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2024/12/16

和漢三才圖會卷第八十六 果部 五果類 栗

 

Kuri

 

[やぶちゃん注:中央下方に毬(いが)から出した栗の実二個が描かれてある。その右隣りには「杓子」とキャプションして、まさに「杓子」の絵が描かれてある。これは注で述べたが、「栗楔」(リツケイ)で、栗の普通の実の間の有意に平たい栗を指す。しかし、こんな柄のある形は、逆立ちしても、していない。されば、良安は、うっかり、モノホンの「杓子」(「栗楔」の俗称であるが、実際に、栗材を用いて、杓子を作る)そのものの絵を描いてしまったものか?]

 

くり    篤迦【梵書】

      【和名久利】

【本字㮚】

      毛毬

      【和名以加】

      栗荴【和名久

         利乃之不】

リツ    栗楔【音屑】

      【俗云杓子】

 

本綱栗可種成不可移栽高二三𠀋葉極類櫟四月開花

青黃色長條似胡桃花其實苞生多刺如蝟毛毎枝不下

四五箇苞有青黃赤三色將熟則罅折子出中子或單或

雙或三或四其殼生黃熟紫殼內有膜裹仁九月霜降乃

熟其苞自裂而子墜者乃可久藏苞未裂者易腐也其花

作條大如筯頭長四五寸可以點燈

栗外刺包者名毛毬 栗內薄皮赤色者名栗荴【味澀故曰澀皮】

 山家

  山風に峯のさゝくりはらはらと庭に落ちしく大原の里寂然

 板栗【栗之大者】

 山栗【栗之稍小者】

 錘栗【山栗之圓而末尖者】

 莘栗【圓小如橡子者也詩曰樹之莘栗是也】

 茅栗【栗之稍小如指頭者 一名㧫栗又名抏子和名佐々久利】

 栗楔【一毬三顆其中扁者】

[やぶちゃん注:以上は全文が一字下げで、各個が一字空けに書かれているので、改行した。「詩經」の引用は重大な誤りがあるので、注意。後注で示すが、原詩は「樹之榛栗」である。訓読割注も参照のこと。

栗實【鹹溫】 作粉食勝於菱芡伹飼孩兒令齒不生小兒

 不可多食生則難化熟則滯氣生蟲伹日中曝乾者下

 氣補益

△按栗花五月梅雨中落故俗𤲿墮栗花爲梅雨之訓凡

 栗花長而其子圓豇豆花短而子長不因於物花形也

 丹波船井郡和知之產甚大【俗云父打栗】所謂板栗是乎上

 野下野越後及紀州熊野山中有山栗小扁一歳再三

 結子其樹不大木所謂茅栗是乎

 凡栗材埋土不朽也勝於楠槙之軰然木不甚大不堪

 爲板唯爲𰊃塀之柱佳耳

[やぶちゃん注:「𰊃」は「墻」の異体字。]

 或書曰景行天皇四年淡海國有一枯木殖梢穿空入

 雲問由於國老云神代栗木昔此木枝並山嶽故云並

 枝山又並連髙峯故云並聯山毎年葉落成土土中悉

 栗葉也栗本郡之名亦起于此乎


擣栗  【音刀與擣同】

     【俗云加知久利又云地美】

本綱云栗腎之果補腎之物於五果屬水水潦之年則栗

不熟類相應也以袋盛生栗懸乾毎且喫十餘顆可也蓋

風乾之栗勝於日曝而火煨油炒勝於煮蒸若頓食至飽

反致傷脾矣

 搗栗造法用老栗連殼晒乾稍皺時臼搗去殼及荴皮

 則肉黃白色堅味甜美或浸熱湯及煨灰待軟食亦佳

 或食時用一二顆握於掌稍溫則柔爲乾果之珍物也

 以爲嘉祝之果蓋取勝軍利之義武家特重之

古今醫統云取霜後老栗子日晒乾以新罈先入炒過凉

沙將栗裝入一層沙一層栗約九分滿以沙蓋上用箬一

層蓋之竹片十文字按定覆罈口於地上以黃土封之逐

漸取用不得近酒可留至夏也

栗子炒而不爆法 炒時擧一枚在手中不爆勿令人知

 又法只以一枚咬破蘸香油同衆栗入鍋炒之皆不爆

 銀杏亦然 又法五雜組云栗子於眉上擦三過則燒

 之不爆 又燒栗斫外皮燒之則不爆此捷法也

 

   *

 

くり    篤迦《とくか》【梵書。】

      【和名、「久利」。】

【本字「㮚」。】

      毛毬《もうきう》

      【和名、「以加《いが》」。】

      栗荴《りつぷ》【和名、

      「久利乃之不《くりのしぶ》」。】

リツ    栗楔《りつせつ》【音「屑《セツ》」。】

      【俗、云ふ、「杓子《しやくし》」。】

 

「本綱」に曰はく、『栗は種≪より≫成《なす》べし。移し栽うべからず。高さ、二、三𠀋。葉、極めて櫟《くぬぎ》に類す。四月、花を開く。青黃色。長≪き≫條《すぢ》にして、胡桃(くるみ)の花に似《にる》。其の實、苞生《はうせい》の多き刺(はり)、蝟《はりねずみ》の毛のごとく、枝毎《ごと》≪に≫[やぶちゃん注:返り点はないが、返して読んだ。]、四、五箇に下らず。苞、青・黃・赤、三色、有り、將に熟せんとする≪に≫、則ち、罅-折(はぢ)けて、子《み》、出づ。中の子、或いは、單《ひとつ》、或いは、雙《ふたつ》、或いは、三つ、或いは、四つ。其の殼、生《わかき》は、黃、熟《じゆく》≪とせ≫ば、紫。殼の內に、膜、有りて、仁《にん》を裹(つゝ)む。九月、霜、降《ふり》て、乃《すなはち》、熟す。其の苞、自裂して、子、墜(をつ[やぶちゃん注:ママ。])る者は、乃《すなはち》、久《ひさし》く藏《つつ》む。苞、未だ裂けざる者は、腐《くさり》易しなり。其の花、條《すぢ》を作《なし》、大(ふと)さ、筯(はし)[やぶちゃん注:箸。]の頭《かしら》のごとく、長さ四、五寸。以《もつて》、燈《ともし》を點ず。』≪と≫。

『栗の外、刺(はり)にて包む者、「毛毬(いが)」と名づく。』。『栗の內《うち》、薄皮、赤色の者を「栗荴」と名づく。』≪と≫。【味、澀(しぶ)き故、「澀皮《しぶかは》」と曰ふ。】[やぶちゃん注:この割注は良安のもの。]

 「山家」

  山風に

    峯のさゝくり

   はらはらと

      庭に落ちしく

           大原の里 寂然

『板栗(いたぐり)』『【栗の大なる者。】』。[やぶちゃん注:以下、栗の形状の異なる物を挙げるので、改行した。送る「≪と≫」は最後以外は略した。]

『山栗《やまぐり》』『【栗の、稍《やや》小さき者。】』。

『錘栗《すいりつ》』『【山栗の、圓《まろ》くして、末《すゑ》、尖れる者。】』。

『莘栗《しんりつ》』『【圓く、小さく、橡《とち》の子《み》のごときなる者なり。「詩」[やぶちゃん注:「詩經」。]に曰《い》う[やぶちゃん注:ママ。]、「之れに樹《う》うるは莘栗」、是れなり。】』。[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:原文起こしでも割注したが、「詩經」の引用は重大な誤りがあるので、注意。後注で示すが、原詩は「樹之莘栗」ではなく、「樹之榛栗」であり、これは、訓読すると、「之れに樹うるは 榛(しん)・栗(りつ)」であり、「莘栗」という栗の名ではない。「榛」は「はしばみ」である。

 茅栗(さゝぐり)【栗の、稍《やや》小《ちさ》く指の頭《かしら》のごとき者。一名、「㧫栗《じりつ》」、又の名、「抏子《がんし》」。和名「佐々久利《ささぐり》」。】[やぶちゃん注:この「茅栗」の一行は、「本草綱目」にはなく、良安が勝手に黙って挿入したものである。こういうやり口(和名「佐々久利」があるから、まだしもだが)は、現在の出版物であれば、直ちに非難されるレベルの勝手な挿入である。

『栗楔《りつせつ》』『【一毬《ひといが》≪に≫三顆《さんくわ》≪にして≫、其の中≪の實の≫扁《ひらたき》者。】』≪と≫。

『栗實(くりのみ)【鹹、溫。】』『粉《こ》と作《なして》、食《く》≪ふと≫、「菱(ひし)」・「芡(みづぶき)」[やぶちゃん注:被子植物門モクレン綱スイレン目スイレン科オニバス属オニバス Euryale ferox 当該ウィキによれば、『中国やインドでは』、『種子を食用としており、そのための栽培をしていることもある』。『また』、『果実や若い葉柄なども食用とされることがある』。『種子は芡実(けんじつ)ともよばれ、滋養・強壮や鎮痛のための生薬として用いられることがある』とある。]より勝れり。伹《ただし》、孩兒《がいじ》の飼《たべ》≪さすれば≫、齒をして生(は)へざらしむ。小兒、多く食すべからず。生《わかき》は、則ち、≪消≫化し難く、熟《じゆく》≪としもの≫は、則ち、氣を滯(とゞこほ)らし、蟲を生ず。伹《ただし》、日中《になか》にて曝-乾《さらしほす》者は、氣を下《くだ》し、補益あり。』≪と≫。

△按ずるに、栗の花、五月、梅-雨(つゆ)の中《うち》、落つ。故《ゆゑ》、俗、「墮栗花」と𤲿《かき》て、「梅雨(つゆ)」の訓《くん》を爲《なす》。凡そ、栗の花は長《ながく》して、其の子《み》、圓《まろ》く、「豇豆(さゝげ)」[やぶちゃん注:双子葉植物綱マメ目マメ科ササゲ属ササゲ亜属ササゲ  Vigna unguiculata 。「大角豆」とも漢字表記する。当該ウィキを見られたい。]の花は、短《みじかく》して、子、長し。物《もの》は、花の形《かたち》に因《よ》らざるなり。丹波、船井郡和知[やぶちゃん注:現在の京都府船井郡京丹波町のこの附近(グーグル・マップ・データ)。和知の地名は残っていないが、諸施設名の中に残る。]の產、甚だ、大≪なり≫【俗、云ふ、「父打栗《ててうちぐり》」。】。所謂《いはゆ》る、「板栗」、是れか。上野《かうづけ》・下野《しもつけ》・越後、及び、紀州熊野の山中に、山栗、有り。小≪さく≫、扁《ひらた》く、一歳に、再(ふたゝび)、三(みたび)[やぶちゃん注:東洋文庫訳では「再三」に『なんかいも』とルビする。]、子を結ぶ。其の樹、大木《たいぼく》ならず。所謂る、「茅栗(さゝぐり)」、是れか。

 凡そ、栗の材は、土に埋《いづまり》て、朽《くち》ざること、楠《くすのき》・槙《まき》の軰《やから》に勝(まさ)る。然《しか》れども、木、甚だには、大(ふと)からず≪して≫、板と爲《す》るに堪へず。唯、𰊃《かきね》・塀《へい》の柱と爲《なし》て、佳《か》なるのみ。

[やぶちゃん注:「𰊃」は「墻」の異体字。]

 或る書に曰はく、『景行天皇四年、淡海(あふみの)國に、一《いつ》の枯木《かれき》、有り。殖《のびたる》梢、空を穿(うが)ち、雲に入《いる》。由《よし》を問へば、國の老、云ふ、「神代《かみよ》の栗の木なり。昔、此の木の枝、山嶽に並ぶ。故に、「並枝山(ひゑの《やま》[やぶちゃん注:ママ。])」と云ふ。又、髙峯《たかみね》を並-連《ならべつらな》る故、「並聯山(ひらの《やま》)」と云《いふ》。毎年、葉、落《おち》て、土と成り、土中《つちなか》、悉く、栗葉なり。」』云云《うんぬん》。栗本郡《くりもとのこほり》の名も亦、此れより起こるか。


擣栗(かちぐり/ぢみ)  【音「刀」。「擣」と同じ。】

     【俗、云ふ、「加知久利《かちぐり》」、又、云ふ、「地美《ぢみ》」。】

[やぶちゃん注:標題「擣栗」の読みは、上が右、下が左に打たれてある。]

「本綱」に云はく、『栗は、腎の果《くわ》≪なり≫。腎を補≪する≫の物、五果に於いて、水に屬す。水潦《すいりやう》の年[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、『長雨の年』となっている。]、則ち、栗、熟せず。類《るゐ》、相應《さうおう》すればなり。袋を以つて、生栗《なまぐり》を盛り、懸-乾《かけぼし》≪にし≫、毎且《まいたん》[やぶちゃん注:「且」は「旦」の異体字。毎朝。]十餘顆《じふよくわ》を喫《きつし》て、可なり。蓋し、風-乾《かざぼし》の栗は、日曝《ひざらし》より勝れり。而して、火にて煨《うづみやき》し、油にて、炒《い》り≪たるは≫、煮《に》≪たり≫、蒸《む》≪し≫たるより、勝《すぐれ》たるべし。若《も》し、頓りに、食《くひ》て、飽(あ)くに至れば、反《かへり》て、脾を傷《いたむ》ることを致す。』≪と≫。

 搗栗を造る法。老(ひね)たる栗を用《もちひ》て、殼を連《つら》ね、晒-乾《さらしほし》て、稍《やや》、皺《しば》む時、臼《うす》に搗(つ)きて殼、及び、荴皮(しぶかは)を去れば、則《すなはち》、肉、黃白色、堅《かたく》、味、甜《あま》く美なり。或いは、熱湯に浸し、及び、灰に煨(わい)して[やぶちゃん注:火を起こした灰の中に埋めて、蒸し焼きにして。]、軟《やはら》ぐを待《まち》て、食《くふ》も亦、佳《よ》し。或いは、食《くふ》時、一、二顆《くわ》を用《もちひ》て、掌《てのうち》に握り、稍《やや》、溫《あたたむ》れば、則ち、柔《やはらか》く、乾≪したる≫果《くわ》の珍物《ちんもつ》たり。以つて、嘉祝の果と爲《なす》。蓋し、「勝軍利(かちぐり)」の義を取り、武家、特に之れを重んず。

「古今醫統」に云はく、『霜の後、老《ひね》≪たる≫栗の子を取り、日≪に≫晒乾《さらしほし》、新≪たなる≫罈《タン》[やぶちゃん注:口が小さくて、腹が膨らんだ容器。]を以つて、先《ま》づ、炒《い》り過《すぐし》、凉(すゞ)しき沙《すな》を入れて、栗を將《も》て、一層、裝-入《よそおひいれ》、≪又、≫沙、一層≪入れ≫、栗、約(をほむね[やぶちゃん注:ママ。])≪罈の≫九分≪目まで≫滿ち≪らせ≫、沙を以つて、上に蓋《おほ》ひ、箬《たけのかは》、一層を用て、之れを蓋《ふたし》て、≪その蓋の上を≫竹片《ちくへん》にて、十文字に按《おさ》へ定《さだむ》。≪次いで、≫罈≪の≫口を地上に覆(うつぶ)け、黃土《くわうど》を以つて、之れを封ず。逐漸《ちくぜん》≪として≫[やぶちゃん注:「ゆっくりと変化させるさま」及び「その時間の経過」を指している。]、取用《とりもちふ》。《但し、》酒に近《ちかづ》くことを得ず≪して≫[やぶちゃん注:「決して酒を近くには置かずに」という禁忌条件である。]、留《とどめ》て、夏に至るべし[やぶちゃん注:夏に至るまでは、食さずに、保存するという限定条件である。かなり厳しい製法である。]』≪と≫。

栗≪の≫子を炒りて爆(は)ぜ≪ざさ≫ざる法 炒る時、一枚に《✕→を》擧《とりあげ》、手の中に在《ある》時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、爆ぜず。人をして知≪らせしむる≫勿《なか》れ。 又、法。只《ただ》、一枚を以つて、咬(か)み破《やぶ》り、香油《かうゆ》に蘸(ひた)し、衆《しゆ》の栗[やぶちゃん注:他の栗。]同じく、鍋に入れて、之れを炒れば、皆、爆ぜず。銀杏も亦、然《しか》り。 又、法。「五雜組」に云はく、『栗の子、眉《まゆ》の上に於いて、擦(す)ること、三たび過ぐれば、則ち、之れを燒きて、爆ぜず。』≪と≫。 又、栗を燒くに、外皮《そとがは》を斫(はつ)りて、之れを燒く。則ち、爆ぜず。此れ、捷法《せうはう》なり。

 

[やぶちゃん注:ウィキの「クリ」によれば、『クリ(栗、学名:Castanea crenata )は、ブナ科クリ属の落葉高木。クリのうち、各栽培品種の原種で山野に自生するものは、シバグリ(柴栗)またはヤマグリ(山栗)と呼ばれる、栽培品種はシバグリに比べて果実が大粒である。また、シバグリも』、『ごく一部では栽培されている。クリの仲間は日本種、中国種、アメリカ種』(和名「アメリカグリ」: Castanea dentata )、『イタリア種』(和名「ヨーロッパグリ」: Castanea sativa )『があるが、植物分類学上の種としてのクリは、日本種(ニホングリ)のことを指す』とあるので、まずは、「本草綱目」の引用からがメインであるから、中国種の、

双子葉植物綱ブナ目ブナ科クリ属シナグリ Castanea mollissima

を掲げ、次いで、良安の評言部に対しては、

クリ属クリ(ニホングリ) Castanea crenata

を示すこととする。幸い、本邦のウィキの「シナグリ」があるので、それを引く(注記号はカットした)。『支那栗』の『原産は中国大陸』。『日本では主に甘栗(天津甘栗)の名前で知られている実を結ぶクリの一種。中国では』「板栗」『と称される種にあたる。ニホングリのように渋皮がタンニンによって食用部分に密着しないので、煎ったものを手や器具でむいて食べるのが容易である』とある。「維基百科」の「板栗」もリンクさせておく。『中国大陸を原産とする種には』『ヘンリーグリ( Castanea henryi )、モンパーングリ』(和名はドイツ語由来『: Castanea seguinii )があるが』、『シナグリと種が異なる。北アメリカ大陸で栽培されている』。『朝鮮半島では北部の咸鏡道で栽培され』、『中国産より比較的小振りで』「朝鮮栗」『と称される』。『日本では高知県や岐阜県にて品種改良されたものが栽培されている』。『ニホングリと同様、病害虫に強く、ヨーロッパやアメリカ大陸で同地原産の栗と掛け合わせることにより』、『病害虫に強い栗をつくることもされている』。以下、「栽培品種」の項から。品種学名は、論文類を管見しても、見当たらないものが殆んどなので、ここでは、示し得ない。以下のウィキの「クリ」の引用に「品種」の項があり、そこには学名が載る。

  • 哲西栗(『岡山県新見市哲西町で、昭和』九(一九三四)『年に神戸から天津栗を手に入れて日本栗に接木などをしながら』、『土地に合うよう改良した品種で、天津栗より』三『倍も実が大きいにもかかわらず』、『甘味が強い』)
  • 岡山1号(『比較的』、『大型の品種でシナグリの中では豊産である。果肉は鮮やかな濃黄色でニホングリと容易に区別できる』。他に、「岡山2号」「岡山3号」(以下)がある。二〇〇八年に品種登録されている)
  • 岡山3号 (『岡山1号より』、『小柄で』、『天津甘栗と同程度の大きさか』、『やや小さい。果肉は濃黄色で、栗御飯など栗の形を生かした料理に向いている』)

以下、「甘栗」の項であるが、冒頭に独立した『調理法については「石焼き」を参照』とある(但し、そこは広義の料理法で、栗以外の食材も扱って、更に「関連項目」で栗ではない食材のリンクがある)。『甘栗(あまぐり)、天津甘栗(てんしんあまぐり)は、栗を熱した小石の中で砂糖をかけながら煎ったものである。中国大陸では』、『西暦』十三『世紀』頃(モンゴル帝国の全盛期に当たる)、『麦芽糖に栗を混ぜて砂と一緒に釜で焼く「糖炒栗子」が存在し、麦芽糖によって栗の皮を甘くし、見映えをよくするという工夫がなされていた。これは、原理的には現在の甘栗とほぼ同じである。宋代』(九六〇年~一二七九年)『に流行し、都の開封には名物として知られた焼栗屋があったことが』、かの南宋(一一二七年~一二七九年)の政治家で詩人として知られる陸游(一一二五年~一二一〇年)の随筆集「老學庵筆記」『に見えている』とある。「中國哲學書電子化計劃」で同書を調べたところ、「卷二」のここに(一部の表記に手を加えた)、

   *

故都李和炒栗、名聞四方。他人百計效之、終不可及。紹興中、陳福公及錢上閣愷出使虜庭。至燕山、忽有兩人持炒慄各十裹來獻、三節人亦人得一裹、自贊曰、「李和兒也。」。揮涕而去。

   *

とあった。『中国大陸産のシナグリや』、『その焼き栗は中国国内では』、『北京が名産地として知られているが、天津港が伝統的な海外出荷拠点であったため、天津栗または天津甘栗、甘栗の名で日本に輸入されている。しかし、天津市以外からも輸入されるため、これら輸入物を中国栗と呼んでいる。なお、中国では「天津甘栗」とは言わず、「糖炒栗子」、「炒栗子」と呼ばれ、北京名物である。日本以外でも台湾では「天津糖炒栗子」等、「天津」の名を冠して一般的に売られている』とある。

 次いで、本邦のウィキの「クリ」を引く(同前だが、長いので、必要を感じない項目を注無しでカットした箇所がある。下線黒字は私が附した)。『クリのうち、各栽培品種の原種で山野に自生するものは、シバグリ(柴栗)』(★本項の良安が添えた寂然の歌の『さゝくり』(ささぐり:笹栗)はこの「シバグリ」の異名である★)またはヤマグリ(山栗)と呼ばれる』。『栽培品種はシバグリに比べて果実が大粒である。また、シバグリもごく一部では栽培されている。』『和名「クリ」の語源は諸説あり、食料として古くから栽培され、果実が黒褐色になるので「黒実(くろみ)」になり、これが転訛して「クリ」と呼ばれるようになったという説、樹皮や殻が栗色というところから樹名になったという説、クリとはもともと「小石」という意味の古語で、かたい殻を持つ落ちた実を小石に例えてクリと呼んだという説などがある。日本では野生種はヤマグリ(山栗)と呼ばれ、果実が小さいことからシバグリ(柴栗)とも言い、これを改良した園芸種がニホングリ(日本栗)である。中国植物名は栗(りつ)。中国のシバグリが、甘栗(天津甘栗)として市販される栗である』。『英語名のチェストナッツ(Chestnut)は、いがの中の果実がいくつかに分かれている様子から、部屋の意味の Chest から命名されている。学名のクリ属を表すラテン語のカスタネア(Castanea)は、実の形から樽を意味するカスクに由来する。日本の栗は、学名でカスタネア・クレナータ( Castanea crenata )と呼ばれる種で、クリ属の中でいわゆる日本種の中心をなすものである』。『日本と朝鮮半島南部原産。北海道西南部から本州、四国、九州の屋久島まで、および朝鮮半島に分布する。暖帯から温帯域に分布し、特に暖帯上部に多産する場合があり、これをクリ帯という。北海道では、石狩低地帯付近まであるが、それより北東部は激減する』。『日当たりの良い山地、丘陵などに自生する。ただし、現在では広く栽培されているため、自然分布との境目が判りにくい場合がある。中華人民共和国東部と台湾でも栽培されている』。『世界的には、クリの仲間は北半球の温帯に広く分布して』いる。『落葉性高木で、高さ』十五『メートル』、『幹の直径は』八十『センチメートル』、『あるいはそれ以上になる。樹皮は暗灰褐色で厚く、老木の樹皮は縦長に深くて長い裂け目を生じる。一年枝は赤褐色で、無毛か』、『少し』、『毛が残る』。『葉は短い葉柄がついて互生し、葉身の長さ』八~十五センチメートル、『幅』三~四センチメートル『の長楕円形か長楕円状披針形で、先端は鋭く尖り、基部は円形からハート形をしており、やや薄くてぱりぱりしている。葉の表は濃い緑色でつやがあり、裏は』、『やや』、『色が薄くて細かい毛で覆われ、淡黄色の腺点が多数ある。葉縁には鋭く突き出した小さな鋸歯が並ぶ。葉は全体にクヌギによく似ているが、鋸歯の先端部はクヌギほど長く伸びない。秋に実が熟すころには、葉も紅葉して色づき始め、黄色や黄褐色に変化して散っていく。地上に落ちた葉は褐色となって、樹下の林床を覆う』。『雌雄同株、雌雄異花で』、六『月を前後する頃に開花する。花序は長さ』十~二十センチメートル『の紐のような穂状で、斜めに立ち上がりながら』、『先は垂れ、全体にクリーム色を帯びた白色である。花序の上部には多数の雄花がつき、下部に』二、三『個の雌花がつく。個々の花は小さいものの、白い花穂が束になって咲くので葉の緑を背景によく目立つ。クリの雄花の匂いは独特で、すこし精』液『臭を帯びた青臭い生臭さを持つのがあり、香りも強く、あたり一帯に漂う』。これは、栗の花に不飽和アルデヒド(unsaturated aldehyde:炭素―炭素不飽和結合(芳香環は除く)を持つアルデヒド類)が含まれており、これが独特の臭いを発生させる。これは、動物の精子が持つ臭(にお)いの成分と構造が似ているため、同じような臭いがするのである。別に、烏賊(イカ)が腐敗し始めた時のような臭いと表現されることもある)『クリは自家受粉しない。ブナ科』Fagaceae『植物は風媒花で花が地味のものが多いが、クリは虫媒花で、雄花の匂いをまき散らしてハエやハチのなかまの昆虫を呼び寄せて、他家の花粉を運ばせる。一般に雌花は』三『個の子房を含み、受精した子房のみが肥大して果実となり、不受精のものは』「しいな」(粃・秕:この場合は、よく実が入らずにしなびた果実を指す語である)『となる』。『秋』の九~十月頃に『実が茶色に成熟すると、いがのある殻斗が』四『分割に裂開して、中から堅い果実(堅果であり種子ではない)が』一『個から』三『個ずつ現れる。果実は単に「クリ(栗)」、または「栗の実」と呼ばれ、普通は他のブナ科植物の果実であるドングリとは区別される。また、毬状』(きゅうじょう)『の殻斗』(かくと:クヌギ・カシ・ナラなど、ブナ科植物の果実を包む、コップ状、或いは、球形の器官。雌花の苞葉(ほうよう)が融合して形成されたものを指す)『に包まれていることからこの状態が毬果と呼ばれることもあるが、中にある栗の実自体が種子ではなく』、『果実であるため』、『誤りである。実の香りの主成分はメチオナール』(MethionalCH3SCH2CH2CHO)『(サツマイモの香りの主成分)とフラノン』(正しくは「2-Furanone」。C4H4O2)『(他にはイチゴやパイナップルに含まれている)。無胚乳種子である』。『冬芽は枝の先端に仮頂芽、側芽は互生してつき、丸みのある三角形でクリの実に似ている。冬芽の芽鱗は』三、四』『枚』、『つく。葉痕は半円形で、維管束痕は多数ある』。以下、「下位分類」の項。『ニホングリは実は大きいが甘味が少なく、「筑波」「丹沢」などの品種がある。京都産として知られるタンバグリ(丹波栗)は、主に「銀寄」(ぎんよせ)という大ぶりな品種である』。以下、「品種」の小項目より。

●ヤツブサグリ Castanea crenata f. foemina (八房栗。『花穂に多くのイガをつける』)

タンバグリ Castanea crenata f. gigantea (丹波栗。別名「オウグリ」(「王栗」か?)。『栽培品種としては「銀寄」と呼ばれる』)

ハゼグリ Castanea crenata f. imperfecta爆ぜ栗。別名「ハダカグリ」(「裸栗」か?)。『果皮が縦に裂けて内部が見える』)

シダレグリ Castanea crenata f. pendula  枝垂れ栗。『樹幹や枝が屈曲し』、『垂れ下る』)

ハコグリ Castanea crenata f. pleiocarpa(「八個栗」か? 『シノニム 』Castanea crenata var. pleiocarpa 。一『つの殻斗に果実が』六『個から』八『個』、『入る』)

ハナグリ Castanea crenata f. pulchella(花栗。『シノニム』 Castanea crenata var. pulchella 。『花とイガは赤い』)

トゲナシグリ Castanea crenata f. sakyacephala棘無し栗。『シノニム』 Castanea crenata var. sakyacephala 。『殻斗のイガが極端に短い』)

『栽培品種は約』二百『種類以上あり、シバグリが改良されたものが主ではあるが、海外産のクリ類と交雑されたものも存在する。栽培品種は収穫期により早生、中生、晩生に大別される。以下代表的品種』(それぞれの後が下位品種名の一部)。

■早生栗(『丹沢(たんざわ)』・『国見(くにみ)』)

■中生栗(『筑波(つくば)』・『銀寄(ぎんよせ)』・『利平栗(りへいぐり)』)

■晩生栗 (『石鎚(いしづち)』・『岸根(がんね)』)

以下、「栽培」の項。『温帯域に広く分布してきたクリは、それぞれの地方で自生し、古くから栽培されてきた。年間平均気温』摂氏十~十四度、『最低気温が』マイナス二十度『を下回らない地方であれば』、『栽培が可能で、日本においては』、『ほぼ全都道府県でみられる。平安時代には京都の丹波地方で栽培が盛んになり、日本各地に広まった。生産量は、茨城県、熊本県、愛媛県、岐阜県、埼玉県の順に多い。また、名産地として丹波地方(京都府、大阪府、兵庫県)や長野県小布施町、茨城県笠間市が知られる。これらの地域では「丹波栗」のようなブランド化や、クリを使った菓子・スイーツ開発による高付加価値化、イベント開催による観光誘客への活用が進められている』。『シナグリなどと比較して、渋皮剥皮が困難であり、生食用用途では』、『渋皮を直下の果肉とともに削り取る作業が必須である。特にこのことが』、『近年の家庭におけるクリの需要を低下させる原因となってきた。そのような中、農研機構において、シナグリ並に渋皮剥皮性の優れるクリ品種「ぽろたん」(』二〇〇七年『品種登録)が育成された』。以下、日本の主なクリの産地」の前置き。『自治体及び旧自治体は作況調査市町村別データ長期累年一覧による。作況調査』二〇一四『年版によると、沖縄県以外の』四十六『都道府県で収穫実績』があり、『そのうち』三十三『都府県は収穫量』百『トン以上となっている。ブランドでは丹波栗が有名で、兵庫県の丹波・亀岡市から大阪府の能勢町にかけて産出され、文禄年間』(一五九二年~一五九六年)『のころから』、『米に代わるものとして栽培が盛んになったものである』。以下、「利用」の項。『クリの実は人類史上において食料として古くから重用されてきた。縄文時代には食料であるほか、建築材、木具材として極めて重要な樹木であった。果実加工品の例として、甘みがある栗焼酎の醸造や茶飲料、花は蜂蜜を採取する蜜源植物としても利用される』(私は蜂蜜専門店で試食したが、この栗の蜂蜜だけは、苦みがゆるゆると感じられ、アウトだった。後の方にも記載がある)。『長野県上松町のお宮の森裏遺跡の竪穴建物跡からは』一『万』二九〇〇『年前〜』一『万』二七〇〇『年前のクリが出土し、乾燥用の可能性がある穴が開けられた実もあった。縄文時代のクリは静岡県沼津市の遺跡でも見つかっているほか、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリの実のDNA分析により、縄文時代には既にクリが栽培されていたことがわかっている』。『クリの実は、一般の果樹が樹上に成る実をもいで採取するのとは異なり、落ちた実をいがに気をつけながら拾う。野生種(ヤマグリ・シバグリ)は、栽培種よりも堅果は小さいが、甘味が強く、非常に濃厚な味わいがある。栽培種のオオグリ(大栗)は、野生種から改良されたものである。ナッツの一種で、実は固い鬼皮に包まれ、鬼皮を剥くと内側は薄い渋皮に覆われている。食材としての旬は』、九~十『月で、実の鬼皮にハリとツヤがあり、虫食いがなく、重みのあるののが商品価値が高い良品とされる』。「延喜式」には『乾燥させて皮を取り除いた「搗栗子(かちぐり)」や蒸して粉にした「平栗子(ひらぐり)」などの記述がある』。『現代においては、ほんのりとした甘さを生かして石焼きにした甘栗、栗飯(栗ご飯)、栗おこわの具、茶碗蒸しの種、菓子類(栗きんとん、栗羊羹、渋甘煮、甘露煮など)の材料に広く使われている。シンプルに、焼き栗や茹で栗にしてもおいしく食べられる』。『ヨーロッパでも広く栽培・利用され、焼き栗の他、マロングラッセに仕立てたり、鶏の中にクリを詰め込んでローストにしたり、煮込み料理などにする。またイタリアではクリを粉にしてパンやクレープ、ケーキ、ニョッキなどに利用する』。『栄養価は高く、可食部』百『グラム』『あたりの熱量が』百六十四『キロカロリー』『と高カロリーで炭水化物を多く含み、ビタミンB・B、ビタミンC、カリウム、葉酸なども多い』。『クリの実を長期間おいておくと、水分が抜けて実が縮んで虫も入ってしまうため、紙などにくるんで冷蔵保存するのがよく、皮を剥いたクリの実は、茹でてから冷凍保存することもできる』。以下、「材木としての用途」の項。『材木は、堅くて重く、腐りにくいという材質を有する。このような性質から建物の柱や土台、鉄道線路の枕木、家具等の指物に使われたが、近年は資源量の不足から入手しづらくなった。成長が早く、よく燃えるので、細い丸太は薪木やシイタケ栽培のほだ木として利用できる。縄文時代の建築材や燃料材はクリが大半であることが、遺跡出土の遺物から分かっている。三内丸山遺跡の』六『本柱の巨大構造物の主柱にも利用されていた。触感は松に似ているが、松より堅く年輪もはっきりしている。強度が高いのが特長だが』、『堅いため』、『加工は難しくなる。楢』(ナラ:ブナ目ブナ科コナラ属 Quercus )『よりは柔らかい』。以下、「薬用」の項。『中国で薬用とされているクリは甘栗(板栗〈ばんりつ〉)で、日本では』一『種だけ自生するが、これも薬用にされる』。『薬用部位は種仁(栗の実)、葉と、総苞(いが)で、それぞれ栗子(りっし)、栗葉(りつよう)、栗毛毬(りつもうきゅう)と称する。種仁は秋、葉は春から秋、いがは夏から秋に採集して、なるべく緑色が残るように日干し乾燥して薬用に用いる。葉にはカロチンとタンニンを含み、樹皮、渋皮にも多量のタンニンを含む。タンニンは腫れを引かせる消炎作用と、細胞組織を引き締める収斂作用がある』。『民間療法では、食欲不振、下痢、足腰軟弱に、種仁(実)』一『日量』四百『グラムを水に入れて煎じてから』三『回に分けて飲むか、ふつうに食べても良い』。『また、ウルシ、イチジク、ギンナンなどの草かぶれ、クラゲ、チャドクガ、ムカデなどの毒虫刺されや、ただれ、湿疹などに』一『日量』十五~二十『グラムの乾燥葉やイガを』六百『ccの水で半量になるまで』、『とろ火で煎じて冷やし、煎液をガーゼなどに含ませて冷湿布する用法が知られる。葉は浴湯料としても用いる。また、口内炎、のどはれ、扁桃炎にも、この煎液を使ってうがいすると良いと言われている。いが(栗毛毬)を』一『日量』五~十『グラムを』六百『ccの水で煎じて服用もするが、胃腸の熱を冷ます作用があるので、熱がないときには使用禁忌とされる』。『クリは蜂蜜の蜜源植物としても重要である。かつて栗蜜は、色が黒くて、味は劣るとして売れず、ミツバチが越冬するための植物として使われていた。しかし、栗蜜には鉄分などのミネラル類が多く、味も個性的でよい評価に見直されて、ブルーチーズとよく合うと推奨されてイタリア産の栗蜜需要も増えている』。なお、最後に、『日本のクリはシナグリに次いで』、『クリ胴枯病』(くりどうがれびょう:詳しくは同ウィキを参照されたい)『に対する抵抗性が高い』とある。

 「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷二十九」の中で続く「果之一」の「五果類」の「栗」([073-30a]以下)のパッチワークである。

「篤迦《とくか》【梵書。】」「大蔵経データベース」で検索したところ、「牟梨曼陀羅呪經」・「底哩三昧耶不動尊聖者念誦祕密法」・「翻譯名義集」の三作で確認出来た。

『栗荴《りつぷ》【和名、「久利乃之不《くりのしぶ》」。】』これは、栗の実の外皮、「澁皮(しぶかは)」のこと。

『栗楔《りつせつ》【音「屑《セツ》」。】』「本草綱目」の「栗」の「集解」に(「漢籍リポジトリ」[073-31a]の二行目に、

   *

中心扁子爲栗楔

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とある。則ち、「(栗の実の)中央の平らな部分の実を『栗楔』と称する」という意である。

『俗、云ふ、「杓子《しやくし》」』これは、栗材を用いて杓子を作ることから。現在も奈良県の地域ブランドとして「大塔坪杓子・栗木細工」があり、栗の木は水に強く、耐久性に富み、使い込むほど木地の味わいが増すという特徴があると、AIの記事にあった。

「山家」「山風に峯のさゝくりはらはらと庭に落ちしく大原の里」「寂然」僧で歌人であった寂然(じゃくせん/じゃくねん)は、西行と親交のあった俗名藤原頼業(よりなり 元永元(一一一八)年頃~没年不明)の僧名。当該ウィキによれば、『藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の四男。官位は従五位下・壱岐守』とされるが、『諸説あり』、『不詳』である。『崇徳朝にて東宮・躰仁親王(のち近衛天皇)の蔵人や左近衛将監を務める。康治元』(一一四一)年、『従五位下に叙爵し、翌康治』二(一一四二)年に『壱岐守に任ぜられる』。遅く』と『も久寿年間』(一一五四年~一一五六年)『に出家し』、『大原に隠棲した。法名を寂然と称し、同じく出家した兄弟の寂念・寂超と共に大原三寂・常盤三寂と呼ばれた。西行・西住』(さいじゅう:生没年未詳。元武士で歌人。俗名、源季正、若しくは、源季政。元武士で僧にして歌人。臨終には西行が立ち合い、遺骨は西行によって高野山に納められた)『とは親友の間柄であったと言われている。また、各地を旅行して讃岐国に流された崇徳院を訪問した事もある。寿永年間』(一一八二年~一一八四年)『には健在であったとみられるが』。『晩年は不詳』。『和歌に優れ私撰集に』「唯心房集」・「寂然法師集」・「法門百首」『があり』、「千載和歌集」『以下の勅撰和歌集に』四十七『首が入首』している。『強い隠逸志向と信仰に裏付けられた閑寂な境地を切り開いた。また、今様にも深く通じていた』と言われる。西行が、当時、いた高野と、大原の間で、この歌を含めて十首のやりとりがあり、それが、西行の「山家集」の「下 雜」に収められている。良安が引いたのは、その五首目の寂然の一首である。西行の歌は、総て、「山深み」を初句とし、寂然の歌は、総て、「大原の里」で終わっている。少し、長いが、両者の二十首を引く(私は西行が好きであるから、少しも面倒とは思わない)。所持する岩波の『日本古典文学大系』版「山家集 金槐和歌集」(一九六一年刊・正字正仮名)を参考に用いた。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なので正字化した。歴史的仮名遣の誤りは補正した。注は、一部を参考底本の風卷景次郞氏の頭注を参考にさせて頂いた。寂然の「かへし」の前を一行空け、良安が引いた一首を太字にした。

   *

   入道寂然、大原に住侍(すみはべ)けるに、

   高野(かうや)より、遣はしける

 山深みさこそあらめと聞えつゝをとあはれなる谷の川水

 山深み眞木(まき)の葉分(わ)くる月影は烈(はげ)しき物の凄きき成(なり)けり

[やぶちゃん注:「眞木(まき)」この場合は、裸子植物門マツ綱ヒノキ目コウヤマキ科コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata と考えてよかろう。無論、ヒノキ Chamaecyparis obtusa でも構わない。]

 山深み窓のつれづれ訪ふものは

   色づきそむる黃櫨(はじ)の立枝(たちえだ)

[やぶちゃん注: 「黃櫨(はじ)」ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum 。]

 山ふかみ苔(こけ)の蓆(むしろ)のうへにゐて

   何心(なにごころ)なく啼く猿(ましら)かな

 山ふかみ岩に垂(した)るゝ水溜(た)めん

   かつかつ落つる橡(とち)ひろふほと

[やぶちゃん注:「橡」ムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus turbinata 。]

 山ふかみけ近き鳥のをとはせで

   物恐ろしきふくろふの聲

 山ふかみ木暗(こぐら)き峯の梢(こずゑ)より

   ものものしくもわたる嵐か

 山ふかみ榾(ほた)伐るなりと聞えつゝ

   ところにきはふ斧のをとかな

 山ふかみ入りて見(み)と見るものは皆

   あはれ催(もよほ)す氣色(けしき)なるかな

[やぶちゃん注:「見(み)と見るもの」山に入って、目に見る、あらゆるもの。]

 山ふかみ馴(な)るゝかせぎのけ近さに

   世(よ)にとをざかる程(ほど)ぞ知らるる

[やぶちゃん注:「かせぎ」鹿の古い異名。角が桛木(かせぎ:木の枝をYの字形に切ったもの。傾くものを支えたり、竿(さお)の先につけて、物を高い所へ押し上げたりするのに用いる)に似ているところから。]

 

   かへし              寂然

 あはれさはかうやと君(きみ)もおもひやれ

   秋暮れがたの大原(おほはら)の里

[やぶちゃん注:「かうや」「かくや」の音便。「高野」の掛詞。]

 ひとりすむおぼろの淸水(しみづ)友とては月をぞすます大原の里

[やぶちゃん注:「おぼろの淸水」「朧の淸水」。大原にある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 炭竃(すみがま)のたなびくけぶり一すぢに

   心ぼそきは大原の里

 なにとなく露ぞ零(こぼ)るゝ秋の田に

   引田(ひた)引き鳴らす大原の里

[やぶちゃん注:「引田」鳥や猪などを追い払う鳴子板(なるこいた)。]

 水のをとは枕に落つるこゝちして

   寢覺(ねざめ)がちなる大原の里

 徒(あだ)にふく草の庵(いほり)のあはれより

   袖に露をく大原の里

 山風に峯のさゝ栗(ぐり)はらはらと

   庭(には)に落ち敷く大原の里

 ますらをが爪木(つまぎ)に木通(あけび)さし添へて

   暮(くる)れば歸る大原の里

[やぶちゃん注:「ますらをが」大の男が。「爪木」薪(たきぎ)にする小枝。「木通」アケビ科Lardizabaloideae 亜科Lardizabaleae連アケビ属アケビ Akebia quinata 。私はアケビが好きだ……小学生の頃、家の向かいの寺や、裏山で、可愛がって呉れた青年が、よく採って、私に呉れたのを思い出す……。]

 葎(むぐら)這(は)ふかどは木の葉に埋(うづ)もれて

   人もさし來(こ)ぬ大原の里

[やぶちゃん注:「かど」「門」。寂然の庵の門。「さし來ぬ」やって来ない。「さし」は語調を強める接頭語。]

 諸共(もろとも)に秋も山路(やまぢ)も深ければ

   鹿(しか)ぞ悲しき大原の里

   *

「『板栗(いたぐり)』『【栗の大なる者。】』。これは、「バンリツ」と音読みするのが正しい。既に示した、シナグリ Castanea mollissima である。「維基百科」の同種が「板栗」である。因みに、東洋文庫訳は非常にまずいことを仕出かしてしまっている。「本草綱目」の引用の冒頭の『栗(りつ)』に対して割注して、『(ブナ科シナグリ)』としたのに、この『板栗(いたくり)』と振り、そこに割注して、『(アマグリ)』とやらかしているからである。これでは、読者の大半は、『ふ~ん、栗には、「シナグリ」という和名種と、「アマグリ」という別な和名種があるんやなあ!』と合点してしまうからである! これは、レッド・カードで、即、退場レベルの大錯誤と言えるのである!

「『山栗《やまぐり》』『【栗の、稍《やや》小さき者。】』」既に引用で示した通り、これは本邦では、山野に野生するCastanea crenata を指すから、中国でも、中国原産のそれの野生のものと、偶然にも一致すると考えてよいだろうと思うのだが、「維基百科」では、この種を「日本栗」として立項して、ただ一言、『日本栗(學名:Castanea crenata )為殼斗科栗屬下的一個種。』とあるのは、如何なることか? いやいや、時珍に従うなら、単にクリ類の実の小さいものを「山栗」と言っているだけのことらしい。

「『錘栗《すいりつ》』『【山栗の、圓《まろ》くして、末《すゑ》、尖れる者。】』」やっと、別種が出た! これは、

ヘンリーグリ(英語:Chinese ChinquapinCastanea henryi

である。個人サイトらしい強力な「Gooの樹木図鑑」のここに、写真と、以上の英名と学名が載り、『落葉高木、樹高』三十メートルとあり、『葉は、長い楕円形、鋸歯があり、先は鋭く尖り、縁は波打つ』。『実は、短い棘があり、球形で食べられる』とあって、「分布」を』『中国北中部。中国名 錐栗』とあった。同学名を標題とする英文ウィキには、複数の画像やボタニカル・イラストがあり、そこには、『中国中南部と南東部原産のクリの一種である。高さ三十メートルに達する木で 、良質の木材の供給源となり、実は、その大きさから想像されるよりも小さい。近縁種の Castanea mollissima(チャイニーズクリ)と同様に、中国で広く栽培されており、近年では、かなりの数の品種が開発されている。』とあった。

「『莘栗《しんりつ》』『【圓く、小さく、橡《とち》の子《み》のごときなる者なり。「詩」に曰《い》う[やぶちゃん注:ママ。]、「之れに樹《う》うるは莘栗」、是れなり。】』」既に原文と訓読で割注して、注意喚起したが、これは、最終的に、時珍の誤りであるように思われる「漢籍リポジトリ」の「栗」の「集解」では、[073-30b]の四~五行目に(推定で句読点を打ち、漢字にも手を加えた。(☜)は私が振った)、

   *

桂陽有莘栗(☜)。叢生實大如杏、仁皮子形色與栗無異。但小耳。又有粤栗(☜)。皆與栗同子而細、惟江湖有之。或云(☜)、卽、莘(☜)也。莘音榛。詩云、「樹之榛栗」、是矣(☜)。

   *

と、あるからである。後で示すが、「詩經」の当該詩は、「榛栗」で熟語ではなく――要は「シンリツ」というクリの名ではなく――「榛栗」ではなくて、「榛」と「栗」なのである。また、この「粤栗」(エツリツ)も「莘栗」も、「維基百科」や「百度百科」には見当らない。そもそも、以上の「本草綱目」の「或云」というのが、甚だ、怪しいのだ。さて、以下、「詩經」の引用された詩の全文と訓読を示す。これは、同書の「鄘」風(ようふう:鄘は周代の国名で、恐らく、現在の河南省汲水鎮の北にあったものと思われ、そこの民間伝承の古歌である)の中の一篇である。所持する恩師である乾一夫先生(惜しくも亡くなられた)の編になる明治書院『中国の名詩鑑賞』「1 詩経」(昭和五〇(一九七五)年刊)を参考にした。それによれば、『都城の建設をたたえる、いわゆる宮ぼめの歌』とある。

   *

 

 定之方中

 

定之方中 作爲楚宮

揆之以日 作爲楚室

樹之榛栗 椅桐梓漆

爰伐琴瑟

 

升彼虛矣 以望楚矣

望楚與堂 景山與京

降觀于桑

卜云其吉 終然允臧

 

靈雨既零 命彼倌人

星言夙駕 說于桑田

匪直也人 秉心塞淵

騋牝三千

 

   *

 

 定之方中(ていしはうちゆう)

 

定(てい)の中(ちゆう)するに方(あた)りて

楚宮(そきゆう)を作-爲(つく)る

之れを揆(はか)るに日を以つて

楚室(そしつ)を作-爲(つく)る

之れに樹(う)うるは 榛(しん) 栗(りつ)

椅(い) 桐(とう) 梓(し) 漆(しつ)

爰(すなは)ち伐(き)りて琴瑟(きんしつ)とせん

 

彼(か)の虛(きよ)に升(のぼ)りて

以つて楚(そ)を望む

楚と堂(だう)とを望み

山(やま)と京(けい)とを景(あふ)ぎ

降(くだ)りて桑(さう)を觀(み)る

卜(ぼく)に云ふ 其れ 吉(きつ)と

終(すで)に然(こ)れ 允(まこと)に臧(よ)し

 

靈雨(れいう)既に零(ふ)る

彼(か)の倌人(くわんじん)に命(めい)じ

星(は)るれば言(こと)に夙(つと)に駕(が)し

桑田(さうでん)の說(いこ)はんと

匪(か)の直(ちよく)なる人(ひと)は

心(こころ)を秉(と)ること塞淵(さいえん)にして

騋牝(らいひん)は三千(さんぜん)

 

   *

 二箇所、乾先生は文字修正を加えられておられる。二句目と三句目の「作爲」で、現行本では「作于」である。これについて、先生は、注で、『『文選』の李善注(魏都賦・魯霊光殿賦ほか)所引の『詩経』(毛詩)に「作為楚宮」と、「作為」に作るによって改めた。「為」・「于」は音が近く、通用した。』とされる。最後の解説で『この詩は、衛の文公』(当該ウィキを見られたい)『をたたえるものとされる。紀元前六六〇年、衛の国は狄人に滅ぼされ、遺民は黄河を渡って東に移り、漕邑に集まったが、城郭宮室がなかった。文公姫燬』(きき)『は前六五八年(文公の二年)、当時の覇者であった斉の桓公の援助を受けて、国を復興し、新しい国都を楚丘に建設し、人民をそこへ移した。人民は大いに歓び、詩歌を作って頌美』(しょうび)『した。これは、そのころに生まれた歌と考えられる。第一章では、宮室の建設と植樹について叙し、第二章は、築城の前にさかのぼって「升望降観」いわゆる〈国見〉をして、土地の形勢を考察し、最後に占卜によって国都を定めたことを追述し、第三章に至って、文公その人の嘉賞に及ぶ。全三章の構成も、いたって巧妙である。』とある。以下、先生の訳を引く。

   《引用開始》

 

定の星が真南(まみなみ)になるとき、楚丘の宮室を作る。太陽で方角を測り、楚丘の宮室を作る。植える木は榛(はしばみ)・栗(くり)に、椅(いいぎり)・桐(きり)・梓(あずさ)・漆(うるし)よ。いずれは伐(き)って琴瑟(こと)つくろう。

あの丘に登って、楚丘をながめた。楚丘と堂邑をながめ、山と高い丘を仰ぎみ、下へ降りては桑林を見廻した。占卜(うらない)の卦は「吉」と出た、まことにここは好い土地だ。

よい雨も降った。あの下役人に命令して、晴れたら早朝に馬車したてさせ、そして桑林にいこわれる。あの徳ある人は、心が穏やかで美しく、馬を三千頭もお持ち。

 

   《引用終了》

幾つかの先生の語注を引く。

◎「定」は、『星の名。いわゆる二十八宿の一で、ペガスス座。この星は『爾誰』釈天に、「営室は之を定と謂ふ」とあるように、営宰星と呼ばれる。』とある。ウィキの「二十八宿」によれば、『定宿』は現在の『ペガススの四辺形の西辺』相当で、『距星』(注に『明代から清代にかけて西洋のイエズス会士の観測を元に同定したもの。年代によって異なるものもある。また学者によって異説があるものもある』とある)は『ペガスス座α星』であり、『吉凶』には、吉のみが載り、『井戸掘り』・『祈願始め』・『結婚』・『祭祀』・『祝事』とある。

◎「方中」は、『東西に片寄らず』、『正中の位置に当たることをいう。陰暦の十月あるいは十一月には、定星が黄昏時に出て真南にあり、東西に片寄らない。古人はこの時を宮室造営の時とした。』とある。

◎「楚宮」現在の河南省周口市『淮陽県の西南にある』とある。淮陽県はここ(グーグル・マップ・データ)。

『○榛・栗・椅・桐・梓・漆 すべて樹木の名。榛(はしばみ)と栗の二木の果実は、祭祀に供せられた。椅。桐の両木は琴瑟を作ることができ、梓・漆もまた用器を作るのに必需の材料。』とある。★「榛」はブナ目カバノキ科ハシバミ属ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii ★「榛栗」(シンリツ)では、断じて、ないのである。「椅」はキントラノオ目ヤナギ科イイギリ(飯桐)属イイギリ Idesia polycarpa「維基百科」の同種の「山桐子」に、別名として『椅樹』・『桐椅』がある。「梓」は先行する「梓」で考証したが、「梓」は中国では、古くは、キササゲ属 Catalpa の複数の種を総称する語として存在した、推定した。「漆」はムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 。先行する「𣾰」を見られたい。

◎「琴瑟」先行する「楸」の私の注の「琴」と「瑟」の注を参照されたい。

◎「京」『人の居る高丘。古代人、殊に貴族階級の者は高い丘の上に住居をかまえたのである。』とある。

◎「命」『「命」と「令」は本来同語で、両字は同義を表す異体字にすぎない』とある。

◎「三千」中国お得意の誇張表現。多いことを言う。

・『茅栗(さゝぐり)【栗の、稍《やや》小《ちさ》く指の頭《かしら》のごとき者。一名、「㧫栗《じりつ》」、又の名、「抏子《がんし》」。和名「佐々久利《ささぐり》」。】』割注を繰り返すが、この「茅栗」の一行は、「本草綱目」にはなく、良安が勝手に黙って挿入したものである。こういうやり口(和名「佐々久利」があるから、まだしもだが)は、現在の出版物であれば、直ちに非難されるレベルの勝手な挿入である。而して、良安は大変な間違いを犯している。彼の言う「㧫栗《じりつ》」・「抏子《がんし》」をどこから引っ張り出したか判らぬが、恐らく、この漢字表記からは、中国の本草書からのようにも思われはする。しかし、彼は『和名「佐々久利《ささぐり》」』としているから、これは、種名ではなく、単に「実の小さい栗」の意で、既に述べたクリ(栗、学名:Castanea crenata )のうち、各栽培品種の原種で山野に自生するものを指す「シバグリ(柴栗)」の異名に過ぎない。ところが、「本草綱目」の「茅栗」(「さゝぐり」という和訓は誤りで、「チリツ」と読まねばならない)は、ゼンゼン、チャウねんで! これは、先に出したクリの別種である、ヘンリーグリ(英語:Chinese ChinquapinCastanea henryi なんやで!!!

「『栗楔《りつせつ》』『【一毬《ひといが》≪に≫三顆《さんくわ》≪にして≫、其の中≪の實の≫扁《ひらたき》者。】』」既出既注。種の名ではなく、「栗の実の中央の平らな実の部分」指す熟語に過ぎぬ。

「丹波、船井郡和知の產、甚だ、大≪なり≫【俗、云ふ、「父打栗《ててうちぐり》」。】」サイト「足立音衛門オンラインショップ」の「地元のブランド『大粒丹波栗』」(本店:京都府福知山市内記(ないき)。ここ。グーグル・マップ・データ)によれば、『丹波栗の名は丹波で産出された大栗を指しますが、当時の品種には、特大級を誇る『長興(光)寺』や『テテウチ(父打栗)』などが有名です。父打栗の由来には諸説あり(同じ名前でも特性などに地域差も見受けられます)、正確なところは謎のままですが、前者の長興寺は亀岡長興寺の僧が文禄年間』(一五九二年~一五九六年)『に広島から持ち帰ったという伝承があります』。『 江戸時代後半となると、接ぎ木など人為的な品種改良により『銀寄』』(ぎんよせ)『種などが生まれるようになりました』。『丹波栗を世に知らしめた、その二つの栗ですが、長興寺は栽培の難しさや収穫期の遅さで、テテウチは小粒といった理由などから、現在では殆ど作られていません』とあった。「日本国語大辞典」では、「ててうちぐり【出落栗・父打栗】」で、「出て落ち栗」とし、『「たんばぐり(丹波栗)」の異名。てておちぐり』とあり、個人サイト「丹波霧の里ブログ」の『手々打栗「爪あと栗」伝説 丹波市』に考証が詳しくあり、『栗《カチグリ:薫蒸式の高級品で正月・勝(カチ)に通じるところから武士の出陣時に用いられた》の一種。ててうち栗にも諸説ある』とされ、『手々打栗「爪あと栗」伝説の紹介。てんでに取る・手中に満つる意味で手内栗とも、「栗苞 自ら裂けて子落ちる」意味から落栗とも「鼓打」から転化したとの説も…。「鼓打」は子打ち…から…父打ちに転化したものか!?「父(てて)打ち栗」とも』。『また』、『用明天皇の西国巡幸の際の逸話として・手ずからの』「爪あと」』とする説があり、『栗を村人が「お手植え栗」として育て「天々打栗」と呼んだとの別伝説もある。正平』六/観応二(一三五一)年、『桜井直常(足利氏一族だが』、「観応の擾乱」の際『に直義に付き』、『義詮と戦うが』、『後』、『義詮に帰順した』。『(…が詳細は割愛)等との戦いに敗れ』、『京を追われた足利尊氏親子は栗作郷の久下氏を頼って丹波国岩屋の石龕寺へ落ちて来た。尊氏が九州へ落ち延びる出兵に際し』、『此処に留まった義詮護衛に仁木頼章(後:初代丹波守護・高見城主)』の『弟の四郎(和泉守)義長(鴨野城・泉山城主!?)地侍・僧兵等』二千『余騎が石龕寺』(せきがんじ)『に留まった。義詮に寺僧が差し出した丹波(大粒)栗に「勝栗」のことを思い出し』、『「都をば出て落ち栗の芽もあらば世にかち栗とならぬものかは」と詠み』、『栗に爪の跡をつけ』、『「この栗の生い茂るがごとく 我が足利の旋風を天下に靡びかさん 再び余が帰りくる日までに繁く実のれ」と。尊氏が再挙の旗を靡かせ』、『九州を立ち、湊川での一戦では楠勢を破り天下に号令する頃には』、『栗は芽を吹き実をつけたが、不思議なことに栗の実に爪痕が鮮やかにのこる手づからの爪痕栗の奇形は』、『「都をば出て落ち栗の…」から』「手々打栗」『と名付けられ、岩屋の里に産されている筈?の「爪あと栗(手々打栗)」も、製造に手間暇の掛かる』「搗栗(かちぐり)『も其の名を聴くことも今は殆どなくなった…が』「石龕寺もみじまつり」『の武者行列は尊氏が九州より凱旋し』、『石龕寺の毘沙門堂に祈願成就の報告に参内する様子を伝えたもの…』。『その実を貰い受け』、『他の土地に植えても同じようには育たなかった…この栗の原木は枯れ』、『栗のいわれを書いた版木』『が残されている。用明天皇』(五八五年~五八七年)『の頃より』、『大粒の丹波栗は朝廷に寄進されていたと云われ、丹波岩屋・栗作郷(久下・上久下地区)は主産地だったが栗の病気?で絶滅状態!!…』『産地は』「銀寄」『等品種の伝播により大阪能勢・三田・京都和知や亀岡に移ってしまったが、石龕寺に至る岩屋集落最奥部の「かつえ坂(左右一帯は栗園)」登り口にある栗園には丹波大粒栗の代表的な「テラウチ・長光寺・手々打栗も」数本が品種伝播・研究等に栽培育成され』、十『数年経つが…!現状を知らない』とあった。

「所謂《いはゆ》る、「板栗」、是れか」誤り。既に述べた通り、「板栗」はシナグリ Castanea mollissima である。

『上野《かうづけ》・下野《しもつけ》・越後、及び、紀州熊野の山中に、山栗、有り。小≪さく≫、扁《ひらた》く、一歳に、再(ふたゝび)、三(みたび)、子を結ぶ。其の樹、大木《たいぼく》ならず。所謂る、「茅栗(さゝぐり)」、是れか』これは、正しいと思われる。

「或る書に曰はく、『景行天皇四年、淡海(あふみの)國に、一《いつ》の枯木《かれき》、有り。殖《のびたる》梢、空を穿(うが)ち、雲に入《いる》。由《よし》を問へば、國の老、云ふ、「神代《かみよ》の栗の木なり。昔、此の木の枝、山嶽に並ぶ。故に、「並枝山(ひゑの《やま》[やぶちゃん注:ママ。])」と云ふ。又、髙峯《たかみね》を並-連《ならべつらな》る故、「並聯山(ひらの《やま》)」と云《いふ》。毎年、葉、落《おち》て、土と成り、土中《つちなか》、悉く、栗葉なり。」』云云《うんぬん》」南方熊楠が「南方閑話 巨樹の翁の話(その「三」)」(私の電子化注)で引用しているので(「或る書」とは偽書とする説もある「先代舊事本紀」である)、そちらの原文と私の注を見られたい。

「栗本郡《くりもとのこほり》」滋賀県(近江國)にあった郡。後に「栗太郡(くりたのこほり)」と変わった。旧郡域・変遷は当該ウィキを見られたい。

「擣栗(かちぐり/ぢみ)」「ぢみ」は「滋味」(「栄養になる美味い食べ物」の意。但し、これだと「じみ」である)で、この場合は「勝ち栗」の別称である。

「古今醫統」「複数回、既出既注。「梅」の私の注を見られたい。]

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