茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「巡禮の歌」(一九〇一年) (閣下よ、私はまた祈ります。……)
閣下よ、私はまた祈ります。
あなたは又風によつて私を聞かれます。
私の深い心は通常の、
ざわめく言葉を使へませぬ。
私は蒔散らされました。敵によつて
私の自我は片々(きれぎれ)に分たれました。
ああ、神よ。凡ての笑ふ者は私を笑ひ、
凡ての飮む者は私を飮みました。
方々の家で私は、屑から、
古い盞から自我を集め、
口ごもりながらあなたに呼びかけました。
にヘたに、均衡のとれた永久者よ。
どのやうに私は私の半分の手を、
名もない嘆願にあなたの方へあげたでせう、
私があなたを見た
あの眼を再び見出さうと。
私は火事の後の一軒家でした。
其處には殺人者だけがをりをり
飢の罰に追はれて、
外へ出てゆくまで眠つてゐました。
私は、疫病が押入つて來て、
屍のやうに重く
子供等の手にぶら下る
海邊の町のやうでした。
私は他人のやうに自分にも解らず、
さうして知つてることは、
嘗て私を身ごもつてゐた
私の若い母を病ませたことと、
狹められた母の心臟が、
私の芽生えに痛ましく鼓動したことだけでした。
今私は、また、私の屈辱の
凡ての破片から建て上げられました。
そして一つの結束に、
一つの物のやうに自らを見渡す――
統一した理性に、
あなたの心の大きな手に、あくがれます。――
(ああ、それが私の上へ來たならば。)
私は自分を數へます、神よ、あなたは、
あなたは私を浪費する權利があります。
[やぶちゃん注:「盞」「さかづき」。]
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