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2025/01/29

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「燐火」

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、初回の冒頭注を見られたい。底本の本項はここ。]

 

 「燐火」 有渡郡《うどのこほり》用宗村《もちむねむら》、城山にあり。里人云。每年七月十三日の夜、此城山より大《ほおい》さ鋺(かなまり)程の火、夥しく飛出《とびいで》、西の方《かた》、赤坂の代官山に入り、同十五六兩日《りやうじつ》の夜、また城山に皈《かへ》る。近鄕の人見る事多し。是《これ》天正八年九月、神祖當城を攻《せめ》させらる時に、城代向井伊賀守某を始め、兵士多く戰亡す。其心火《しんくわ》也。云云。

[やぶちゃん注:「有渡郡《うどのこほり》用宗村《もちむねむら》、城山にあり」平凡社「日本歴史地名大系」の「用宗村」に、『静岡県:静岡市旧有渡郡・庵原郡地区用宗村』とし、『現在地名』は『静岡市用宗一』~『五丁目・用宗・港(みなと)・青木(あおき)・用宗巴町(もちむねともえちょう)・用宗小石町(もちむねこいしちょう)・用宗城山町(もちむねしろやまちょう)・広野(ひろの)二』~『三丁目・石部(せきべ)・小坂(おさか)』とし、『広野村の西に位置し、南は駿河湾に面する。戦国期には持船(もちふね)などと記され、村名は古くから湊があったため』、『舟によるものという』(「修訂駿河國新風土記」)。『しかし』、『当村の江戸時代の絵図』(「用宗町誌」)『を見る限り』、『海岸は砂浜で、小坂川の河口の少し手前が遊水池となっているが、もとは入江で、古くからの湊というのは』、『この入江を利用したものであろう。明治時代には手漕船は砂浜に上げ、発動機船は清水港に係留しておいたということから(同書)、江戸時代も砂浜に船を上げていたと思われる。領主は手越(てごし)村と同じとみられる。慶長一四』(一六〇九)年『とみられる本御水帳(用宗区有文書)によると、田畑屋敷二八町余、高三五三石余(田三〇四石余・畑屋敷四八石余)、大雲(だいうん)寺(現曹洞宗)領二石』とある。グーグル・マップ・データ航空写真の「持舟城跡」を指す。「ひなたGIS」の戦前の地図を見ると、駅名「もちむね」とあり、駅の南東には一応の市街があるが、直ぐにその市街区と同じ広さの砂浜海岸となっているので、以上の記載が、甚だ、腑に落ちるのである。

「代官山」調べたところ、地図上では、見当たらなかったものの、たまたま、「Yahoo! JAPAN 知恵袋」のQ&Aに、「静岡市の葵区鷹匠は何をもって静岡の代官山と呼ばれてるのでしょうか?」を発見した。但し、葵区鷹匠は「持舟城跡」の西ではなく、東北で、駿府城跡公園の南東である「ひなたGIS」のここ)。さて、その答えには、『鷹匠は徳川家康の居城であった駿府城のすぐ近くで、その町名の由来も鷹狩をサポートする職業である「鷹匠」に因んでおり』、渋谷の『代官山の名前と同様に深い歴史がある』ことから、『静岡市葵区鷹匠が「静岡の代官山」と呼ばれているのだと思』われるとあった。因みに、私は、大学生一年次、渋谷の代官山の三畳の下宿屋にいた。窓から見上げたところが、渥美清の住んでいるマンションの部屋であり、下宿から並木橋に出た向かいの貸しビルは、ドラマの「西部警察」であった。老主人夫婦の猫が勝手に出入りし、蚤を落していった、思い出したくないイヤな下宿屋であった。残りの三年は、中目黒の東山の素人屋の元子供部屋(元娘さん二人の子供部屋で二段ベッド据付)で斜めになって寝た。隣りの部屋は、そのお娘さんの部屋であった。彼女の忘れられない思い出は、「御孃さんと私   やぶちやん(copyright 2010 Yabtyan)」で「こゝろ」風に語ってある。……もう、その家も、なくなってしまった…………

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