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2025/01/24

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「時禱篇」(隣人の神樣、私が長い夜にをりをり……)

 

 

隣人の神樣、私が長い夜にをりをり

ひどく戶を擲(たた)いてあなたを妨げるのは、

あなたが稀に呼吸するのを聞くからです。

また一人で廣間にゐられるのを知るからです。

それからあなたが何か要(い)つても、

探る手に飮物を渡す人も居りません。

私は始終耳を立ててゐます。一寸合圖をして下さい。

私は近くに居りまする。

 

ただ薄い壁が偶然に私達の間にあります。

あなたか、私かの口の呼聲一つで――

全く音も響もなく

これが崩落ちる

かも知れません。

 

壁はあなたの雨像で建てられてゐます。

 

そしてその畫像は名のやうにあなたの前に立つてゐます。

若しいつか光が私の內に燃上つて

それで私の深い心があなたを知るならば、

輝となつてその畫の緣の上に注がれませう。

そして直ぐ萎える私の感官は、

故鄕もなく、あなたとも距てられてゐる。

 

[やぶちゃん注:「萎える」ママ。再版「詩集」では、「萎へる」に修正されてある。但し、国立国会図書館デジタルコレクションで「萎える」で検索を掛けると、七千三百九十五件がヒットする。これに就いては、小学館「日本国語大辞典」の、『な・える【萎・痿】』『自動詞ア行下一(ヤ下一)』『文語形』『な・ゆ』『自動詞 ヤ行下二段活用』とし、『①力が抜けてなよなよとなる。気力がなくなってぐったりとする。また、手足などが麻痺』『して、感覚がなくなる。』としつつ、『補助注記』の(2)で、『①の意は、手足が自由にならない意の、ハ行下二段動詞「なふ」との意味の近似から』、『後世は混同された面がある』とあった。]

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