和漢三才圖會卷第八十七 山果類 海棠梨
かいだう 海紅
海棠梨
【凡花木名海
者皆從海外
來也】
パイ タン リイ
本綱海棠盛於蜀中其出江南者名南海棠大抵相類而
花差小棠性多類梨其核生者長慢十年乃花以枝接梨
及木爪者易茂其根色黄而盤勁且木堅而多節外白中
[やぶちゃん注:「爪」は「瓜」の異体字であるが、紛らわしいので、訓読では、「瓜」に訂した。]
赤其枝柔宻而條暢其葉類杜大者縹綠色小者淺紫色
二月開紅花五出初如臙肢㸃㸃然開則漸成纈暈落則
[やぶちゃん注:「臙肢」は「本草綱目」のママ。]
有若宿收淡粉其蒂長寸餘淡紫色或三蕚五蕚成叢其
[やぶちゃん注:「收」は「妝」の誤記か誤刻。訓読では、訂した。]
蕋如金粟中有紫鬚其實狀如梨大如櫻桃至秋可食味
甘大抵海棠花以紫綿色者爲正餘皆棠梨耳凡海棠花
[やぶちゃん注:「甘」は「甘酸」の引用の誤り。訓読では、訂した。]
不香惟蜀之嘉州者有香而木大
黃海棠花色黃○貼幹海棠花小而鮮○埀𮈔海棠花粉
紅向下皆無子非真海棠也
古今醫統云埀𮈔海棠爲上品冬至日以糟水灌其根則
來歳花茂
△按海案花亞於櫻艶美也今又有二葉海棠者其木小
而能開花白色帶紅伹黃花及埀𮈔海棠未曾有也蓋
中𬜻則以海棠爲花之第一詩人最賞之然杜子美詩
集無海棠詩者其母名海棠也貴州鎮遠府之產最美
*
かいだう 海紅
海棠梨
【凡そ、花木の「海」を名づくる
者、皆、海外より來ればなり。】
パイ タン リイ
「本綱」に曰はく、『海棠は蜀中[やぶちゃん注:現在の四川省。]に盛なり。其の江南に出《いづ》る者、「南海棠」と名づく。大抵、相《あひ》類して、花、差(やゝ)小《ちさ》く、棠の性、多《おほく》、梨に類《るゐ》す。其の核生(みうへ[やぶちゃん注:ママ。])の者は、長慢《ちやうまん》≪にして≫[やぶちゃん注:ゆっくりと緩慢に成長し。]、十年にして、乃《すなはち》、花さく。枝を以つて、梨、及び、木瓜(ぼけ)に接ぐ者、茂り易し。其の根、色、黄にして、盤-勁(わだかま)り[やぶちゃん注:原本の送り仮名は『ワケタマリ』だが、おかしいので訂した。東洋文庫訳も、そうしてある。]、且つ、木、堅くして、節《ふし》、多く、外(そと)、白し。中、赤し。其の枝、柔宻《じうみつ》にして、條《えだ》、暢(の)び、其の葉、杜《と》[やぶちゃん注:棠梨(とうり)の赤い個体。]に類《るゐ》す。大なる者は縹綠色《へうりよくしよく》[やぶちゃん注:緑がかった縹(はなだ)色。緑色を帯びた薄い藍色。]、小なる者、淺紫色。二月、紅≪き≫花を開く。五出《ごしゆつ》なり。初めは、臙肢(ゑんじ)[やぶちゃん注:「臙肢」は「本草綱目」のママ。臙脂。黒みを増した濃い紅色。]のごとく、㸃㸃然《てんてんぜん》たり[やぶちゃん注:点々とした斑点をなしている。]。開けば、則ち、漸《やうや》く纈《しぼ》≪れる≫暈《ぼかし》を成し、落つれば、則ち、「宿妝淡粉《しゆくしやうたんふん》」[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に『(宵越しの化粧)』とある。]のごとくなり。其の蒂(へた)、長さ寸餘《あまり》、淡紫色≪にして≫、或≪いは≫、三蕚、五蕚、叢《むれ》を成す。其の蕋《しべ》、金粟《きんぞく》[やぶちゃん注:菊の花の蘂(しべ)。]のごとくなる《✕→ごとくして》、中《うち》≪に≫紫≪の≫鬚《ひげ》、有り。其の實、狀《かたち》、梨のごとく、大いさ、「櫻桃(うすらむめ)」のごとし。秋に至りて、食すべし。味、甘酸《かんさん》。大抵、海棠の花、紫綿色《しめんいろ》[やぶちゃん注:紫に染めた綿の色。]の者を以つて、正《せい》と爲す[やぶちゃん注:普通の正常なものとする。]。餘は、皆、棠梨《たうり》のみ。凡そ、海棠の花は、香《かを》らず。惟《ただ》、蜀の嘉州[やぶちゃん注:現在の四川省楽山市(グーグル・マップ・データ)。]の者は、香り有りて、木、大なり。』≪と≫。
[やぶちゃん注:以下、各個記載なので、改行する。冒頭に「○」を追記した。最後を除き、「≪と≫」は附さない。]
『○「黃海棠《わうかいだう》」は、花の色、黃なり。』。
『○「貼幹海棠《ちやうかんかいだう》」は、花、小《しやう》にして、鮮(あざや)かなり。』
『○「埀𮈔海棠(しだれ《かいだう》)」は、花、粉紅《うすべに》にして、下に向《むか》ふ。皆、子《み》、無し。真の海棠に非ざるなり。』≪と≫。
「古今醫統」に云はく、『「埀𮈔海棠」を上品と爲す。冬至の日、糟-水《さけかすのみづ》を以つて、其の根に灌《そそ》げば、則ち、來歳《らいさい》、花、茂る。』≪と≫。
△按ずるに、海案の花、櫻に亞《つぎ》て、艶美なり。今、又、「二葉海棠(ふたば《かいだう》)」と云ふ[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]者、有り。其の木、小にして、能く、花を開く。白色、紅(べに)を帶ぶ。伹《ただし》、黃なり花、及び、「埀𮈔(しだれ)海棠」、未だ曾つて、有らざるなり。蓋し、中𬜻には、則ち、海棠を以つて、「花の第一」と爲す。詩人、最も、之れを、賞す。杜子美[やぶちゃん注:杜甫。]が詩集、海棠の詩、無きは、其の母を「海棠」と名のれば、なり。貴州の鎮遠府の產、最も美なり。
[やぶちゃん注:この「海棠梨」とは、お馴染みの「海棠」で、私の好きな(私は「カイドウ」としか名指さないが)、中国原産の、
双子葉植物綱バラ目バラ科ナシ亜科リンゴ属ハナカイドウ(花海棠) Malus halliana
である。同種は「維基百科」では「垂絲海棠」で立項する。そこでは、中国での分布を『四川、安徽、陝西、江蘇、浙江、雲南、貴州、湖北』とする。さらに、「變種」の項で、
●変種「白花垂絲海棠」 Malus halliana var. spontanea(花弁は四つあり、短い花柄を持ち、殆んど白に近い小さな花を咲かせる。葉は小さく、楕円形から楕円倒卵形)
●品種「重瓣垂絲海堂」 Malus halliana ‘ Parkmanii ’(半八重で、暗赤色の小花柄を持つ)
●品種「垂枝垂絲海棠」 Malus halliana ‘Pendula’ (有意に枝垂れている)
●品種「斑葉垂絲海棠」Malus halliana ‘Variegata’ (葉に白い斑点がある)
の四種を挙げてある。本邦の当該ウィキを引く(注記号はカットした。一部を省略した)。『耐寒性落葉高木。中国原産。別名はカイドウ、スイシカイドウ、ナンキンカイドウなど。春に淡紅色の花を咲かせる花木として、各地で庭木などにして植栽される』。『和名ハナカイドウの由来は、中国名の「海棠」をそのまま読んだもの。別名で、ナンキンカイドウ(南京海棠)、スイシカイドウ(垂絲海棠)、カイドウ(海棠)ともよばれる。また、楊貴妃の故事から「睡れる花」ともいう。中国名は、垂絲海棠(すいしかいどう)』。『近縁種は』、
●ホンカイドウ(本海棠)Malus spectabilis
●ミカイドウ(実海棠)Malus micromalusノカイドウ(野海棠)Malus spontanea
『などがあり、これらもまとめてカイドウとよぶ場合もある。ホンカイドウ、ミカイドウ、ハナカイドウは中国原産で、日本に渡ってきたのは』十四『世紀ごろの室町時代のことである。現在』、『カイドウとして知られるのは、ハナカイドウという種類であるが、ときにミカイドウも見られる』。『中国原産で、日本では北海道南西部、本州、四国、九州で植栽される』。『落葉広葉樹で、低木から小高木。幹の下部から枝分かれするように乱れながら樹形を形成し、樹高は』四~八『メートル』『になる。樹皮は暗灰色で皮目があり、ほぼ滑らかである。一年枝は明るい褐色でつやがあり、小枝には短枝がよく発達する。性質は強健で育てやすい』。『花期は』四『月ごろで、短枝の先に淡紅色の花を』四~六『個垂れ下がって咲かせる。花の直径は』三・五~五『センチメートル、花弁は一重または半八重になり、花弁数は』五~十『枚つく。花柄がつき、長さ』三~六センチメートル『ある。八重咲きの品種もある』。『果実は直径』二センチメートル『で、暗赤色から黄色で秋』(十月)『に熟す。花が咲いた後のリンゴに似た小さな赤い実は、食することができる。しかし、雄蕊が退化している花が多いため、めったに結実しない』(グーグル画像検索「ハナカイドウの実」をリンクしておく)。『冬芽は』五~七『枚の芽鱗に包まれた鱗芽で、卵形や長卵形で赤褐色をしている。枝の先には頂芽をつけ、側芽が枝に沿って互生し、頂芽は側芽よりも大きい。短枝の先には花芽がつく。葉痕は半円形や三日月形で、維管束痕が』三『個つく。葉には托葉がある』。『花弁の色変わりをする品種もある。紅の蕾が開花するとピンクに変わり、徐々に色が薄くなり』、『白い花弁に変わり、散り際に葉が生えてくる種類がある』。『春にサクラに似た花を咲かせるハナカイドウは、樹高』一メートル『くらいの幼木でも、樹木全体に花をつけることから、狭い空間に植栽する花木として重宝される。芽吹きと共に咲く花は、優しげな風情が愛でられ、庭木あるいは生け垣に向いている。庭木としての人気は高いが、栽培地は日本の場合、関東地方以南にほぼ限られる』。『材は緻密で堅いため、器具材などに用いられることがある』。
「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十」の中で続く「果之二」の「海紅」(時珍の命名:[075-5b] 以下)のパッチワークである。その「釋名」の冒頭で「海棠梨」を掲げてある。
「櫻桃(うすらむめ)」何度も注意喚起しているが、この良安の読みは――完全なるハズレ――で「アウトウ」と読まねばいけないので、注意。本邦で「ゆすら」と言った場合は、
✕バラ目バラ科サクラ属ユスラウメ Prunus tomentosa(当該ウィキによれば、『中国北西部』・『朝鮮半島』・『モンゴル高原原産』であるが、『日本へは江戸時代初期にはすでに渡来して、主に庭木として栽培されていた』とある)
を指すが、中国語で「櫻桃」は、
◎サクラ属カラミザクラ Cerasus pseudo-cerasus(唐実桜。当該ウィキによれば、『中国原産であり、実は食用になる。別名としてシナミザクラ』『(支那実桜)』・『シナノミザクラ』・『中国桜桃などの名前を持つ。おしべが長い。中国では』「櫻桃」『と呼ばれ』、『日本へは明治時代に中国から渡来した』とあるので、良安は知らない)
である。「維基百科」の「中國櫻桃」をリンクさせておく。
『「黃海棠《わうかいだう》」は、花の色、黃なり』これは、中文名は「維基百科」の「黃海棠」で、時珍の言う通り、カイドウの類ではなく、多年草の一種で、キントラノオ(金虎の尾)目オトギリソウ(弟切草)科オトギリソウ属トモエソウ(巴草) Hypericum ascyron である。当該ウィキの一部を引く(注記号はカットした)。『茎は、高さ』〇・五~一・三『メートルくらいになり、直立し、分枝する。葉は茎に対生し、形は披針形で葉の基部は茎をなかば抱く。花期は』七~九『月で、径』五『センチメートル、花弁』五『個の大きな黄色の花を茎や枝の先につける。花は巴形のゆがんだ形をしており、和名の由来となっている。花の中心に雌蕊があり、花柱の先が』五『裂して反り返る。その周りには多数の雄蕊があり』、五『束に分かれる』。『日本では、北海道、本州、四国、九州に、アジアでは、朝鮮、中国、シベリアに広く分布し、山地や河川敷の日当たりのよい草地に自生する』とある。凡そ、カイドウの仲間には見えないのに、不審である。
『「貼幹海棠《ちやうかんかいだう》」は、花、小《しやう》にして、鮮(あざや)かなり』これも、お馴染みのバラ目バラ科サクラ亜科リンゴ連ボケ属ボケ Chaenomeles speciosa の中文名である。「維基百科」の「貼梗海棠」を見られたい。
『「埀𮈔海棠(しだれ《かいだう》)」は、花、粉紅《うすべに》にして、下に向《むか》ふ』これは、甚だ、不審。既に示した通り、これは、正真正銘のハナカイドウで、「維基百科」では「垂絲海棠」で立項している。何じゃ。これ!?!
「古今醫統」複数回、既出既注。
「二葉海棠(ふたば《かいだう》)」海棠の品種とネットに出、「三葉海棠」の名も見出せるが、学名は見当たらない。ただ、「三葉海棠」というのは、前の「棠梨」で注した、リンゴに近縁な野生種であるナシ亜科リンゴ属ズミ Malus toringo の異名であるから、これも怪しい感じがするね。
『中𬜻には、則ち、海棠を以つて、「花の第一」と爲す』一般に、中華の花の王は「牡丹」とのみ知られるのであるが、実は、それと並んで、「海棠」が挙げられるのである。これは、専ら、「唐書」の「楊貴妃傳」に『此眞海棠睡未足耶』(此れ、眞(まさ)に、海棠の眠り、未だ足らずや。)という一文に基づく故事である。これは、唐の玄宗が、未だ、酔い醒めきらぬ楊貴妃の艶めかしい美しさに、それを海棠の花に擬えものである。
『杜子美が詩集、海棠の詩、無きは、其の母を「海棠」と名のれば、なり』これは、知らなかったが(事実、杜甫の詩篇に「海棠」の花名は使用されていないらしい)、調べたところ、zuoteng_jin氏のブログ「照片画廊」の『海棠と杜甫の「花は重し 錦官城」』に、『海棠を見ると決まって思い出すのは杜甫の詩「春夜喜雨」です』とされ、当該詩を引用されている。正字化し、所持する岩波文庫鈴木虎雄・黒川洋一訳注「杜詩」(第四冊・一九〇五年刊)を参考に訓読する。
*
春夜喜雨
好雨知時節
當春乃發生
隨風潛入夜
潤物細無聲
野徑雲俱黑
江船火獨明
曉看紅濕處
花重錦官城
*
春夜(しゆんや)雨を喜ぶ
好雨(こうう) 時節を知る
春(はる)に當(あた)りて 乃(すなわ)ち發生(はつせい)す
風に隨ひて 潛(ひそか)に夜(よ)に入(い)り
物(もの)を潤(うるほ)して 細(かすか)にして聲(こゑ)無し
野徑(やけい)雲(くも) 俱(とも)に黑く
江船(こうせん) 火(ひ) 獨り明らかなり
曉(あかつき)に紅(くれなゐ)濕(うるほ)ふ處(ところ)を看(み)れば
花(はな)は重し 錦官城(きんかんじやう)
*
最後の「錦官城」は現在の四川省成都(チェンドゥ/チョンツー)市のこと(ここ。グーグル・マップ・データ)。底本の前注に『上元元年』(七六〇年:粛宗の代で、杜甫は四十九歳)『の春の作であろう』とある。なお、ネット記事に拠れば、この詩は中国では、杜甫の詩の中でも人気があるもので、「杜甫記念館」の入口の石碑にも、この詩が刻まれているそうである。
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(引用の続き)『最後の句中の「花」についてそれが何なのか』、『代表的な杜詩の注釈でそれに言及したものはありません』。『成都の名花と言えば』、『木芙蓉』(もくふよう:アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis )『と海棠ですが』、『木芙蓉は夏から秋の花ですから』、『当たりません』。『杜詩の注釈には言及がないのですが』、『我が室町時代の古字書』『文明本』「節用集」(室町時代の文明年間(一四六九年~一四八七年)以降に成立したと考えられている伊勢本系統の節用集(室町時代から昭和初期にかけて盛んに出版された日本の用字集・国語辞典の一種。漢字熟語を、多数、収録して読み仮名を附ける形式を採る)。作者未詳だが、建仁寺(臨済宗)の僧かとする説がある)『には下のように明言があります』(原本画像有り。これは、所蔵する国立国会図書館デジタルコレクションの原本のここで、見出せた。それを元に私が自然流で判読した)。
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海棠(かいだう/うみゑし[やぶちゃん注:「ヱシ」は「ナシ」の誤記か?])【杜子美の母の名は、棠なり。故に、詩中に海棠を言わ[やぶちゃん注:ママ。]ざるなり。句に云ふ、「曉に紅の濕処を看(み)れば 花 重し 錦官城」。是(これ)、海棠を指して云ふなり。】
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(引用の続き)『近年の』「成都掌故」(『成都時代出版社』・二〇一二年)『という本には』、『杜甫には海棠を詠んだ詩が無く』、『約』百『年後の女流詩人薛濤(セットウ)のころに他所から移植されたと説いています』。『しかし』、『杜甫の母の名前が棠だから杜甫は海棠を詠まなかった』『云々という視点は皆無です』。『ただ』、『杜甫の母の名を資料ではっきり確認できるものはなく』、『実家の姓の崔氏で紹介されるのが通例というものです』。『(googleで杜甫の母を検索すると』「崔海棠」『と出てくるのにはちょっと驚きます』』。『それはともかく』、『日本の「春夜喜雨」訳注でも』『その花が海棠というものは知りません』。『中国古典文学の研究者は』、『文明本』「節用集」『などじっくり見ないですからね』。『それにしても室町時代の禅僧の学識には驚かされることが多いです』とあった。
また、さらに調べてみたところ、綠川英樹氏の論文「雨中の花 陳與義の詠雨詩と杜甫(二)」(『中國文學報』(京都大學文學部中國語學中國文學研究室編・二〇一四年十月発行所収)が見出せ(PDF)、そこに、
《引用開始》
李壁注は「『詩話』に云う、〝子美の母 名は海棠、故に集中に海棠の詩無し〟と。然れども〝曉に紅の濕れる處を看れば、花は錦官城に動ママかん〟は、海棠に非ずんば當たる能わざるなり」と述べて、それが海棠の花である可能性を示唆する。杜甫は戰亂を避けてしばらく成都を離れていた期間を含め、足かけ八年にわたり蜀の地に滯在した。そのうち成都西郊の浣花溪のほとりに草堂を構えて暮らした四年間は、經濟的にも精神的にも杜甫の人生で最も安定しており、「春夜喜雨」詩をはじめとする多くの佳作を生み出した。ところが不可解なことに、彼の詩集には土地の名花である海棠を詠じた詩が一首も存在しないのである。なぜ杜甫は海棠を詩にうたわなかったのか、この公案をめぐり後人の議論は紛紜として、さまざまな臆測を呼ぶに至る。李壁が「春夜喜雨」詩の「花」を海棠と見なすのも、そうした文脈において提起された説の一つにほかならない。
《引用終了》
とあり、注の⑪に、『『王荊文公詩李壁注』卷三一(上海:上海古籍出版社、一九九三年、朝鮮活字本影印)、一四一七─一四一八頁。なお、李壁注に引用される『詩話』とは、北宋・李頎『古今詩話』(『詩林廣記』前集卷八・鄭谷)に「杜子美母名海棠、子美諱之、故『杜集』中絶無海棠詩」というのを指す。』とあった。少し疲れたので、私のディグは、ここまでとする。]