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2024/12/03

和漢三才圖會卷第八十六 果部 五果類 巴且杏

 

Amonndo

 

あめんとう  八擔杏

       忽鹿麻

巴且杏

       【阿女牟止宇】

 

 

[やぶちゃん注:「且」は誤字ではなく、「旦」の異体字である。なお、「忽」は原本では、上部が「匇」になっているが、異体字としては、存在しないので、「忽」とした。]

 

本綱云巴且杏出回回國今關西諸土亦有樹如杏而葉

小實亦尖小而肉薄其核如梅核殼薄而仁甘美㸃茶食

之味如榛子

△按巴且者國名𫩜哇國之属而近于咬𠺕吧今多出者

 咬𠺕吧波斯之産而阿蘭陀將来之今有俗謂阿女牟

 止宇者乃桃之類【出西王母桃之下】此與巴且杏大異

 

   *

 

あめんどう  八擔杏《ぱたんきやう》

       忽鹿麻《こつろくま》

巴且杏

       【≪和名、≫「阿女牟止宇《あめんどう》」。】

 

「本綱」に云はく、『巴且杏《はたんきやう》は、「回回國《かいかいこく》」より、出づ。今、關西《かんせい》より出づ。諸土にも亦、有り。樹、「杏《あんず》」のごとくにして、葉、小《ちいさ》く、實《み》も亦、尖り小《ちいさく》して、肉、薄く、其の核《さね》、梅の核のごとく、殼、薄くして、仁《にん》、甘く美なり。茶に㸃じて、之れを食ふ。味、榛-子(はしばみ《のみ》)のごとし。』≪と≫。

△按ずるに、巴且(あめんどう)は、國の名≪にして≫、「𫩜-哇(ジヤワ)の國」の属にして、咬𠺕吧(ジヤガタラ)に近《ちかし》。今、多く出《いづ》る者、「咬𠺕吧」・「波斯(パルシア)」の産にして、阿蘭陀《オランダ》、之れを、將来す。今、俗に「阿女牟止宇《あめんどう》」と謂ふは《✕→者》、有《ある》は、乃《すなは》ち、桃の類《るゐ》なり【「西王母《せいわうぼ》の桃」の下(もと)に出づ。】。此れ、「巴且杏」と≪は≫、大《おほい》に異《い》なり。

 

[やぶちゃん注:これは、もう、皆さん、「あめんどう」の読みで、大方、察しがついておられるものと思うが、英語の“Almond”で、

双子葉植物綱バラ目バラ科モモ亜科サクラ属アーモンド Cerasus dulcis

である。「維基百科」は「扁桃」で、Prunus amygdalus 学名を挙げるが、当該ページの右手にある囲み標題記事の「科学分类」の二つ下にある「異名」の「同模異名」を展開すると、シノニムであることが判る。因みにこの「同模異名」と言う中国語は「同タイプ異名」(homotypic synonym:同じタイプ種標本に対して、新たな名前が再命名されることにより生じるシノニム)を指すものである。以下、「アーモンド」のウィキを引く(注記号はカットした)。『落葉高木およびその果実の種子から作るナッツである。原産地は中央アジア』。『日本では古くはヘントウ(扁桃)と呼ばれ、その名のとおりアンズ、モモ(桃)やウメ(梅)の近縁種で、梅などに似た果実をつける。その果肉は薄く食用にならないが、種子の殻を取り除いた種子の部分が「生アーモンド」として、食用になる』。さて、以下で、『アーモンドの訛ったアメンドウ、またハタンキョウ(巴旦杏)とも呼ばれるが、スモモの一品種「トガリスモモ」も』とあるのだが、多くのネット記事に、この同じ解説が載るものの、これは、現行では誤りであり、このウィキの記事が、その元凶のようである。この考え方は、かなり古い認識による誤りであって、現在この「トガリスモモ」は「スモモ」(バラ目バラ科サクラ属スモモ(トガリスモモ)Prunus salicina )の別名であるのである。『ハタンキョウと呼ばれることがあるので混同が生じる。ヒトの咽喉にある器官「扁桃」は形が似ていることからきている』。『原産はアジア西南部。現在では南ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリアなどで栽培されており、アメリカ合衆国カリフォルニア州が最大の産地である。日本では小豆島、鹿児島県湧水町、宮崎県、山形県で栽培されており、山形県では農産物として朝日町から栽培が始まり現在では天童市等でも栽培されている』。『樹高は約』五『メートルになる。日本では』三~四『月にかけて、葉のない枝に、アンズやモモとよく似た白色・桜色・桃色の花弁の端に小さな切り込みの入った花をサクラ同様』、『一斉に咲かせる』。但し、『花柄が非常に長いサクラの花と違い』、『アーモンドは花柄が非常に短く、枝に沿うように花を付けるため、桜色・桃色の花の品種の場合は』、『一見すると』、『モモの花のように見える』。七~八『月に実が熟する。果実が自然に落下することはないので、実の収穫の際には樹を「ツリー・シェイカー」』(英語は“almond shaker”。YouTubeのAndrea Holwegnerさんの“The "Shaker" - Machine that shakes almonds off a treeを見られたい。音量を落さないと、キョウレツなので、ご注意あれ)『と呼ばれる機械で揺さぶって実を落とす。日本では果実が熟す時期が梅雨時に重なるため、果肉が割れた時点で収穫を行わないと』、『腐敗したり』、『虫に食われたりする』。『スイート種(甘扁桃)とビター種(苦扁桃)があり、食用にされるのはスイート種である。スイートアーモンドには』、百『以上の品種があるとされるが、食用とされる主な品種は、ノンパレイユ(Nonpareil)、カリフォルニア(California)、カーメル(Carmel)、ミッション(Mission)、ビュート(Bute)などである。脂質を』五十五『%含む他、ビタミン』B2『も多く含む。ビター種は鎮咳などの薬用や着香料、アーモンドオイルの原料などとして利用される。ビター種の苦味はアミグダリンによるもので、一定量を摂取すると有害である。アミグダリンは加水分解されることで猛毒のシアン化水素を発生させる』。『ローストしてそのままや』、『塩味をつけて食べるほか、スライスしたり』、『粉末にしたりしたもの、粉砕してペースト状にしたものを、料理(コルマなど)や洋菓子(フィナンシェ、マカロン、アマレッティ、ヌガー、マルチパンなど)の材料にする。種子を水につけてからアーモンドミルクを絞って飲料とすることもある。ヨーロッパでは』、『特に中世にアーモンドやアーモンドミルクが料理に多用され、さまざまなレシピを生み出した。イランでは、未熟果をホレシュという煮込み料理に用いる。日本では、おつまみや栄養強化のスナック菓子として、小魚とミックスした「アーモンドフィッシュ」が販売されている』。『アーモンドの種子から絞ったアーモンドオイルは、料理に使われる他、キャリアオイル』(当該ウィキによれば、『Carrier oil』『は、アロマセラピーにおいて、主に精油(エッセンシャル・オイル)を希釈するための植物油である。マッサージオイルを作る際に使われる二次的原料と言うことができる。エッセンシャルオイルは基本的に非常に高濃度であって希少であり、原液のままでは強すぎて皮膚に直接使用することができない』とある)『としても用いられる』。『ビターアーモンドには青酸化合物であるアミグダリンが多く含まれるため、味が苦く、大量に摂取すると有毒である。鎮咳・鎮痙などの薬用、ベンズアルデヒドを多く含むため着香料、ビターアーモンドエッセンス、オイル(苦扁桃油)の原料として用いられる。イタリアのリキュール、アマレットの風味付けにも用いられる。イタリアなど製菓材料とする国もあるが、アメリカ合衆国などビターアーモンドの種子の市販を禁じている国もある』。以下、「栄養価」の項だが、省略する。『ヘブライ語で「見張る」「目覚める」という動詞を「サクダ」や「シャカッ」と言い、アーモンドはそれと同根で「シェケディーム」という。現代ヘブライ語では「シャケド」』『という』。『モーセの兄アロンの杖はあめんどうの木で作られており、その杖が芽を出し花が咲いて実を結んだことからイスラエルの祭司族の祖となるレビが選ばれた。そしてそのあめんどうの杖は、契約の箱の前に保存するようにと、旧約聖書』「民数記」第十七章第二十三節から第二十五節に『記述されている。なお、同じ』「民数記」『を教典に含む、ユダヤ教やイスラム教でも知られている』とある。

 「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷二十九」の「果之一」の「五果類」の「巴旦杏」([073-11b]以下)のパッチワークである。

「回回國《かいかいこく》」東洋文庫訳の割注には、『回回の旧地、新疆ウィグル自治区。』とするが、東洋史学者である竹島淳夫氏にして、これは、開いた口が塞がらない注である! 狭義の回族(ホウェイ族、或いは、フェイ族)は中国の少数民族の一つで、中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団を指すが(その一部の人々は、現在の「新疆ウイグル地区」にもいるのだが)、このように「回回國」と言った場合は、「ホラズム(ウズベク語:Xorazm/Хоразм)」で、中国の遙か西の、中央アジア西部に位置する歴史的地域であり、漢字では「花剌子模」と表記する。これは、ウィキの「ホラズム」にあるのだが、これに対応する「維基百科」は「花剌子模」を見ると、そちらには、はっきりと『至13始称“花拉子模”、“花剌子模”和“回回国”』とあるのである! これは、『十三世紀初めまでは、「花剌子模」は、中国では「回回國」と呼ばれていた。』と言う意味であろう。而して、ウィキの「ホラズム」にある地図によれば、カスピ海の南東沿岸から東方の位置に当たり、現在の、ウズベキスタンとトルクメニスタンの間に嘗つて存在した国であったのである!

「關西《かんせい》」東洋文庫訳の割注に、『函谷(かんこく)関より西。』とする。漢文でさんざんやった「鴻門之会」で覚えているだろう。一応、グーグル・マップのここだ。

「杏《あんず》」双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属杏子節 Armeniaca アンズ変種アンズ Prunus armeniaca var. ansu 。先行する「杏」を見よ。

「巴且(あめんどう)は、國の名≪にして≫」東洋文庫訳の割注には、『パタン。スマトラの中西部。』とするが、現行の音写は「パダン」(Padang)である。ここ(グーグル・マップ・データ)。インドネシア共和国の西スマトラ州の州都であり、最大の都市である。

「𫩜-哇(ジヤワ)の國」山川出版社「山川 世界史小辞典」から引く(コンマは読点に代えた)『ジャワJawa[インドネシア]』・『Java[英]』は、『インドネシアの主要島,面積』十三『万』平方キロメートル。『主要民族は西部のスンダ人、中部と東部のジャワ人、東部の一部のマドゥラ人である。すぐれた自然環境のもとで水稲耕作が発達し,古来』、『東南アジアの経済と文化の中心として繁栄した』。八『世紀以降』、『シャイレーンドラ朝、古マタラム王国、クディリ王国、シンガサリ王国、そしてマジャパヒト王国など』、『インド的な姿の国家が栄えた』が、十六『世紀からはイスラーム国家の時代になり』、十七『世紀には新マタラムが強大になったが、同世紀後半にはオランダの植民地化が進行し始めた。政治、経済、社会のあらゆる分野で』、『オランダ領東インド植民地の中心であり、インドネシア独立後も中心的位置を占める』。十九『世紀末以来』、『農村の過剰人口と貧困に悩んでいる』とある。

「咬𠺕吧(ジヤガタラ)」インドネシアの首都ジャカルタの古称(なお、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のことも指す)。

「波斯(パルシア)」ペルシャ。

「西王母《せいわうぼ》の桃」この後の三項目が、「せいわうほのもゝ 西王母桃」である。]

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