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2024/12/31

和漢三才圖會卷第八十七 山果類 林檎

 

Waringo

[やぶちゃん注:左下方に、花が二つ、描かれてある。] 

 

りんご  文林卽果

     來禽

     【和名利宇古宇

林檎   今利牟五】

 

 【初從河中浮來有文林卽

  拾得種之因以爲名云云】

[やぶちゃん字注:異名筆頭、及び、最後の割注にある「文林卽」は、孰れも「文林郎」の誤記か誤刻。訓読文では訂した。]

 

本綱林檎樹似柰而二月開粉紅花子亦如柰而差圓六

七月熟卽柰之小而圓者其味酸澀卽梣【一名楸子】也其類

多金【林檎】紅【林檎】水【林檎】𮔉【林檎】黑【林檎】皆以色味立

名有冬月再實者林檎熟時晒乾研末㸃湯服甚差謂之

[やぶちゃん字注:「差」は引用の誤りか、誤刻で、「美」である。訓読文では、訂した。]

林檎麨若林檎樹生毛䖝埋蠶蟻于下或以洗魚水澆之

[やぶちゃん字注:「蠶」は、原文では、最上部が「先先」になったものだが、表示出来ないので、通用字で示した。「蟻」は「蛾」の誤り、又は、誤刻。訓読文では、訂した。]

卽止皆物性之妙也

林檎【酸甘温】 下氣消痰治霍亂肚痛消渴者宜食之

 多食令人好𪾶或生瘡癤其子食之令人煩心

古今醫統云收貯法林檎毎百顆內取十顆椎碎入水前

[やぶちゃん注:最後の「前」は「煎」の誤記か誤植。訓読文では訂した。]

 候冷內缸中浸滿爲度宻封缸口久留佳

△按林檎花葉類海棠花莟紅色開則白帶微紅似海棠

 花而小其實有窪溝如繩痕徐熟半青半紅味淡甘微

 酸脆美今病人口中凋乾好吃之如實熱消渴者不害

 虛熱煩渴者生冷物不宜食

 

   *

 

りんご  文林郞果《ぶんりんらうくわ》

     來禽《らいきん》

     【和名、「利宇古宇《りうこう》」。

林檎   今、「利牟五《りんご》」。】

 

 【初め≪黃≫河の中より、浮き來たりしを、

  文林郞と云ふ人、有りて、拾ひ得て、之

  れを、種う。因りて、以つて、名を爲す

  と云云《うんぬん》。】

[やぶちゃん注:最後の割注の「云」「人」の漢字は送り仮名にある。]

 

「本綱」に曰はく、『林檎《りんきん》の樹、「柰《だい》」に似て、二月に粉紅《うすべに》≪の≫花を開く。子《み》も亦、「柰」ごとくにして、差《やゝ》、圓《まろ》く、六、七月、熟す。卽ち、柰の小《せう》にして、圓《まろ》き者なり。其の味、酸《すぱ》く、澀(しぶ)き者は、卽ち、「梣《しん》」【一名、「楸子《しうし》」。】なり。其の類《るゐ》、多し。「金」【林檎。】・「紅《こう》」【林檎。】・「水《すい》」【林檎。】・𮔉《みつ》【林檎。】・「黑《くろ》」【林檎。】、皆、色・味を以つて、名を立つ。冬月、再び實(み)のる者、有り。林檎、熟する時、晒乾《さらしほ》し、研《けん》し、末《みがき》≪な≫して、湯に㸃じて、服す。甚だ、美なり。之れを「林檎麨《りんごしやう》」と謂ふ。若《も》し、林檎の樹、毛䖝を生ぜば、蠶蛾《かいこが》を下に埋(うづ)み、或いは、魚を洗《あらひ》らる水を以つて、之れを澆《そそ》げば、卽ち、止《やむ》。皆、物性《ぶつせい》の妙なり。』≪と≫。

『林檎【酸甘、温。】』『氣を下《くだ》し、痰を消《けし》、霍亂・肚痛《はらいた》を治す。消渴《しやうけつ》[やぶちゃん注:口が渇き、小便が近い症状。私と同じ糖尿病のこと。]の者、宜しく、之れを食ふべし。』≪と≫。

『多≪く≫食へば、人をして、𪾶《ねむる》ことを好み、或いは、瘡癤《さうせつ》[やぶちゃん注:吹き出物。]を生ず。其の子《み》、之れを食へば、人をして煩心《はんしん》[やぶちゃん注:心臓が激しく悶え、苦しむこと。]せしむ。』≪と≫。

「古今醫統」に云はく、『收貯(たく《は》)ふ法。林檎、百顆《ひやくくわ》毎《ごと》[やぶちゃん注:返り点はないが、返して読んだ。]の內、十顆を取りて、椎(つ)き碎(くだ)き、水に入《いれ》、煎《せんじ》、冷《ひゆ》るを候《まち》て、缸《かめ》[やぶちゃん注:水を入れる大きな甕。]の中に內(い)れて、浸《ひたし》滿《みち》るを、度《たびたび》爲《な》し、宻《みつ》に缸の口を封ず。久《ひさしく》留《とど》めて、佳なり』≪と≫。

△按ずるに、林檎《りんご》の花・葉、海棠に類《るゐ》す。花・莟、紅色、開けば、則ち、白≪に≫微紅を帶ぶ。海棠の花に似て、小《ちさ》し。其の實、窪(くぼ)き溝《みぞ》、有り、繩《なは》の痕(あと)のごとし。徐(やや)、熟して、半《なかば》、青く、半、紅《あかく》、味、淡甘≪にして≫、微《やや》、酸《すぱく》、脆《もろ》く、美《うまき》なり。今、病人の口中、凋(ねば)り、乾《かはく》時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、好《このん》で、之れを、吃《こ》ふ。實熱にして消渴のごときなる者は、害、ああらず。虛熱にして、煩渴《はんかつ》[やぶちゃん注:激しい渇き。]の者は、生《なま》≪の≫冷《つめたき》物、宜《よろ》しく、食すべからず。

 

[やぶちゃん注:前々項以降、相応の覚悟をしてこれを電子化しているのだが、思いの外、すっきりと出来そうなことが、早速、判ってきた。それは、東洋文庫訳の「本草綱目」の引用の頭の「林檎」に割注で、『バラ科ワリンゴ』とあったからである。これは、漢字表記「和林檎」なのだが、実は、このワリンゴは中国原産なのである。

双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ亜科リンゴ属ワリンゴ Malus asiatica Nakai (1915)

である。当該ウィキのシノニム(synonym)をそのまま掲げておく。

Malus domestica var. asiatica (Nakai) Ponomar. (1991)

Malus domestica var. rinki (Koidzumi) Ohle (1986)

Malus dulcissima var. asiatica (Nakai) Koidz. (1934)

Malus dulcissima var. rinki (Koidz.) Koidz. (1916)

Malus matsumurae Koidz. (1909)

Malus prunifolia var. rinki (Koidz.) Rehder (1915)

Malus pumila var. rinki Koidz. (1913)

Pyrus matsumurae (Koidz.) Cardot (1918)

Pyrus ringo K.Koch (1869)

以上は主なもので、まだ他にもある。「維基百科」では、同種は「花紅」で立項し、異名を「沙果」(河北)・「文林郎果」(「本草綱目」)・「文林果」・「林檎」を挙げてある。

――♡いやいや! 地獄で仏の気分だね♡

気持ちよく、当該ウィキを引く(注記号はカットした。不要と判断した箇所は予告せずに省略した。下線・太字は私が附した)。『和林檎』は『ジリンゴ(地林檎)ともよばれる。春に白から薄ピンク色の花をつけ』、『黄色から赤色の果実が実る。中国原産であり、古くから栽培されて果実が利用されてきた。また』、『日本にも導入され、少なくとも鎌倉時代以降には栽培され』、『果実が食用や供え物として利用されていた。古くは本種が「リンゴ(林檎)」とよばれていたが、セイヨウリンゴの導入・普及とともにワリンゴ栽培は減少し、それに伴ってセイヨウリンゴがリンゴとよばれるようになった』。『葉は単葉。托葉は早落性、披針形、長さ』三~五『ミリメートル』、『縁に鋸歯があり、先は尖鋭形。葉柄は長さ』一・五~五『センチメートル』、『有毛』である。『葉身は卵形から楕円形』五~十一×四~五・五センチメートル、『基部は円形から広楔形、葉縁には鋸歯があり、先端は鋭頭から鋭尖頭、葉裏には密に毛があり、葉表は最初は有毛であるが』、『後に無毛』となる。『花期は』四~五『月』で、『短枝の先端に』四~七個から十個の『花からなる散形状の花序がつく。苞は早落性、披針形、有毛、先端は鋭尖形。花柄は長さ』一・五~二センチメートル、『密に毛がある。花は直径』三~四センチメートル、『花托に密に毛がある。萼片は三角形から披針形、長さ』四~五ミリメートル、『花托より』、『わずかに長く、両面に密に毛があり、縁は全縁、先端は尖鋭形。花弁は白色から』、『ややピンク色、倒卵形から長楕円形、長さ』〇・八~一・三センチメートル、『基部は短い爪状、先端は丸い。雄しべは』十七~二十『本、長さは不等で花弁より短い。花柱は』四~五『本、雄しべより長く、基部に綿毛がある。子房下位、子房は』四、五『室、中軸胎座で各室は』二『個の胚珠を含む』。『果期は』七~九『月。熟すと』、『果皮は黄色から赤色、直径』三・五~五センチメートル、『卵形から亜球形であり、基部が凹んでいる。果柄は長さ』一・五~二・五センチメートル、『軟毛がある。萼片は残存する。果肉には甘みもあるが、酸味や渋味が強い。貯蔵性は低い』。中国原産であり、おもに中国北部から東部に分布する。日当たりの良い斜面から平地の砂質土壌に生育する。朝鮮半島や日本にも導入され、古くから栽培されている』。さらに、ゲノム解析からは、カザフスタンなどに分布する Malus sieversii が中国北部に運ばれ、シベリアリンゴ Malus baccata と交雑することでワリンゴが生まれたと考えられている。一方で、 Malus sieversii (和名無し)『は西へも運ばれ、ヨーロッパで Malus sylvestris と交雑することでセイヨウリンゴ(現在の一般的な意味での「リンゴ」=セイヨウリンゴ Malus domestica 『が生まれた』★。

以下、「人間との関わり」の項。

『ワリンゴは、中国で「林檎」と表記されていた。中国では、「林檎」は遅くとも』六『世紀』(魏晋南北朝時代の混乱期を経て、世紀末に隋が統一した時期)『の本草書に記されており、この名は』(☞)『果実を食べに鳥が集まることを示す「来禽」に由来するともされる。特に中国北部から東北部で』、『果実利用のため』、『古くから栽培され、果実の形や色、大きさ、成熟期が異なるさまざまな栽培品種が作出された。しかし』、十九『世紀半ばにセイヨウリンゴが中国に導入され、下記の日本と同様に、現在では商業的に生産されている「リンゴ」のほとんどはセイヨウリンゴとなっている。中国では、現在』、『ワリンゴは「花や「沙果」、「文林郎果」と表記され、セイヨウリンゴは「苹果」や「蘋果」と表記されることが多い』。

一方、『日本における「林檎」の初出は』、『平安時代中頃』(承平年間(九三一年~九三八年)編纂)『の漢和辞典である』「和名類聚鈔」『であり、「カラナシ(カリン)に似て小さい実をつけるもの」とし、読みを「利宇古宇(りうこう/りうごう/りんごう)」としている。中世以降はリンキ、リンキン、リンゴの読みも見られるようになり、近世になるとリンゴの読みが一般的となった』。但し、「和名類聚鈔」は漢和辞典に過ぎず、『この時代に実際にワリンゴが日本で栽培されていたか否かは定かではない』。

しかし、『鎌倉時代の公家である藤原定家による』「明月記」の嘉禎元』(一二三五)年『の記に「庭樹林檎」とあり、少なくとも鎌倉時代には日本でも栽培されるようになったと考えられている。また、室町時代前期の』「庭訓往來」『や室町時代後期の』「尺素往來」(往来物は平安末期から明治初期にかけて編集・使用された一種の初歩教科書の総称で、当初は手紙の模範文例集であったが、近世に至って項目も多様化して、寺子屋の教科書となった)『にも記述があり、菓子(果物)の』一『つとして「林檎」が挙げられている。戦国大名である浅井長政による貰い受けた林檎に対する礼状が残っており、また』、『公家の山科言経』(ことつね)『による』「言經卿記」の天正一九(一五九一)年六月の記に、『林檎一盆が送られた』という『記述があることから、室町末期には上流階級では贈答などに用いられる果物であったことを示している』。

『江戸時代には、ワリンゴはさらに一般化し、東北地方から九州まで一部の地域で栽培されるようになったと考えられている』。十七『世紀』(「和漢三才圖會」の成立は正徳二(一七一二)年である)『の黒川道祐』(元和九(一六二三)年~元禄四(一六九一)年)は医者で歴史家。京都在住)『の書には』、「六月『下鴨納涼祭には売店が出てウナギの蒲焼やマクワウリ、桃、林檎が売られる」との記事があり、京都庶民の夏の果物となるほど普及していた』。『また天明』七(一七八七)年六『月、天明の大飢饉で困窮した民衆が京都御所に嘆願に集まった(御所千度参り)際に、後桜町上皇が皇室に献上されていた林檎』三『万個を民衆に下賜したとの記録がある。また』、『これに倣って』、『光格天皇が幕府と掛け合って二条城の米を放出させ、これらの行為が後の皇室敬慕、尊王思想につながったともされる。日本においては果期がお盆と重なるため、供え物としても利用されていた』。

『明治時代になると、日本政府はリンゴ属の別種である Malus domestica の苗木を大量に欧米から導入し、全国に配布した。Malus domestica の栽培が拡大するにつれ、林檎(ワリンゴ)の栽培は激減した。当初、Malus domestica はセイヨウリンゴ、オオリンゴ、トウリンゴ、苹果(へいか)などとよばれたが、単にリンゴと呼ばれることが多くなり、それに伴って』、『それまでの「リンゴ」はワリンゴまたはジリンゴとよばれるようになった』とある。

 なお、「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十」の「果之二」の「山果類」の「林檎」([075-17b]以下)のパッチワークである。必要があろうから、引用しておく(一部の表記に手を加えた)。

   *

林檎【宋開寶】 校正【併入拾遺文林郞果】

 釋名 來禽【法帖】文林郞果【藏器曰文林郞生渤海間云其樹從河中浮來有文林郞拾得種之因以爲名珣曰文林郞南人呼爲榲桲是矣時珍曰案洪玉父云此果味甘能來衆禽於林故有林禽來禽之名又唐髙宗時紀王李謹得五色林檎似朱柰以貢帝大恱賜謹爲文林郞人因呼林檎爲文林郞果又述征記云林檎實佳美其榲桲微大而狀醜有毛而香闗輔乃有江南甚希據此則林檎是文林郞非榲桲矣】

 集解【志曰林檎在處有之樹似柰皆二月開粉紅花亦如柰而差圓六月七月熟頌曰亦有甘酢二種白者早熟而味脆美酢者差晚須爛熟乃堪噉今醫家乾之入治傷寒藥謂之林檎散時珍曰林檎卽柰之小而圓者其味酢者卽楸子也其類有金林檎紅林檎水林檎蜜林檎黑林檎皆以色味立名黑者色似紫柰有冬月再實者林檎熟時晒乾研末㸃湯服甚美謂之林檎麨僧賛寧物類相感志云林檎樹生毛蟲埋蠶蛾於下或以洗魚水澆之卽止皆物性之妙也】

 氣味酸甘温無毒思【邈曰酸苦平濇無毒多食令人百脈弱志曰多食發熱及冷痰澀氣令人好唾或生瘡癤閉脈其子食之令人煩心】主治下氣消痰治霍亂肚痛【大明】消渴者宜食之【蘇頌】療水糓痢洩精【孟詵】小兒閃癖【時珍】

 附方【舊三】水痢不止【林檎半熟者十枚水二升煎一升并林檎食之【食醫心鏡】】小兒下痢【林檎構子同杵汁任意服之【子母秘録】】小兒閃癖【頭髮豎黃瘰㾧瘦弱者乾林檎脯研末和醋傅之【同上】】

 東行根主治白蟲蚘蟲消渴好唾【孟詵】

   *

「文林郞果」上記の「本草綱目」には、三名の語る故事が記されてあるが、時代が明確に記されてある二番目の時珍の語るそれを見るに、初唐の第三代高宗(在位:六四九年~六八三年)の時、紀王であった李謹が、既存の林檎の「朱柰」(しゅだい)に似た、五色の林檎を献貢したところ、高宗は、大いに悦んで、李謹に「文林郎」の位を賜った。因って、それ以後、「林檎」を「文林郎果」と称するようになった、とある。

「林檎麨《りんごしやう》」「麨」は「麦焦がし・はったい粉(こ)」を意味する。以上のような処理をした粉末が似ていたからであろう。中文検索を掛けたが、現在は作られていないようである。

「古今醫統」複数回、既出既注。]

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