茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「第一詩集」「基督降誕節」(一八九八年) 「母たち」(二章) /「第一詩集」~了
母たち
私は折々一人の母にあくがれる。
白髮に蔽はれた靜かな女に。
その愛に始めて私の自我が花咲かう。
私の魂へ氷のやうに忍入つた
あの荒い憎みもその母には消されよう。
その時我々は寄添つて坐らう。
暖爐には火が靜に鳴るだらう。
私は愛(いと)しい唇の語ることに耳傾け、
平和は茶の瓶の上に漂はう、
ランプをめぐる蛾のやうに。
[やぶちゃん注:第二連「私は愛(いと)しい唇の語ることに耳傾け、」は、底本では、末尾が句点になっている。岩波文庫の校注に、この読点は誤り(誤植?)であったので、再版「詩集」で読点に訂正している、とあったので、特異的に訂しておいた。なお、当該ウィキによれば、『オーストリア=ハンガリー帝国領プラハにルネ(・カール・ヴィルヘルム・ヨーハン・ヨーゼフ)・マリア・リルケ(René Karl Wilhelm Johann Josef Maria Rilke)として生まれる。父ヨーゼフ・リルケは軍人であり、性格の面でも軍人向きの人物だったが、病気のために退職した後』、『プラハの鉄道会社に勤めていた。母ゾフィー(フィアと呼ばれていた)は枢密顧問官の娘であり』、『ユダヤ系の出自であった。二人は結婚後まもなく女児をもうけたが』、『早くに亡くなり、その後』、『一人息子のルネが生まれた。彼が生まれる頃には両親の仲は』、『すでに冷え切っており、ルネが』九『歳のとき』、『母は父のもとを去っている。母ゾフィーは娘を切望していたことから』、『リルケを』五『歳まで女の子として育てるなどし、その奇抜で虚栄的な振る舞いや』、『夢想的で神経質な人柄によって』、『リルケの生と人格に複雑な陰影を落とすことになる。母に対するリルケの屈折した心情はのち』、『ルー・アンドレアス・ザロメや』、『エレン・ケイに当てた手紙などに記されている。リルケは父の実直な人柄を好んだが、しかし』、『父の意向で軍人向けの学校に入れられたことは』、『重い心身の負担となった』とある。
「憎み」「にくしみ」と訓じておく。]
痛みと憂とがお前の心を通る時、
人々はお前に汚辱だと云つてゐる。――
おお、微笑め、女よ。お前の立つのは
お前を淨める奇蹟の緣(へり)だ。
心の中に微にふくらむものを感ずるなら、
お前の身も魂も廣くなる――
おお、禱れ、女よ、それこそは
永遠の波である。
[やぶちゃん注:「憂」「うれひ」と訓じておく。
「微笑め」「ほほゑめ」。
「微に」「わづかに」。
「禱れ」「いのれ」。]
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