和漢三才圖會卷第八十七 山果類 榅桲
まるめろ 俗云末留女呂
蠻語乎
榅桲
本綱榅桲乃榠樝之類其樹如林檎花白綠色實大於林
檎而狀醜有毛性温其氣芬馞【馞音孛香氣也】名榅桲此與林
檎相似而二物也
氣味【酸甘微温】 温中下氣消食除心閒酸水
不宜多食秘大小腸聚胸痰壅血脉
△按榅桲近頃蠻人將來于長﨑而今畿內𠙚𠙚有之其
樹花實皆合本草註伹葉大於林檎而圓薄柔其實不
如林檎多結也蠻人用沙糖𮔉煑食之呼名加世伊太
云能治痰嗽
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まるめろ 俗、云ふ、「末留女呂《まるめろ》」。
蠻語か。
榅桲
「本綱」に曰はく、『榅桲《オンボツ》は、乃《すなはち》、榠樝《めいろ/カリン》の類《るゐ》≪なり≫。其の樹、林檎(りんご)のごとく、花、白綠色。實、林檎より、大にして、狀《かたち》、醜(みに)くゝ、毛、有り。性、温《をん》≪に≫して、其の氣《かざ》、芬馞《ふんほつ》たり【「馞」、音、「孛《ホツ》」。「香氣」なり。】。「榅桲」と名づく。此れ、林檎と相似《あひに》て《✕→れども》、二物《にぶつ》なり。』≪と≫。
『氣味【酸甘、微温。】』『中《ちゆう》[やぶちゃん注:漢方の「脾胃」。]を温め、氣を下《くだ》し、食を消《しやう》し、心閒《しんかん》の酸水《さんすい》を除く。』≪と≫。
『宜(よろ)しく、多く食すべからず。大小腸を秘《ひ》し[やぶちゃん注:所謂、「便秘」である。]、胸の痰を聚《あつ》め、血脉《けつみやく》を壅《ふさ》ぐ。』≪と≫。
△按ずるに、榅桲は、近頃、蠻人《ばんじん》、長﨑より將來す。而今《じこん》[やぶちゃん注:今も。]、畿內、𠙚𠙚《しよしよ》、之れ、有り。其の樹・花・實、皆、「本草≪綱目≫」の註に合《がつす》。伹《ただし》、葉、林檎より大にして、圓《まろく》、薄《うすく》、柔≪らか≫。其の實、林檎の多《おほく》結《むすぶ》がごとくならざるなり。蠻人、沙糖𮔉《さとうみつ》を用《もちひ》て、煑て、之れを食《くふ》。呼んで、「加世伊太《カセイタ》」と名づく。云はく、『能く、痰・嗽《せき》を治す。』と。
[やぶちゃん注:これは、
双子葉植物綱バラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連マルメロ属マルメロ Cydonia oblonga
である。当該ウィキを引く(注記号はカットした。下線は私が附した)。漢字表記は『榲桲・木瓜』。ポルトガル語は『marmelo』。『マルメロ属はマルメロの』一『属』一『種で構成されている。中央アジア原産』である。『ポルトガル語』のそれは、『本来』、『マルメロは果実の名で』あって、『樹はマルメレイロ(marmeleiro)という。英語名はクインス(quince)。別名「セイヨウカリン」』ともいう(但し、以下に示すように、和名「セイヨウカリン」はマルメロとは異なる種である)。『果実はバラ科のカリン』(前項の「文冠花」を見よ)『によく似ており』、『栽培が盛んな長野県諏訪市など一部の地域では「かりん」と呼ばれる』。『また、「木瓜」の字を当てられることもある。しかし、セイヨウカリン、カリン』(ナシ亜連 セイヨウカリン(西洋花梨)属セイヨウカリン Mespilus germanica )『ボケ(木瓜)はいずれも別属である』。『学名(属名)のもとになったのは、ギリシャ南方の地中海に浮かぶクレタ島で、この島の古代都市シドニア(Cydonia)が』、『その名の由来である』。『マルメロ属( Cydonia )はマルメロの』一『属』一『種で構成されているが、カリン属( Pseudocydonia )とは、カナメモチ』(要黐)『属( Photinia )と共に非常に近縁である。そのほか、セイヨウカリン属( Mespilius )、ボケ属( Chaenomeles )、リンゴ属 ( Malus )、ナシ属( Pyrus )などとも、詳細な系統関係は不明ではあるが』、『バラ科』Rosaceae『の中では比較的近く、同じナシ亜連』Pyrinae『に含まれる』。『ほかの多くの作物と同様に、現在』、『栽培されているマルメロは歴史上』一千『年以上にわたり、優良な果実をつける個体を選んで交配されてきたものである。しかし、互いに性質が似通っていく集団の中で』、『交配が繰り返された結果、遺伝的に多様性が失われてゆき、温暖化した冬に適応したり、進化した病虫害から身を守る力が損なわれたりする』虞れ『が指摘されている。そのため、栽培マルメロの祖先にあたる原産地のマルメロは、将来の交配に必要な遺伝的多様性を保っているため、保護する必要があるという主張もある』。『原産地は中央アジアの、コーカサス山脈(アルメニアやトルクメニスタン)とイラン(ペルシャ)である。日本へは、江戸時代にポルトガル船によって長崎へ伝来した。マルメロは、カリンよりもやや涼しい場所が栽培適地である。原産地は夏が暑く、冬の寒さが厳しいところで、毎年の最高気温が』摂氏七『度未満の日が』二『週間以上ある土地でないと、よく花が咲かない。世界でマルメロが最も多い国はトルコで、世界生産量の』四『分の』一『を占めている。日本では主に長野県で栽培される』。『樹皮は灰褐色で縦筋があり』、『滑らかで、成木になると』、『次第に鱗片状に剥がれるが、まだら模様にはならない。一年枝は赤褐色で、灰色の毛に覆われる。葉は互生、長さは』七~十二『センチメートル』、『 幅』六~九センチメートル『で』、『白い細かな毛で覆われている』。『花期は春(』四~五『月)で』、『カリンよりも遅く、葉が出た後に花が咲き、大きさは』五センチメートル、『色は白っぽいピンクで』五『枚の花弁がある』。『果実(ナシ状果)は偽果』(花托(萼など花の要素がついている茎の部分)など、子房(雌しべにおいて胚珠を包んでいる部分)以外に由来する構造が、大部分を占めている果実のことを指す)『で、熟した果実は明るい黄橙色で洋ナシ型をしており』、『長さ』七~十二センチメートル、『幅』六~九センチメートル『である。リンゴやセイヨウナシの果実よりも大きくなり、ゴツゴツとしている。果実はカリンに似るが、未熟な果実は緑色で熟すと黄色になり、表面は灰色から白色の軟毛で覆われている。果実は渋くて硬く、生食には向かない』。『冬芽は円錐形や卵形で、枝と同色である。枝先に仮頂芽がつき、枝には側芽が互生する。葉痕は三角形で、維管束痕が』三『個つく』。『果実は芳香があるが』、『強い酸味があり、硬い繊維質と石細胞のため生食はできないが、カリンより果肉はやわらかく、同じ要領で果実酒、蜂蜜漬けや砂糖漬け、ジャムなどが作れる。成熟果の表面には軟毛が少し残っている場合があるので、よく落としてから切って調理する。白い果肉を十分に加熱すると、鮮やかなルビー色に変わる』。『マーマレードは、マルメロの砂糖漬けが語源であるという(』但し、『他に諸説あり)。江戸時代、南蛮伝来のマルメロから作られたジャムを使った南蛮菓子「加勢以多」は、熊本藩主細川家御用達となり、朝廷や幕府にも献上された』。『イギリスでは、生で食べられる甘い果物が』十九『世紀に普及するまでは、どの家庭の台所にもマルメロの実があったといわれる。また』、『地中海沿岸では、古典時代からマルメロが料理や文化の風景の中にあり、現代でも甘い料理や塩気のきいた料理に使われている』。『マルメロの花言葉は、「幸福」「魅惑」といわれて』おり、『「愛の糧」にも例えられ、ギリシャ神話で英雄パリスが女神アフロディーテに捧げた黄金のリンゴは、マルメロの実を指している。アタランテとヒッポメネスが戦った際、ヒッポメネスに与えられた黄金のリンゴもマルメロと言われている。紀元前』六〇〇『年ごろの古代ギリシャの都市アテネでは、婚礼の夜に新婦にマルメロの実を食べさせると、気立てがよく』、『口臭や声がよい妻になると信じられていた。古代ローマ人は寝室の芳香剤としてマルメロの実を置き、ルネッサンス美術では情熱・忠誠・豊穣の象徴になった』。『現代のギリシャでも、伝統的なウェディング』・『ケーキにマルメロの実が使われている。マルメロの実が媚薬になるという俗説は、部屋に置くと』、『強い芳香があることから生まれたのではないかといわれている』とあった。
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十」の「果之二」の「山果類」の「榅桲」([075-12b]以下)のパッチワークである。比較的、短いので、引用する(一部の表記に手を加えた)。
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榅桲【音温孛宋開寶】
釋名【時珍曰榅桲性温而氣馞故名馞音孛香氣也】
集解【志曰榅桲生北土似樝子而小頌曰今闗陜有之沙苑出者更佳其實大抵類樝但膚慢而多毛味尤甘其氣芬馥置衣笥中亦香藏器曰樹如林檎花白綠色宗奭曰食之須淨去浮毛不爾損人肺花白色亦香最多生蟲少有不蛀者時珍曰榅桲蓋榠樝之類生於北土者故其形狀功用皆相彷彿李珣南海藥錄言闗中謂林檎為爲榅桲按述征記云林檎佳美榅桲微大而狀醜有毛其味香闗輔乃有江南甚希觀此則林檎榅桲蓋相似而二物也李氏誤矣】
氣味酸甘微温無毒【士良曰發毒熱秘大小腸聚胸中痰壅澀血脈不宜多食瑞曰同車螯食發疝氣】主治温中下氣消食除心間酸水去臭辟
衣魚【開寶】去胸膈積食止渴除煩將臥時噉一兩枚生
熟皆宜【蘇頌多宗奭曰臥時噉此太 亦痞塞胃脘也】主水瀉腸虚煩熱散
酒氣並宜生食【李珣】
木皮主治搗末傅瘡【蘇頌】
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「加世伊太《カセイタ》」ウィキの「加勢以多」によれば(注記号はカットした)、『加勢以多(かせいた)とは、マルメロ羹』(かん)『を餅粉で作った種で』挟んだ『熊本県の南蛮菓子。利休七哲の一人細川三斎好みとも言われ、熊本藩細川家の献上品として知られたが明治に入って』、『一旦』、『消失し』たが、『第二次大戦後に復刻された』。『「かせいた」という名は、ポルトガル語の「カイシャ・ダ・マルメラーダ( caixa da marmelada「マルメラーダの箱」という意味)」が由来とされている。マルメラーダとはマルメロのピュレと砂糖を煮詰めた羊羹状の固形食品で、同様の食品はスペインではメンブリージョ』( Membrillo )『と呼ばれ、今日でも一般的に食されている。「加勢以多」の名称は近代になって復刻された商品名でもあるが、古文書などの史料では「加勢以多」の他に「かせいた」「かせ板」「加世以多」「加世伊多」などの表記が見られる』。『加勢以多は』十七『世紀頃から熊本藩主を中心に銘菓として用いられ、正徳年間』(一七一一年~一七一六年)『より』、『幕府への献上品に加えられている。当初は宇土半島で栽培されていたマルメロを使用していたが、寛政』四(一七九二)年の『雲仙岳の爆発により発生した津波(島原大変肥後迷惑)によって、肥後のマルメロ生産は壊滅状態となった。マルメロは寒冷な気候を好む植物のため』、『肥後国での栽培は』、『もともと』、『難しく、災害からの復興が軌道に乗らず』、『安定供給が難しくなった。加勢以多を国元産物として献上していた熊本藩は、領主御用の限定品として管理した。一方、入手の難しいマルメロの代替物としてカリンを使う、加勢以多と同じ製法の菓子が「梨糕」などの表記でいくつもの料理書に掲載されている』。『明治に入り、献上品としての用途がなくなった加勢以多は作られなくなり、熊本県でのマルメロ生産も目的を喪失して途絶えてしまった』が、『戦後になり、熊本市の菓子店山城屋が、マルメロの代用にカリンを材料として加勢以多を復元した。復刻された加勢以多は短冊形にカットされており、江戸時代には無かった九曜紋』(くようもん)『が刻印されていた。山城屋は』一九九五『に廃業したが』、一九九八年に』「お菓子の香梅(こうばい)」が、『再復刻し、デザインを踏襲して販売している』とある。
最後に。私は「榲桲」というと、芥川龍之介の「將軍」のラストの台詞を思い出すのを、常としている。「將軍」は、伏字が多量にあり、復元されていない(原稿が残っていない)ため、何時か、推定復元をしようと考えているが、未だ、踏み切ることが出来ないでいる。新字新仮名で甚だ、不満であるが、「青空文庫」のそれをリンクさせておく。]