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2024/12/11

西尾正 めっかち

[やぶちゃん注:西尾正の履歴、及び、本電子化注の凡例は、初回の「海蛇」の冒頭注を見られたい。本篇は『月刊探偵』昭和一一(一九三六)年六月号(二巻一号)に発表。以下の底本の横井司氏の「解題」によれば、単行本に収録されたのは底本が始めてである由の記載がある。底本は、所持する二〇〇七年二月論創社刊行の「西尾正探偵小説集Ⅰ」(新字新仮名)を用いた。本篇はルビが少ない。私が個人的に若い読者のためには、振った方がいい、と判断した推定ルビも加えた(五月蠅いだけなので、同じ丸括弧で附加し、注も施さない)。オリジナル注は、例によってストイック乍ら、マニアックに附した。なお、同書の横井司氏の「解題」によれば、本篇は、現在、『確認されている限りでは戦後第一弾となる』とある。なお、底本や解題では、標題を「めつかち」としているが、原作の歴史的仮名遣なら、「めつかち」でよいが、本文でも促音で「めっかち」となっているので、「めっかち」と正した。また、主人公(「語り手」)は既に結核に罹患し、喀血も始まっている。西尾自身の宿痾となった結核の罹患は、戦前とあるのみであるが、横井司氏の「解題」を読むに、遅くとも、本篇発表の前年の昭和十年には罹患していたと読める。既にして、この「語り手」は西尾の影を背負っているのである。

 

 読者に語り手を紹介せねばなるまい。

 ……四五年前のこと、僕は或る目的のためしばらく都会から身を隠す必要上、東京からは大分距(へだ)たった或る海岸地のなるべく人目に立たぬ区域を、間借り探しに歩いたことがあった。

 僕は思想上の犯罪者だったのである。

 しかし――金は持っていた。駅前の貧しい寿司屋で、この辺に独居に適当な部屋を貸す家はないかと問うと、その家のお神は僕の服装をしげしげと検した後――僕は意識的に贅沢ななりをしていた、――少し高いかも知れぬがと言い、或る家の地理を告げてくれた。

 そこは駅から乗合バスで三十分以上も揺られて行かねばならぬ不便な地点であったが、家は北方に山を背負う平家建ての庭に泉水などの見える、豪壮な邸宅であった。朝晩吐く痰の中に血の混じるようになった虐げられた肉体を養うためにもそこは最適であった。

 呼鈴(ベル)の音に現れたのが色白の肉乗りのいい、四十歳前後の見るからに健康そうな女であった。話はすぐ纒(まと)まり、纒まりついでに茶を飲んで行けと言うので案内をされた茶ノ間に入ると、壁には三味線が寄り懸かり、部屋の調度も何がなく艶めかしく、年増女(としまおんな)の残(のこ)んの色香が仄(ほの)ぼのと漂うているのであった。長火鉢を間(あいだ)に、営利の目的で部屋を貸しているのではないこと、――事実間代(なだい)は莫迦に安かった、家が広過ぎて物騒(ぶっそう)でもあるし淋しくもあるので、なるべく永くいてもらいたいとか、かなりみず瑞(みず)しい声で語ったが、その間中(あいだじゅう)、絶えず白い足袋の破れを繕(つくろ)っているのであった。それが室内の雰囲気とはうらはらのすこぶる淑(つつ)ましい感じで、見ると、盛り上がった膝の前には空の蜜柑箱が置かれ、その中には繕わるべき白足袋が一杯詰まっているのであった。[やぶちゃん注:「残(のこ)んの」(底本にはルビはない)は連体詞で、「殘(のこ)りの」の音変化。「未だ残っている」の意。]

 僕は翌日から庭に面した離れの八畳に住むことになったのである。

 主人は女とは同年配くらいの色白の、しかしひょろひょろに瘦せた、寒巌枯木(かんがんこぼく)のような男であった。職業はよく判らなかったが、朝はあまり早く出掛けず帰宅する時間もまちまちで、いずれは道楽半分に何かの外交でもしているのではないかと思われたが、性格は極端に無口で人見知りで、しかも常住(じょうじゅう)左眼(ひだりめ)に黒いガーゼの眼隠しを当てがい、それを取り外したことがなかった。が、悪人でないらしいことは偶(たま)に廊下などで出会う時(とき)体をもじもじさせいたたまれぬくらいのはにかみを見せる点や、髪を青年のように房(ふさ)ふさと長く延ばし、もう一つの眼のぱっちり澄んでいる所など、幼児のように無邪気な感じを与えた。暗い、秘密ありげな眼隠しなど除(と)ってしまえば、顔だけは、相当の美男であると想われた。[やぶちゃん注:「寒巌枯木」(底本にはルビはない)世俗に超然とした悟りの境地のたとえ。「枯れた木と冷たい巌(いわお:高く大きな岩)」の意から。仏教、特に禅宗で、「枯木」・「寒巖」を、「情念を滅却した悟りの境地」に譬える。また、情味がなく、冷淡で取っつき難い態度・性質などの喩えに用いられることもある(ここでは、初回印象には後者の意も含まれる)。「寒巖枯木」とも言う。]

 総て家庭のヘゲモニイを握っているのは奥さんの方であるらしかった。と同時に奥さんは主人を必要以上に劬(いたわ)っているようであった。単純な風邪でもチブスのように大騒ぎをした。そういう時でないと存在を忘れてしまうくらい主人は陰気で、影のように目立たなかった。[やぶちゃん注:「ヘゲモニイ」(ドイツ語:Hegemonie /英語:hegemony ) 原義は「指導的・支配的な立場」。また、「そうした権力・主導権」。緩やかな意味の主導権の意である。「チブス」「チフス」に同じ(ドイツ語:Typhus /オランダ語: typhus )「腸チフス」・「パラチフス」・「発疹(ほっしん)チフス」の略称であるが、特に「腸チフス」を指すことが多い。]

 家は静かで淋しかった。聞こゆるものとては、時折思い出したように起こる裏山のざわめきと、寺院の打ち出す儚(はかな)い鐘の音や名の知れぬ山鳥の鳴き声だけであった。僕は明け暮れ小説本ばかり読んで過ごした。するうちに女が、僕の部屋へ話し込みに来るようになった。僕は事実懺悔(ざんげ)をするような気持ちで自分の身分を打ち明けたが、女は別に動ずる気色(けしき)もなく、此処は田舎だからたぶん戸籍調べにも来ないでしょうよ、と言い、如何にも苦労人らしい恬淡(てんたん)さを示した。この夜を堺(さかい)に主人と間借り人との間は急に親しくなって行った。[やぶちゃん注:「恬淡」(底本にはルビはない)は名詞・形容動詞で、「あっさりしていて物事に執着しないさま・心やすらかで欲のないこと(そのさま)」を言う。]

 「幸福なのか不幸なのか、今ではともかく平和にくらしてはおりますが、わたくしどもの過去はめったに人さまには語れぬ、ふしぎな因果につきまとわれていたのです……」

 女はこう前置きをすると、次のような怪談染みた身の上噺(みのうえばなし)を語った次第なのである。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 霜凍(しもこお)る初冬の冷たい夜のことであった。尚子は俯向(うつむ)いたまま或る郊外の道を大股に歩いて行った。時折鋭い風が彼女の頰を剌した。生来(しょうらい)あまり健康でない尚子は、晩秋から初冬への移り代わりに起こる不意打ちの無作法な寒さには、いつも悒鬱(ゆううつ)になるのであった。

 夜の九時――新開地の商店街は早目に灯を落として眠り四周(ししゅう)は暗く、寂寥(せきりょう)として、尚子の下駄が霜を含んだ地面にさくさくと鳴った。

 その夜(よ)尚子は友人の加留多(かるた)の稽古に招かれたのであった。会半ばにして何となく悪感(おかん)を覚えた尚子は好い加滅に義理を済ませ、一人窃(そ)っと逃(のが)れて来たのであった。寒さに怯(おび)え、明日(あした)辺り風邪で起きられないのではないかと案じつつ、深ぶかとショオルに顎を埋め、一層大股に歩いた。

 郊外の田舎駅は閑(は)ねた後の芝居小屋のようにひっそりしていた。周囲に暗い野原が展(ひら)け、構内だけが弱い電灯の光を放ち、幻灯のように浮かび上がって見えた。そしてその中に、改札口の駅員がパンチを措(お)き、脇眼もふらず部厚い書物に読み耽っている姿があった。[やぶちゃん注:「措(お)き」(底本にはルビはない)手元からのけて。]

 尚子は小刻みに改札口へ近寄って行った。切符を渡し何気なく駅員の顔を見遣った時、尚子の胸は震えた。

 もちろん駅員の方は尚子を見知っている訳はなかった。彼は無造作に切符を戻し、新来の客に機械的な一ベつを与えただけですぐまた、読みかけの書物に眼を落とした。

 古ぼけた、頂辺(てっぺん)に埃の浸み込んだ駅員帽、色褪せた纔(わず)かにアイロンのかかった制服――男は平凡な駅員に過ぎなかった。ズボンの裾が先の持ち上がった黒靴の上に被(かぶ)さり、短い上衣(うわぎ)の下から垂るんだ臀(しり)の突き出ている態(てい)は如何にも見すぼらしく、背を一層畸型的(きけいてき)に細く見せていたが、帽子の下から髪にかけてはみ出している真黒な頭髪、濃い両眉から真っすぐに浮かび上がった鼻梁(びりょう)、幾分か尖り気味のおとがい、そしてそういう鋭い線の中に、打って変わった柔和に輝く双眸(そうぼう)、むしろやや寠(やつ)れ気味の青白い頰――それらは尚子の記憶から古く、遠く、遠離(とおざ)かるともなしに遠離かり行き、今や全く意識の外に在った男、そしてよし一時は念頭から消えていたとは言え、最早癌のように固く根を張った面影、それであった。

 ――尚子は七八歳の頃から奇妙な夢を見続けていた。両親をはじめ誰もが一斉にそれを夢であると断定したが、尚子自身にはどうしても単純な夢とは思えなかった。

 夜中であった。それも静かな、雨や風の音のない、森羅万象が尽(ことごと)く深い眠りに堕ち大気が微動だもせぬ、死のような沈黙の夜に限っていた。尚子は何処(どこ)からともなく聞こえて来るびいんびいんと言う得体の知れぬ音のために定(き)まって眼を覚ますのであった。それは博(う)っている胸の鼓動と同じテンポであたかも彼女の弱い心臓を脅かすように、幽(かす)かに、その癖(くせ)重おもしく響いた。

 びい――ん

 びい――ん

 びい――ん

 尚子は、その音の正体を確かめようとし、耳を澄ませた。それは蚊細い絃(げん)を何処か遠くの空からピツィカアトで奏でている音律に似ていた。が、音響的なハアモニイもなく、ただ徒(いたずら)にびいんびいんと響くのみでそれがかえって不気昧に思われた。彼女は両手で耳を披(おお)うた。それでも聞こえた。段(だん)だん尚子は恐ろしくなった。固く、聴くまいとすればするほど音は弥(いや)が上にも高くなり優(まさ)り行くように思われた。彼女は仰向けに横たわったまま布団から首だけ出し、聞くまいとする試みを諦め、眼の前の壁をぱっちりとみつめた。[やぶちゃん注:「ピツィカアト」ピッツィカート(イタリア語:pizzicato)は、ヴァイオリン属などの、本来は弓で弾く弦楽器(擦弦(さつげん)楽器)の弦を指で弾くことによって音を出す演奏技法。]

 と、――その壁に男の顔が映り始めた。彼女は最初誰かが彼女の寝室を覗(のぞ)いているのではないかと思った。数日前尚子の母が、誰か母の入浴姿を覗く者がいると語ったのを聞いていたから……。しかし、そこに窺(のぞ)かるべき窓のないことは尚子自身が一番よく知っていた。そこは一面の冷たい灰色の壁であった。

 男の映像は次第にはっきり泛(う)かび上がった。長い真黒な髪の毛、青白い面長(おもなが)の顔、秀でた鼻、薄い真赤な唇、そして――男はめっかちであった。

 尚子は夢だ夢だと心で叫んだ。するうちに達者な右の眼が時折ぱちりぱちりと瞬き、唇が微笑を含んで、歪んだ眼も唇も柔和であった。が、それだけ怕(こわ)かった。眠がやがて眠るように閉じられてしまう。

 八歳の尚子はいたたまれず、あっと叫びを立て、廊下を距てて眠っている母の胸許(むなもと)に飛び込み、震えた。

 「――ママ、怕いの、ママ!」

 この時は既に絃の音も壁の中の男も消え、澄み切った薄明(はくめい)と静寂があるばかりであった。

 夢中遊行、小児ヒステリイ、欧氏管(おうしかん)カタル、有熱児、――尚子を診察した医師はこう様ざまに呼んだ。が、その医師の尽くが、年頃になれば丈夫になるかも知れぬと言い、一斉(いっせい)に転地療養を薦めた。[やぶちゃん注:「欧氏管(おうしかん)カタル」(底本にはルビはない)滲出(しんしゅつ)性中耳炎。中耳内の滲出液によって発症する。急性中耳炎の不完全な治癒、又は、感染を伴わない耳管閉塞に起因する。症状は難聴・耳閉塞感・耳の圧迫感などがある。大半の症例は二~三週間で回復する。一~三ヶ月経っても、改善がみられなければ,何らかの形の鼓膜切開術が適応され、通常は鼓膜チューブの挿入を併用する。抗菌薬、及び、鼻閉改善薬は効果がない(サイト「MSDマニュアル・プロフェッショナル版」の「中耳炎(滲出性) (漿液性中耳炎)」を参照したが、私は航空性中耳炎原発の同疾患をヴェトナム到着前に左耳管に罹患し、同地の救急病院の女医で英語で症状を述べ、処方を受けた経験がある。旅(四泊五日)から帰って一週間ほどで、ほぼ治ったが、高音の聴覚低下が後遺症として今も残っている)。「欧氏管(おうしかん)」(底本にはルビはない)中耳の鼓室と咽頭腔を繋ぐ「耳管」(じかん)の別名。イタリアの医学者・解剖学者エウスタキス・バルトロミオ・エウスタキオ( Eustachius Bartolommeo Eustachio 一五〇〇年又は一五一四年~一五七四年)が発見したことに由来し、「エウスタキオ管」(英語:Eustachian tube )とも呼ぶ。女医が「エウスタキオ」と私が言った際、笑って、頷いていたのを思い出す。「有熱児」乳幼児は、成人よりも平熱が高く、摂氏三十七・五度以上を発熱とすることが一般的である。発熱は受診の目安にはなるが、熱の高さは必ずしも疾患の重症度と相関しない。]

 長ずるにつれ案の定尚子の木のようであった胸や腰にも肉がつき美しい娘にはなったが、夢は一度で消えはしなかった。そしてこの娘の青白い情熱が奇怪な方向に注がれて行った。尚子は幻の男に一種の懐かしさを覚えるようになったのであった。眠られぬ物倦(ものう)い春の宵など、尚子は自身その夢を見るよう秘かに祈ることがあった。その祈りが真夜中に叶うと彼女の胸は妖しく高鳴り、此方(こちら)から微笑(ほほえ)み返してやりたい淡い衝動を覚えた。かつて恐ろしかった絃の音ですらも、若い、恋に憧れる血を搔き立てるセレナタの爪弾(つまび)きに似ていた。[やぶちゃん注:「セレナタ」所謂、本邦では「夜曲(やきょく)・小夜曲(さよきょく)」と呼ばれる、夜に恋人のために窓下などで演奏される楽曲。セレナーデ(ドイツ語: Serenade)で、ここは、イタリア語のSerenata(音写「セレナ(ァ)タ」)の音写。]

 壁の中の幻の恋人!

 弱々しい陰性の花にも慕い寄る雄蝶(おすちょう)は多かった。尚子は、しかしこれらに眼を呉れる先に、この言葉に憑かれていた。

 (――あの人……あの人はいったい誰なんだろう? 一度も見たこともなければ、誰にも似ていない、あの人……ことによったら、この世に実際いる人なのではないだろうか? そして、いつか、出会うことができるのではないかしら?……)

 この感傷は根強かった。夜半寝室にただ一人(ひとり)蠟燭を灯して鏡を覗くと未来の夫となる男の面影が映るという伝説とともに、尚子は多分それは彼女自身にしか体験し得ぬ不図した神秘のサジェスチョンによって、この固定観念を抱いたに相違なかった。――幻の男、身分も素性も判らぬめっかちの男こそ、彼女の夫となる男であるに違いないと。[やぶちゃん注:「サジェスチョン」英語:suggestion。示唆。暗示。]

 ――言うまでもなく、加留多会の帰途尚子の見た田舎駅の改札係こそ、壁の中のめっかちに生き写しの男であった。

 駅員の二つの眼は、しかし、健全であった。

 

 小石川蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)裏手の貧乏長屋であった。尚子の姿がこの裏街の不潔な溝川(みぞがわ)の傍らにたたずんでいた。尚子の前に庇(ひさし)の低い、亜鉛屋根の階屋が埃を浴びて並立してい、路地路地の口からは夕餉(ゆうげ)の鮭を焼く煙が無風の、幾分雨気を含んだ低い空に向かってゆらゆらと立ち昇っていた。[やぶちゃん注:「蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)」(底本にはルビはない)現在の東京都文京区小石川二丁目にある浄土宗の寺院常光山源覚寺の別称。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「源覚寺」によれば、『寛永元』(一六二四)年に『定誉随波上人(後に増上寺第』十八『世)によって創建された。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていた。江戸時代には四度ほど大火に見舞われ、特に天保』一五(一八四八)年の『大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。しかし、こんにゃくえんま像や本尊は難を逃れた。再建は明治時代になったが、その後は、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れられた』とある。この閻魔像は『鎌倉時代の作といわれ、寛文』一二(一六七二)年に『に修復された記録がある』一『メートルほどの木造の閻魔大王の坐像である。文京区指定有形文化財にもなっており、文京区内にある仏像でも古いものに属する。閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴でこれは、宝暦年間』(一七五一年~一七六四年)『に一人の老婆が眼病を患い』、『この閻魔大王像に日々祈願していたところ、老婆の夢の中に閻魔大王が現れ、「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて、治してあげよう」と告げたという。その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に備え続けたといわれている言い伝えによるものである。以来』、『この閻魔大王像は「こんにゃくえんま」の名で人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、当閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。また毎年』一『月と』七『月には閻魔例大祭が行われる』とある。――いや! 何より――私の教え子たちは、夏目漱石の「こゝろ」の最初のクライマックスに登場することで、記憶にあるであろう。私の「『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月19日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十七回」を見られたい。先に示した地図の中央附近に、先生とKの高級下宿は、あったのである。

 何処かで豆腐屋のラッパが鳴った。

 尚子は電柱の蔭から斜めに、駅員と彼の老母との佗びずまいを窺(うかが)っていた。無細工な格子の奥で、緋に寛(くつろ)いだ駅員と老母が小さな膳を囲んで夕飯を認めていた。

 何時ぞや、よもやの幻と現実に逢い初めて以来、尚子は如何なる第三者にもこの秘密を秘め隠した。秘密はすなわち恐怖であったが、物思いは哀恋に似た感情であった。何者にも優(ま)して強烈な乙女の好奇心は、幾度窃(そ)っと遠見に駅員の動静を探りに行ったか知れなかった。

 この日駅員の姿は改札口に見えなかった。尚子は失望したが再び構内に戻った時、彼女と同方向に向かう電車に乗る彼を認めた。早退(はやび)けに相違なかった。尚子は己(おの)が端(はし)たなさに嫌悪を感じながらも、男の痕(あと)を尾行しない訳には行かなかった。

 駅員は車中絶えず部厚い赤い表紙の書物を眼から離さなかった。電車が春日町(かすがちょう)に着くと几帳面に栞(しおり)を挟み小脇に抱え、眼を前方に向けたまま脇眼も振らず伝通院(でんづういん)の方に足早に歩いて行った。それは理想や希望に燃える生真面目(きまじめ)な青年を想わせた。溝川に添うた道を右に入ると、街の風貌が突然暗くせせこましくなった。男は「室井健」と書かれた標札の下りている長屋の土間に入り、奥に向かって快活に呼ばわった。[やぶちゃん注:「春日町(かすがちょう)」(底本にはルビはない)当時の東京都電の駅名。現在の春日町交差点(グーグル・マップ・データ)附近にあった。「伝通院」現在の文京区小石川にあり、正式には浄土宗無量山伝通院寿経寺(じゅきょうじ)。やはり、「こゝろ」の重要なロケーションのマルクメールの一つである。前の地図の左上方に配しておいた。]

 「――ただいまア!」

 茶ノ間には何時(いつ)か電灯が灯っていた。茶ノ間の奥にはこじんまりとした仏壇が飾られ、その前で腰の曲がった老母と居住居(いずまい)正しく夕餉の箸を運んでいるプラトニックな青年の姿が、何故か尚子の心を叩いた。窓を通して仄見(ほのみ)える人の世の営みこそ、もののあわれ――それが平和で幸福なものであればあるだけ、尚子は居堪(いたまた)まれぬ佗しさを感じた。

 少女時代からの恋人があまりにも見すぼらしい一介の改札係に過ぎないことも、最早尚子には問題ではなくなっていた。

 

 翌々年の春二人は結婚した。男は既にその時母を喪った孤児であった。春とは言い条(じょう)、大きな牡丹雪が音もなく舞い落ちる冷えびえとする日、尚子と駅員の肉と心とが厳(おごそ)かな神前で一つに結ばれたのであった。

 男は詩人であった。が、彼の「室井健」という名は一度も活字に刷られたことがなかった。

 二人の新家庭は室井の希望で、市中からはずっと奥まった草深い田舎に設けられた。家の前には魚の骨のような寒ざむとした雑樹林(ぞうきばやし)が立ち並び、その向方(むこう)に古沼が澱んでいた。遠くに市外電車の土手が見えた。夜になるとこの電車の警笛が、身に浸み入るように淋しく聞こえた。

 室井は尚子を心から愛した。愛し過ぎるほど愛した。尚子の外出の時間が長いとどんなに淋しかったか知れないと、べそを搔きつつ怨み言を言った。けれど尚子は、室井が彼女を愛するほど、彼を愛してはいなかった。

 (わたしは室井を、もっともっと愛さなければいけないんだわ。……)

 尚子はこう自分に言い聞かせ、燃え立たぬ熱情を悲しんだ。過去一切の交際を絶ち、二人だけの生活に閉じ罩(こ)もろうとし、下女すらも二人の巣を破壊する闖入者(ちんにゅうしゃ)として使(つか)おうとはしなかった。夫は書斎に閉じ籠もり、瞑想と思索の時間を送った。

 雨の降る日など、

 「尚子さん、僕アいつか立派な詩を書きます。どうかそれまで待っていて下さい。……」

 室井はこう前置きしてから、「嘆きのピエロ」の Jacques Catelain のような夢見るような表情で、自作の詩を高らかに唄って聞かせることがあった。中音の、声それ自身は歌唄いのように美しかったが、作品はしかしあまりにも稚拙で、人の真の喜びや哀しみに触れたものではなかった。[やぶちゃん注:「嘆きのピエロ」「Jacques Catelain」フランスの映画人ジャック・カトランが、脚本・監督・主演を担当した‘ La Galerie des Monstes ’(直訳で「怪物たちの展示場」)の邦題。一九二四年制作のサイレント映画。シノプシスは、サイト「映画.com」のこちらを見られたい。私は、映画の評論で話としては知っているが、生憎、作品自体を見ていない。]

 が、尚子は極まって、

 「……素敵だわ」

 と、低い声で言った。

 詩作に飽きると壁際に寝転び、細い脚を重ね、

 「ああかかる日のかかるひととき……」

 とか、

 「小諸なる古城のほとり

 雲白く

 游子悲しむ……」

 とか、大きな声で唄いながら、煙草の煙を吐いたりした。晴れた日には、近所の沼へ鮒(ふな)を釣りに行くのだと言い、魚籠(びく)を提げ、釣竿を担ぎ、口笛を吹き鳴らしつつ颯爽と出て行くのであった。

[やぶちゃん注:「ああかかる日のかかるひととき」は、梶井基次郎の「城のある町にて」の冒頭にある「ある午後」のコーダ部分に出てくる。正確には、少し、表記が異なるので、前後(ラストまで)を引用する。

   *

 空が秋らしく靑空に澄む日には、海はその靑より稍々溫い深靑に映つた。白い雲がある時は海も白く光つて見えた。今日は先程の入道雲が水平線の上へ擴つてザボンの內皮の色がして、海も入江の眞近までその色に映つてゐた。今日も入江はいつものやうに謎をかくして靜まつてゐた。

 見てゐると、獸のやうにこの城のはなから悲しい唸聲を出してみたいやうな氣になるのも同じであつた。息苦しい程妙なものに思へた。

 夢で不思議な所へ行つてゐて、此處は來た覺えがあると思つてゐる。――丁度それに似た氣持で、えたいの知れない想ひ出が湧いて來る。

「あゝかゝる日のかゝるひととき」

「あゝかゝる日のかゝるひととき」

 何時用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――

「ハリケンハツチのオートバイ」

「ハリケンハツチのオートバイ」

 先程の女の子らしい聲が峻[やぶちゃん注:「たかし」。主人公の名。]の足の下で次つぎに高く響いた。丸の內の街道を通つてゆくらしい自動自轉車の爆音がきこえてゐた。

 この町のある醫者がそれに乘って歸つて來る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にゐる女の子は我勝ちに「ハリケンハツチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と言つてゐる兒もある。

 三階の旅館は日覆をいつの間にか外した。

 遠い物干臺の赤い張物板ももう見つからなくなった。

 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩。

   *

なお、全文は「青空文庫」のここで、全文が読める。但し、新字新仮名である。

「小諸なる古城のほとり……」は、言わずもがな、私の大嫌いな島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の冒頭の二行。

 けれど――この平和、平和な退屈(アンニュイ)も、二年とは続かなかった。何故か尚子はまたしても物倦(ものう)い不眠症に襲われ出した。[やぶちゃん注:「退屈(アンニュイ)」フランス語 ennui 。「退屈・倦怠感」及び「何かをする気力や興奮がなく、時間が過ぎるのを、ただ待つだけの状態」を指す語で、英語にも取り入れられている。特に十九世紀のフランス文学に於いて、よく用いられ、社会や生活に対する無感動、飽き飽きした感情を表現する代名詞でもあった。]

 

 室井には結婚前から恋人がいるらしいのであった。ほとんど手紙など着いたことのない二人の家庭にしばしば男名前ではあるが女文字の手紙が室井の手許に配達されるようになった。室井はそれらの手紙をできるだけ尚子の前から隠そうとした。その癖(くせ)決して破り捨てようとはしなかった。或る日尚子は、見るともなしに不図(ふと)室井の日記帳を繰った時、そこに過去の女を讃える数篇の詩作を発見した。純情を装う室井の心の奥底から、凄まじい悪魔の吐息を感じた。かつて貧しく寄る辺(べ)のない室井が安逸な生活のための手段として自分を喰いものにしたのではないかと疑った。

 と同時に、室井の心を捉えている見えざる女に対し劇しい嫉妬を覚えた。

 

 (――無能で、平凡で何一つ取柄のない室井……こんな男のどこにもわたしは魅力を感じてはいないのだ。ただわたしは、わたしの運命を支配する幻の実体として室井と結婚したのだ……だのに、どうしてこんなにもはげしい嫉妬にくるしまなければならないのだろう?)

 ……不眠のまま茫然と天井をみつめている時や入浴時裸体で鏡の前に立つ時など、尚子はつくづくこのまま生活を続けて行ったら、何時か大きな破綻が来るのではないかと惶(おそ)れた。鏡に写る彼女の肉体は、一時(いちじ)の撥溂(はつらつ)さを全く喪(うしな)い、そこにあるものは細い、冷たい蠟燭のような肢体――恐ろしい少女時代の再現に過ぎないのであった。彼女は迫り来る破局を予感し、そういう時、薄い胸を抱いて震えた。

 

 驚くほど真暗(まっくら)な夜であった。下界は無限の暗闇(くらやみ)に呑まれ恐怖に竦んだ、深い沈黙に動かぬ夜であった。

 びいん……びいん……びいん……絃の音がまた何処からか聞こえ出し、尚子はぱっちり眼を覚ました。

 それは十年以上も聴かなかった、例の静寂の大気が顫(ふる)え出す音のような暗示であった。尚子ははっとして身を縮めているうちに、音は今まで経験したことのないほど次第に早く、大きくなり優って行った。

 びいーん

 びいーん

 びいーん

 尚子は怖しくなった。

 と同時に、それは何と言う奇態な、胸の膨らむような懐かしさなのであろう?

 (この音だ、この音だ!)

 尚子は心中から叫びつつそれがどういう音律に変化して行くか、果してまた、あのめっかちの男が壁の中に現れるか、全身を眼と耳にして待ち構えた。

 びん……びん……びん!

 音は尚子の心臓とともに震え始めた。

 と――壁面の一部が薄雲のように揺れ始め、見る見る例の周囲のぼやけた vignette 風の幻の男が現れた。[やぶちゃん注:「vignette」これは、元はフランス語で「ヴィニェット」、「輪郭をぼかした絵」の意であろう。英語にも取り入れられている。他にも別な意味はあるが、ここは前の形容から、それで、決まりである。]

 「うーん、うーん……」

 尚子は唸った。

 久し振りで尚子に会いに来た男は八歳の頃と寸分の相違もなかった。尚子は年を取ったが、男は依然若く、青白く右の眼を屢(しばしば)叩(はた)きつつ、思いなしか、奥深い瞳の裡(うち)には隠し切れぬ懐かしさを湛(たた)えているように見えた。

 (神様、どうぞどうぞ教えて下さい!)

 尚子は荒れ狂う感情の暴風の中で、両手を胸の上に組み、一心不乱に祈った。

 (神様、――現在の室井は、この壁のなかの男とは違うのでしょうか?……そうだ、そうだ、確かに違う!……室井はふたつの眼を持っている!)

 音はますます烈しく鳴った。のみならず片眼だけがにやりにやりと嘲笑(あざわら)い、一ノ字(いちのじ)に結ばれた蚯蚓(みみず)のような唇が冷酷に蠢(うごめ)いた。

 

 むっくり、尚子は起き直った。息を殺し、隣に眠っている室井を伺った。

 室井は就寝前必ず本を読み、書いた原稿は几帳面に閉じ、枕許に揃えて置くのが習慣であった。そして緑色のスタンド・ランプが、原稿の束の上に、鋼鉄の鋭い尖端を晃(ひか)らせた一本の錐(きり)を冴えざえと照らし出していた。

 (夢だ、わたしがしようとしていることは、みんな夢なんだ)

 尚子は窃(そ)っと錐を取り上げた。

 「どうしたの、尚子さん、どうしたの?」

 それまですやすやと快い寝息を立てていた室井がぱっちり澄み切った眼を開いた。その眼には、近頃病身の尚子を劬(いた)わる優しい光があった。その呑気な、お人好しな、些少(すこし)も警戒の色を見せぬ無心の室井が、キリキリと尚子の嗜虐心(しぎゃくしん)を煽(あお)った。[やぶちゃん注:「些少(すこし)も」底本にはルビはない。通常なら「さしょう」と読むところだが、このシークエンスに於いて、「さしょう」では、リズムが上手くないと判断して、かく、読んだ。]

 「いいえ、何でもないのよ。ただ眠られなかっただけなのよ。何でもないの、何でもないの」

 尚子も笑って見せた。左手を突き、息を詰め、体をよじるようにして握った錐を室井の左眼に突き立てた。

 「な、何をする!」

 室井は尚子の手を払おうとした。が、それは尚子の手首に逸(そ)れて行った。錐は最初白眼(しろめ)を突いたのであろう、固いゴム鞠(まり)に似た鈍重(どんじゅう)な弾力があった。尚子はすかさず持ち直した。柔軟なむしろ快い感覚で、錐の尖端が二寸ほどズブリと剌さった。

 「尚子、尚子!」

 室井は無気味に叫び、両手で顔を抱えたまま、転げ回った。

 白い敷布がたちまち赤点(せきてん)で彩られた。

 ……何時の間にやら壁の中の男は消え、啻(ただ)濫(みだ)らに絃の音が前よりも一層早く烈しく鳴り続けていた。それがぴたりと歇(や)んだ時、尚子ははじめて我に帰った。

 事前の幻想は眼前の酷(むご)たらしい現実に転じた。彼女ははじめて何をしたかを悟った。

 「ああ、ああ!」

 尚子は口をまんまるにし幼児のように哭(な)き出した。

 「こわいよオ、ママ、こわいよオ!」

 尚子の半狂乱の姿がその家から逃れ出た。一直線に畔(あぜ)を伝って疾走する彼女の姿は狂った犬族(いぬぞく)に見えた。畔が尽きると、雑木林の奥の真黒な闇の中に、尚子の体が吸い込まれた。

 

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 「その時、どこをどう走っているのだかただ夢中で走りました。そうして、とうとう林の奥の沼のなかへとびこんでしまったのでございます」

 長い話をこう語り来(きた)った女、すなわち尚子夫人は、次のように結尾(むすび)を付した。

 「――これで、わたくしの永年の迷妄もすっかりさめてしまいました。はい、そうです、げんざいの夫が室井なのです。――それで、それで……」

 夫人はちょっと言い澱(よど)み、再び過去の恐怖に憑(つ)かれたかのように空間をじっとみつめた時、玄関の開く音が聞こえ室井の帰って来た気配に、つと立って襖(ふすま)まで行き振り返り、しかし眼は、依然として左(さ)あらぬ方を凝視したまま、秘めやかに、その癖せかせかと囁いた。

 「……それで、それなり、ほんとうならば古沼におぼれてしまったのでしょうが、運というものはまことにふしぎなものですわね。その夜、ちょうどその沼で夜釣りをしていた人に助けあげられたのです。ふちのくさむらに寝かされてすぐ気がつきましたが、くらやみのなかのほのかなカンテラの灯影(ほかげ)に照らしだされた男の顔を見た時には、キャッとさけんでもういっぺん悶絶してしまいました。あとでわかって、その命の恩人はふきんのアトリエに住む絵かきさんでしたが、こういうことにどういう理屈をつけたらよろしいのでございましょうね。その方こそ壁のなかのまぼろしにすこしもちがわぬ、めっかちの男だったんですよ」

 

[やぶちゃん注:最後に一言。冒頭、狂言廻したる「語り手」について、一人称で『僕は思想上の犯罪者だったのである』と語らせている。初回の前注で、ちょっと述べたが、西尾は、戦前の後期に一度、筆を折って、保険会社に勤務しており、戦中は、彼は作品を書かず、沈黙を守っている。この「語り手」の言葉には、実は、海外の小説を、かなり読んでおり、近現代ヨーロッパの知識も芸術上の相当にある(彼は慶應の経済学卒である)。実は、彼は内心、社会主義者とまでは言わずとも、その心情的なシンパであったか、少なくとも、良心的反戦主義者であったのではなかったか? と感じていることを言い添えておきたい。

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