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2024/12/17

和漢三才圖會卷第八十六 果部 五果類 棗 / 五果類~了

 

Natume

 

なつめ   【和名奈豆女】

 

【音早】

 

ツア

 

本綱棗木心赤有刺四月生小葉尖觥光澤五月開小花

[やぶちゃん注:「觥」は、原本では、「グリフウィキ」のこれ(「角」が「⻆」)だが、表示出来ないので、「觥」とした。]

白色微青其類甚繁而以青州普州之產肥大甘美入藥

爲良凡棗生青熟赤其全赤時日日撼而收曝則紅皺若

半赤收者肉未𭀚而乾卽色黃

[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。]

棗脯【切而晒乾者也】 棗膏【一名棗瓤煮熟搾出者也】 膠棗【蒸熟棗也】 棗油【卽搗膠棗晒乾者也】

乾棗【甘平】 脾經血分藥補中益氣助十二經和藥治病而

 若無故頻食則生蟲損齒貽害多矣中滿者勿食甘甘

 令人滿故張仲景建中湯心下痞者減餳棗與甘草同

 例此得用棗之方矣

【忌與葱同食令人五臟不和與魚同食令人腰腹痛有齒病疳蟲人忌之】小兒尤不宜食

△按棗出攝州池田者良

 古今醫統云凡生乾棗晒乾須甑中畧炊蓋棗蟲在

 內炊之則死然又晒乾貯新罈久留凡棗有數種

 壺棗【大而上銳者也】 要棗【大而腰細者也】 櫅棗【色白而熟者也】 樲棗【小而味酸者也】 羊矢棗【小而圓紫黒色者】

[やぶちゃん字注:「櫅」は原本では(つくり)が「齋」であるが、表示出来ないので、「櫅」とした。「羊」は第一画と第二画が「ハ」字型になっているが、同前なので、「羊」とした。]

五雜組云楓棗二木皆能通神靈卜卦者多取爲式盤式

局以楓木爲上棗心爲下所謂楓天棗地是也兵法曰楓

天棗地置之槽則馬駭置之轍則車覆其異如此


仲思棗  仙棗

本綱北齋時有仙人仲思得此棗種之因以爲名大者長

四寸圍五寸肉肥核小甘味勝於青州棗廣志所謂西王

母棗亦此類

 

   *

 

なつめ   【和名、「奈豆女《なつめ》」。】

 

【音「早」。】

 

ツア

 

「本綱」に曰はく、『棗《さう》の木の心、赤く、刺《とげ》、有り。四月、小≪さき≫葉を生じ、尖≪りて≫觥《つのさかずき》[やぶちゃん注:兕牛(じぎゅう:哺乳綱奇蹄目有角亜目Rhinocerotoidea 上科サイ科 Rhinocerotidaeの犀(サイ)の♀を指す)の角で作った盞(さかずき)。]光澤≪あり≫。五月、小《ちさ》き花を開く。白色、微《やや》青≪し≫。其の類、甚だ、繁《おほ》し。青州[やぶちゃん注:現在の山東省地方。]・普州[やぶちゃん注:山西省地方。]の產、肥大≪にして≫、甘美なるを以つて、藥≪に≫入≪るるに≫、良しと爲《な》す。凡そ、棗、生《わかき》は、青く、熟せば、赤し。其の、全く、赤き時、日日《ひび》、撼(むし)りて、收《をさめ》、曝《さら》せば、則ち、紅皺《べんしわ》≪と成る≫。半ば、赤くして、收むる者のごときは、肉、未だ𭀚《み》たずして、乾けば、卽ち、色、黃なり。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。以下、各個記載なので、改行した。≪と≫は五月蠅いだけなので、カットする。]

『棗脯《さうほ》』『【切りて、晒乾《さらしほ》す者なり。】』。

『棗膏《さうかう》』『【一名、「棗瓤《さうじやう》」。煮熟《にじゆく》して、搾り出だす者なり。】』。

『膠棗《かうさう》』『【蒸し熟したる棗なり。】』。

『棗油《さうゆ》』『【卽ち、膠棗を、搗き晒し乾したる者なり。】』。

『乾棗《かんさう》【甘、平。】』『「脾經」の血分の藥≪なり≫。中《ちゆう》[やぶちゃん注:「脾胃」。]を補し、氣を益し、「十二經《けい》」を助く。藥を和して、病《やまひ》を治す。若《も》し、故《ゆゑ》無≪くして≫、頻《しき》りに食する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、蟲を生じ、齒を損《そん》し、害を貽《のこ》すこと、多し。中滿《ちゆうまん》[やぶちゃん注:胃が膨張していること。]の者、甘《かん》[やぶちゃん注:甘い物。]を食すこと、勿《な》かれ。甘は、人をして滿《み》たしめ≪ばなり≫。故に、張仲景が「建中湯《けんちゆうたう》」に、『心下《しんか》、痞(つか)える者には、餳棗《あめなつめ》を減ず。甘草《かんざう》[やぶちゃん注:マメ目マメ科マメ亜科カンゾウ属 Glycyrrhiza当該ウィキによれば、『漢方薬に広範囲にわたって用いられる生薬であり、日本国内で発売されている漢方薬の約』七『割に用いられている』とある。]と例を同≪じうす≫。』と。此れ、棗を用≪ひる≫の方《はう》を、得たる≪ものなり≫。』≪と≫。

『【葱《ねぎ》と同じく食《しよく》すを忌《いむ》。人をして、五臟を和《わ》せざらしむ。魚《さかな》と同じく食へば、人をして、腰・腹の痛《いたま》しむ。齒の病《やまひ》・疳の蟲の有る人、之れを忌む。】』。『小兒、尤《もつとも》、宜しく食ふべからず。』≪と≫。

△按ずるに、棗《なつめ》、攝州池田[やぶちゃん注:現在の大阪府池田市(グーグル・マップ・データ)。]より出づる者、良し。

「古今醫統」に云はく、『凡そ、生乾《なまがはき》≪の≫棗、晒乾《さらしほし》、須べからく、甑《こしき》≪の≫中《なか》に於いて、畧《ち》と、炊(む)すべし。蓋し、棗の蟲は、內に在り、之れを炊(む)せば、則ち、死す。然《しか》して、又、晒乾《さらしほし》、新≪らしき≫罈《タン》[やぶちゃん注:口が小さくて、腹が膨らんだ容器。]に貯《たくは》へ、久《ひさし》く留《とどむ》[やぶちゃん注:長期に保存する。]。』と。[やぶちゃん注:ここで引用を切ったのは、東洋文庫訳に従った。]凡そ、棗、數種《すしゆ》、有り。

[やぶちゃん字注:以下も各個記載なので、改行した。棗類の読みは東洋文庫訳のものを、概ね、用いた。]

「壺棗《つぼなつめ》」【大にして、上、銳き者なり。】。

「要棗《こしなつめ》」【大にして、腰、細き者なり。】。

「櫅棗《しろなつめ》」【色、白くして、熟せる者なり。】。[やぶちゃん注:「櫅」は音「セイ・ザイ」で、この単漢字で「白いナツメ」を意味する。]

「樲棗《さねぶとなつめ》」【小にして、味、酸《すつぱき》者なり。】。[やぶちゃん注:「樲」は音「ジ」で、この単漢字で種としての「サネブトナツメ」を意味する。]

「羊矢棗《やうしさう》」【小にして、圓《まろ》く、紫黒色の者≪なり≫。】。

「五雜組」に云はく、『楓《ふう》と棗の二木は、皆、能く、神靈に通ず。卜卦《ぼくか》≪の≫者[やぶちゃん注:占術を成す者。]、多く、≪この二種の木を≫取りて、式盤《しきばん》・式局《しききよく》[やぶちゃん注:占いをする際に用いる道具。]を爲《つく》る。楓木《ふうぼく》を以つて、上(かみ)と爲《な》し、棗《なつめ》の心《しん》[やぶちゃん注:「芯」。]を下(しも)と爲す。所謂《いはゆ》る、「楓天棗地《ふうてんさうち》」、是れなり。』≪と≫。『兵法《へいはう》に曰ふ、「楓天棗地を槽(むまふね)に置けば、則ち、馬《むま》、駭(をどろ[やぶちゃん注:ママ。])き、轍(くるまのあな)に置けば、則ち、車、覆(くつが)へる。」≪と≫。其の異《い》なること、此くのごとし。』≪と≫。


仲思棗(ちうしそう)  仙棗(せんさう)

「本綱」に曰はく、『北齋《ほくせい》の時、仙人、「仲思《ちゆうし》」と云ふもの[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]有りて、此の棗《なつめ》を得て、之れを種《う》ゑ、因《より》て、以つて、《この「仲思棗」の》名を爲す。大なる者、長さ、四寸。圍《めぐり》、五寸。肉、肥《こえ》、核《さね》、小《ちさ》く、甘き味≪にして≫、青州≪の≫棗に勝《まさ》れり。「廣志」に謂ふ所の、「西王母棗《せいわうぼのなつめ》」も亦、此の類《るゐ》なり。』≪と≫。[やぶちゃん注:「ちうしそう」はママ。「ちゆうしさう」が正しい。]

 

[やぶちゃん注:「棗」は、

双子葉植物綱バラ目クロウメモドキ(黒梅擬)科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『和名は夏に入って芽が出ること(夏芽)に由来する。中国植物名(漢名)は、棗(そう)という。英語ではjujube(ネイティヴの音写で「ジュゥジュゥブ」)またはChinese date(中国のナツメヤシ)という』。『果実は乾燥させたり(干しなつめ)、菓子材料として食用にされ、また生薬としても用いられる』。『ナツメヤシ』(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ナツメヤシ属ナツメヤシ Phoenix dactylifera )『は』『果実が似ていることから。また』香辛料の『ナツメグ』(英語:Nutmeg )は『ニクズク』(双子葉植物綱モクレン亜綱モクレン目ニクズク科ニクズク属ナツメグ  Myristica fragrans )『の種子であり』、『それぞれ』、全くの『別種』であるので、注意が必要である。『南ヨーロッパ原産、中国・西アジアへ伝わり、中国北部の原産ともいわれている。日本への渡来は奈良時代以前とされていて』、六『世紀後半の遺跡から果実の核が出土している。野生状態のものもあるが、主には栽培されている』。『日本では古くから栽培されてきたが、現在では公園や街路、まれに庭などに植えられる』。『落葉広葉樹の小高木で、樹高は』五『メートル』『ほどになる。枝は棘が対生するが、なかには棘がないものもある。葉の出る時期は遅く、和名の由来ともなっている。若い苗でも根が太く、茎には鋭い棘がある。葉は小枝に互生して、羽状複葉のようにも見える。葉身は卵形で落葉樹ではめずらしく』、『強い光沢があり』、三『本の葉脈が目立つ』。『花期は初夏』(六月頃)『で、花は淡緑色や黄色で』、『小さく目立たず、葉腋に数個ずつつける。果実は核果で、長さ』二~三『センチメートル』『ほどの卵形か長楕円形または球形で、果皮はなめらか、中に』一『個の種子が入る。熟すと』、『暗紅色になり、落葉後も枝に残り、次第に乾燥してしわができる(英語名のとおりナツメヤシの果実に似る)。種子の発芽率は極めて高く、親木の周囲には子苗がたくさん生じる』。『同属は多く熱帯から亜熱帯に分布し、ナツメ以外にも食用にされるものはあるが、ナツメが最も寒さに強い』。『日当たりが良く、排水が良いところであれば土質を選ばないため栽培しやすい。繁殖は実生または株分けで行われる』。『果実はビタミン豊富で食用や薬用になる。樹木は庭木などに利用される。木材としては、硬く、使い込むことで色艶が増す事から、高級工芸品(茶入れ、器具、仏具、家具)等に使われている。その他、ヴァイオリンのフィッティング』(fitting:調整材)『(ペグ、テイルピース、顎当て、エンドピン)にも使われている。比重としてはツゲと黒檀の中間程度』である。『果実は果皮が少しだけ茶色になったころが食べごろで、その時点では黄白色の果肉が詰まっていて、リンゴのような味がして美味である。果皮が緑色の時期に収穫しても食べられる。収穫後は傷みやすいことから、冷凍庫で保存しておくと長期保存できる』。『日本では、果実を砂糖と醤油で甘露煮にし、おかずとして食卓に並ぶ風習が、古くから飛騨地方のみで見受けられる。煮物に加えても良い』。『中国では乾果の砂糖漬を高級の菓子として賞味する。また、ナツメの餡は』「枣泥」『(拼音: zǎoní)として中国の伝統的な餡の一種で知られる』。『韓国では、薬膳料理として日本でも知られるサムゲタンの材料に使われるほか、砂糖・蜂蜜と煮たものを「テチュ茶(ナツメ茶)」と称して飲用する』。『欧米には』十九『世紀に導入されキャンディ(当初はのど飴)の材料として使われるようになった。また葉に含まれる成分ジジフィン(Ziziphin)』(トリテルペン(Triterpene)配糖体:C51H80O18)『は、舌で甘味を感じにくくさせる効果がある』。『ナツメまたはその近縁植物の実を乾燥したものは大棗(たいそう)、種子は酸棗仁(さんそうにん)と称する生薬である(日本薬局方においては大棗がナツメの実とされ、酸棗仁が』、サネブトナツメZiziphus jujuba var. spinosa (本項にも出る本種については、「武田薬品工業株式会社 京都薬用植物園」公式サイトの「サネブトナツメ」のページがよい。画像もある)『の種子とされている』『)。大棗は、果実が大きく、果肉が豊富なものを良品とし、種子が大きいものは実太(さねぶと)という。秋(』九~十『月)に果実が黄褐色になったときに採って、蒸した後に天日で乾燥させる。日本へは、中国原産の薬用品を輸入している』。『大棗には強壮作用・鎮静作用が有るとされる。甘みがあり、緩和、強壮、利尿の薬として、漢方では多種の配剤があり、葛根湯、甘麦大棗湯などの漢方薬に配合されている。生姜(しょうきょう)との組み合わせで、副作用の緩和などを目的に多数の漢方方剤に配合されている。民間では、筋肉の痛み、知覚過敏、咽頭炎に』『服用する用法が知られている。ただし胃の弱い人や、癇をもつ小児への服用は控えた方が良いという意見もある』(本項の本文にも、この禁忌は出る)。『このほか、胃腸が弱っているときに起こる疲労倦怠や食欲不振、冷え性、不眠に対する薬効もあるとされ』、『ナツメ酒』が作られる。『ナツメには睡眠と関係があるオレアミド』(Oleamide:オレイン酸アミド:C18H35NO)『が含まれている』。『酸棗仁には鎮静作用・催眠作用が有るとされる。酸味があり、補性作用・降性作用がある。酸棗仁湯に配合されている』。『庭木や街路樹としても用いる』。『茶器にも「棗」があるが、これは形がナツメの果実に似ることからついた名称である』とある。

 「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷二十九」の中で続く「果之一」の「五果類」の最後を飾る「棗」([073-33b]以下)のパッチワークである。

「脾經」先行する「郁李仁」の東洋文庫の後注に『足の太陰脾経。身体をめぐる十二経脈の一つ。巻八十二香木類肉桂の注一参照。』とある。私の「肉桂」の注の「足少陰太陰經」の中に記されてあるので、参照されたい。

「十二經《けい》」私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 酪(にふのかゆ)・酥(そ)・醍醐(だいご)・乳腐 (ヨーグルト/バター・精乳・乳清(私の独断)・チーズ)」の注から引く。東洋文庫注に『人体内を縦横に走っている経脈。手の少陽(三焦)、手の少陰(心)、足の少陽(胆)、足の少陰(腎)、手の太陽(小腸)、手の太陰(肺)、足の太陽(膀胱)、足の太陰(脾)、手の陽明(大腸)、足の陽明(胃)、手の厥陰(心包絡)、足の厥陰(肝)、以上を十二経脈という』とある。

「張仲景」東洋文庫後注で、『後漢の人。長沙の大守であったが、一族のほとんどが十年あまりの間に傷寒(惡性伝染病)で亡くなったのに発憤し、『傷寒雑病論』十六巻を著した。』とある。「本草綱目」では、よく彼の記載が引用される。また、循環器・呼吸器・泌尿器・消化器等の障害や、皮膚・婦人疾患などの治法を論じた「金匱要略」(きんきようりゃく)もよく知られる。

「建中湯《けんちゆうたう》」「巣鴨千石皮ふ科」公式サイト内の『漢方薬100「大建中湯(ダイケンチュウトウ)」』によれば、漢方名の「建」は「建立」、「中」は「中焦」、漢方で言う消化器系を指し、「建中湯」は腹部の症状を建て直し、正常化する処方という意とあり、『体力がない人で、おなかが冷えて痛み、腹部膨満感がある場合に用いられ』『血流をよくして』、『おなかを温め、胃腸の働きを活発にすることで症状を改善』するとある。本処方には、「大建中湯」の他に「小建中湯」・「当帰建中湯」がある。

「古今醫統」複数回、既出既注

『「壺棗《つぼなつめ》」【大にして、上、銳き者なり。】』特別な種ではないようである。

『「要棗《こしなつめ》」【大にして、腰、細き者なり。】』同前。

『「櫅棗《しろなつめ》」【色、白くして、熟せる者なり。】』「爾雅」にも載るが、不詳。

「樲棗《さねぶとなつめ》」最初の引用の中で示した。

『「羊矢棗《やうしさう》」【小にして、圓《まろ》く、紫黒色の者≪なり≫。】』「百度百科」には立項されているものの、学名は示されていない。

「五雜組」「五雜組」複数回既出既注。初回の「柏」の注を見られたい。以下は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここにあるものを参考に示しておく(一部に手を加えた)。

   *

楓、棗二木皆能通神靈、卜卦者多取爲式盤式局、以楓木爲上、棗心爲下、所謂楓天棗地是也。靈棋經法,須用雷劈棗木爲之、則尤神驗。兵法曰、「楓天棗地、置之槽則馬駭、置之轍則車覆。」。其異如此。蓋神之所棲、亦猶鬼之棲樟柳根也。

   *

「楓《ふう》」これは、絶対に「かへで」(現代仮名遣「かえで」)と訓じてはいけない。先行する「楓」で神経症的に考証した通り、過去の近世以前の中国の本草書に登場する「楓」(フウ:拼音fēng:ファン)であり、この「楓」は、我々に親しいムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer のそれとは、全くの別種の、

ユキノシタ目フウ科フウ属フウ Liquidambar formosana

を指すからである。但し、現代では、本邦の「楓」(かえで)の逆移入で、カエデ属に中文名で「楓屬」が与えられている「維基百科」の「楓屬」を参照)ため、カエデ属の種には「楓」がジャカジャカと用いられてしまっているので、注意が必要ではある。

「式盤《しきばん》・式局《しききよく》」ウィキの「式占」によれば(太字・下線は私が施した)、『式占(しきせん)は占いの一種である。特徴は占うにあたって計算を行うときに、式盤(しきばん)あるいは栻(ちょく)と呼ばれる簡易な器具を使用するところにある』。『式盤は天地盤と呼ばれることもあり、天盤と呼ばれる円形の盤と地盤と呼ばれる方形の盤を組み合わせたものが基本形で、円形の天盤が回転する構造となっている。天盤や地盤の形状は、天は円く地は四角いとする中国の天地観に基づいている』。『天盤や地盤には十干、十二支、といった占うために必要な文字や記号が記入されており、天盤の文字や記号を地盤のそれと合わせることで簡単な計算を行ったのと同じ効果が得られる』。『式盤を作成するにあたって、材料は非常に限定されており、天盤では楓(ふう)』『にできるコブである楓人(ふうじん)、地盤では雷に撃たれた棗の木が正しい材料とされている。正しい材料で正しく作成した式盤には呪力があるとされ、調伏などの儀式で使用されることがある』。『代表的な式占には、太乙式(』(たいおつ):『「太乙神数』(たいおつしんすう)『」)、遁甲式(「奇門遁甲」)、六壬式(』『りくじんしき:『「六壬神課」)があり、これらをまとめて三式と呼ぶ。なお』、『これら三式の他に』、『名前だけが伝わっていて具体的な内容が不明の雷公式があり、三式に雷公式を加えて四式と呼ぶことがある。三式それぞれで異なる形態の「式盤」を使用する。六壬式の式盤では』、『地盤の十二支に天盤の十二神や十二天将を合わせるので』十二『の要素を基本とし、遁甲式の式盤は八卦で表される』八『の要素、太乙式の式盤は、十二支に四隅の門を加えた』十六『の要素を基本としている』。『このうち六壬式は、平安時代から鎌倉時代にかけて陰陽師にとって必須の占術であった。陰陽師として名高い安倍晴明は子孫のために』「占事略决」『を残し』ている。『六壬式の式盤では、地盤に十二支、十干、四隅の門、東西南北の四方の門が記入されており、これが二十四山の原型ではないかとする説がある。また』、『六壬式盤の地盤中央に天盤の代わりに匙形の方位磁石を置いたものである『指南』が、後に風水で使用される羅盤の原型ではないかと推測されている』『が、実際の『指南』をみれば』、『頷ける説である』とある。以下、使用フリーの、『「指南」(漢代)六壬式の式盤との関連が推測される』というキャプションのある「指南」盤を以下に(素材は金属である)、

 

Model_si_nan_of_han_dynasty

 

同前でWikiwikiyarou氏作成の『六壬栻盤(りくじんちょくばん)の図』(但し、これは配置を示した印刷物である)を以下に示しておく(ファイル属性が違うので、画像で取り込んでトリミングした)。

 

Rikutyokuban

 

なお、実際に、恐らくは、ナツメ材製であろうと思われる「六壬栻盤」の画像が、たなか牧子氏のブログ「つるの織部屋」の「ナツメ・馬も驚く柿茶色」にあるので、見られたい。ありとあらゆる占いを、私は全く信じないが、一目見て、これ、欲しくなったわい。

「仲思棗(ちうしそう)」「仙棗(せんさう)」偶然乍ら、前注のリンク先の初めの部分にナツメの【生薬名】を連記される中に『チュウシソウ(仲思棗=ナツメ属全般)』とあった。ナットク! なお、「中國哲學書電子化計劃」のここで、「太平廣記」の「草木五」に「仲思棗」があることが判った。一部の表記に手を加えて示す。

   *

仲思棗 信都獻仲思棗四百枝。棗長四五寸、紫色【原本「紫」上有「國」字、「色」下有「細」字、據明鈔本刪。】、皮【「皮」原作「又」、據明鈔本改。】、縐細核。實【「實」字原闕、據明鈔本補。】、肥、有味、賢於青州棗。北齊時、有仙人仲思得此棗、種之。亦名仙棗。時海內唯有數樹。出「大業拾遺」。

   *

「北齋《ほくせい》」(五五〇年~五七七年)南北朝時代の北朝の王朝。東魏の実力者高洋(文宣帝)は、孝静帝を廃して帝位につき、弟高演(孝昭帝)の時代まで北周・陳・突厥(とっけつ)を圧する勢いがあったが、後、寵臣が政治をとり、逆に突厥などの圧迫を受け、北周に滅ぼされるに至った(山川出版社「山川 世界史小辞典」に拠った)。

「廣志」東洋文庫の書名注に、『二巻。晋の郭義恭撰。』とのみある。

「西王母棗《せいわうぼのなつめ》」五世紀の東魏の楊衒之が撰した北魏の都洛陽における仏寺の繁栄の様子を描いた記録「洛陽伽藍記」の中に、

   *

「美俗傳」云、出崑崙山一曰西王母棗、又有仙人桃、其色赤、表裏照徹、得霜即熟。亦出崑崙山一曰王母桃也。

   *

とあるのを見つけた。種の名前ではあるまい。優良個体の美称と採る。先の「西王母の桃」の類いである。]

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