和漢三才圖會卷第八十七 山果類 目録・梨
卷之八十七
山果類
[やぶちゃん注:以下の目録では、読みの歴史的仮名遣の誤り、及び、濁音になっていないものは、ママである。]
梨(なし)
鹿梨(ありのみ)
棠梨(やまかいだう)
海案梨(かいだう)
櫻 【樺(かば)】
絲垂櫻(しだれさくら)
木瓜(ぼけ)
樝子(こほけ)
文冠花(ふんくはんくは)
榠櫨(くはりん)
榅桲(まるめろ)
山樝子(さんざし)
菴羅果(てんぢくなし)
奈(からなし)
林檎(りんご)
柹(かき) 【烘柹(つへみかき) 白柹(つるしかき)
烏柹(あまほし) 柹蔕(かきのへた)】
椑柹(しぶかき) 【柹𣾰(しぶ)】
[やぶちゃん注:「椑」は、原本では、「グリフウィキ」この字体だが、表示出来ないので、「椑」とした。]
君遷子(ぶどうのき)
石榴(ざくろ) 【石榴皮】
橘(かりん)
陳皮(ちんぴ) 【青皮(しやうひ)】
包橘(たちはな)
乳柑(くねんぼ)
柑子(かうじ)
橙(だいだい) 【かぶす】
柚(ゆう) 【柚未醬(ゆみそ) 柚脯(ゆほし)】
櫠椵(ゆろう) 【さんす】
佛手柑(ぶつしゆかん)
金柑(きんかん)
批杷(びわ)
楊梅(やまもゝ)
楊梅皮(やうばいひ) 【樹皮(もくかは/タンカラ)】
[やぶちゃん注:「樹皮」の読みは、右ルビが「もくかは」で、左が「タンカラ」。後者は私の判断で原文のままにカタカナで示した。]
櫻桃(ゆすら)
山嬰桃(にはさくら)
銀杏(ぎんなん) 【いちやう】
胡(くるみ)
毗梨勒(なんばんくるみ)
榛(はしばみ)
櫧木(かしのき)
釣栗(いちゐ)
椎子(しひ)
橡(とち)
槲實(どんぐり)
枹(かしわ)
柞(はゝそ)
𪳂(なら)
[やぶちゃん注:「𪳂」の漢字はおかしい。当該項を見ても、「楢」となっており、この「𪳂」という漢字は中国語にはなく、本邦で、「塗る」の意味で用いる和製漢字と思われる。誤刻の可能性が高いように思われる。]
橅(ぶな)
庭梅(にはむめ)
和漢三才圖會卷第八十七
攝陽 城醫法橋寺島良安尙順編
山果類
なし 快果 果宗
玉乳 𮔉父
梨【音離】
【和名奈之】
リイ
本綱樹髙二三𠀋尖葉光膩有細齒二月開白花如雪六
出凡杏桃諸花皆五出而棃則六出三月三日無風則結
[やぶちゃん字注:この「棃」は「梨」の異体字。以下でも混在するので注意されたい。]
實必佳故云上巳有風棃有蠧中秋無月蛑無胎伹棃核
[やぶちゃん注:「蛑」は良安の引用の際のミスで、「蚌」の誤り。訓読では訂しておく。「蛑」は「ネキリムシ(根切虫)」(農作物の根を食べる害虫)・「カマキリ(螳螂)」・「ガザミ(蝤蛑)」(甲殻綱十脚(エビ)目エビ亜目カニ下目ワタリガニ(ガザミ)科ガザミ属ガザミ Portunus trituberculatus 等)を指し、「蚌」は中・大型の淡水産・海水産の斧足(二枚)貝類を指す。漢文の「漁父之利」で出ただろ? 第一義的には淡水産のカラスガイ Cristaria plicata 、イシガイ科ドブガイ属 Sinanodonta に属する大型のヌマガイ Sinanodonta lauta(ドブガイA型)と、小型のタガイ Sinanodonta japonica(ドブガイB型)を指すと私は考えてよいと思っている。詳しくは、私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蚌」を見られたい。]
毎顆有十餘子種之惟一二子生棃餘皆生棠棃此亦一
異也其品甚多有青黃紅紫四色必須棠棃桑樹接過者
則結子早而佳
○乳梨【一名雪梨】皮厚而肉實其味極長○鵞梨【一名綿梨】皮薄而
漿多味差短○消梨【一名香水梨】俱爲上品其餘茅梨禦兒
梨紫糜梨水梨赤梨青梨之類甚多○凡梨與蘿蔔相
閒收藏或削棃蔕種於蘿蔔藏之皆可經年不爛
梨實【甘微酸寒】 治風熱潤肺凉心消痰降火解酒毒伹不可
過食多則令人寒中【金瘡乳婦血虛者不可食】
古今醫統云春分日將梨枝作拐樣斫下兩頭以火燒又
燒紅鐵烙烙定津脉栽之入地二尺只春分一日可栽桑
樹接梨枝則脆而甘
古今おふの浦に片枝さしおほひなる梨のなりも 無名
ならすもねてかたらはん
△按梨雖爲山果而人家近煙𠙚能結子性不怕寒故北
國最多奧州津經羽州秋田之産倍於他國者而大其
大者周一尺四五寸俗呼名犬殺【狗子有樹下梨落所撲死故名】
○紅甁子梨似甁子形而色赤其肉白如雪○江州觀音
寺梨色微赤不甚大而漿多甘美如消於口中○山城
松尾梨狀類觀音寺而褐色甘脆如雪伹漿少耳
○水梨狀似青梨而褐色帶青味極甜美有微香多漿
○圓梨卽青梨之種類而大皮薄色青帶微褐多漿甘美
○肥前空閑梨微赤色極大其味亞於圓梨其外數品不
牧擧 凡梨冬月毎枝曲撓縛而常不解則能結實
[やぶちゃん注:言うまでもないが、「不牧擧」は「不枚擧」の誤刻。訓読では訂した。]
*
なし 快果《くわいくわ》 果宗《くわそう》
玉乳《ぎよくにう》 𮔉父《みつふ》
梨【音「離」。】
【和名、「奈之《なし》」。】
リイ
「本綱」に曰はく、『≪梨の≫樹《き》、髙さ、二、三𠀋。尖(とがり)たる葉、光《ひかり》、膩《なめらかに》≪して≫、細≪かなる≫齒、有り、二月、白≪き≫花を開《ひらく》こと、雪のごとし。六出《ろくしゆつ》なり[やぶちゃん注:六枚の花弁が開くこと。]。凡そ、杏・桃≪等の≫諸花、皆、五出《ごしゆつ》にして、棃《なし》[やぶちゃん字注:この「棃」は「梨」の異体字。以下でも混在するので注意されたい。]は、則《すなはち》、六出なり。三月三日、風、無き時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、實を結ぶ《✕→びて》、必《かならず》、佳≪(よ)き實≫なり。故に云はく、「上巳《じやうし》[やぶちゃん注:五節句の一つで、旧暦三月三日。所謂、「桃の節句」。]に、風、有れば、棃に、蠧(むし)、有り。中秋に、月、無《なけ》れば、蚌《ばう》、胎《たい》、無し。」[やぶちゃん注:これは、「美味な梨の実に虫が食い入れば、食うに堪えない。」の対になって、「美しい真珠を持つ蚌貝(ぼうがい)は痩せ細って、胎(はらこ)である真珠は出来ない。」と言っているのである。後のものだが、清の李調元の書いた広東省地誌的随筆「南越筆記」の「珠」で、真珠で知られる合浦(ごうほ:現在の広西チワン族自治区北海市合浦県。グーグル・マップ・データ)の真珠を語る中で、『蚌之病也,珠胎故與月盈朒,望月而胎,中秋蚌始胎珠,中秋無月,則蚌無胎。』とある(「維基文庫」の同書の巻五より引用した)。ああ、言い忘れたがね、所謂、「蚌」淡水産のカラスガイ等も真珠を作ることは、古くから知られていたのだ。なお、東洋文庫訳では、『蚌(はまぐり)』『に肉は付かない』と訳してあるが、いただけない。因みに、カラスガイ等は確かにドデカいし、旨くないが、食べられるから、おかしくはないが、やっぱり、ここは、食う方ではなくて、断然、真珠の方だろうと思うね。]伹《ただし》、棃の核《さね》、顆《くわ》毎《ごとに》[やぶちゃん注:返り点はないが、返して訓じた。]、十餘子《じふよし》、有りて、之れを、種うるに、《成樹と成れども》、惟《ただ》、一、二子≪のみ≫、棃を生ず。餘は、皆、棠棃(やまなし)を生ず。此れ亦、一異なり。其の品《しな》、甚だ、多し。青・黃・紅・紫の四色、有り。必《かならず》、棠棃・桑の樹を須(も)つて、接(つ)ぎ過(すぐ)す者≪は≫、則ち、子《み》を結ぶこと、早《はやく》して、佳《か》なり。』≪と≫。
[やぶちゃん注:以下は、各個記載なので、改行した。引用の「≪と≫」は五月蠅いだけなので、附さない。]
○『「乳梨《にふり》」』『【一名、「雪梨《せつり》」。】』『皮、厚《あつく》して、肉、實《じつ》す。其の味、極《きはめ》て長し。』。
○『鵞梨《がり》』『【一名、「綿梨《めんり》」。】』『皮、薄《うすく》して、漿(しる)、多《おほく》、味、差《ちと》、短《たら》じ。』。
○『消梨《せうり》』『【一名、「香水梨《かうすいり》」。】』。
『≪「乳梨」「鵞梨」「消梨」は、≫俱に、上品と爲す。其の餘は、「茅梨」・「禦兒梨」・「紫糜梨」・「水梨」・「赤梨」・「青梨」の類《るゐ》、甚だ、多し。』≪と≫。
○『凡そ、梨と蘿蔔《らふく/すずしろ/だいこん》と、相《あひ》閒(まじ)へ、收-藏《をさめ》、或いは、棃の蔕《へた》を削りて、蘿蔔を種《う》へて[やぶちゃん注:ママ。]、之れを藏《をさ》むれば、皆、年を經て、爛《ただれ》ざるべし[やぶちゃん注:梨も大根も、決して、腐ることはない。]。』≪と≫。
『梨≪の≫實【甘、微酸、寒。】』『風熱を治し、肺を潤し、心《しん》を凉《すずやかに》し、痰を消し、火《くは》を降《おろ》し、酒毒を解《かい》す。伹《ただし》、不可過食すべからず。多≪食する≫時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、人をして寒《かん》に中《あた》たらしむ【金瘡《きんさう》・乳婦≪の≫血虛[やぶちゃん注:血が不足している状態だが、血の絶対量が不足しているだけではなく、血の量は十分であっても、その成分比が正常でない状態をも含む。]せる者、食ふべからず。】。』≪と≫。
「古今醫統」に云はく、『春分の日、梨の枝を將《もち》て、「拐《かい》」[やぶちゃん注:「物を引っ掛ける物」を言う語。]樣《ざま》に作り、下《した》の兩頭《りやうとう》を斫(はつ)り、火《ひ》を以つて、燒く。又、鐵《てつ》を燒-紅(《やき》あかめ)るを、烙烙(らくらく)として[やぶちゃん注:烙印を押すようにしっかりと。]、≪梨の枝の≫津脉《しんみやく》[やぶちゃん注:樹液の筋(維管束)。]を定《さだめ》て、之れ[やぶちゃん注:真っ赤に灼(や)いた鉄。]を栽《さし》、地に、入《いるる》こと、二尺。≪しかも、其れを成すは、≫只《ただ》、春分≪の≫一日≪のみに≫、栽うべし。桑の樹に、梨の枝を接(つ)げば、則。ち、脆《もろく》して、甘し。』≪と≫。[やぶちゃん注:私が馬鹿なのか、前半部分が、よく判らない。梨の枝を伐り取って、そのそれぞれの切れ端を鈎型に切れ目を入れ、地面に近かった方の鈎型に作った部分の二つの鈎状の頭の部分を、火で焼く、ということか? どうも持って回った迂遠な説明で、訓読に大いに困った。送り仮名も不鮮明で、判読が難しく、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の当該部の送り仮名の字起こしも、どうも受け入れられなかった。より正しい訓読が出来る方は、是非、御教授を乞うものである。]
「古今」
おふの浦に
片枝《かたえ》さしおほひ
なる梨の
なりもならずも
ねてかたらはん 無名
△按ずるに、梨は山果なりと雖も、人家≪の≫煙《けぶり》に近き𠙚≪にも≫、能く、子を結ぶ。性、寒《さむき》を怕(をそ[やぶちゃん注:ママ。])れず。故、北國に最≪も≫多し。奧州津經・羽州秋田の産、他國の者に倍して、大なり。其の大なる者、周《めぐ》り一尺四、五寸。俗、呼んで、「犬殺(いぬ《ごろ》し)と名づく【狗-子《くし/いぬころ》[やぶちゃん注:犬の卑称で、「犬の子ども」の意ではない。]、樹下に有りて、梨、落ち、撲《う》たれて死す故《ゆゑ》、名づく。】。
[やぶちゃん注:以下、同前で、改行した。]
○「紅甁子梨《べにへいじなし》」≪は≫、甁子[やぶちゃん注:「へいし」とも。口縁部が細く窄まった比較的小型の壺型の器。主に酒器として用いられた。神社の御神酒入れで今もよく見られる。]の形に似て、色、赤し。其の肉、白きこと、雪のごとし。
○江州《がうしう》の「觀音寺梨《くわんのんじなし》」は、色、微《やや》、赤《あかく》、甚《はなはだ》≪には≫大ならずして、漿(しる)、多く、甘美なること、口中に≪て≫消《きゆ》るがごとし。
○山城の「松尾梨《まつをなし》」は、狀《かたち》、「觀音寺≪梨≫」に類して、褐色、甘《あまく》、脆《もろく》して、雪のごとし。伹《ただし》、漿(しる)、少しのみ。
○「水梨《みづなし》」は、狀、「青梨《あをなし》」に似て、褐色≪に≫青を帶《おび》て、味、極《きはめ》て、甜《あま》く、美≪なり≫。微香《びかう》、有りて、漿《しる》、多し。
○「圓梨(まる《なし》)」は、卽ち、「青梨」の種類にして、大《おほき》く、皮、薄く、色、青≪に≫、微《やや》、褐≪色≫を帶《おび》て、漿、多く、甘美なり。
○肥前の「空閑梨(こが《なし》」)は、微《やや》、赤色。極《きはめて》大《おほき》く、其の味、「圓梨」に亞《つ》ぐ。其の外、數品《すひん》、枚擧せず。 凡(すべて)の梨、冬の月、枝毎《ごと》≪に≫、曲-撓-縛(わげためくゝ)りて、常に、解かず。則ち、能《よく》實を結ぶ。
[やぶちゃん注:今回は、東洋文庫訳の「本草綱目」引用の「≪梨の≫樹《き》」(訳では『樹』のみ)に『樹(バラ科チュウゴクナシ)』とあることで、その梨樹は、本邦の「梨」である、
双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ亜科ナシ属ヤマナシ(山梨)変種ナシPyrus pyrifolia var. culta
ではなく、
ナシ属ホクシヤマナシ(北支山梨)変種チュウゴクナシ(中国梨)Pyrus ussuriensis var. culta(シノニム: Pyrus × bretschneideri / Pyrus bretschneideri )
であることが判明したので、まずは、日本語のウィキの「チュウゴクナシ」を、先に引く(注記号はカットした)。『ホクシヤマナシ(シベリアナシ)』(英語: Siberian pear )=『秋子梨』(シュウシリ Pyrus ussuriensis var. ussuriensis )『が』、『中国で栽培化された栽培変種である』。上に示した通り、『独自種』として、 Pyrus bretschneideri 『とすることもある。中国名で白梨(はくり)ともいう』(というより、「維基百科」では、標題の中国語学名では、「白梨」で載る)。さらに正確には、本種の『英語名はChinese white pear』であり、『英語で Chinese pearは、中国原産のいくつかの栽培品種』、及び、『東アジア原産の栽培品種』を『総称』する総名称である』。『栽培化の過程は、華北に自生する』杜梨(とり:マンシュウマメナシ(満州豆梨): Pyrus betulifolia 『との種間雑種のようである』。『そのため、学名は』 Pyrus × bretschneideri 『することもある』のである。『日本には』、一八六八『年』(慶応三年十二月七日~慶応四年一月一日/明治元年一月一日(新暦一月二十五日)~同十一月十八日相当)『に勧業寮によって「鴨梨」』(ヤーリー:漢名の由来は「実のなっている様が鴨肉を干しているように見えたから」とか、「鴨が首をすくめているように見えるから」と言った様々な説がある)として、また、一九一七『年』(明治四十五年一月一日~七月三十日/大正元年七月三十日~十二月三十一日)『に恩田鉄弥によって「慈梨」』(ツーリー)として『導入されたが』、『普及せず、現在では北海道、青森県、長野県、岡山県のごく一部の地域で、非常にわずかな量が栽培されているのみである』。『形は』『洋』梨(ナシ属セイヨウナシ Pyrus communis var. sativa )『のような』壜(びん)『形や』、本邦の和梨『のような球形などがあり、果皮は淡い黄緑色である。洋』梨『のように熟するまで一定期間置く(追熟させる)が、味は和』梨『に近い。また、食感も和』梨『同様』、『石細胞』(せきさいぼう:stone cell:厚壁異型細胞(こうへきいけいさいぼう:英語:sclereid:スクレレイド)の一種。当該ウィキによれば、『ほとんどの植物において、耐久性のある層の小さな束を形成する、高度に肥厚し、木化した細胞壁を持つスクレレイマ』(Sclerenchyma)『細胞の縮小した形態で』、『細胞壁にリグニン、スベリン、ペントサン、結晶化したセルロース、シリカ』(プラント・オパール)『などの物質が蓄積し』、『石のように硬くなったもの。細胞壁が厚く発達し』、『木に近い状態に変化(木化)しており、細胞自体は死んでいる場合が多い』。『通常』、『石細胞は植物の皮などに存在し、野菜や果物の皮の部分に多く存在するが、ナシ』・『グアバ』(英語: guava。フトモモ目フトモモ科バンジロウ(蕃石榴)属グアバ(バンジロウ)Psidium guajava 。同属には約百種がある)・『マルメロ』(「榲桲」。バラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連マルメロ属マルメロ Cydonia oblonga 。一属一種。)『などは』、『果肉に多くの石細胞を蓄積している。植物の表面に存在する石細胞の役割は組織を固くし保護するためといわれているが、ナシの果肉に存在する石細胞の役割はよく分かっていない』とあった)『が多く含まれるため』、『シャリシャリした歯ごたえがある』。『ホクシヤマナシ』は『中国・朝鮮・シベリアに自生している。日本に自生する』
★ミチノクナシ(「陸奥梨」。別名「イワテヤマナシ」(岩手山梨))Psidium ussuriensis var. aromatica(★但し、近年、急速に発展している遺伝子解析による由来集団の推定によれば、サイト「農研機構」内の「ミチノクナシでは自生植物と古い時代の帰化植物が交雑している ―古い時代の帰化植物も長い年月の間に生物多様性へ影響を及ぼす ―」には、『ミチノクナシでは、北上山地の野生個体の一部は独自の単一な集団に由来すると推定されましたが、これ以外の北東北地方の個体は、ニホンナシと交雑していることが判明しました』(★☜)。『したがって、ミチノクナシとされる植物のうち、真の自生集団が残存するのは北上山地だけであり、他の地域の個体は、交雑個体と置き換わったか、もしくは元々自生はなく人為的に移入された個体が野生化したものと推定されました。また、日本海側の地方に存在するニホンナシの古い栽培品種では、ミチノクナシとの交雑が疑われる品種はごく一部でした』とあることから、★本種のチュウゴクナシ類とする分類や、学名は近いうちに、大きく変わるものと思われる)
■アオナシ( Psidium ussuriensis var. hondoensis(「青梨」であるが、本邦の梨の品種「二十世紀梨(にじっせいきなし)」『などの緑色がかったナシの意の』「青梨」『とは無関係』)『も同種とされることが多い』)
以下、「品種」の項(ほぼ品種名のみ)であるが、これは、後で再考証する。
●「鴨梨(ヤーリー)」
●「慈梨(ツーリー)」(別名「萊陽慈梨(ライヤンツーリー)」)
●「紅梨(ホンリー)」
●「王秋(おうしゅう)」(『新潟県産の』、『やや縦長の形が特徴。歯ごたえがあり、やや酸味がある』)
●「身不知(みしらず)」(『別名「千両梨」。北海道で作られた品種で、洋なし型が特徴。果肉はややかたく、シャキシャキした食感がある』)
以下、「利用」の項。『生食の他、缶詰、瓶詰めへの加工、製菓原料などとして利用されている』。『広東料理、順徳料理』(中国語:順德菜(スェンドーツァイ)。広東省仏山市順徳区(グーグル・マップ・データ)の地方料理。広東料理の重要な一部分を成している)、『台湾料理などでは、シロップで煮て、熱いデザートとしても食べられている』。『漢方に』「杏梨飮」(シンリーイン)『というのがある。去痰作用があるとされる鴨梨と、咳を鎮める作用があるとされる杏仁を煎じて飲む』。以下、「生産地」の「日本での産地」の項。『北海道』(「千両梨」を生産)・『余市郡(余市町・仁木町)・増毛郡増毛町など』・『青森県』・『長野県』・『岡山県』(『「ヤーリー(鴨梨)」を生産』・『岡山市東区西隆寺』・『石原果樹園』)。
次に、本邦のナシのウィキを引く(注記号はカットした)。『主なものとして、
ワナシ(和梨=日本梨) Pyrus pyrifolia var. culta
チュウゴクナシ(中国梨) Pyrus bretschneideri
ヨウナシ(洋梨=西洋梨) Pyrus communis
『の』三種『があり、食用として世界中で栽培される。日本語で単に「梨」と言うと』、『通常はこのうちの和なしを指し、本項でもこれについて説明する』。『ナシ(和なし、日本なし)は、日本の本州(中部以南)、四国、九州に生育する野生種』
ヤマナシ(ニホンヤマナシ) Pyrus pyrifolia var. pyrifolia
『を原種とし、改良・作出された栽培品種群のことである。果物としてなじみがあり、よく知られるものに、二十世紀、長十郎、幸水、豊水、新高、あきづきなどの品種がある』。『高さ』十五『メートル』『ほどの落葉高木であるが、栽培では棚状にして低木に仕立てられる。樹皮は灰褐色で縦に裂ける。一年枝は緑褐色で有毛』、『ときに無毛で、短枝も多い。冬芽は鱗芽で、長卵形や円錐形で暗赤褐色をしており』、七~十『枚つく芽鱗の先が尖る。枝先には頂芽がつき』、『側芽が枝に互生し、頂芽は側芽よりも大きい。葉は長さ』十二『センチメートル』『程の卵形で、縁に芒状の鋸歯がある。葉痕は三角形やV形で、維管束痕が』三『個』、『つく』。『花期は』四月頃で、『葉の展開とともに』、五『枚の白い花弁からなる花を付ける』。八『月下旬から』十一月頃『にかけて、黄褐色または黄緑色でリンゴに似た直径』十~十八センチメートル『程度の球形の果実がなり、食用とされる。果肉は白色で、甘く果汁が多い。リンゴやカキと同様、尻の方が甘みが強く、一方で芯の部分は酸味が強いためあまり美味しくない。水気が多くて』、『シャリシャリ、サクサクとした独特の食感がナシの特徴だが、これは石細胞』(前の引用で既注済み)『による』。『野生のもの(ヤマナシ)は直径が概ね』二~三センチメートル『程度と小さく、果肉が硬く』、『味も酸っぱいため、あまり食用には向かない』(小学六年生の時、スキー教室の最中に見つけて食べたが、美味くなかった)。『ヤマナシは人里付近にしか自生しておらず、後述のように』、『本来』、『日本になかった種が、栽培されていたものが広まったと考えられている。なお、日本に原生するナシ属にはヤマナシの他にも』、
ミチノクナシ(イワテヤマナシ)Pyrus ussuriensis var. ussuriensis(★この種は、前掲、及び、私の附言を、必ず、参照のこと)
アオナシ Pyrus ussuriensis var. hondoensis(和梨『のうち』、『二十世紀など果皮が黄緑色のものを総称する』「青梨」『とは異なることに注意』)
マメナシ Pyrus calleryana (豆梨。別名イヌナシ(犬梨)。当該ウィキによれば、『朝鮮半島、中国、ベトナム北部と日本の東海地方に分布している』とある)
『がある』。
以下、「名前」の項。『ナシの語源には諸説ある』。『江戸時代の学者新井白石は、中心部ほど酸味が強いことから「中酸(なす)」が転じたものと述べている』。『果肉が白いことから「中白(なかしろ)」あるいは「色なし」』、『風があると実らないため「風なし」』、『「甘し(あまし)」』・『「性白実(ねしろみ)」』・『漢語の「梨子(らいし)」の転じたもの』等の説がある。『また、ナシという名前は「無し」に通じることからこれを嫌って、家の庭に植えることを避けたり、「ありのみ(有りの実)」という呼称が用いられることがある(忌み言葉)。一方で「無し」という意味を用いて、盗難に遭わぬよう家の建材にナシを用いて「何も無し」、鬼門の方角にナシを植えることで「鬼門無し」などと、縁起の良さを願う利用法も存在する』。
以下、「歴史」の項。『日本でナシが食べられ始めたのは弥生時代ごろとされ、登呂遺跡などから多数食用にされたとされる根拠の種子などが見つかっている。ただし、それ以前の遺跡などからは見つかっていないこと、野生のナシ(山梨)の自生地が人里周辺のみであることなどにより、アジア大陸から人の手によって持ち込まれたと考えられている。文献に初めて登場するのは』「日本書紀」で、『持統天皇の』六九三『年の詔において五穀とともに「桑、苧、梨、栗、蕪菁」の栽培を奨励する記述がある』。記録上に現れる』個体の『ナシには巨大なものがあり』、五『世紀の中国の歴史書』「洛陽伽藍記」(東魏の楊衒之(ようげんし)が撰した、北魏の都洛陽に於ける仏寺の繁栄の様子を描いた記録)には、『重さ』十斤(約六『キログラム)のナシが登場し』、「和漢三才圖會」には、ご覧の通り、『落下した実にあたって犬が死んだ逸話のある「犬殺し」というナシが記述されている』。『江戸時代には栽培技術が発達し、日本で最古の梨栽培指南書』である『新潟市有形文化財に指定されている阿部源太夫著』「梨榮造育祕鑑(りえいざういくひかん)では』、百『を超す品種が果樹園で栽培されていたと記録がある。松平定信が記した』「狗日記」『によれば』(以下は、国立国会図書館デジタルコレクションの『改訂房総叢書』第四輯(改訂房総叢書刊行会編刊・一九五九年・新字新仮名)の当該部を参考に、正字に直して独自に起こした。
*
船橋のあたり、行く。梨の木を、多く植ゑて、枝を、繁く、打曲(うちま)げて作りなせるなり。「かく苦しくなしては、花も咲かじ。」と思ふが、枝、のびやかなければ、花も實も少し、とぞ。
*
『と記載があり、現在の市川市から船橋市にかけての』江戸後期頃の『江戸近郊では』、『既に梨の栽培が盛んだった事がわかっている』。『明治時代には、現在の千葉県松戸市において』「二十世紀(にじっせいき)」『が、現在の神奈川県川崎市で』「長十郎」が『それぞれ発見され、その後、長らくナシの代表格として盛んに生産されるようになる。一時期は日本の栽培面積の』八『割を』「長十郎」『で占めるほどであった。また、それまでは晩生種ばかりだったのだが、多くの早生種を含む優良品種が』、『多数』、『発見され、盛んに品種改良が行われた』。二十『世紀前半は』「二十世紀」と「長十郎」が『生産量の大半を占めていたが、太平洋戦争後になると』、昭和三四(一九五九)年に「幸水」、一九六五年に「新水」、一九七二年に「豊水」の』三『品種(この』三『品種をまとめて「三水」と呼ぶこともある)が登場し普及した。そのため、現在では長十郎の生産はかなり少なくなっている』。『ナシの種子は乾燥に弱く、播種の際には注意を要する。発芽後は植木鉢へ移して個別に栽培し、十分に生育してから圃場へ移す。定植された苗は長さ数』センチメートル『にもなる棘を付けるが、これはバラ科』Rosaceae『としての形態形質の一端である。ちなみに、この棘はナシの幼若期に特有のものであり、花芽形成が始まる頃に伸びる枝には棘がない』。『ナシの花弁は』、『通常』、『白色』五『枚の離弁が基本であるが、色や花弁数には変異がある。また、おしべは約』二十『本、花柱は』『五本である。ナシは本来』、『虫媒花であるが、自家不和合性(同じ品種間では結実しない性質)が強く、栽培される場合には経済的な理由から他品種の花粉によって人工受粉が行われる。雌蕊(めしべ)の柱頭に付着した花粉は発芽し、花粉管を伸長して胚珠に到達、重複受精を行う。果実の育成は植物ホルモンの影響を受ける』ため、『人工的にこれを添加する事も行われる。また、結実数が多』過ぎる『(着果過多)場合には、商品となる果実の大きさを維持する』ため『に摘果が行われる』。『受粉を確実にするためマルハナバチなどを養蜂もされている』。『ナシは種子植物であり、果実内には一個』から、『十数個の種子が形成される。天然では鳥などにより』、『種子が散布されるが、改良品種で種子繁殖が行われる事は稀であり、通常は接ぎ木によって増やされる。台木には和』梨『の他、マンシュウマメナシやチュウゴクナシ、マルバカイドウ』(丸葉海棠:バラ科ナシ亜科リンゴ属イヌリンゴ(犬林檎)変種マルバカイドウ Malus prunifolia var. ringo )『も用いられる』。『また、本来ナシは高さ』十『メートル程になる高木だが、果樹栽培の際には台風などの風害を避けるため、十分な日照を確保するために、棚仕立て(平棚に枝を誘導し、枝を横に広げる矮性栽培方法)が用いられる』。『ナシの栽培は古くからあったが、品種名が文献に現れるのは江戸幕府が行った特産品調査』(享保二〇(一七三五)年)『である。当時既に』百五十『もの品種が記録されている。品種改良は』二十『世紀初め頃から行われるようになった』。二〇二〇『年現在では幸水、豊水への寡占化が進み、両種だけで収穫量の』六十五%『を占める。その他の品種を含めても、現在栽培されるのはいずれも』十九『世紀後半』から二十一『世紀前半に発見あるいは交配された品種である』。『ナシの品種は、果皮の色から黄褐色の赤梨系と、淡黄緑色の青梨系に分けられる。多くの品種は赤梨系で、青梨系の品種は』「二十世紀」・「八雲」・「菊水」・「新世紀」・「秋麗」・「瑞秋(二十一世紀梨)」等、『少数である。この色の違いは、果皮のコルク層によるもので、青梨系の果皮はクチクラ層に覆われており黄緑色となるが、赤梨系の品種では初夏にコルク層が発達し』、『褐色となる』。『和梨と洋梨を問わず、ナシの品種は、果皮の色から大きく』四『つに分けられる。幸水梨などの赤茶色系のラセットタイプ(Russet pear)、リンゴのように赤い赤色系のレッドタイプ(Red pear)、中国梨のように黄色い黄色系のイエロータイプ(Yellow pear)、二十世紀梨などの青色系のグリーンタイプ(Green pear)などがある。レッドタイプとイエロータイプの中間種でピンクタイプなども存在する』。
「幸水(こうすい)」(『赤梨系の早生種で、和』梨『生産の』三十一『%を占める最も生産量の多い品種で』、「梨農林三号」の通用名。農研機構(旧園芸試験場)が昭和一六(一九四一)年に』、「菊水」に「早生幸蔵(わせこうぞう)」『を掛け合わせて作り』、戦後の一九五九『年に命名・発表された。早生種の中でも特に収穫時期が早く』、八『月中旬から下旬である。ただし、収穫時期が短い。赤梨系だが中間色(中間赤梨)と言い、若干黄緑色の地色が出る。酸味は少なく糖度が高い。果肉は柔らかく果汁も多い。早生種としては平均的な方だが、日持ちが短い』。
「豊水(ほうすい)」(『赤梨系の中生種で、和』梨『生産の』二十六『%を占める生産量第』二『位の品種である』。正式登録名「梨農林八号」。『農研機構(旧果樹試験場)によって』一九五四『年に作られ』一九七二『年に命名された。糖度が高いが、ほどよく酸味もある濃厚な味が特徴』。三百~四百グラムと「幸水」より『やや大きめで、果汁が多い。また、日持ちも幸水よりは長い。長らく』「リ―十四号」と「八雲」の『交配種とされていたが』、二〇〇三『年に農研機構のDNA型鑑定によって』、「幸水」と「イ―三十三号」の『交配種であると発表された』。
「新高(にいたか)」『赤梨系の晩生種で、和』梨『生産の』九『を占める生産量第』三『位の品種である』。『菊地秋雄が東京府立園芸学校の玉川果樹園で』、「天の川」と「長十郎」を『交配させて作った品種で』、昭和二(一九二七)『年に命名された。名前の由来は当時』、『日本で一番高い山であった台湾の新高山(玉山)』(ここ(グーグル・マップ・データ)。標高三千九百五十二メートル)に拠る。『当時の命名基準では国内の地名を用いることになっており、優れた品種であることから、日本で一番高い山の名称を用いたという。収穫時期は』十『月中旬から』十一『月中旬』。五百グラムから、実に一『キログラム程度の大型の品種で、果汁が多く、歯ごたえのある食感で、味は酸味が薄く甘い。洋』梨『ほどではないが芳香もある。比較的』、『日持ちが良い』。
「あきづき(秋月)」『赤梨系の中生種で、和』梨『生産の』六『%を占める生産量第』四『位の品種である。登録名「梨農林十九号」。「一六二―二九」(新高と豊水の交配種)に幸水を掛け合わせ』、二〇〇一『年に品種登録された。名前は収穫期が秋であることと、豊円形の果実を月に見立てて命名された』。五百『グラム程度の大玉で、収穫時期は』九『月頭から』十『月上旬。糖度は』十二『度程度と豊水と同等だが、酸味がほとんどないため』、『非常に甘く感じる。果肉は柔らかいが』、『適度なシャリ感もある。生産者視点でも黒班病に対する抵抗性や、豊水の後に出荷できるなどのメリットが多く、近年全国的に生産量が急増している』。
「二十世紀(にじっせいき)」『青梨系の中生種で、和』梨『生産の』五%『を占める生産量第』五『位の品種である。また、鳥取県産』梨『の』八『割を占める』。三百『前後の中玉』。『青梨系の代表品種で、一般的な唯一の青梨』。明治二一(一八八八)『年に』、『千葉県大橋村(現在の松戸市)で、当時』十三『歳の松戸覚之助が、親類宅のゴミ捨て場に生えていたものを発見、移植して育てた。覚之助はこれを「新太白」と名付けたが、実がなった』明治三一(一八九八)『年に渡瀬寅次郎によって、来たる新世紀』(二十世紀)『における代表的品種になるであろうとの観測と願望を込めて新たに命名された。その後、明治三七(一九〇四)『年に北脇永治によって鳥取県に導入され、鳥取県の特産品となった。同県倉吉市には専門のミュージアム「鳥取二十世紀梨記念館 なしっこ館」(倉吉パークスクエア内)があり、花は鳥取県の県花に指定されている』。『発祥の地は後に「二十世紀が丘梨元町」と名付けられ、覚之助の業績を記念しているが、発祥の松戸市を含む関東地方では』「幸水」や「豊水」が『主で、現在』、『殆ど栽培されなくなっている』。「二十世紀梨」の原木は』昭和一〇(一九三五)年』に国の天然記念物に指定されたが』、昭和二十二年『に枯死しており、原木の一部が松戸市立博物館に展示されている』。『松戸市の二十世紀が丘梨元町にある二十世紀公園には二十世紀梨誕生の地の碑がある』。『果皮は黄緑色、甘みと酸味のバランスが良いすっきりした味わいで、果汁が多い。収穫時期が比較的遅く、(水分の多い)梨の需要が見込まれる夏・初秋に収穫できないのが欠点でもある。自家受粉が出来ない(『これは「二十世紀」に限らない』)、黒斑病に非常に弱いといった欠点を改良した品種もある(後述)』。
以下、「その他の品種(赤梨系)」・「その端の品種(青梨系)」の項であるが、これらは、皆、現代の改良品種であるので、本項には不要であるから、各自で見られたい。以下、「日本における産地」の項。『ナシは日本各地、北海道南部(但し、北部でも栽培収穫の例がある)から鹿児島県まで広く栽培されており』、三十一『都府県で累年統計をとっている。そのため、主産県でも収穫量におけるシェアはそれほど高くなく、上位』十『県合計でも全体の』七『割弱である。産地は東日本と九州地方に集中しており、特に関東地方で半数を超える。土壌は火山灰土、砂地などが栽培適地となっているほか、風害の影響を受けやすいため、盆地や山間の扇状地に産地が発達している』。『なお、主要産地の地方自治体ではナシの大敵である赤星病』(あかぼしびょう:嘗つて提唱されていたバラ科の亜科の一つであるバラ科ナシ亜科Pyroideae/リンゴ亜科Maloideae(Maloideae をナシ亜科と訳すこともある)でリンゴ・ナシ・ビワ・ナナカマドなどを含んでいたが、現在の分類では、サクラ亜科Amygdaloideae(=モモ亜科)のナシ連 Pyreaeまたはリンゴ連 Maleaeにほぼ等しい)の植物に、菌界担子菌門プクシニア菌綱 Pucciniomycetesサビキン(錆菌・銹菌)目 Pucciniaceae科ギムノスポランギウム Gymnosporangium 属の担子菌が寄生することによる病害。当該ウィキに拠った)『対策として、ビャクシン類の植栽を規制する条例を設けているところが多い』。
以下の「生産上位県」・「その他都府県」は非常に長いのでカットする。
以下、「食用」項。『ナシの主な利用法は食用で、調理加工に不向きな特性があるのでほぼ生食に限られる。旬の時期は、和梨が』九~十月頃、『洋梨は』十~十二月頃『とされる。一般的なナシの剥き方はリンゴに類似したもので、縦に』八『等分などして、皮を剥き中心部を取り除く方法である。また、シロップ漬けの缶詰にも利用されるが、ナシ単独の缶詰が売られていたり、それを食したりすることは稀であり、他の果物と混ぜてミックスフルーツとして販売・食用とされることが多い。シャリシャリとした独特の食感があり、これはリグニンやペントサンなど「石細胞」により』、『もたらされる。この細胞は、食物繊維と同じ働きがあり、整腸作用がある。なめらかな食感を持つ洋梨とは対照的であり、英語では、洋梨をバター』・『ペア』(butter pear)『(バターの梨)、日本梨をサンド』・『ペア』(sand pear)『(砂の梨)と呼ぶ』。『加工品としては清涼飲料水や、ゼリー、タルトなどの洋菓子に利用されているが、洋梨と比べるとそれらを見かける機会は少ない。料理に用いられることは冷麺の具として用いる以外ほぼないが、産地などでは梨カレーなどといったレシピも開発されている』。『ナシはポリフェノール系化合物による褐変を起こしやすい食材であり、食塩水につけるなどの方法がとられる。フルーツ』・『サラダに加える場合は食塩水に代えて他の果物の缶詰内にある果汁を使用することもできる』。『ナシはタンパク質分解酵素を持っているため、生の状態ですり下ろしたものを焼肉やプルコギなどの漬け込みだれとして利用するレシピがある』。『和梨・洋梨ともに果物としてはビタミンをほとんど含まず、栄養学的な価値は高くない。果物の多くがそうであるように、ナシのほとんどは水分で可食部』百グラム当たり八十八グラム『含まれる。食物繊維は可食部』百グラム当たり〇・九グラム『含まれる。カリウム(可食部』百グラム当たり百四十ミリグラム『)は、血液中のナトリウムイオンの増加を防ぎ、高血圧予防に良い。ソルビトールは甘く冷涼感のある糖アルコールで、便秘の予防に効果がある。洋なしではこれによって追熟が起きる。アスパラギン酸はアミノ酸の一種で、疲労回復効果がある。タンパク質分解酵素プロテアーゼの働きで消化を助けたり、肉料理において肉を柔らかくしたりする効果がある』とある。
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十」の「果之二」の「山果類」の冒頭を飾る「梨」([073-33b]以下)のパッチワークである。
「六出《ろくしゆつ》なり」東洋文庫訳の後注では、『『本草綱目』の時珍の説明に、「二月に白花を開くが雪のようである。六弁である」とあるのから採ったものである。しかしこの説が合っているのかどうかはよく分からない。現在の梨の種類でいえば「二十世紀」は五弁と六弁があり、「長十郎」は五弁、また「幸水」は重弁である。』と疑問を呈している。しかし、小学館「日本大百科全書」の「梨」の冒頭の総論の中に、『花は白色。萼片 (がくへん)、花弁ともに5枚を基本とする』と書かれてある。近世・近現代の品種の梨の花弁数を提示して、「おかしい」とする、この竹島淳夫氏(東洋史専攻)の注は、完全な誤りである。
「『「乳梨《にふり》」』『【一名、「雪梨《せつり》」。】』『皮、厚《あつく》して、肉、實《じつ》す。其の味、極《きはめ》て長し。』」まず、中文の「抖音百科」に「乳梨」が立項されてあり、そこの『解释』に『梨的一种,亦名雪梨。』(梨の一種、亦、「雪梨」と名づく)とあり、画像もある。但し、種の学名は示されていない。また、「百度百科」には「雪梨」で、膨大な記載があって、ナシの一種であることは明らかなのだが、やはり学名を記載しない。そこで、「維基百科」を検索すると、「雪梨(水果)」があり、そこに『雪梨は、砂梨(学名: Pyrus pyrifolia :これは「ヤマナシ」である)と白梨(学名: Pyrus bretschneideri :これは「チュウゴクナシ」である)の一部の栽培品種の現地の通称である』という内容があって膨大な地方名がズラりと並ぶ。さらに、同「白梨」を見ると、学名を Pyrus × bretschneideri とする。ところが、この交雑種の学名は、既に示した通り、チュウゴクナシのシノニムなのである。則ち、この「乳梨」「雪梨」は、中国の限定されないチュウゴクナシの栽培種(但し、解説中の『河北』の『雪花梨、象牙梨、秋白梨』辺りに絞ることは可能ではあろう)、或いは、広義のチュウゴクナシの単なる地方名に過ぎないことが判る。
「『鵞梨《がり》』『【一名、「綿梨《めんり》」。】』『皮、薄《うすく》して、漿(しる)、多《おほく》、味、差《ちと》、短《たら》じ。』」検索状況は、前の「乳梨」と完全に同じで、結果して、同じく「維基百科」の「白梨」に辿りつく。その解説中に、『山東』の栽培種に『鵝梨』があるので、それを限定してよいだろうが、学名は見当たらない。
「『消梨《せうり》』『【一名、「香水梨《かうすいり》」。】』」これは、「百度百科」の「消梨」のみがヒットするが、「注释」の引用記載は、総て、蘇軾の詩・「本草綱目」の本項・「五雜組」等の近世より前の記事のみである。「日本国語大辞典」に、以下に出る「水梨」(みづなし)があり、しかし、『古い日本梨』(☜)『の一つで、果実が著しく水分の多いもの。消梨。雪梨。香水梨。』とするが、軽々に同一種であるとは、到底、言い得ない。これらの異名群は、中国の本草書から、手っ取り早く当用したものに過ぎず、全く別な中国産の種である可能性を排除出来ないからである。
「茅梨」不詳。中文サイトでは、ヒットしない。
「禦兒梨」同前。
「赤梨」これは、「維基百科」の「豆梨」で、既に示した、ナシ属マメナシ Pyrus calleryana の異名として、『赤梨』(「爾雅」)を挙げている。
「青梨」既に示した、アオナシ Psidium ussuriensis var. hondoensis である。
「凡そ、梨と蘿蔔《らふく/すずしろ/だいこん》と、相《あひ》閒(まじ)へ、收-藏《をさめ》、或いは、棃の蔕《へた》を削りて、蘿蔔を種《う》へて、之れを藏《をさ》むれば、皆、年を經て、爛《ただれ》ざるべし」ネットで調べてみたが、このような保存法を記す記事は見当たらなかった。そもそも、「棃の蔕《へた》を削りて、蘿蔔を種《う》へて、之れを藏《をさ》むれば、」、則ち、『梨の蔕(へた)を削って、蘿蔔』『(だいこん)』『を種(ま)いて収蔵しておくと、いずれも年月が経(へ)てもくさらない』(東洋文庫訳)という部分が、私には映像として想起出来ないのだ。何時までも腐らないのは、蔕を削った梨の実と大根本体だとは、到底、思えない――そんな馬鹿なことは全く信じられないからである。としれば、百歩譲って、これは――梨の蔕を除去した、狭義の梨の核(さね)=種(たね)と、大根の種子を一緒に保存すると腐らない――という意味だろう。しかし、本当にそのような保存が、それぞれの種子に絶大なる不腐敗効果を科学的に持つのなら、今も行われているはずである。これは、何らかの五行思想による共感呪術か、迷信レベルのイカサマじゃ、なかろうか? 識者の御教授を乞うものである。
「古今醫統」複数回、既出既注。本文割注で述べた通り、どうも意味が採れないので、中文の「中醫笈成」の同書の電子化から、そのまま引用しておく。
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李杏 李宜稀,可南北行。杏勿密,宜近人家者盛。桃三年便結實,五年盛,七年衰,十年死至六年以刀砍其皮,令膠流出,可多活五年。桃樹接李枝則桃紅而甘,柿樹接桃則為金桃,李樹接桃枝則為桃李。梨春分日將梨條作拐樣斫下,兩頭以火燒,又燒紅鐵烙,烙定津脈,栽之入地二尺。只春分一日可栽。桑樹接梨枝則脆而甘。
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「古今」「おふの浦に片枝《かたえ》さしおほひなる梨のなりもならずもねてかたらはん」「無名」(氏)は、「古今和歌集」の「卷第二十 東歌」の、巻では最後のそれの、終りから二首目で、読人知らずの一首(一〇九九番)で、ご覧の通り、前書に「伊勢歌」(いせうた)とある。
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伊勢歌
おふのうらに
片枝(かたえ)さし覆(おほひ)
なる梨の
なりもならずも
寝(ね)て語(かたら)はむ
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「新日本古典文学大系」(小島憲之・新井栄蔵校注・一九八九年刊)版の脚注にある訳を引く。『育つという名の「おふ」の入江に、片方の枝が覆いかぶさるようにして実る「梨」は、「成る」ものなのに「成し」とも「無し」ともいうが、「成る」にしろ「成らない」にしろ、共寝を相談しようよ。』。この掛詞の「おふ」という地名は、「をふの浦」は「麻生(おふ)の浦」で、この「古今和歌集」の、この歌に由来する伊勢国の歌枕であるが、所在未詳である。底本の「地名索引」では、『三重県多気郡大淀の浦とも』(ここ。グーグル・マップ・データ)、その南東の『三重県鳥羽市の海岸ともいわれる』とある。
『「紅甁子梨《べにへいじなし》」≪は≫、甁子の形に似て、色、赤し。其の肉、白きこと、雪のごとし』不詳。既に滅んだ品種なのか、全くネットでは検索出来ない。
『江州《がうしう》の「觀音寺梨《くわんのんじなし》」は、色、微《やや》、赤《あかく》、甚《はなはだ》≪には≫大ならずして、漿(しる)、多く、甘美なること、口中に≪て≫消《きゆ》るがごとし』不詳。現行の滋賀県では、見当たらない。香川県観音寺市(グーグル・マップ・データ)は、現在、「幸水」・「豊水」・「あきづき」の名産地として知られるが(「香川県」公式サイト内のこちらで確認した)、讃岐と近江を誤る可能性はない。
『山城の「松尾梨《まつをなし》」は、狀《かたち》、「觀音寺≪梨≫」に類して、褐色、甘《あまく》、脆《もろく》して、雪のごとし。伹《ただし》、漿(しる)、少しのみ』不詳。不思議なことに、これも見出せない。
『「水梨《みづなし》」は、狀、「青梨《あをなし》」に似て、褐色≪に≫青を帶《おび》て、味、極《きはめ》て、甜《あま》く、美≪なり≫。微香《びかう》、有りて、漿《しる》、多し』既に先に注した。
『「圓梨(まる《なし》)」は、卽ち、「青梨」の種類にして、大《おほき》く、皮、薄く、色、青≪に≫、微《やや》、褐≪色≫を帶《おび》て、漿、多く、甘美なり』日外アソシエーツ刊の「季語・季題辞典」に、『ナシの一品種』(季は秋)とあるが、ネットでは他に見当たらない。
『肥前の「空閑梨(こが《なし》」)は、微《やや》、赤色。極《きはめて》大《おほき》く、其の味、「圓梨」に亞《つ》ぐ』「日本国語大辞典 」に、『こが-なし【空閑梨・古河梨】』として、『ナシの歴史上の品種。現在では、大古河(おおこが)という品種が知られ、九月中旬に熟し、大果で帯緑黄赤色、果肉は色が白く緻密で柔軟』とあった。「大辞泉」に「大古河」があり、『ニホンナシ(和梨)の一種。岐阜県、または新潟県原産と考えられている。栽培の記録は』、『江戸時代末期に遡る。果実は大ぶりで紡錘形。晩生品種』とあるから、この「大古河」は良安は知らない。この「大古河」は、最後にして、学名が判った。ナシ属ヤマナシ変種ナシ(ニホンナシ)品種 Pyrus pyrifolia var. culta 'O-koga' である。chameleon221氏のブログ「湯らり気ままに温泉に」の「お店には並ばない梨 其の二『大古河』」に御礼申し上げるものである。]
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