みかん 橘 𮔉柑【俗】
【和名太知波奈】
橘【居宻反】
【雲五色爲慶二色爲
矞外赤內黃非𤇆非
霧橘實亦外赤內黃
剖之香霧有似乎矞
雲故字
從矞也】
[やぶちゃん字注:「𤇆」は「烟」の異体字。]
本綱橘樹高𠀋許枝多生刺其葉兩頭尖綠色光靣大寸
餘長二寸許四月著小白花甚香結實至冬黃熟大者如
盃包中有瓣瓣中有核夫橘柚柑三者相類而不同橘實
小其瓣味微酸其皮薄而紅味辛而苦入藥名陳皮
橘下埋䑕則結實加倍【涅盤經云如橘見䑕其果實多】周禮云橘踰准而
[やぶちゃん字注:「盤」は「槃」の誤字。同じく「准」は「淮」の誤字。訓読では訂した。]
自變爲枳地氣然也其品十有四種
黃橘扁小而多香霧乃上品也○朱橘小而色赤如火○
綠橘紺碧可愛不待霜後色味已佳○乳橘狀似乳柑皮
堅瓤多○塌橘狀大而扁外綠心紅瓣巨多液經春乃甘
美○包橘外薄內盈其脉瓣隔皮可數○綿橘微小極軟
美可愛而不多結○沙橘細小甘美○油橘皮似油餠中
堅外黑乃下品也○早黃橘秋半已丹○凍橘八月開花
冬結實春采○穿心橘實大皮光而心虛可穿○荔枝橘
膚理皺宻如荔子也
橘及柑之屬出蘓州台州西出荊州南出閩廣撫州皆
[やぶちゃん字注:「蘓」は「蘇」の異体字であるが、「グリフウィキ」のこれ(「魚」が「𩵋」)の字形であるため、表示出来ないので、これに代えた。]
不如溫州者爲上陳眉公秘笈云越多橘柚歳有橘稅
謂之橙橘戸亦曰橘籍
△按太知波奈和名橘類之總名也今單稱太知波奈者
乃包橘也専爲菓其皮爲藥者乃𮔉柑也其實熟則甜
如𮔉故名之不知何時有此名也橘類以爲柑誤也蓋
其屬甚多而和漢共往昔不悉辨之
日本紀云埀仁帝九十年春命田道間守遣常世國令求
非時香菓今謂橘者是也同九十九年春得非時香菓八
竿八縵還來 或書曰天皇既崩田道間守向皇陵呌哭
而自死感其忠呼香菓號爲田道間名
仲實
常世よりかくのこのみを移し植て山郭公便りにそ待て
[やぶちゃん注:この歌、「夫木和歌抄」の一首であるが、最後の五句目「便りにそ待て」は誤りで、正しくは、「時にしぞきく」である。訓読文では訂した。]
所謂常世國者新羅國乎田道間守者仁帝三年春
始來新羅國王子天日槍之玄孫也故所遣之乎
聖武帝天平八年譽葛城王之忠誠賜浮杯之橘勅曰橘
者果子之長上人所好【柯凌霜雪而繁茂葉經寒暑而不凋與珠玉共競光交金銀以逾美】
是以汝姓橘宿禰橘姓始于此
橘宿稱者諸兄公也月令廣義云正月初二日賜橘於
[やぶちゃん注:「稱」は「禰」の誤字か誤刻。訓読文では訂した。]
群臣則古今以橘爲嘉祝之菓今之包橘是也【詳于下條】
万葉立花は實さへ花さへその葉さへ枝に霜をけましてときは木
[やぶちゃん注:この一首、下句「枝に霜ををけましてときは木」は、「万葉集」原文では、「枝尒霜離降 益常葉之樹」で、現行では、「枝(え)に霜降れどいや常葉(とこはり)の樹」と訓読されている。訓読文では訂した。]
紀州有田郡𮔉柎肥大皮厚着柑𠙚少脹如乳甘美而
其陳皮最勝矣大者徑二寸余一郡皆植𮔉柑蓋此與
[やぶちゃん注:「徑」は原本では、異体字の「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、通用字で示した。]
中𬜻越地相同 薩州櫻島 豫州松山 之產美 駿
州之產次之 肥後八代之產形小皮薄瓣皮亦薄而
味美也又有異品者
紅𮔉柑色赤【本草所謂朱橘是乎】○夏𮔉柑五月黃熟【本艸所謂早黃橘是乎】無核𮔉柑希有之○温州橘其葉似柚葉而畧小其實乃
𮔉柑皮厚實絕酸芳芬用其汁和魚膾佳蓋溫州乃浙江
南柑橘名𠙚猶紀州疑移栽其樹者也【俗爲雲州橘者無據】○唐𮔉柑大而皮厚實味不美所謂塌橘此乎
凡柚橘之類不宜子種皆宜接也而自相州箱根關北
未曾有也唯柚者自奧州白川關北全無之試植橘於
[やぶちゃん字注:「白川」はママ。「白河」が正しい。]
津輕則皆變成枳所謂江南橘爲嶺北枳者南北土地
之異和漢相同
古今醫統云十月將橘樹有枝柯者埋土中尺餘以枝榦
在外不可倒置待來春芽長傍堀坑澆糞水至十二月
內橘根四圍澆犬糞三次至春用水澆二次花實俱茂
收貯法鋪乾棕或乾松毛間疊苞裹置不近酒𠙚不壞又
藏菉豆中不近酒米亦不壞又用橘葉層層相閒收之
入土壅之不壞橘柑橙之類皆如上
揷𮔉柑 伐枝杪遺葉貫大芋魁揷之【至時芋出芽者活芋腐者不活】
陳皮 橘皮 紅皮
【陳者陳久之義曰
久者爲佳故名之】
本綱古橘柚作一條後世以柚皮爲橘皮者誤也此乃六
陳之一天下日用所須也以廣中來者爲勝江西者次之
今人多以乳柑皮亂之不可不擇也
橘皮 細 紅而薄 筋脉 苦辛 温
紋 色 內多 味 性
柑皮 粗 黃而厚 白膜 辛甘 冷
柚皮最厚虛紋更粗色黃內多膜無筋味【甘多辛少】性冷
伹以此別之卽不差【然多柑皮相雜也柑皮猶可用柚皮則不可用】
陳皮【苦辛溫】 爲脾肺二經氣分藥寛隔降氣消痰飮極有
殊功同補藥則補同瀉藥則瀉藥則瀉同外藥則升同降藥則
降隨所配【入和中理胃藥則留白入下氣消痰藥則去白】凡橘皮下氣消痰其
肉生痰聚飮表裏之異如此凡物皆然
青皮
本綱青皮乃橘皮之未黃而青色者薄而光其氣芳烈今
人多以小柑小柚小橙僞爲之不可不愼辨之
氣味【苦辛温】 肝膽二經氣分藥人多怒有滯氣脇下有鬱
積或小腹疝疼用之以行其氣如無滯氣則損眞氣
古無用青皮者至宋時醫家始用之小兒消積多用青
皮最能發汗有汗者不可用
陳皮浮 升 脾肺
而 入 氣分 二物 一體 一用【物理之自然也】
青皮沉 降 肝膽
*
みかん 橘《きつ》 𮔉柑《みかん》【俗。】
【和名、「太知波奈《たちばな》」。】
橘【「居」「宻」の反《はん》。】
【雲の五色、「慶」と爲して、二つの
色を「矞《いつ》」と爲す。外、赤
く、內《うち》、黃にして、𤇆《け
ぶり》に非ず、霧に非ず。橘の實も
亦、外、赤く內、黃なり。之れを
剖《わ》くれば、香《か》と霧と、
似たる有るか。「矞雲《きつうん》」、
故、字、「矞」に從ふなり。】
[やぶちゃん注:「反」は「反切」(はんせつ)で、既に「松」で、私が注してあるが、東洋文庫訳の後注に訳の「反切」を挙げて、『既知の二つの漢字「居」と「密」の上の字「居」の頭の子音と下の字「密」の闇とを合わせて一つの漢字「橘」の音をあらわす法。』とある。
「橘」東洋文庫訳の後注に「橘」を挙げて、『北村四郎氏(北村四郎選集Ⅱ『本草の植物』保育社)は次のように述べておられる。「橘(『本経』上品) ミカン属の一種であるが、よくわからない。この類は雑種を作りやすく、枝変りもあり、多くの品種は台木に接いで伝えられ、多くの類似のものがあり、それらが種として取り扱われている。古代のものを確定することはできない」と。そして、現在のものではキシュウミカンが橘に近いものであろうか、といわれている。』とある。東洋文庫訳では長い割注部を、達意の訳で、『五色の雲は慶雲といわれるが、その二色を矞(キツ)という。外は赤く内が黄色で、烟でなく霧でもなく紛々(ふんぷん)としている。橘の実も外は赤く内は黄で、これを剖(さ)くと香霧が紛郁(ふんいく)として矞雲(いつうん)に似ている。』とされてある。私はより音通の音写から見て、「キツ」「いつ」ではない「イツ」を採用した。要は、「橘」は中古・近世までの中国では、双子葉植物綱ムクロジ(無患子)目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連ミカン属 Citrus 、或いは、その上位のタクソンに含まれる、広義のミカン類を総称するものであって、特定種に限定することは出来ないことを指摘していることを言っている、ということになる。]
「本綱」に曰はく、『橘《きつ》の樹は、高さ、𠀋許《ばかり》。枝、多く、刺《とげ》≪を≫生《しやうず》、其≪の≫葉、兩頭、尖《とがり》て、綠色。光≪れる≫靣《おもて》≪にして≫、大いさ、寸餘。長さ、二寸許《ばかり》。四月、小き白き花を著《つく》。甚だ、香《かんば》し。實を結ぶ。冬に至《いたり》て、黃≪に≫熟す。大なる者、盃《さかづき》のごとく、包≪果《はうくわ》≫の中に。瓣《ふくろ》、有り。瓣の中に、核《さね》、有り。夫《そ》れ、橘《きつ》・柚《いう》・柑《かん》の三つ≪の≫者、相《あひ》、類《るゐ》にして、同じからず。橘の實は、小≪に≫して、其の瓣《ふくろ》、味、微《やや》、酸《すつぱく》、其の皮、薄くして、紅《くれなゐ》。味、辛にして苦《にが》し。藥に入≪れ≫、「陳皮《ちんぴ》」と名づく。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「橘《きつ》」これは、現在は、日中ともに、
双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連ミカン属タチバナ(橘) Citrus tachibana
を指すが、同種は日本固有種であるから、
✕「本草綱目」の「橘」は――タチバナでは――ない――
では、如何なる種を指すかと言えば、
◎――蜜柑の一種――
と言わざるを得ず、種同定は出来ない。但し、「說文」及び「廣韻」を見るに、古くから
◎――江南地方から南、或いは、中国南部に分布するところの、温帯・亜熱帯のミカンの種群――
とは言える(後の本文で述べられる「橘」と「枳」の棲み分け論を見よ)。そもそも、この「橘」の字(形声)の「矞」は、「廣漢和辭典」によれば、
★――『木+逸声。矞は誇示するの意。その木に示威的なとげのある』樹木を示す――
のである。ここで面白いのは、現在の栽培されている一般的な蜜柑類には、トゲがない、のである。しかし、
原産を長江上流域とするカラタチ
本邦固有種のタチバナ
には、シッカり、トゲがあるのである。則ち、カラタチを遡る、トゲがある幻のミカンの樹こそ、原木と言えるのではあるまいか?
「柚《いう》」これは強い注意が必要である。本邦では、この「柚」は、「柚子」、則ち、日本固有種である、
◎ミカン属ユズ Citrus junos (シノニム:Citrus ichangensis × Citrus reticulata)
及び、
別種であるユズの品種で、中国と日本原産とされる、
◎ハナユ(花柚子)Citrus hanayu
を一緒くたにして、一般に「ユズ」と呼んでいる。しかし、中国語で「柚」というと、現在では、上記のタチバナを「香橙」と称し、異名として「羅漢橙」・「香圓」・「柚子(日本柚子)」と呼んでいる(「維基百科」の「香橙」を見よ。因みに、実の写真が一枚、添えてあるのだが、私には、恣意的な悪意を感ずるほど、汚いもので、甚だ、不快になった)ものの、
★中国語の「柚」は、古くから、東南アジア・中国南部・台湾などを原産とするミカン属ザボン Citrus maxima
を指すからである(「維基百科」の「柚子」を見よ)。従って、「本草綱目」の「柚」は、このザボンで採るのが、無難だからである。
「柑《かん》」これも、甚だ、ムズいと言える。本邦では、「柑」は古くは特定種に比定せずに、広義のミカン類を指していたが、現行の日本では、
◎「柑子」で、ミカン属コウジ Citrus leiocarpa(ウィキの「コウジ(柑橘類)」によれば、『「ウスカワ(薄皮)ミカン」とも言われる』。『古くから日本国内で栽培されている柑橘の一種だが』、八『世紀頃に中国から渡来したと言われる(一説には「タチバナ」の変種とも)。果実は一般的な「ウンシュウミカン」』( Citrus unshiu:鹿児島県原産とされる)『よりも糖度が低く酸味が強い。種は多いが日持ちは良い』。『樹勢が強く』、『耐寒性に優れている』ため、『「ウンシュウミカン」の露地栽培が難しい日本海側の一部でも栽培されている』とある)
を指すのだが、
▲中国語の「柑」は、やはり、中国でもミカン類の総称であるが、果して中国で、古くから、この種に同定比定していたかどうかは、かなりクエスチョンな気がするのだが、
「柑」を、オオベニミカン(大紅蜜柑) Citrus tangerina (インドに分布し、中国経由で日本に渡来した常緑高木で、本邦では、古くに奄美大島での栽培が知られ、後、九州・四国・和歌山県でも栽培されている。果期は十一月から十二月で、果皮から採れる精油は、化粧品などに利用されていることが検索で判った。因みに、種小名に注意されたい。これ、今やお馴染みのTangerine(タンジェリン:アフリカや米国で栽培されるミカンの一種。皮は薄く剥き易い。名はモロッコの都市タンジールに由来)で、英文の「Tangerine」のウィキでは、マンダリン・オレンジ(Mandarin orange:ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata )の雑種として、学名をCitrus × tangerina としてあるのである)に「維基百科」の「柑」では、比定しているからである。しかも、良安は、後掲する「陳皮」で、「柑」に『クネンボ』とルビをしているのである。これは、「九年母」で、マンダリンオレンジ品種クネンボ Citrus reticulata 'Kunenbo' のことである。
「陳皮」の「陳」は「古いもの」を意味し、古いものほど優れた薬効があることから、かく、呼ばれるようになった。]
『橘の下に、䑕(ねずみ)を埋(うず)めば、則《すなはち》、倍≪を≫加《くは》≪ふ≫[やぶちゃん注:ここは返り点はないが、達意の訓を考え、返って読んだ。「実の数が二倍になる」というのである。]。【「涅槃經」に云はく、『橘、䑕を見≪れば≫、其の果實、多し。』≪と≫。】。「周禮《しゆらい》」に云はく、『橘、淮《わい》を踰《へだて》て、自《おのづか》ら、變じて、枳《き》と爲《な》る。地氣、然《しか》しむるなり。其の品、十有四種≪あり≫。』≪と≫』≪と≫。
[やぶちゃん注:『「涅槃經」に云はく、『橘、䑕を見≪れば≫、其の果實、多し。』』「大蔵経データベース」は勿論、日中のありとある「大般涅槃經」を検索したが、見当たらない。不審。識者の御教授を乞う。
「周禮《しゆらい》」小学館「日本国語大辞典」に、『(「しゅ」「らい」はそれぞれ「周」「礼」の呉音)』とし、『中国の経書』で、儒家で聖典とされる「十三経經」『の一つ。六編、』三百六十『官』からなる礼書である。『周公旦の撰と伝え』るものの、前漢の学者『劉歆』(りゅうきん)の『偽作説もある。もと「周官」といったが、唐の賈公彦』(かこうげん)『の疏で』、『はじめて』「周禮」『と称するようになった。天地春夏秋冬にかたどって』、『官制を立て』、『天命の具現者である王の国家統一による理想国家の行政組織の細目規定を詳説』し、「儀禮」(ぎらい)・「禮記」(らいき)とともに「三禮」(さんらい)と呼ばれる』ものである。
「淮」淮水。中国中部の河川。河南省南端に源を発し、東流して大運河、及び、黄海・長江に分注する。全長約千百キロメートル。秦嶺―淮水線は中国を風土的に南北に分かち、歴史的に南北朝・南宋は、この長い水界線を境界とした。
「枳《き》」ムクロジ目ミカン科ミカン属カラタチ Citrus trifoliata を指す。同種を本邦では「枳殻」と表記する。これは、ザックり過ぎる、非科学的、とも思われるかも知れないが、「維基百科」の同種「枳」に、『中国の「燕子春秋」』(中国春秋時代の斉の明宰相で文人の晏嬰(?~紀元前五〇〇年)の著)『には「南橘北枳」という寓話があり、晏嬰はこの寓言故事を以って、自然環境が持つ役割分担を説明している。事実上、「橘」と「枳」は異なる種であって』、カラタチは『中国中部が原産で、北は黄河流域から、南は広東省まで分布している』とあることから、自然の植物の「棲み分け」を、正確に示しているのである。この晏嬰の話は、非常に知られた名寓話なのであり、当該ウィキにも、彼が使節として楚の霊王に会見した際、霊王が貧相に見える彼を侮り、『会見の宴のさなか、役人が縛られた者を連れてきた。霊王は「それは何者か」と聞いた。役人は「斉人です」と答えた。霊王はまた「何をしたのか」と聞いた。役人は「泥棒です」と答えた。霊王は晏嬰に向かい「斉の者は盗みが性分なのかね」と聞いた。晏嬰は、「江南に橘という樹があります。これを江北に植えると橘と為らずして、棘のある枳と為ります。これは土と水のためです。斉人は斉に居りては盗まず、その良民が楚に来たれば盗みをいたします。何故でしょうか?』 『楚の風土のせいでございましょう」』と答え、『霊王』は、『「聖人に戯れんとして、却って自ら恥をかいたか」と苦笑いした(故事成語「南橘北枳」の語源)』。『横道で天下に悪名高い霊王をへこませたことで、彼の名は更に上がった』とあるのである。
以下、各個種を示すので、箇条書きにした。「黃橘」の頭にも「○」を打った。「≪と≫」は五月蠅くなるだけなので、附さなかった。]
○『「黃橘《わうきつ》」は、扁《ひらたく》、小≪にして≫、香《かほり》≪と≫霧《きり》、多し、乃《すなは》ち、上品なり。』
○『「朱橘」は、小にして、色、赤く、火のごとし。』。
○『「綠橘」は、紺碧《こんぺき》≪にして≫、愛すべし。霜の後を待たずして、色・味、已《すでに》佳なり。』。
○『「乳橘《にうきつ》」は、狀《かたち》、「乳柑《にうかん》」に似て、皮、堅く、瓤《わた》、多し。』。
○『「塌橘《たうきつ》」は、狀、大にして、扁く、外、綠《みど》り、心《しん》、紅《くれなゐ》。瓣《わた》[やぶちゃん注:果肉の柔らかい部分。]≪も≫巨《きよ》にして、液《しる》、多し。春を經て、乃《すなはち》、甘美なり。』。
○『「包橘《はうきつ》」は、外、薄く、內、盈《みち》て、其の脉《すぢ》≪と≫、瓣《わた》、皮を隔《へだて》て、數ぞふべし。』。
○『「綿橘」は、微《やや》、小にして、極《きはめ》て、軟《やはらかく》、美≪なり≫。愛すべし。而れども、多くは≪實を≫結ばず。』。
○『「沙橘《さきつ》」は、細小≪にして≫、甘美なり。』。
○『「油橘《ゆきつ》」は、皮、油餠《あぶらもち》に似、中、堅く、外、黑し。乃《すなは》ち、下品なり。』。
○『「早黃橘《さうわうきつ》」は、秋の半《なかば》に、已《すで》に、丹《あか》し。』。
○『「凍橘」は、八月、花を開き、冬、實を結ぶ。春、采る。』。
○『「穿心橘《さくしんきつ》」は、實、大に≪にして≫、皮、光《ひかり》て、心≪は≫虛《きよ》にして、穿《うが》つべし。』。
○『「荔枝橘《れいしきつ》」は、膚-理《きめ》、皺《しは》、宻(みつ)にして、「荔子《れいし》」のごとくなり。』。
『橘、及《および》、柑の屬、蘓州[やぶちゃん注:現在の江蘇省。]・台州《たいしう》[やぶちゃん注:浙江省。]より出づ。西は、荊州[やぶちゃん注:揚子江中流域。]より出づ。南は、閩廣《びんかう》・撫州より出づ。皆、溫州《うんしう》の者の上《じやう》たるが≪者に≫に如《し》かならず。陳眉公が、「秘笈《ひきふ》」に云はく、『越に、橘・柚、多し。歳《とし》ごとに、「橘稅(《きつ》ねんぐ)」、有り。之れを「橙橘戸《たうきつこ》」と謂ふ。亦、「橘籍《きつせき》」と曰ふ。』≪と≫。』≪と≫。
△按ずるに、「太知波奈」、和名、橘類《きつるゐ》の總名なり。今、單《ひとへ》に、「太知波奈」と稱する者は、乃ち、「包橘」なり。専ら、菓《かし》と爲す。其の皮、藥と爲る者は、乃《すなはち》、「𮔉柑《みかん》」なり。其の實、熟すれば、則《すなはち》、甜《あまき》こと、𮔉のごとし。故に、之れを名づく。何《いつ》の時≪より≫、此の名、有ることを、知らざるなり。「橘類」を以《もつて》、「柑」と爲(す)ること、誤《あやまり》なり。蓋《けだし》、其の屬、甚だ、多《おほく》して、和漢、共に、往昔《わうじやく》は、悉《ことごと》く≪は≫、之れを、辨ぜざる≪なり≫。
「日本紀」に云はく、『埀仁帝九十年の春』、『田道間守(たじまもり)に命じて、「常世國(とこよの《くに》)」に遣はし、「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」を求めしむ。今、「橘《たちばな》」と謂ふ者、是れなり。』。『同九十九年の春、「非時香菓八竿八縵(《や》ほこ《や》かげ)」[やぶちゃん注:「竿」は「串挿しにしたもの」を謂い、「縵」は「干柿のように緒(いと)をもって綴り繋いだもの」を謂う。]を得て、還り來《きた》る』。或る書に曰はく、『天皇《すめらみこと》、既に崩《はうじ》玉ふ[やぶちゃん注:「玉」は送り仮名にある。]。田道間守、皇陵(みさゝぎ)に向《むかひ》、呌-哭(なきさけ)びて、自《みづか》ら、死す。其《その》忠を感じて、「香菓(かぐのこのみ)」の號(な)を、呼んで、「田道間名(たちまな)」と爲す。』≪と≫。
常世《とこよ》より
かぐのこのみを
移し植《うゑ》て
山郭公《やまほととぎす》
時にしぞきく 仲實
[やぶちゃん注:これは、既注の「夫木和歌抄」に載る一首で、「卷五 春五」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「02722」)。]
所謂《いはゆ》る、「常世の國」は、「新羅國」か。田道の間守は、仁帝の三年の春、始《はじめ》て、來りし。「新羅國《しらぎのくに》」の王子「天《あめ》の日槍(ひぼこ)」が玄孫なり。故に、之れを遣《つか》さらるゝか。
[やぶちゃん注:以下の葛城王のエピソード引用は、東洋文庫訳では何も注していないが、グチャグチャな部分引用パッチワークは、「續日本紀(しよくにほんぎ)」からであるので注意されたい。私は同書を所持していないので、国立国会図書館デジタルコレクションの旧『國史大系』「第二卷 續日本紀」(經濟雜誌社編・明治三〇(一八九七)年刊)の当該部(左ページ最終部以降、次ページ)を参考にして訓読した。
『「新羅國《しらぎのくに》」の王子「天の日槍(ひぼこ)」』平凡社「世界大百科事典」に拠れば(コンマを読点に代えた)、『日本神話にあらわれる人(あるいは神)の名』で、「古事記」『では天之日矛と記す。同書によれば、水辺で太陽の光を受けた女が赤玉』(あかだま)『を生み、それを得た新羅皇子アメノヒボコが玉を床辺』(とこのべ)『におくと、赤玉は女と変ずる。皇子はこの女を妻とするが、のちに逃げる女を追って日本に渡り』、『但馬国に住んだという。この話は、女を追ってはらませる太陽、女を妻とし追って海を渡るアメノヒボコ、という同一観念より変化した二つの話が重複している。アメノヒボコの神宝には日鏡、波や風をきる比礼(ひれ)もあり、アメノヒボコは但馬に本拠を置いた渡来人(出石(いずし)人)が奉じた海洋太陽神であろう。また』、「播磨國風土記」では、剣で水を』攪拌『して海中に宿ったという話もあり,剣光を表象とする神でもあった』。「風土記」『では土地の占有を土着神と争う神でもあり、その系譜に田道間守(たじまもり)や神功(じんぐう)皇后がつながる』とある。]
『聖武帝天平八年[やぶちゃん注:七三六年。]、葛城王(《かつらき》のおほきみ)の忠誠を譽(ほめ)て、「浮杯(うきはい)の橘《たちばな》」を賜ふ。勅して、曰はく、「橘は果子《くわし》の長上《ちやうじやう》、人の好《このむ》所なり【柯(ゑだ[やぶちゃん注:ママ。])は霜雪《さうせつ》を凌《しの》ぎて繁茂し、葉は、寒暑を經て、凋《しぼ》まず、珠玉と共に、光《ひかり》を競《きそ》ひ、金銀に交《まぢ》りて、以つて、逾《いよいよ》、美なり。】。是れを以《もつて》、汝が姓《かばね》には、「橘の宿禰《すくね》」を≪賜ふ≫。」≪となり≫。』≪と≫。「橘」≪の≫姓、此《これ》より始む。
「橘の宿禰」は、「諸兄(もろゑ[やぶちゃん注:ママ。])公」なり。「月令廣義《がつりやうこうぎ》」に云はく、『正月初《はじめ》二日、「橘」をに群臣に賜ふ。』と云《いふ》時は[やぶちゃん注:「云時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、古今《ここん》、「橘」を以つて、「嘉祝《かしゆく》の菓《くわ》」と爲《す》ること≪なり≫。今の「包橘(たちばな)」、是れなり【下《しも》の條に詳《つまびらか》なり。[やぶちゃん注:これは、「和漢三才圖會」の次の項が「包橘(たちばな)」であり、そちらを指して「見よ注」をしてあるのである。]】。
[やぶちゃん注:「葛城王」当該ウィキによれば、生年未詳で、天武天皇八(六七九)年七月十七日没に『四位で死んだことが』本「日本書紀」『によって知られる』として、『日本の皇族』で、『父母、子孫とも不明だが、敏達天皇の子で同名の葛城王(当該ウィキへのリンク)の子孫かとする説がある』とある。
『「橘の宿禰」は、「諸兄(もろゑ[やぶちゃん注:ママ。])公」なり』ウィキの「橘諸兄」によれば、天平八(七三六)年、『弟の佐為王と共に母・橘三千代の氏姓である橘宿禰姓を継ぐことを』、聖武天皇に『願い』出て、『許可され、以後は橘諸兄と名乗る』とは、ある。但し、前掲の葛城王との血縁関係は認められないので注意されたい。]
「万葉」
立花は
實さへ花さへ
その葉さへ
枝《え》に霜降れど
いや常葉《とこはり》の樹
[やぶちゃん注:中西進氏の講談社文庫「万葉集」(二)(昭和五五(一九八〇)年刊)を参考に示すと(漢字は正字化した)、
*
冬十一月に、左大辨葛城王(かつらきのおほきみ)等(たち)、姓(かばね)「橘氏(たちばなのうぢ)」を賜ふの時、御製歌(おほみうた)一首(一〇〇九番)。
橘は實さへ花さへその葉さへ
枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹(き)
*
これは無論、橘諸兄の賜姓の折りの詠歌である。前掲書の脚注の訳に、『橘は実までも花までも輝き、その葉まで枝に霜が降りてもますます常緑である樹よ。』とある。これは、無論、伝説の不老不死の霊木・霊花・霊果としての「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」を念頭に置いた祝祭歌である。]
紀州有田郡《ありだのこほり》[やぶちゃん注:現在の和歌山県有田郡(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)に、有田市の大部分を加えた旧郡。]の𮔉柑、肥大≪にして≫、皮、厚く、柎《へた》[やぶちゃん注:これは、東洋文庫訳では、『柑(へた)』と訳してあるのだが、私は、原本を虚心に見て、「柑」ではなく、「柎」と判読した。而して、この「柎」は、花の「萼(がく・うてな)・花房」の意であるのだが、良安は、これは、構造上は、まさに、「萼」が実に残って「蒂(へた)」になったものとして同義であると考えたのではないか? 自信はなかったが、幸い、最後に調べたところ、国立国会図書館デジタルコレクションの中近版の当該部でも、確かに「柎」と字起こしてあったので、確信が持てた。]の着《つく》𠙚、少《すこし》、脹《ふくれ》て、乳《ちち》のごとし。甘美≪に≫して、其《その》陳皮、最《もつとも》勝《まさ》れり。大なり者、徑《わた》し、二寸余。一郡《ひとごほり》、皆、𮔉柑を植《うう》。蓋し、此れ、中𬜻の越《えつ》[やぶちゃん注:揚子江以南の旧地域名。]の地と、相《あひ》同じ。 薩州櫻島・豫州松山の產、美なり。 駿州の產、之れに次ぐ。 肥後八代[やぶちゃん注:現在の熊本県八代(やつしろ)市。]の產、形、小《ちさ》く、皮、薄《うすく》して、瓣《わた》[やぶちゃん注:先に注したが、ここでは、「果肉の柔らかい部分」を言う。]の皮も亦、薄して、味、美なり。又、異品なる者、有り。
[やぶちゃん注:同前で改行する。頭の「紅𮔉」にも「○」を附した。]
○「紅𮔉柑(べに《みかん》)」色、赤し【「本草≪綱目≫」に所謂る、「朱橘」、是れか。】。
○「夏𮔉柑(なつ《みかん》)」五月、黃熟す【「本艸≪綱目≫」に所謂る、「早黃橘」、是れか。】。無核𮔉柑希有之
○「温州橘(うんしうきつ)」其の葉、柚[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、何を血迷ったか、ここに突然、『(ザボン)』という割注がある。何じゃ、これ!?!]の葉に似て、畧《ちと》、小《ちさ》く、其の實、乃《すなはち》、𮔉柑≪の≫皮、厚く、實、絕して、酸《すつぱ》く、芳芬《はうふん》たり[やぶちゃん注:芳(かんば)しい香りがするさま。]。其の汁を用《もちひ》て、魚膾《うをなます》を和(あ)へて、佳《よ》し。蓋し、「溫州」[やぶちゃん注:現在の浙江省温州市。同市の和名読みは「おんしゅう・うんしゅう」の二通りが現在も行われてはいる。]は、乃《すなはち》、浙江の南≪の≫、柑橘の名𠙚なり。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、紀州のごとし。疑ふらくは、其の樹《き》を移栽《うつしうゑ》たる者か【俗、「雲州橘」と爲《な》すは、據《よんどころ》、無し。】。
[やぶちゃん注:この温州渡来説に就いては、ウィキの「ウンシュウミカン」の『「温州」について』に言及があるので、必要な箇所のみを引用する(注記号はカットした)。『南宋の韓彦直が』一一七八『年に記した柑橘類の専門書』「橘錄」『には、柑橘は各地で産出されるが』、『「みな』、『温州のものの上と』爲『すに如かざるなり」と記している。日本でも』「和漢三才圖會」に『「温州橘は蜜柑である。温州とは浙江の南にあって柑橘の産地である」とあり、岡村尚謙』(しょうけん:天保八(一八三七)年の「桂園橘譜」(死後の弘化五・嘉永元(一八四八)年刊)も「温州橘」の美味は「蜜柑に優れる」と記す。温州は上質で甘い柑橘の産地と認識されていた。古典に通じた人物が、甘みに優れた本種に「温州」と名付けたという推測は成り立つが、確証といえるものはない』。「和漢三才圖會」『には』、『「蜜柑」の品種として「紅蜜柑」「夏蜜柑」「温州橘」「無核蜜柑」「唐蜜柑」の』五『品種を挙げている。「温州橘」「無核蜜柑」は』、『今日のウンシュウミカンの可能性があるが、ここで触れられている「温州橘」は』、『特徴として』「皮厚實絕酸芳芬」『と書かれており、同一種か断定は難しい。「雲州蜜柑」という表記も見られ』、十九『世紀半ば以降成立の』「增訂豆州志稿」(「文化遺産データベース」の同書の解説に、伊豆在住の秋山章なる人物が、寛政年間(一七八九年~一八〇一年)に編纂した伊豆地誌で、ずっと後の明治時代に増補された。古文書や棟札を多く調べており、明応七(一四九八)年八月の津波に関する記事が散見される、とあった)『には』、「雲州蜜柑ト稱スル者、味、殊ニ美ナリ」『とあって、これは今日のウンシュウミカンとみられる』とある。]
○「唐𮔉柑(たう《みかん》)」は、大にして、皮、厚≪く≫、實、味、美ならず。所謂る、「塌橘《たうきつ》」、此れか。
凡そ、柚橘の類、子種《みうへ[やぶちゃん注:ママ。]》に≪は≫宜《よろ》しからず。皆、宜(よろし)く接(つぐき[やぶちゃん注:ママ。])にすべし。而して、相州箱根の關より、北に≪は≫、未だ曾つて、有らざるなり。唯《ただ》、柚は、奧州白川[やぶちゃん注:ママ。「白河」。]の關より北に、全く、之れ、無し。試《こころみ》に、橘《たちばな》を津輕に植《うう》れば、則、皆、變じて、枳《からたち》に成る[やぶちゃん注:そんな馬鹿なことはあるカイ! 糞ったれ! 良安センセ、マンマと騙されましたな!]。所謂る、江南の橘《きつ》は、嶺北の枳《き》と爲《な》ると云ふは[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、南北≪の≫土地の異≪に據るものにて≫、和漢、相《あひ》同じ。
「古今醫統」に云はく、『十月、橘樹《きつじゆ》を將《も》つて、枝-柯《えだ》、有る者を、土中に埋(うづ)むること、尺餘。枝・榦《みき》を以《もつて》、外《ほか》に在《あ》らしめ、倒《さかさ》まに置くべからず≪して≫、來春、芽の長ずるを待《まち》て、傍《かたはら》に、坑《あな》を堀[やぶちゃん注:ママ。]り、糞水《ふんすい》を澆(そゝ)ぐ。十二月に至《いたり》て、內《うち》に、橘の根の四圍≪に≫、犬の糞を澆ぎ、《✕→ぐこと》、三次《さんじ》。春に至《いたり》、水を用《もちひ》て、澆《そそぐ》こと、二次。花・實、俱に、茂《しげ》し。』≪と≫。
『收貯《たばふ》法[やぶちゃん注:既に、「果部[冒頭の総論]・種果法・收貯果」と、「石榴」で、この訓で出ている。「果実を貯蔵する(方法)」の意。]。乾《ほし》棕(すろ)[やぶちゃん注:棕櫚(シュロ)。]、或いは、乾松《ほしまつ》の毛≪のごとくなりたるを≫、鋪《しき》、間《あひだ》≪を空け≫、疊《たたみて》、苞-裹(つゝ)み置く。酒《さけ》ある𠙚《ところ》に近づけざれば[やぶちゃん注:禁忌条件。]、壞(そこ)ねず。又、「菉豆(ぶんどう)」の中《なか》に藏《ざう》じて、酒・米に近《ちかづ》けざれば[やぶちゃん注:同じく禁忌条件。]、亦、壞ねず。又、橘《きつ》の葉を用《もちひ》て、層層≪として≫[やぶちゃん注:何層にも積み上げ。]、相《あひ》閒《ま》≪を空けて≫、之れを收《をさめ》、土を入《いれ》て、之れを壅(ふさ)げば、壞ねず。橘・柑・橙の類、皆、上《うへ》のごとし。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「菉豆」の原本のルビは、実は「菉豆(ぶんとうふ)中《ちゆう》に」としか読めない。しかし、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版で当該部を見ると、『菉豆(ブントウ)ノ中ニ』となっている。東洋文庫訳も『菉豆(ぶんどう)の中に収蔵して』となっているので、それに従った。この「菉豆(ぶんどう)」は、マメ目マメ科マメ亜科ササゲ属ヤエナリ(八重生) Vigna radiata の種子を指す語である。同種の「維基百科」の「綠豆」を見ると、草体自体も「綠豆」である。本邦のウィキには、『アズキ』(小豆)『( V. angularis )とは同属』で、『グリーン』・『ピース』(green peas)『は別属別種のエンドウ』(エンドウ属エンドウ Pisum sativum )『の種子』とあり、『インド原産で、現在はおもに東アジアから南アジア、アフリカ』、『南アメリカ、オーストラリアで栽培されている。日本では』十七『世紀頃に栽培の記録がある』。『日本においては、もやしの原料(種子)として利用されることがほとんどで』、『ほぼ全量を中国(内モンゴル)から輸入している』。『中国では、春雨の原料にする』『ほか、月餅などの甘い餡や、粥、天津煎餅のような料理の材料としても食べられる』とあった。]
『𮔉柑を揷(さ)す≪法≫』。『枝を伐《き》り、杪(こずゑ)に葉を遺(のこ)し、大なる芋魁(《いも》がしら)に貫きて、之≪れを≫、揷《さす》【時、至りて、芋、芽を出だす者は、活(つ)く、と。芋、腐る者は、活かず。】。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「芋魁(《いも》がしら)」は「芋魁」(ウクワイ:ウカイ)は「芋頭」と同義であるから、単子葉植物綱オモダカ(沢瀉・澤瀉・面高)目サトイモ科サトイモ属サトイモ Colocasia esculenta の「塊茎」(=親芋)を指す。当該ウィキによれば、『サトイモの食用になる芋は、茎が変形したもので』、「塊茎」『といわれる部分である』。『種芋から芽を出して成長するにつれ、葉柄の基部が肥大して親イモとなり、その親芋の周りを囲むように芽があり子イモを生じ、さらに子イモには孫イモがついて増えていくユニークな育ち方をする』。『主に子イモを食べるもの、親イモを食べるもの、親イモと子イモの両方を食べる品種がある』とある。因みに、私は、幼少期から、サトイモが草体も芋も大好きだ。あの葉の上の水滴……転がしてもいいが、私は、決して、零さない。……『あの中には、閉じられた美しい別乾坤がある。』と、六十七になった今も、信じて疑わないのである……]
陳皮(ちんぴ) 橘皮《きつぴ》 紅皮《こうひ》
【「陳」は、「陳久」の義なり。曰はく、
久《ひさ》しきものは、「佳し」と爲
《な》す。故、之れを名づく。】
「本綱」に曰はく、『古《いにし》へ、橘と柚《ゆ》と、一條《いちでふ》と作《な》す。後世、「柚の皮」を以つて、「橘の皮」と爲《な》す者、誤《あやまり》なり。此れ、乃《すなはち》、「六陳《りくちん》」の一《ひとつ》にして、天下、日用≪に≫、須(もち)ふる所なり。廣中《かうちゆう》より來《きた》る者を以《もつて》、勝《すぐ》れりと爲す。江西の者、之れに次ぐ。今の人、多《おほく》、「乳柑皮(くねんぼ)」の《かは》)を以《もつて》、之れを亂《みだ》す。擇《えら》まざらんばあるべからずなり。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「六陳《りくちん》」東洋文庫訳の後注に、『狼毒・枳実・橘皮・半夏・麻黄・呉茱萸をいう。いずれも用いるには陳(ふる)いものがよいので、こういう。』とある。以下、「・」で、各生薬を注する。
・「狼毒」(歴史的仮名遣「らうどく」)は、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 | 狼毒(ロウドク)」によれば(非常に詳しく、長いが、有毒物であるので、私のポリシーから、概ね、引いておいた。ピリオド・コンマは句読点に代えた)、キントラノオ目『トウダイグサ』(燈台草)『科(Euphorbiaceae)』トウダイグサ属『の Euphorbia pallasii 』(ヒロハタカトウダイ(広葉高燈台))・『 E. fischeriana 』(ウィキの「タカトウダイ」(高燈台:Euphorbia lasiocaula )では、前者のシノニムとする)・『 E. ebracteolata 』(マルミノウルシ(丸実野漆))『などの根を乾燥したもの』で、『狼毒は』「神農本草經」『の下品に収載され』、「咳逆上氣を主治し、積聚、飲食、寒熱水気を破り、惡瘡、鼠廔、疽蝕、鬼精、蠱毒を治し、飛鳥,走獸を殺す。」『とその効用が記されています。実際にオオカミ対策に使用したかどうかはわかりませんが、狼毒は』「神農本草經」『に記された薬効からはかなりの猛毒薬であったことがうかがえます。その有毒性を利用したとすれば』、『同効の様々な毒草が利用されたことが想像され、そのためか』、『古来』、『異物同名品が多く存在していたようです』。「圖經本草」『に描かれた石州狼毒の図は根頭に茎が叢生していることからは、Stellera 属』(アオイ目ジンチョウゲ科 Thymelaeaceae)『ともEuphorbia属とも受け取れますが、花の形はどちらかと言うとEuphorbia属に似ています』。『明代になると李時珍は「今の人は住々草䕡茹』(そうろじょ:本邦の現行では、トウダイグサ属ノウルシ(野漆) Euphorbia adenochlora:ムクロジ目ウルシ科Anacardiaceae或いはウルシ属 Toxicodendron の真正のウルシ類とは無縁なので注意されたい)『をこれにあてるが、誤りである」といっています。この草䕡茹は』「本草綱目」『の記文からも明らかに Euphorbia 属のもので,この頃の狼毒の主流はEuphorbia 属であったようです』。『清代の』「植物名實圖考」『には「本草書の狼毒は皆はっきりしない(中略)滇南に土瓜狼毒がある」と記され、また、草䕡茹の項に「滇南では土瓜狼毒と呼ぶ」とあり、このものは Euphorbia prolifera であるとされています。ところが、一時期』、『日本に輸入されていた香港市場の狼毒は』、『これらの植物とは全く異なり、サトイモ科』Araceae『のクワズイモ Alocasia odora の地下部を基源とするものでした。これは』「植物名實圖考」『の狼毒の項に』「紫莖南星を之に充てる」『と記されているサトイモ科の天南星の類( Arisaema 属植物)のものと考えられ、それが次第に飲片』(いんぺん:漢方で煎じ薬用の薬を指す)『の形状がよく似て』、『収量の多いクワズイモに代わったとされています』。『以上の三つの科にまたがる原植物は形態的にはかなり異なります。Euphorbia 属には白い乳液があり、Stellera 属は小さいが』、『きれいな花を咲かせ、クワズイモは他に比べると』、『はるかに大型になる』、『などです。それらに共通する有毒性が』、『この生薬の本質であるとすれば、やはり有害動物対策に使用されたことが考えられます。蒙古では今でも』、『オオカミを駆除するために動物の肉に有毒物質を混ぜて利用すると聞きます。オオカミがいない南方の地では殺鼠剤として使用されていたのでしょうか』。『現在、狼毒は専ら外用薬としてリンパ腫脹や疥癬などに用いられますが、内服薬としては、逐水、去痰、消積などの作用があるとされ、心下が塞がっておこる咳嗽、胸腹部の疼痛などに他薬とともに用いられます』。『実は、狼毒は正倉院の』「種々藥帳」『に記載があり、奈良時代には既に渡来していたようです。現在では稀用生薬ですが、当時は重要な生薬の一つであったものと考えられます。今では現物が失われて原植物が何であったかは定かではありませんが、時代から考えると Stellera 属であったように思われます。鑑真和尚が敢えて日本にもたらす薬物の中に狼毒を選んだと考えると、今となっては窺い知れない何か別の理由があったようにも思われます』とある。]
以下は、ブラウザの不具合を考えて、二種を分離し、対象項目を繰り返して、分割し、前後と間を一行空けた。続く「柚皮」も、この二種に並列するべきものであるものであるから、同様に前後を空けておいた。
・「枳実」は、同じく「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 | 枳実(キジツ)と枳穀(キコク)」によれば(これは、ミカン由来なので、ほぼ全文を引く。同前)、基原は、『ミカン属植物 Citrus spp.(ミカン科 Rutaceae)の果実』で、『幼果を「枳実」、更に成育の進んだ未熟果を「枳穀」とする』。『 Citrus 属植物の原産地は日本の南部地域をも含めた東アジアの熱帯で、果樹としての栽培品種はこれらの野生種あるいは栽培種の枝変わりや突然変異株から選別されたものです』。『また、苗木は主に接ぎ木により生産されますが、台木の影響が現れることもあり、その品種レベルでの分類は極めて困難になっています』。『植物分類学的な難しさのみならず、生薬市場においてもそれらの果実に由来する「枳実」と「枳殻」の基源が大変混乱しています』。『以下にわが国の生薬学の参考書等の記載内容をいくつか挙げてみたいと思います』。
『○枳実は自然落下した未熟果(大きいものは二半切り)を乾燥したもので、枳殻は成熟に近い緑色果実を二つに横切りにして乾燥したものである。』。
『○日本市場の枳実は未熟橙皮で、枳実(丸のまま)と枳殻(二つ割)とに大別する。』。
『○日本においては、枳実はダイダイ』( Citrus aurantium )『ナツミカン』( Citrus natsudaidai )、『ミカン』(通常は、ウンシュウミカン Citrus unshiu とされる)『あるいは近縁植物の未熟果またはその横半切品を乾燥したものである』。『未熟果そのままの「枳実」と二割した「枳殻」に大別される』。
『○枳殻はカラタチの未熟果実を』三『から四片に輪切りしたものであるが、日本の市場で枳殻、枳実とされるのはほとんど未熟橙実である。』。
『○枳殻はカラタチの未熟果実である。しかし現在ではダイダイ、その他の未熟果(未熟橙実)である。』。
『枳実は』「神農本草經」『中品収載品で、枳穀は』「開寳本草」『収載品です。歴代の本草学者の意見を総合しますと、「同一植物の未熟果実を枳実、成熟果実を枳穀として利用するが、その効能はほぼ同様である」ということに落ち着くようです。しかし原植物は』十『種類以上に及ぶとされており、その形状はそれぞれ異なっており、切り方のみならず大小も様々です。現在の中国市場品を見るかぎりはいずれの枳実も枳穀も皮(果皮)が厚く、ダイダイ『C. aurantium 』『の仲間』『や』、『イチャンレモン C. wilsonii 』(英語:Ichang lemon)『が主たる原植物のようです』。『一方、日本市場品は日本産のダイダイ C. aurantium 』『subsp. amara 』『や』、『ナツダイダイ C. natsudaidai 』『の未熟果実で、小さめで丸のままのものを枳実、大きめで半割したものを枳穀としています』。『また、他に原植物としてウンシュウミカン C. unshiu 』『も挙げられていますが、ウンシュウミカンの果皮は熟すと薄くなるため、枳実として未熟果を利用することはできても』、『枳穀として成熟果を利用するのは無理なように思われます』。『以上のようなことをまとめますと、多くのミカン属植物の未熟果実は枳実として利用でき、成熟果実の果皮の厚い品種のみが枳穀として利用できるものと考えられますが、現在市場にはかなり果皮の薄い枳穀もあります』。『ただし、原植物にカラタチ Poncirus trifoliata 』『を充てるのは日本の本草学者の誤りであり』、『正しくないとされ、このものは表面に細かい柔毛があることで他と容易に区別がつきます』。『さて問題は』、『これらの異物同名品の効能ですが、李時珍は「枳実・枳殻は、気味、功用ともに同じである。上代にも区別はなかった。枳実・枳殻を区別するようになったのは、魏晋以来である。張潔古氏、李東垣氏は、高いところの物を治すのと下のものを治すのとに使い分けたが、そもそもその効はみな気を利することにある。気が下がれば痰喘は止まり、気が行れば痞脹は消え、気が通れば痛刺は止まり、気が利すれば後重は除かれる。ゆえに枳実は胸隔を利し、枳殻は腸胃を治するのである。そうであったから張仲景は胸痺痞満を治する主要薬を枳実とし、下血、痔痢、大腸秘塞、裏急後重などの治薬に枳殻を通用しているのだ』。『よって、枳実はただ下を治すだけでなく、枳殻も高いところを治するだけではない。そもそも口から肛門までみな肺が主り、三焦相通じて一気であることを思えば、枳実と枳殻は分けても分けなくてもよい」と記しており、両薬物を厳密に使いわける必要はなさそうです』。『原植物としても、古来両生薬ともに産地による品質の優劣があまり論じられてこなかったことから察して、薬効的に多少の強弱があるにせよ、いずれを用いても良いように考えられます』。『ただし「陳皮」と同じく、あくまでも六陳の一つに数えられる生薬であるからには、陳旧品を使用するよう心がけたいものです』とあった。
・「橘皮」は、中国のそれは、前の「枳実」から類推出来るので、必要ない。
・「半夏」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。
・「麻黄」同じく、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 | 麻黄(マオウ)」によれば(ピリオド・コンマは句読点に代えた)、『麻黄は、葛根湯、小青竜湯、麻黄湯、防風通聖散、麻杏甘石湯などの多くの漢方処方に配合され、年間約』七百『トンが輸入されています』。『また、喘息治療薬として有名なアルカロイド、エフェドリンを含有し、かつては塩酸エフェドリン』(ephedrine hydrochloride:後注に、『塩酸エフェドリンは現在、全合成の方法が確立され、製造原価の関係から専ら合成されて』い『る』とある)『の製造原料にされていました』。『現在』、『市場に出回っている麻黄の多くは、中国の遼寧、山西、陝西、内蒙古などに自生するマオウ』(裸子植物門グネツム綱 Gnetopsidaグネツム目 Gnetalesマオウ科 Ephedraceae)『( Ephedra )属植物の地上茎(草質茎)を乾燥したもので、原植物としては、E. sinica 』(シナマオウ(支那麻黄))、『E. distachya 』(フタマタマオウ(二又麻黄))。なお、後注に、『 Ephedra sinica と E. distachya は、本来同一種で、生育環境の違いにより外見上』、『異なった形態を呈するのであるという説があり、今後詳細な検討が必要である』とある)、『E. equisetina 』(キダチマオウ(木立麻黄))、『E. intermedia 』(チュウマオウ(中麻黄))『などが知られています』。『マオウ属植物は、一見するとトクサ』(維管束植物門大葉植物亜門大葉シダ植物綱 Polypodiopsidaトクサ亜綱トクサ目 Equisetalesトクサ科トクサ属トクサ Equisetum hyemale )『によく似ています』(後注に、『本品はトクサ科(Equisetaceae)またはイネ科植物の茎またはその他の異物を含まない』『と規定されている』とある)『が、植物分類学上は裸子植物に属し、花博に展示され』、『有名になった砂漠の植物』、グネツム目ウェルウィッチア科 Welwitschiaceaeウェルウィッチア属 Welwitschiaウェルウィッチア Welwitschia mirabilis 『などと共に』、『裸子植物の中でも最も特殊化した植物群の一つで、マオウ属』一『属からなるマオウ科(Ephedraceae)として分類されています。またマオウ属植物は世界中の乾燥地に広く分布し、アジア、ヨーロッパ、地中海地方、北米の西海岸および南米のアンデス地方などで約』三十五『種が確認されています』。『ところで、植物の形態は生育地の環境の違いによって著しく変異します。これは生薬の原植物であっても同じで、生育環境の違いによって原植物の形態が変異し、最終的にこれらに由来する生薬に品質のバラツキとなって影響します』。『麻黄の産地として』四『ヶ所の名前を挙げましたが、一般に一つの生薬には主要な産地が数ヶ所あります。産地が異なると、原植物が異なったり、あるいは、同一原植物であっても生育環境の違いから形態に産地間差を生じます。また同一産地内であっても、場所によって日照量や土壌中の水分量などに差があり、それが形態の差となって現れるようです』。『生薬の多くは、生育環境の影響を大きく受けるこのような植物という生き物に由来しているため、当然、その品質は生育環境に大きく依存し、同じ名称の生薬であっても、産地、ロット』(lot:英語。同一仕様の製品や部品を生産単位として纏めた数量を言う)『等の違いによって品質が異なります。したがって、生薬を使用する際は各生薬の品質を見極め、より良い生薬を選んで用いることが効き目を左右する大きな要因になります』。『麻黄は、六陳』『の一つとされ、表面は粗く、淡緑色を呈し、中が充実していて、味は苦く渋いものが品質の良いものであるとされます』とあった。最後に、筆者である神農子氏に心より御礼申し上げるものである。
以下は、変則的な、「橘皮」と「柑皮」は中央主軸左右の記載になっているので、主軸部分を繰り返しにして、訓読文を作り、二種と後の「柚皮」も、前後に一行空けを施した。]
『橘皮(みかんの《かは》)≪は、≫紋《もん、》細《こまか》にして、色、紅《くれなゐ》にして薄く、內に、多く筋《すぢ》≪の≫脉《みやく》≪あり≫。味≪は≫、苦辛。性≪は≫温。』≪と≫。
『柑皮(くねんぼの《かは》)≪は、≫紋《もん、》粗《あら》く、色、黃にして、厚く、內に多く白≪き≫膜[やぶちゃん注:「わた」のこと。]≪あり≫。味≪は≫、辛甘。性≪は≫冷。』≪と≫。[やぶちゃん注:良安が振ったルビの「くねんぼ」は、マンダリンオレンジ品種クネンボ Citrus reticulata 'Kunenbo' 。当該ウィキによれば(下線・太字は私が附した)、『東南アジア原産の品種といわれ、日本には室町時代後半に』、古くに渡来した中国から『琉球王国を経由し』て『もたらされた。皮が厚く、独特の匂い(松脂臭、テレピン油臭)がある。果実の大きさから、江戸時代にキシュウミカン』( Citrus reticulata 'Kinokuni' )『が広まるまでには』、『日本の関東地方まで広まっていた。沖縄の主要産品の一つだったが』、一九一九『年にミカンコミバエの侵入で移出禁止措置がとられてからは、生産量が激減し、さらに』一九八二『年に柑橘類の移出が解禁されてからは、ほとんどウンシュウミカンやタンカン』(桶柑・短柑:Citrus tankan 。当該ウィキによれば、『タンカンには「桶柑」(タンカン、台湾語:tháng-kam、タ̣ンカㇺ)の字があてられており、中国で行商人が木桶で持ち歩いた』の『が』、『この由来とされる。また「短柑」、「年柑」などとも呼ばれる』。『広東省が原産地で』、一七八九『年に台湾北部の新荘に導入された。日本には』明治三九(一八九六)年『頃に台湾から奄美大島を始めとする南西諸島へ移植され』、昭和九(一九二九)『年』『頃に本格的な栽培が始まった』。『現在の主な産地は』『広東省、福建省、台湾中・北部、日本の鹿児島県の屋久島、奄美大島などと沖縄県である』とある)『などが栽培されるようになった。現在は沖縄各地に数本ずつ残っており、伝統的な砂糖菓子の桔餅や皮の厚さと香りを利用したマーマレードなどに利用されている』。『クネンボは日本の柑橘類の祖先の一つとなっている。自家不和合性の遺伝子の研究により、ウンシュウミカンとハッサク』( Citrus hassaku )『はクネンボの雑種である事が示唆された。この事からクネンボが日本在来品種の成立に大きく関与している事が明らかになった』。二〇一六年十二『月には、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)果樹茶業研究部門が、DNA型鑑定により、ウンシュウミカンの種子親はキシュウミカン』( Citrus reticulata 'Kinokuni' )、『花粉親はクネンボであることが分かったと発表した』とあった。]
『柚(ゆ)の皮、最《もつとも》厚≪く≫して、虛。紋、更に、粗《あら》く、色、黃。內≪に≫、膜、多く、筋、無し。味≪は≫【甘多、辛少。】、性≪は≫冷。
『伹《ただし》、此≪れを≫以≪つて≫、之れを別《わくる》時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、卽《すなはち》、差《たが》はず【然れども、柑皮は、多く、相《あひ》雜《まづ》りなり。柑皮は、猶ほ、用ふべし[やぶちゃん注:柑皮の場合は、それでも、混用して差支えはない。]。≪但し、≫柚の皮は、則ち、用ぶべからず。】。』≪と≫。
『陳皮【苦辛、溫。】』『脾・肺二經の氣分の藥と爲す。隔を寛《くつろげ》、氣を降《くだ》し、痰飮《たんいん》を消し、極《きはめ》て、殊《ことに》、功、有り。補藥と同《おなじく》すれば、則《すなはち》、補い[やぶちゃん注:ママ。]、瀉藥と同《おなじく》すれば、則《すなはち》、瀉し、外藥すれば、則《すなはち》、升(のぼ)り、降藥《かうやく》と同すれば、則《すなはち》、降(くだ)る。配す所に隨ふ[やぶちゃん注:東洋文庫訳に『それぞれ配する薬に応じて効力を出す』とある。]【中《ちゆう》[やぶちゃん注:脾胃。]を和《わ》し、胃を理《り》する[やぶちゃん注:整える。]藥に入れ、則ち、白≪膜≫[やぶちゃん注:皮の内側の「わた」。]を留《とど》む。氣を下し、痰を消す藥に入れ、則ち、白《膜》を去る。】。凡そ、橘《きつ》の皮は、氣を下《くだ》し、痰を消す。其の肉は、痰を生じ、飮《いん》を聚《あつ》む。表裏の異、此くのごとし。凡《およそ》、物、皆、然《しか》り。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「痰飮《たんいん》」東洋文庫訳の割注には、『体液が胃内で滞っておこる水毒。』とある。但し、後の私の単独の「飮」に就いての次の注も参照されたい。]
「飮《いん》」漢方では「喘息」を指す語であるが、橘の肉部分が皮と異なり、反対にマイナスに働き、発症させる疾患を言っているように思われる。]
青皮(しやうひ)
「本綱」に曰はく、『青皮は、乃《すなはち》、橘皮《きつひ》の未だ黃ならずして、青色《あをいろ》なる者≪なり≫。薄くして、光り、其の氣、芳-烈《はうれつ》なり。今の人、多《おほく》、小《ちさ》き柑《かん》・小き柚《いう》・小き橙《たう》を以つて、僞《いつはり》て、之≪れに≫爲《に》せる。愼《つつしん》で、之を辨《べん》ぜざるべからず。』≪と≫。
『氣味【苦辛、温。】』『肝・膽《たん》≪の≫二經≪の≫氣分の藥≪なり≫。人、多《おほく》、怒《いか》れば、滯氣《たいき》、有《あり》て、脇の下に、鬱積《うつせき》、有り、或《あるい》は、小腹《こばら》、疝疼《せんとう》[やぶちゃん注:寒冷によって引き起こされる腹部の疼痛を言う。]す。之れを用《もちひ》て、以《もつて》、其の氣を行(めぐら)す。如《も》し、滯氣、無き時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、眞氣《しんき》を損ず。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「眞氣」「家庭の中医学」の「真気(シンキ)」に、『正気・元気ともいう。先天の原気と後天の水穀の精気が結合して生成される生命の動力物質』を指し、『人体の各種の機能および抗病能力はすべて真気の現れであ』り、「靈樞」の「刺節眞邪」『には』「眞氣は、天より受くるところ、穀氣と倂(ならび)さりて身を充(みた)すものなり」『とある』とあった。]
『古へ、青皮《しやうひ》を用《もちひ》る者、無し。宋の時に至《いたり》て、醫家、始《はじめ》て、之れを用ふ。小兒の積《しやく》[やぶちゃん注:痞(つか)え。胸や心などがつまるように感じて苦しむ症状。]を消《しやう》するに、多《おほく》、青皮を用ふ。最≪も≫能く、汗を發す。汗≪の多く≫有る者は、用ふべからず。』≪と≫。
[やぶちゃん注:以下、前回の「陳皮」の二列と同じ仕儀で処理した。但し、最終部は、最後に行頭に引き上げて添えた。]
『陳皮は、「浮《ふ》」で、而して、升《のぼ》り、脾肺《ひはい》の氣分に入《い》る。』
『青皮は「沉《ちん》」で、而して、降《くだ》り、肝膽《かんたん》の氣分に入る。』
『二物《にぶつ》、一體一用《いつたいいちよう》≪なり≫【物理の自然なり。】。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「橘」及び「柚」・「柑」・「柑」(≒「𮔉柑」)の違いは、既に割注で示した。ここでは、CDRで所持する古い平凡社の「世界大百科事典」(第二版・一九九八年)の「ミカン(蜜柑)」を引く(コンマを読点に代え、一部の読み・注をカットした。下線・太字は私が附した)。『ミカンという語は種々の意味で用いられる。その適用範囲は』、
①『カラタチ、キンカン』(双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科ミカン属キンカン(金柑)Citrus japonica :長江中流域原産)『を含めたかんきつ』(柑橘)『類全体をいう場合』。
②『カラタチを除き、キンカンをも含めて食用にできるかんきつ類の総称として用いる場合』。
③『カラタチ、キンカン以外のミカン属(カンキツ属)Citrus だけ、すなわちレモン』( Citrus limon:ヒマラヤ東部原産 )、『ブンタン』(ザボン(漢字表記:朱欒・香欒・謝文)Citrus maximaの異名。当該ウィキによれば、『原生地は東南アジア・中国南部・台湾など』とされ、『日本には』元禄元(一六八八)年『から』(安永九(一七八〇)年『の間に伝来したとされる』。『一説では広東と長崎を行き来する貿易船が難破して阿久根に漂着し、船長の謝文旦から救助のお礼に贈られたと』され、『日本伝来の地は鹿児島県の阿久根市とされ』ている、とある)、『ナツミカン、オレンジ』( Citrus sinensis :漢字表記「甜橙」。当該ウィキによれば、本邦では、『原産地インドからヨーロッパを経由して明治時代に日本に導入されたものを「オレンジ」と呼んでいる』とある)、『ユズなどをいう場合』。
④『後述する田中長三郎の分類上のミカン区に属するもの、すなわち』、『果皮のむきやすい(寛皮性)ものを指す場合』。
⑤ウンシュウミカンだけを特定して指す場合」。
『の』五『種類が考えられる。しかし、一般には寛皮性の』柑橘『類またはウンシュウミカンを指して用いられることが多い。農林水産省の統計におけるミカンはウンシュウミカンを指している。ここでは寛皮性の』柑橘『類をミカンとして記述する。いずれもミカン科の常緑果樹で、日本ではウンシュウミカンが代表種となる』。『ミカンを含む』柑橘『類の分類には異なった意見がある。田中はミカン属を総状花序を形成する初生カンキツ亜属と総状花序を形成しない(まれに形成することもある)後生カンキツ亜属に区分し、後者をユズ区、ミカン区、トウキンカン区の』三『区に分類した。さらにミカン区を』三十六『種に分類し、この中にクネンボ』、『ウンシュウミカン、ヤツシロ』( Citrus yatsushiro:熊本県八代地方産)、『ケラジ』(花良治: Citrus keraji :鹿児島県原産)、『ポンカン』(椪柑・凸柑:マンダリンオレンジ変種 Citrus reticulata var poonensis :当該ウィキによれば、『原産地はインドのスンタラ地方といわれ、東南アジア諸国、中国南部、台湾南部、日本などで広く栽培され、ブラジルにも一部分布している。日本には明治期に台湾から伝わった』とあり、また、『和名の中の「ポン」、および、変種名もしくは種小名 poonensis は、インドの地名プーナ (Poona) に由来する』。『当てられた漢字「椪」は単独では、タブノキ属 Machilus の』一『種 Machilus nanmu 、もしくは国訓でクヌギを意味するが、音による当て字である』。『中国語では「蘆柑」(ルーガン、拼音: lúgān)と称するが、中国の主産地である福建省』・『広東省や台湾で用いられている閩南語や潮州語では』、『漢字で「椪柑」と書き、「ポンカム、phòng-kam」と発音する』『ため、日本語は閩南語の音に拠っているという説もある』とあった。私は最後の説を支持する)、『オオベニミカン(ダンシータンゼリン)、クレメンティン』(英語:Clementine: Citrus × clementina )、『タチバナ』、『キシュウミカン』、シークヮーサー(和名:ヒラミレモン(平実檸檬):Citrus × depressa )『コウジ』(柑子・甘子: Citrus leiocarpa :当該ウィキによれば、『古くから日本国内で栽培されている柑橘の一種だが』、八『世紀頃に中国から渡来したと言われる(一説には「タチバナ」の変種とも)』あり、『樹勢が強く耐寒性に優れている』ため、『「ウンシュウミカン」の露地栽培が難しい日本海側の一部でも栽培されている』とある)『などを含めた。一方、アメリカのスウィングル W. T. Swingle は、田中のユズ区の一部、トウキンカン区およびミカン区に属する植物を』、マンダリンオレンジ『 C. reticulata 』、『タチバナ C.tachibana 』、『インド野生ミカン C. indica 』『の』三『種とした。ウンシュウミカンは C.reticulata の一系統(栄養系)、他のものも変種あるいは雑種由来のものとした。したがって、タチバナ、インド野生ミカン以外の多くのものが C.reticulata に包含されている。田中の分類に基づき』、『ミカン区を細分すると、ウンシュウミカンのように葉の大きいもの(大葉寛皮』柑橘『類)とポンカン、クレメンティン、タチバナのように葉の小さいもの(小葉寛皮』柑橘『類)に分類できる。後者はさらにポンカンのように大果のものとタチバナのように小果のものに分けられる』。『このような分類についての異なった意見は、ミカン類が栄養系として多様に分化していることも原因となって生じた。英語でもタンゼリン tangerine、マンダリン mandarin はともに寛皮性』柑橘『類を表す。そして前者を果皮が紅橙色系のもの、後者を黄橙色系のものとして区別することがある。しかし、マンダリンの』方『が』、『タンゼリンを含めた広い意味のことばとして多用される。一方、タンゼロ』(tangelo:英語の合成語)『は寛皮性かんきつ類とグレープフルーツ』( Citrus × paradisi :ザボン(ブンタン)とオレンジ( Citrus sinensis )が自然交配したもの)『の雑種の総称だが、この場合はタンゼリンがマンダリンを包含した形で扱われる。これは、タンゼロの命名が当初』、『ダンシータンゼリン』(Dancy tangerine:Citrus tangerina =先に示したオオベニミカン)『を片親にした雑種に対してなされたからである』。
以下、「起源と伝播」の項。『インド東北部、アッサムの東南部で生じたインド野生ミカンが寛皮性ミカン類の基になったものと考えられている。原生地から東進したこのミカン類は東南アジア一帯、中国、日本にまで分布域を拡大し、品種の分化発達をなしとげた。とくに中国南部では多様な品種群に発達したと考えられる。中国からヨーロッパに伝播』でんぱ)したのは』十九『世紀初期である。地中海西部の沿岸諸国で品種が分化発達し、クレメンティンなどの二次的原生地となった』十九『世紀中~後期にかけ』て、『ヨーロッパと中国からアメリカのフロリダ半島にポンカン、ダンシータンゼリンなどが伝播した。オレンジ、レモンに比べると世界各地への伝播は遅かったが、現在ではウンシュウミカン、ポンカンなどのミカン類が世界各地で栽培されている。日本にはタチバナが古くから野生しており、キシュウミカンも江戸時代以前のかなり古い時代に中国から伝播したといわれる。ウンシュウミカンは』、四百~五百『年前に中国のミカン類の種子から鹿児島県で生じた優良品種である』。
以下、「形状」の項。『ミカンの樹形は一般に半球形状で、樹高は』三~五メートル『になる。他の』柑橘『類に比べ、枝梢は細く、葉も小さい。普通』、『とげはない。翼葉はないものが多く、あっても小さい。花は白色』五『弁で中~小型』。五『月に咲く。果実は一般に小型で扁球形。ウンシュウミカンが最も大果の部類に属する。果皮は薄くむきやすい。果皮色、果肉色とも橙色を中心に変異があり、熟期の変異も大きい。果肉は軟らかく、多汁で苦みはない。クエン酸を主成分とする酸は、濃度が』一『%以下のものから』、五~六『%のものまである。種子は小型で丸みがある。多胚性と単胚性のものがあり、一般に緑色胚』は、柑橘『類の中では耐寒性が強い。また』、『かいよう病』(漢字表記「罹病」。「高知県農業情報サイト」とする「こうち農業ネット」の「かんきつ かいよう病」を見られたい)『やトリステザウイルス病』(第四群(Ⅰ本鎖RNA +鎖)クロステロウイルス科 Closteroviridaeクロステロウイルス属カンキツトリステザウイルス Closterovirus Citrus tristeza virus :当該ウィキを見よ)『に対しても強い』。
以下、「利用」の項。『生食用として有名なものにウンシュウミカン、ポンカン、クレメンティンがある。ほかに、キシュウミカン、ダンシータンゼリン』(Dancy tangerine:Citrus reticulata 'Dancy':マンダリンオレンジの品種)、『エレンディル(オーストラリアの晩生種)』(Ellendale:一八七八年に実生として発果に成功した品種)、『カラ』(カラマンダリン :: Kara Mandarin:ウンシュウミカンにキング・オレンジ(King orange: Citrus reticulata × sinensis )を交配した雑種Citrus unshiu × Citrus noblis )、『キノウ』(キノー:Kinnow:キングマンダリン(King orange ( Citrus reticulata × sinensis )と、地中海マンダリン( Citrus deliciosa ))の交雑品種。綴りが判らず、往生したが、交配種を探し出し、そこから、英文ウィキの当該種を見出せた。そこでは、学名を“'King' ( Citrus nobilis ) × 'Willow Leaf' ( Citrus × deliciosa )”としてある。一九一五年に交配して育成し、一九三五年に発表された)、『アンコール』('Encore' mandarin:前者と同じ種の交配品種の一種。King x Willowleaf 'Encore'。当該英文ウィキを見られたい)『などの栽培品種がある。ウンシュウミカン、ポンカンは果汁用にもされる。別名ヒラミレモン』(平実檸檬:こちらが正式和名)『ともいわれる』シークヮーサー『も果汁が市販されており、生果は酢みかんとして利用され、また古くから芭蕉布の洗濯にも用いられた。多胚性の』シークヮーサー、『スンキ』(酸桔:「株式会社乃万青果」公式サイトの「みかんペディア」によれば、『中国原産』で、『サンキツとも呼ばれる。台湾に伝わり、食用や薬用にされる他、台木としても用いられている』とある「維基百科」の「臺灣香檬」に、Citrus depressa とし、別名に「扁實檸檬」・「山桔仔」・閩南語で「酸桔仔」・「山柑仔」とある。分布は台灣・琉球・グアムとする)、『クレオパトラ』(Cleopatra mandarin:Citrus reshni 。英名と学名は英文の同種のウィキに拠った)『などはポンカン、タンカン、イヨカン』( Citrus Iyo :本邦の在来種)『などの台木に利用される。小玉で果実が美しいタチバナ、キンカンとミカンとの雑種といわれ、トウキンカン区に分類される四季咲性のトウキンカン(シキキツ)』(唐金柑(四季橘)。「カラマンシー」とも呼ぶ。交雑種で、学名は Citrus × madurensis 。当該ウィキを見られたいが、そこに、『欧米ではcalamondin/calamonding、calamandarin、calamondin orange、China orangeやPanama orange等の名前で知られる』とあった)『などは、生食には不向きだが鉢物などの観賞用としても価値がある。台湾、ネパールなどではスンキなどを砂糖煮とか塩漬にし、食用、薬用に供するという』。
以下、「民俗」の項。柑橘『類は秋には黄色く輝く果実をつけ、冬でも緑を絶やさぬ常緑樹で、古くから長寿を祝福する神聖な木とされ、その実は太陽や霊魂の象徴とみなされた。沖縄の八重山では、ミカンの枝を魔よけとして祭事に用いたという。ミカンの実は、正月に鏡蛭の上に供えたり、蛭花とともに木にならせたり、若木や嫁たたき棒にも結びつける地方があり、小正月の成木責め(なりきぜめ)をミカンの木に対して行う所もある。また』、『家の上棟式に餅やミカンをまいたり、小正月に厄年の人が辻や村境でミカンをまいて厄払いする風もある。鍛冶屋では』、十一月八日『の吹子祭』(ふいごまつり)『にたいせつな火を象徴するミカンをまいて祝う風は広く、これを拾って食べると病気にならないという。一方で、ミカンの実を焼いて食べたり、皮や種子を火にくべると、顔が赤くなるとか貧乏になるといって忌む所が多く、ミカンを根もとから切ったり』、『接木すると、死ぬとか死人が出るという俗信もある。それだけミカンが神聖なものとされていたといえよう。このほか、房のくっついた双子のミカンを食べると』、『双子が生まれるとか、妊婦はミカンを食べてはいけないという伝承もみられた。またミカンの皮を風呂に入れたり』、『匙じて飲むと、諸病の薬になるともいわれた。島根県簸川』(ひかわ)『郡』(現在は合併により、出雲市の大部分と大田市の一部となった)『には』、「ミカン吸い」『という子どもの手遊びがあり、現在ではミカンはありふれたものとなっているが、以前は栽培量も少なく、駄菓子屋などで細々と売られていたにすぎなかった』。
以下、「ミカン科 Rutaceae」の項。『果樹として重要なミカンの仲間』(柑橘類)『を含み』、百五十『属約』九百『種から成る双子葉植物の一群。大部分は木本で、高木あるいは低木、草本、まれに』蔓『性で乾生型のものもある。温帯から熱帯まで分布する。葉は互生または対生、単葉または複葉、托葉はなく、通常、透明の腺点を有し強烈な香りがある。ミカン亜科の多くのものでは葉が退化した短枝が太いとげに変化している。花序はいろいろであるが、通常、集散花序でまれに葉上に花をつけるものがある。花は両性、まれに雑性、放射相称または左右相称、』五、四枚『で、子房の下部に大きな花盤を有する。萼片は』四、五『枚で瓦重ね状、花弁も』四、五『枚。おしべは通常』十『本』、『または』八『本、まれに』五『本』、三『本』二『本、または多数、通常皿状』、『または』、『環状の花盤の基部につく。めしべは』二~五『枚の心皮からなり、多少とも離生し、子房は下位または中位。果実は蒴果、液果、分離果、柑果など多様で、種子には胚乳がない。この科は精油を有するため、薬用としてヘンルーダ』(ミカン科ヘンルーダ属ヘンルーダ Ruta graveolens )、『サルカケミカン』(ミカン科サルカケミカン属サルカケミカン Toddalia asiatica )、『ゴシュユ』(「呉茱萸」。ムクロジ目ミカン科ゴシュユ属ゴシュユ Tetradium ruticarpum 。)『キハダ』(キハダ属キハダ変種キハダ Phellodendron amurense var. amurense 。先行する「黃蘗」を見よ)『などや、香辛料としてサンショウ』(ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum )『が利用されている。かんきつ類は重要な果樹であるし、キハダ、インドシュスボク』(「インド繻木」。ミカン科クロロキシロン属インドシュボク Chloroxylon swietenia )、『ゲッキツ』(「月橘」。ミカン科ゲッキツ属ゲッキツ Murraya paniculata )『などは木材として利用される。ボロニア』(ミカン科ボロニア属 Boronia )、『ラベニア』(ミカン科 Ravenia 属)『など観賞用に栽植されるものもある。ミカン科は花盤があり、ときに合弁となる花の形態から、センダン科』(栴檀科Meliaceae)、『カンラン科』(橄欖科Burseraceae:APG植物分類体系ではムクロジ目Sapindalesに属すが、その他の分類体系ではミカン目に属していた)、『ニガキ科』(苦木科Simaroubaceae)『などに近縁であると考えら』『れる』とある。
「本草綱目」の引用は、「卷三十」の「果之二」の、長大な「橘」の項(「漢籍リポジトリ」のここの[075-28a]以降)のパッチワークである。
四日もかけて、訓読文に割注を施したので、ここですべき注は、今のところ、必要を感じない。]