるものかしら?」

 あまり相手が真剣なので思わず僕は失笑しました。「――信じる者にはいるし、信じない者にはいないでしょう」

 「いいえ、あたしの意味は、幽霊って、実在するかどうかっていうことなの」

 「それは問題だな、今日の科学では」

 「では、あなたはどうなの?」

 「僕は信じませんね」

 女は――仮にF子と呼びましょう――肯いて黙りました。僕はからかってやろうと思い、「さては、恋人の幽霊でも見たんですね?」[やぶちゃん注:この直接話法は底本では、版組上は(「さては」以下は次行に亙っている)、この通りに前の行に続いていて、改行されていない。]

 しかし女は笑いませんでした。笑わないばかりか、なぜか瞳を動揺させて明らかに狼狽の素振りを示しました。平素の自分ならば、首なし裸体事件――丸い風呂敷包み――中村に似た男の出現――幽霊――何かしら秘密を持ったF子――と、これだけの材料を思考の同一線上に結びつけて当然或る種の結論を抽き出し得たはずなのですが、やはり眼の前の女の艶めかしい体臭が邪魔をしていたのですね、その日帰京する予定のところをF子がもう一晩泊まるというので、ずるずる引き摺られて宿へ帰ってしまったのです。

 帰ると雷雨は一層ひどくなりました。僕と入れ違いにF子が入浴中電気が消えました。稲妻がぴかりぴかりと空を裂き、その度に室内が鮮やかに光ります。僕は風呂敷包みを開いて見るのは今だと思いました。さすがに風呂場に下りている間だけは部屋の隅に置いて行ったのです。慌てて彼女の部屋に入り、震える手で結び目を解き始めました。元通り結び直せる平凡な結び方だったのが僕にこんなことをさせたのです。悪いとは思いつつも結局好奇心には勝てなかったのですね、両手で支えてみると意外に重いのには驚きましたが、風呂敷の中に更に数枚重ねられた新聞紙を開いて見て一種異様な物の腐敗臭が鼻腔を鋭く突いた時、さすがに躊躇せずにはいられませんでした。最初は嬰児の腐敗屍体かと思ったのですが、瞬間稲妻がきらめいてそこにハッキリ一個の男の生首を照らし出しました。驚いたのはそればかりではありません。首の切断口こそ石榴(ざくろ)のようにうぢゃぢゃけて血に塗(まみ)れてはいましたが、顔は生ける者のごとく平静で人相などハッキリ判ります。Nさん、それが他でもない、中村一郎の首だったのです。

 

 恐怖は急には湧かないものですね。包みを元通り結び直すと急いで自分の部屋に帰り仰向けに寝転んでだんだん力を失って行く雷鳴を聞くともなしに聞いていると、ぞオっと奇妙な戦慄が全身を走りました。女はその頃やっと風呂場から上がって来て襖越しに何か話しかけたようですが、僕の様子が何となくおかしいのを問題の風呂敷包みを見られたのではないかと危惧したのか、それきり僕の方へ来ようとはしませんでした。雷が遠のいて煌々たる月光が部屋に射し込むのが、電気の再び点(つ)いたのより早いくらいでした。僕は眼を見はりながら奇妙なことを考え始めました。恐怖が僕を女の魅力から遮断し、思考の方向に一転機を与えたのです。すなわち冒頭に誌した「首なし裸体事件」と生首との関係です。もちろん不充分な状態で見たのですから中村の首だと断定することはできません。のみならずその日の朝思わず名前を呼びかけるほど中村によく似た人物を見ているのです。生首が中村一郎であっていいものでしょうか。しかし逆に言えばあの人物が中村であると断定することも同様に困難なわけですから、東京で「首なし事件」が起こってから三日間依然として生首の行方が分からず未解決のまま推移している現在、得体の知れぬ女が生首を携帯している事実を突き止めた以上、最早二つの事実に関聯なしと見ることはできません。僕は急いで部屋の隅にしわになっているその日(九月一日付)の新聞に眼を通しました。ところがどうでしょう、「首なし屍体の身元ほぼ判明す」という小さな見出しで、事件当夜から行方不明となっている世田ケ谷在住の某人学生中村一郎の名が誌してあるではありませんか。

 あとから考えると、これは検察当局の大きな見込み違いだったのですが、この記事を読んで僕はもう遮二無二女の持っている生首が中村一郎であると断定しました。いかなる原因から女が中村を殺しその首を持ち歩いているのであろうか。――

 いや、この場合生首の首が誰であろうと、女の行動は既に明らかに不穏です。時を移さず警察に引き渡すことが僕の責務です。しかし正直に言いますと、その時の僕の心理は複雑でした。僕は彼女に奇妙な憐憫(れんびん)を感じたと同時に事柄の異様さに恐怖をも覚えていたのです。また他人の私物を盗み見た後ろめたさと女がじっとしているので、こっちに行動を起こさせる心理的抵抗がないのです。一言で言えば事件全体が若輩の僕には重過ぎたのですね。こんな気持ちで女の様子を伺っていたのですが、いつまで経っても動く気配もなければ、特徴のある咽喉をきる音も聞こえません。もしやと思い慌てて襖をあけますと、果して女の姿は例の風呂敷包みもろとも消えているのです。僕はしまったと思いました。情勢の不利を悟った女は巧みに風呂場を通って裏口から逃亡したに相違ありません。果して生垣の前の狭い路地、――中村と覚しき男の立っていたところを小走りに跳(と)んで行く女の姿がちらっと映りました。その方向は戦時中立ち入り禁止の太平洋に面した断崖なのです。この女の行動がキッカケとなって抵抗が起こり、憶していた[やぶちゃん注:底本のママ。「臆」の作者自信の誤字か誤植かと思われる。実はこの後にも同じ誤りがあるので、底本の誤植はあり得ないと思われるのである。]心が一挙にして勇猛心に変わりました。僕は裸足のまま宿を跳び出し、女のあとを風を切って追いました。

 僕の出足がもう三十秒も遅れたならば、そして女が伝馬船(てんません)の傍らに拡げられた網に躓(つまず)いて転ばなかったならば、断崖の下の荒立つ怒濤の中に彼女の姿を見失ってしまったことでしょう。際どいところで取り押さえることができました。

 「放して下さい、放して! 死なせて、死なせて……」

 女は僕の両腕の中で悶搔(もが)きました。女といえども必死の力は強いものです。例の風呂敷包みを小脇に擁(かか)えながらも全身で抵抗を続けます。僕も全身で押さえ込みました。とうとう女は力尽きてくたくたと僕の足許に崩折(くずお)れ、今度は大声で泣き出しました。

 話を簡単にいたしましょう。

 女の不穏な行動について彼女自身語るところはこうだったのです。――

 彼女は都下の或るダンス・ホールのダンサアでした。身許(みもと)はしかし案外いいらしいのです。ダンスもうまくからだに特殊の魅力があったので言い寄るものも多かったのですが、中でも彼女に熱情を注いだのが中村の弟次郎だったのです。中村に一つ違いの弟がいたことは冒頭に紹介しておきましたが、兄の一郎が学業も優秀な、教師や学生仲間から一目おかれていた立派な青年であるに反し、弟子(ていし)の次郎は戦場で荒んで復員して来てからぐれ出し、闇屋や竊盗(せっとう)などの嫌疑を受けたこともあり、兄の家を飛び出してM町の焼け跡(首なし屍体の現場付近)にバラックを建て、二、三の不良仲間を引き入れては毎日遊び暮らしていました。[やぶちゃん注:「弟子」にルビはない。しかし「弟子(でし)」には「弟(おとうと)」の意はないので、「年の若い者・幼い者」の「弟子(ていし)」で読みを振った。]

 故郷の父は愛想をつかし、財産の全部を兄に譲る手続きをしていたと言います。

 F子は次郎を通して一郎を知ったのです。

 彼久は次郎を愛してはいたのですが、あまりにも放埒(ほうらつ)な性絡に嫌気がさし、だんだん愛情が弟から兄に移って行ったのです。兄弟はF子を間に挟んで諍(あらそ)いをするようになりました。弟はとうとうよからぬことを思い立ったのです。

 恋と財産、――この二つのものこそ時代や国柄を越えて悪への動機たり得るのですね、弟はこの一石二鳥を狙ってF子を囮(おとり)にF子と共謀で兄を殺してしまおうと企んだのです。彼は前以て近所の家には故郷へ帰るから二、三日留守にすると言っておき、F子に兄とその家で逢曳(あいびき)の約束をさせたのです。女は不決断なものですね、ずるずると半ば脅迫されて弟の計画を受け入れてしまったのです。

 次郎はF子の愛情が兄に移りかけていることを知っていました。それと同時に高圧的に出れば女が自分の意に従うだろうことも知っていました。その頃はもう二人は深い関係にあったのです。

 事件の夜、ホオルを早目にしまってF子は次郎の家に向かいました。問題の踏切のところまで来るともう五分とは掛からないのですが、さすがに彼女の脚は憶して[やぶちゃん注:ママ。前掲割注参照。]もう一歩も進めなかったと言います。その時彼女はハッキリ自分の愛しているのは次郎ではなく、一郎であると悟りました。弟が彼女の来るのを待っているはずです。十一時に来る兄を暗闇の中で弟が取り押さえている間に彼女が風呂敷を首に巻いて絞殺する手筈なのです。途中幾度か逡巡したために時計はもう十一時を二十分も過ぎていました。

 もうその頃は物騒(ぶっそう)で人っ子一人通らない焼け跡の暗いところを選(え)るようにして前蹲(まえかが)みに、何か重い物を背負った男の姿がぽかりと線路の上に浮き上がりました。F子は突嵯に反対側の土手に身を潜めました。次郎が計画通りの仕事を単独で済ませたのだと確信したのです。男は背負った物を線路の上に横たえましたが、それから間もなく電車が驀進して来(き)、あっと言う間もなく骨の刻まれる音、急ブレエキの軋音(きしみ)が起こって、突嗟(とっさ)にこの場を逃れ去ろうとするF子の足許に生首がはね跳ばされて転がって来たのです。彼女は前後の見境もなく「愛する人」の首を包んで無我夢中で駈け去りました。[やぶちゃん注:「軋音(きしみ)」読みは私が振った。]

 やはりこの行為は正常ではありませんね。一種の節片婬楽(ソエティシスムス)或いは偶像愛着症(ピグマリオニスム)とでも言うのでしょうか、翌朝になって自分のおかれている位置を悟り、驚いて以前一郎と一緒に来たことのあるJ島へ、もちろん生首の主が一郎であると思い込んでいるのですから、もろともにここから断崖から身を投げてしまおうと逃げて来たというのです。かつてF子と一郎は断崖の上のタンポポの咲く草原でまる半日も荒れ狂う波や茫洋たる海原を瞶(みつ)めて過ごした、その思い出が彼女にここを死場所に選ばせたのだと思います。[やぶちゃん注:「節片婬楽(ソェティシスムス)」ルビ(実際には「スエテシスムス」である)から見て、ドイツ語の“Fetischismus”を作者なりに音写したものであろう。所謂、フェティシズム(英語:fetishism)である。「偶像愛着症(ピグマリオニスム)」ドイツ語“Pygmalionismus”の音写。所謂、「ピグマリオン・コンプレクス」(和製英語:Pygmalion complex)である。ウブで判らない方は当該ウィキを見られたい。ドイツ語では“Agalmatophilie”、英語では“Agalmatophilia”で、訳すなら「彫像愛」ある。告白すると、私は幼少期から、この二種の異常性愛が、かなり、強いタイプである。]

 

 しかしながらNさん、貴方が夙(つと)に想像されたように、殺された生首の主は一郎ではなかったのです。無頼漢だという弟の次郎だったのです。だから傍らの伝馬船の中から当の中村が僕達の前へ忽然と現れた時には、僕も女も肝の潰れるほどビックリしてしまいました。今度こそ幽霊だと思いました。次元の認識が狂って何かとんでもない錯覚に捉われているのだと思いました。月に浮かんだ男の顔をまじまじと瞶めてしばらくは口もきけません。確かに中村に相違ないのです。しかもこの日の朝(あさ)生垣(いけがき)の蔭に潜んでいた男に相違ないのです。前髪の乱れた青い額、埃(ほこり)に塗(まみ)れたシャツ、よれよれの夏ズボン、――それにしても何だって僕もF子も生首の認定を過ってしまったのでしょう。兄弟で似ているとは討え、あまりにも迂濶でした。人間の視覚などというものはホンのちょっとした先入見(せんにゅうけん)には全く無力だという根本問題に触れないわけには行きません。

 中村は一種の感動から身を震わせて泣くF子を片腕に抱きながら、こんな風に自己の行動を説明しました。

 彼は弟の殺意を少しも知らずあの夜次郎の家へF子に会いに行きました。真暗な室内で兄の来るのを待っていた次郎は突然兄に躍り懸かりました。背後から首へ縄をかけて絞めつけたのです。不意を衝かれて中村も面喰(めんくら)いましたが、自堕落に身を持ち崩したアルコオル中毒の弟は所詮スポオツで体を鍛えた兄の敵ではなかったのです。兄は襲撃者が弟であることを悟りましたが、その場の成行きでついに弟を絞め殺してしまったのです。彼の行動は明らかに正当防衛ではありますが、それを敢行させたものがF子に関聯して弟に抱いていた憎念(ぞうねん)に他なりません。ふだんからこのならず者を持てあましてはいましたが、もしF子を愛さなかったら弟は殺さずに済んだでしょう。それでなければその後の彼の行動、――犯跡韜晦(とうかい)の惨虐(ざんぎゃく)手段の説明がつきません。すなわち彼は一時烈しい悔恨に襲われ、自首して出ようと思ったのですが、彼はふとかつて目撃したことのある轢殺屍体の有り様(さま)を想起し、最近の治安の紊乱(びんらん)と警察力の低下との間隙を狙って万が一の僥倖(ぎょうこう)を頼んだのです。彼は屍体を丸裸にし、車輪がそれを寸断するであろうことに期待をかけて鉄道線路へ運びました。

 それから彼は烈しい眼舞いに襲われ、現場の空家へ這いずり込んでぶっ倒れたまま余儀なく一夜を明かしました。翌朝恐怖と発覚の不安に眼覚めた彼は、突然F子が恋しくなり、彼女のアパートヘ走りましたが、その時は既にF子がJ島へ発(た)ってしまったあとでした。F子が行先を洩らしたのか、アパートの者の口裏(くちうら)から彼女がJ島へ渡ったことを直観し中村はそのあとを追ったのです。それが三十日の夜でした。彼はきょう(九月一日)まで伝馬船の中に隠れてF子を探していたと言います。F子が夕立に会った時幽霊のことを聞いたのも、どこか遠見ででも中村の姿を認めたからだったのでしょう。しかしこの時まで二人は出会う機会に恵まれなかったというわけです。

 「事態がこうなった上は、僕も卑怯な真似はしたくない。どうかしばらく僕達二人だけにしておいてくれないか。どうせ自首して出る以外に道はないのだから」

 彼は意外に冷静に、僕の知っている頼もしい中村に立ち戻ってこう言いました。僕は迂潤にも彼の提言を容(い)れました。きっと君達の来るのを待っていると言いおいて先に宿へ帰りました。しかしいつまで待っても二人は戻っては来ないのです。僕は不安になりました。もしやと思い急遽(きゅうきょ)断崖の上へ引き返したのですが、やはり僕の予感は当たっていました。Nさん、僕は何も殊更に奇を好んでこの最後の場面を綴ろうとするのではありません。彼らの異常さを具体的にハッキリ説明し得ると信ずるからです。まるでマントを脱ぐように善から悪へ顚落(てんらく)した中村、利欲のために兄を殺そうとした弟、行動に中心がなくその時その場合を全く無自覚に生きて行くアモラル(無道徳)なF子、――これらは我々現下の思想を失った青年男女の象徴でなくて何でしょう。

 幾日ぶりかで顔を出した秋の月は、夜半に至ってますます冴え亘(わた)りました。海も岡も万象(ばんしょう)昼のように明るく、崖上(がけうえ)の草原は一面に鮮やかな青絵ノ具が刷(は)かれました。そこは淵に向かって緩いスロオプを描いていて、その上をころころと転がって行くふしぎか形の物を見ました。中村とF子がぴったり重なり合っているのです。どちらがそのような運動を起こしているのか、ころころと丸くなって崖淵の方へ転がって行くのです。

 それは明らかに計画的な心中であり、彼らが追い求めた悦楽の最後の饗宴だったのです。浅黒い男模様と真白な女模様の肉塊は、眼の覚めるような月光を浴びながら、そのまま数十丈の崖下へ、怒れる巨濤(おおなみ)の中へ落ち込んで行きました。

 ――あとには置いてけ堀にされた次郎の生首が、ひとりポツネンと、さあらぬ方を瞶めていました。……

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