茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「時禱篇」(隣人の神樣、私が長い夜にをりをり……)
隣人の神樣、私が長い夜にをりをり
ひどく戶を擲(たた)いてあなたを妨げるのは、
あなたが稀に呼吸するのを聞くからです。
また一人で廣間にゐられるのを知るからです。
それからあなたが何か要(い)つても、
探る手に飮物を渡す人も居りません。
私は始終耳を立ててゐます。一寸合圖をして下さい。
私は近くに居りまする。
ただ薄い壁が偶然に私達の間にあります。
あなたか、私かの口の呼聲一つで――
全く音も響もなく
これが崩落ちる
かも知れません。
壁はあなたの雨像で建てられてゐます。
そしてその畫像は名のやうにあなたの前に立つてゐます。
若しいつか光が私の內に燃上つて
それで私の深い心があなたを知るならば、
輝となつてその畫の緣の上に注がれませう。
そして直ぐ萎える私の感官は、
故鄕もなく、あなたとも距てられてゐる。
[やぶちゃん注:「萎える」ママ。再版「詩集」では、「萎へる」に修正されてある。但し、国立国会図書館デジタルコレクションで「萎える」で検索を掛けると、七千三百九十五件がヒットする。これに就いては、小学館「日本国語大辞典」の、『な・える【萎・痿】』『自動詞ア行下一(ヤ下一)』『文語形』『な・ゆ』『自動詞 ヤ行下二段活用』とし、『①力が抜けてなよなよとなる。気力がなくなってぐったりとする。また、手足などが麻痺』『して、感覚がなくなる。』としつつ、『補助注記』の(2)で、『①の意は、手足が自由にならない意の、ハ行下二段動詞「なふ」との意味の近似から』、『後世は混同された面がある』とあった。]
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