和漢三才圖會卷第八十七 山果類 柚
ゆう 櫾【柚同】 條
壺柑 臭燈
柚【音又】
朱欒
和名由宇【如字】
ユウ 𮔉筩
【俗云花柚】
本綱柚樹葉皆似橙其實【味酸寒】有大小二種 小者如柑
如橙今人呼其黃而小者爲𮔉筩 大者如瓜如升有圍
[やぶちゃん注:「瓜」は異体字の「𤓰」の、中央下部分の左下方が斜めに伸びた字体で、表記出来ないのと、「𤓰」では、紛らわしいので、正規の「瓜」で示した。]
及尺餘者其大者謂之朱欒亦取團欒之象共形色正圓
都類柑橙伹皮厚而粗其味【甘辛】其氣臭其瓣堅而酸惡不
可食其花甚香凡柚狀如卣故名壺江南閩中最多有之
渡淮而北化而爲枳
橙 橘 晚熟耐久 皺 香 苦
乃 屬故 皮 厚而 味 而辛
柚 柑 早黃難留 租 臭 廿
[やぶちゃん字注:「租」はおかしく、「本草綱目」の「柚」では、「粗」であり、誤刻であることが判ったので、訓読文では、訂した。]
柚實消食解酒毒治姙婦不思食口淡 柚皮下氣消食
快膈化痰散憤懣之氣
△按柚樹髙𠀋許枝多刺葉比于橙長而不扁本叚葉亦
狹小四月開小白花結實九月熟深黃色有臭香而其
香好人多其皮厚粗皺味苦深冬熟乃帶甘味切片入
鱠臛芳芬特佳俗謂之眞柚【朱欒是也】山中多而人家希有
[やぶちゃん字注:「特」は、原本では、(へん)の「牜」の第四画がないが、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版で当該部を見たところ、「特」となっているので、補正した。]
小柚【俗花柚】乃𮔉筩也葉畧薄小花亦小其實八月熟正黃
色而小其皮皺脹起醜其瓣甚苦不可食惟其花最芬
馥摘投於酒臛中或採莟及未黃者皮切片入亦香美
勝於眞柚
凡柚汁誤注於布帛則藍及茶褐色物消爲白地
柚未醬
用眞柚穿出瓣爲空殻用瓣去核和未醬及胡麻胡桃
栗薑等復盛空柚置炭火上燒之煑沸食爲僧家嘉肴
柚脯 【俗云ゆひし】
柚乾也造法用眞柚穿去瓣核用未醬汁溲糯粉合胡
麻榧椒等𭀚空柚覆蓋用淡醬油煮熟攤于板以板徐
徐壓之晒乾收之
*
ゆう 櫾《ゆう》【「柚」に同じ。】 條《でう》
壺柑《こかん》 臭燈《しうたう》
柚【音「又《イウ》」。】
朱欒《しゆらん》
和名「由宇《ゆう》」。【字のごとし。】
ユウ 𮔉筩《みつとう》
【俗、云ふ、「花柚《はなゆず》」。】
「本綱」に曰はく、『柚《ゆう》樹、葉、皆、橙《たう》に似、其の實【味、酸、寒。】、大小二種、有り。』『小なる者、柑《かん》のごとく、橙のごとし。今の人、其の黃にして、小なる者を、呼んで、「𮔉筩《みつとう》」と爲《な》す。』。『大なる者、瓜《うり》のごとく、升《ます》のごとし。圍《めぐり》、尺餘に及ぶ者、有り。其の大なる者を、之れを「朱欒《しゆらん/ザボン》」と謂ふ。亦、「團欒《だんらん》」の象《しるし》と取《とる》。共に、形・色、正圓≪にして≫、都《すべ》て、柑・橙に類《るゐ》す。伹《ただし》、皮、厚《あつく》して、粗《あらく》、其の味、【甘、辛。】。其の氣(かざ)、臭く、其の瓣《なかご》[やぶちゃん注:ここでは、実の果肉部を言う。]、堅くして、酸惡《さんあく》にして、食はるべからず。其の花、甚だ、香《かんば》し。凡そ、柚の狀《かたち》、卣《ゆう》[やぶちゃん注:酒壺。酒樽。]のごとく、故《ゆゑ》、「壺《こ》」と名づく。江南・閩中《びんちゆう》に、最も多≪く≫、之れ、有り。淮≪水≫《わいすい》を渡りて、北にては、化《くわ》すて、枳《き/からたち》と爲る。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「枳殻《きこく/からたち》」日中ともに、双子葉類植物綱ムクロジ目ミカン科カラタチ属カラタチ Citrus trifoliata でよいから、和名も添えた。
以下、中央の共通項を繰り返して、二種を示した。]
『橙は、乃《すなはち》、橘(みかん)≪の≫屬なる故《ゆゑ》、晚《おそ》く熟して、久《ひさしき》に耐《たへ》、皮、皺(しは)あり、厚くして、香《かんばしく》、味、苦《にがく》して、辛し。』≪と≫。
『柚は、乃《すなはち》、柑(くねんぼ)の屬なる故、早く黃《きばめ》ども、留《とどめ》難く、皮、粗(あら)く、厚くして、臭《くさく》、廿≪くして≫辛し。』≪と≫。
柚の實は、食を消し、酒毒を解し、姙婦≪の≫、食を思はず、口、淡(みづくさ)きを治す。』。『柚の皮は、氣を下し、食を消し、膈を快くし、痰を化し、憤懣の氣を散ず。』≪と≫。
△按ずるに、柚《ゆ/ゆず》の樹、髙さ𠀋許《ばかり》、枝、刺《とげ》、多く、葉、橙《だいだい》に比すれば、長《ながく》して、扁(ひら)たかたず。本《もと》の叚葉《きざば》も亦、狹《せばく》小《ちさし》。四月、小≪とさき≫白花を開き、實を結ぶ。九月、熟して、深黃色≪となる≫。臭香《しうかう》、有りて、其の香を好(す)く人、多し。其の皮、厚く粗《あら》く、皺む。味、苦し。深冬、熟すれば、乃《すなはち》、甘味(あまみ)を帶ぶ。切-片(《きり》へ)ぎて、鱠《なます》・臛《あつもの》[やぶちゃん注:肉の吸い物。]に入≪るれば≫、芳芬《はうふん》≪にして≫、特に佳なり。俗、之れを「眞柚(まゆ)」と謂ふ。【朱欒、是れなり。】山中に多《おほく》して、人家に≪は≫、希《ま》れに、有り。
小柚《こゆ》【俗、「花柚《はなゆ》」。】は、乃《すなはち》、「𮔉筩」なり。葉、畧(ちと)、薄く、小《ちさ》く、花も亦、小なり。其の實、八月、熟す正黃色にして、小く、其の皮、皺、脹-起《ふくりおこり》て、醜《みにく》し。其の瓣《なかご》、甚だ、苦く、食《くふ》べからず。惟《ただ》、其花、最≪も≫芬馥(ふんいく)≪なれば≫、摘(むし)りて、酒・臛《あつもの》の中に投じ、或いは、莟(つぼみ)、及《および》、未だ黃ならざる者、採り、皮を、切-片《きりへぎ》、入《いる》るも亦、香美、眞柚に勝れり。
凡そ、柚の汁、誤《あやまり》て、布帛《ふはく》に注於げば、則《すなはち》、藍、及《および》、茶褐色の物、消《きえ》て、白地《しろぢ》と爲る。
柚未醬(ゆうみそ)
眞柚を用《もちひ》て、穿-出《うがちいだ》し、瓣《なかご》を空-殻(から)と爲し、瓣を用て、核《さね》を去り、未醬《みそ》、及《および》、胡麻・胡桃《くるみ》・栗・薑《しやうが》等を、復た、和(まぜ)て、空柚《からゆ》に盛り、炭火の上に置《おき》て、之を燒き、煑沸《にふつ》して、食ふ。僧家の嘉肴《よきさかな》と爲《せ》り。
柚脯(ゆぼし) 【俗、云ふ、「ゆびし」。】
柚≪を≫乾≪せる物≫なり。造る法《はう》。眞柚を用て、瓣《なかご》の核《さね》を、穿去《うがちさり》て、未醬汁(みそ《しる》)を用て、糯粉《もちごめこ》と溲(こ)ね、胡麻・榧《かやのみ》・椒《さんしやう》等を合《あはせ》、空柚に𭀚《み》ち《✕→たし》、蓋《ふた》を覆《おほひ》、淡醬油《うすじやうゆ》を用て、煮熟して、板に攤(ひろ)げ、板を以つて、徐徐(そろそろ)と、之れを、壓(お)して、晒乾《さらしほし》、之れを、收《をさ》む。
[やぶちゃん注:何度も注している通り、中国語の「柚」は、古くから、東南アジア・中国南部・台湾などを原産とする、
双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連ミカン属ザボン Citrus maxima
を指すのに対し(「維基百科」の同種「柚子」を見よ)、本邦では、現行では、概ね、
ミカン属ユズ Citrus junos、及び、中国南部、或いは、日本を原産とするユズの一品種である、ハナユ(花柚) Citrus hanayu
を指す。まずは、ウィキの「ザボン」を引く(注記号はカットした。太字・下線は私が附した)。漢字表記は『朱欒、香欒、謝文』。『ブンタン(文旦)の別名でも知られ、ほかにはボンタン』(「文旦」・古式では「文丹」)、『ウチムラサキ』(「内紫」:ザボンの中で、紅紫色の系統を指す。なお、この「ウチムラサキ」をザボンの原種とするという説が、ネット上にはあった)『、ザンボア、ジャボンとも呼ばれる』。『原生地は東南アジア・中国南部・台湾など。日本には』元禄元(一六八八)年『から』安永九(一七八〇)年『の間に伝来したとされる』(本「和漢三才圖會」の成立は正徳二(一七一二)年成立であるから、既に良安はザボンの存在は知っていたと考えてよい)。『一説では』、『広東と長崎を行き来する貿易船が難破し』、『阿久根に漂着し、船長の謝文旦から救助のお礼に贈られたという。日本伝来の地は鹿児島県の阿久根市』(ここ:グーグル・マップ・データ)『とされ、生産量も多いことなどから』、一九七一『年に市の木に制定されている。一方、琉球の書物』「質問本草」には、『ザボンの種子を浙江の船から得たという記述がある』。『インドシナやマレー半島に広がりながら』、『種類を増やし、西へはポメロの名で伝わり、東へは中国から台湾や沖縄、鹿児島へ柚(ゆ)やザボン、ブンタンなどの名で伝わったものと考えられている』。『品種の特徴によって呼び分ける場合もあり、果肉が白色の品種(白欒)をザボン、果肉が紅紫色の品種(朱欒)をウチムラサキ、果実が洋ナシ型の品種をブンタン(文旦)と呼び分けたとも言われる』。『前述の通り、「文旦」の名に関しては先述の船長の謝文旦の名からきているという説がある。難破した貿易船主である謝文旦という人名の潮州語読み(ジアブンタン、zia bhungdang )に因むという。別の説では、中国の「文」という名の役者の家に』、『おいしい実のなる木があり、当時は役者を「旦」といったことから、その木を「文旦」と呼ぶようになったという説もある。なお、福建地方の風物を記した』「漳州府志」には』「菓貴荔枝紅柑次之俗多種家比千戶侯綠山障野菓熟望之如火長泰柚名文旦者俗亦貴之不可多得」とあり、『明末から清初期の学者王象晋』『が著した』「二如亭群芳譜」(一六二一『年頃までに成立)において』、「俗呼爲朱欒有圍及尺餘者俗呼爲香欒閩中嶺外江南皆有之南人種其核云長成以接柑橘甚良又有名文蛋(=文旦)名仁崽者亦柚類也」『と記述されており、中国において清代初期には「文旦」と呼ばれていたと考えられ、上記謝文旦の伝説とは矛盾がある』。『「ザボン」の読みに関してはセイロン(スリランカ)でジャムボールと呼ばれた実をポルトガル人がザムボアと呼んでおり、それが日本に伝わったとする説がある』。宝永六(一七〇九)『年の』「大和本草」には』、「朱欒(ザンボ)」『とあり、筑前(福岡)では』「ザンボ」、土州(高知)では』「ジャボ」、『京師(京都)では』「ジャガタラ柚(ゆ)」『と呼ばれているとする。また』、享和三(一八〇三)年の「重修本草綱目啓蒙」『では』、『九州では』「ザンボ」、『豫州(愛媛)では』「ザンボウ」、『日州(宮崎)では』「トウクネンボ」『と呼んでいるとしている』。本「和漢三才圖會」『では、柚(ゆ)には二種あり、実が大きい種類は「朱欒(しゅらん)」とも呼ぶとしている。また、「ジャガタラ柚」はジャカルタから伝わったザボンの近縁種で「獅子柚子」ともいわれている。現代の中国語では一般に「柚子 ヨウズ」と呼ぶ(ユズは「香橙」と呼ぶ)』。『なお、英語のポメロ(pomelo)の語源は、インドネシアの村とされ、フランスでは「パンプルムス(pamplemousse)」、イタリアでは「ポンペルモ(pompelmo、グレープフルーツを指す)」と呼ぶ』。『ザボンの樹は』三『メートルほどまで』『育ち、その果実は品種により直径』十五~二十五『センチメートル、重さ』五百『グラムから』二『キログラムまで様々な大きさに育つ』。『果実の果皮は黄色。果皮の内側の白いスポンジ状のアルベド』(Albedo:ラテン語で「白さ」の意。柑橘類の果皮の内側にある、綿状、或いは、繊維状の白い部分)『の部分は』二『センチメートル程度の厚みがあり、これを取り去ると』、『大きさは半分くらいになる(ただし、アルベドの部分は文旦漬けに用いる)。果肉は果汁が少ないが』、『独特の甘みと風味を持つ。果肉は淡黄色だが』、『品種が多く、その色は淡乳白色から紅紫色まである。なお』、『果実の収穫は年末頃に行われることが多いが、採取したては』、『酸味が強すぎるので、数ヶ月間貯蔵して酸味を減らした後に出荷される』。『ザボンはマンダリンオレンジ』(Mandarin orange: Citrus reticulata )『やシトロン』( Citrus medica );『などと並ぶミカン属の交雑種ではない真正の種の一つである』。『ザボンは自然交雑・人為的交配により色々な品種を生み出しており、グレープフルーツ』(grapefruit:Citrus × paradisi )『・ナツミカン』( Citrus natsudaidai )『・ハッサク』( Citrus hassaku )『などはザボンの流れを汲んでいる。ザボンそのものも品種が多く、西日本(特に高知・熊本・鹿児島)では色々なザボンが栽培されている』。『日本における』二〇一〇『の収穫量は』九千七百十九『トンであり、そのうち約』九十『%が高知県において生産されている』。『果実は生食の他、ベトナム、カンボジア、タイ王国では果肉を和え物の素材とする』。『加工食品の原料としても用いられ、皮や果肉を用いた砂糖漬け(ザボン漬け、文旦漬け)、マーマレード、ボンタンアメなどは有名。近年、香港で流行しているデザート・楊枝甘露は、マンゴーと沙田柚(中国語版)を主原料にして作られる』。『果皮にはナリンギン』(Naringin:C27H32O14:当該ウィキによれば、『は天然に存在する化合物の』一『つであり、柑橘類の果皮などに含有される、苦味物質の』一『つである。なお、柑橘類の中には生薬として用いられる物も有る。ナリンギンが成分の』一『つとして含有される生薬としては、例えば、橙皮』・『枳実』・『陳皮』・『橘皮などが挙げられる』とある)『などのフラボノイドやリモネン、β-ミルセンが多く含まれ、中国において、光七爪、光五爪などと称し、生薬としても利用される。特に、化州柚の果皮は毛橘紅と呼ばれる。いずれも、皮の内側を剥ぎ、乾燥させた上で、咳止めなどの喉の薬、食欲不振の改善などに用いられる』。『外皮にはシトラール、リモネン、リナロールなど柑橘類に共通の揮発成分を含む他、特異的な香気成分としてノートカトン』(Nootkatone:C15H22O)『を含む。ノートカトンは、グレープフルーツやナツミカン等のザボンからの交雑種にのみ含まれる成分である。皮には他にサンショウ』(山椒:ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum )『と同じく、舌にしびれを感じさせる(局所麻酔性)辛味成分サンショオール』(sanshool:C16H25NO2:多価不飽和脂肪酸アミド類の一種)『も含んでいる』とある。以下、「主なザボンの種類」として、十九品種が挙げてある(二種、中国産が含まれてある)が、省略するので、各自で見られたい。
次に、ウィキの「ユズ」を引く(注記号はカットした。ザボンとダブる記載があるので、省略した)。漢字表記は『柚子』(中文名は「維基百科」の同種を「香橙」で標題し、別称で、「羅漢橙」「香圓」「柚子(日本柚子)」を挙げる。また、韓国のハングルでは、「유자」(音写「ユジャアー」)と載り、本邦の「柚子」の音転写である)『ホンユズ』(本柚子)『とも呼ばれる。消費量・生産量ともに日本が最大である。果実の酸味と香りが好まれて、果汁は少なく、主に果皮を日本料理の香りづけに使う』。『果実が小形で早熟性のハナユ(ハナユズ、一才ユズ、Citrus hanayu )とは別種である。日本では両方をユズと言い、混同している場合が多い。また、獅子柚子(鬼柚子)』( Citrus pseudogulgul )『は果実の形状からユズの仲間として扱われることがあるが、分類上はザボンの仲間であり、別種である』。『日本では古くから「柚」「由」「柚仔」といった表記や、「いず」「ゆのす」といった呼び方があった』「和名類聚鈔」『には、漢名で「柚」、和名も「由」として表されている。別名を、ユノスともいう。酸っぱいことから、日本で「柚酸(ユズ)」と書かれ、「柚ノ酸」の別名が生まれている』。『「柚(ゆ)」は古くはユズを意味したが、近世にはユズに近い大型柑橘類が伝わり』、認識に変化が起こった。』。『学名のジューノス(junos)は、四国・九州地方で使われた「ゆのす」に由来する。中国植物名(漢名)は香橙(こうとう)という。柚子は中国での古い名だが、今の中国語で柚や柚子はザボンを指している』。『ユズ(本柚子)は、中華人民共和国の中央および西域、揚子江上流の原産であると言われる。中国から日本へは平安時代初期には伝わったとみられ、各地に広まって栽培されている。また、日本の歴史書に飛鳥時代・奈良時代に栽培していたという記載がある』。『ハナユ(花柚子)は、日本原産とも言われるが、詳しいことは判っていない』。『日本では本州(東北南部以南)、四国、九州に分布する。生産量は日本が世界一であり、全国で広く栽培されるが、主な産地として高知県、徳島県がよく知られる。海外では、中国や、韓国最南部の済州島など、一部地域でのみ栽培されている』。
以下、「形態・生態」の項。『常緑広葉樹の小高木で、高さは』四『メートル』『ほどになり、樹勢が強く直立して大木になる。葉腋に棘があり、葉柄に翼がある。この葉柄の翼によって、ユズの葉は小さな葉と大きな葉が連なって、関節があるように見る。ユズは単葉とされるが、複葉への進化の途中が現れた姿だと考えられており、これを植物学では「単身複葉」とよんでいる』。『花期は初夏』五~六月頃で、『葉のわきに径』一~二『センチメートル』『ほどの白い』五『弁の花を咲かせる』。『果期は』九~十二『月で、秋には球形の果実を結ぶ。果実は直径』四~八センチメートル、『重さ約』百十『グラム』『になり、果皮の表面はでこぼこしている。種子の多いものが多い。酸味は強く、独特の爽やかな芳香を放つ』。『ミカン属の中で』、『もっとも耐寒性が強く、年平均気温』十二『度から』十五『度の涼しい気候を適地とする。柑橘類に多い』「そうか病」(瘡痂病:当該ウィキによれば、『子嚢菌や細菌などの感染によって起こる複数種の植物病害の便宜的な総称。瘡は「かさ・きず」、痂は「かさぶた」と訓み、瘡痂も』「かさぶた」『の意で、いずれの病気も罹病部にかさぶた状の病斑を生じることに由来する』とあり、カンキツ類の原因菌は、菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門クロイボタケ綱クロイボタケ亜綱ミリアンギウム目 Myriangiales Elsinoaceae 科のElsinoë fawcettii(リンクは英文ウィキ)とする)・「柑橘かいよう病」(柑橘潰瘍病:当該ウィキによれば、原因菌は好気性・グラム陰性の「カンキツかいよう病菌」(Xanthomonas campestris pv. citri)により引き起こされる)『への耐久があるため、ほとんど消毒の必要がなく、他の柑橘類より手が掛からないこと、無農薬栽培が比較的簡単にできることも特徴のひとつである』。『成長が遅いことでも知られ、栽培に当たっては、種子から育てる実生栽培では、結実まで』十『数年掛かってしまうため、結実までの期間を短縮する方法として、カラタチへの接ぎ木により、数年で収穫可能にすることが多い』。『現在の日本で栽培されるユズには主に』三『系統あり、本ユズとして「木頭系」・早期結実品種として「山根系」・無核(種無し)ユズとして「多田錦」がある。「多田錦」は本ユズと比較して果実がやや小さく、香りが僅かに劣るとされているが、トゲが少なくて種もほとんどなく、果汁が多いので、本ユズよりも多田錦の方が栽培しやすい面がある(長いトゲは強風で果実を傷つけ、商品価値を下げてしまうため)』。『なお、収穫時に』、『その実をすべて収穫しないカキノキの「木守柿」の風習と同様に、ユズにも「木守柚」という風習がある地方もある(相模原市沢井地区など)』。『農林水産省の統計によると昭和』四十『年代までは埼玉県が主な産地であったが』、一九七〇『年以降は高知県、徳島県などが主要な産地となっている。特に』一九九〇『年以後から大幅に収穫量が伸びており、今日では四国地方(高知県、徳島県、愛媛県)の』三『県で国産ユズの』・八『割近くを占める。また、四国山地を初め、九州山地、中国山地、紀伊山地といった山間部に産地が集中しているが、これは』一九六五『年頃から、それまでの主産業であった農耕馬生産、林業、木炭製造、和紙原料栽培の衰退やそれに伴う過疎化に対し、活性化策として産地形成されたものが多いためである』。『西日本の産地が大規模化する一方で、東日本の産地は相対的に規模縮小しており、関東地方全都県を合わせても』三百『トン程度(鹿児島県の半分未満)に過ぎない。その中でも、岩手県陸前高田市はゆず産地の北限『北限のゆず』としてブランド化を目指している』。『夏には青ユズ、秋から冬は熟した黄ユズが出回る。日本人に好まれる酸味と香りから、香辛料、薬味、調味料に使われる。冬場はユズの果実を風呂に入れて柚子湯にする。また、果実には薬効が期待されて、民間療法にも使われる』。『ユズの果汁や皮は、日本料理等において、香味・酸味を加えるために使われる。また、果肉部分だけでなく』、『皮も七味唐辛子に加えられるなど、香辛料・薬味として使用される。いずれも、青い状態・熟れた状態の両方とも用いられる。九州地方では、柚子胡椒と呼ばれる調味料としても使用される。これは柚子の皮に、皮が青い時は青唐辛子、黄色く熟している時は赤唐辛子と塩を混ぜて作るもので、緑色または赤色をしている』(私の御用達で欠かせないものである)。『熟したユズでも酸味が非常に強いため、普通は直接食用とすることはない。薬味としてではなくユズ自体を味わう調理例としては、保存食としてのゆべしの他、韓国の柚子茶のように果皮ごと』、『薄く輪切りにして砂糖や蜂蜜に漬け込む方法などがある。ユズの果汁を砂糖と無発泡水で割ったレモネードのような飲み物もある。果汁はチューハイ等にも用いられ、ユズから作られたワインもある』。『柚子の果実のうち』、『果肉の部分をくりぬいて器状にしたものは「柚子釜」と呼ばれ、料理の盛りつけなどに用いられる』(☜本篇で良安が言及している)『近年ではスペインの著名なレストランであったエル・ブジが柚子を大々的に喧伝したのが発端となり、フランス料理を始めとした西洋料理にも柚子の使用が広まりつつある』。『ユズ果汁にはクエン酸、酒石酸、シトラール約』九『%が含まれている。果実は、口内やのどの渇きを癒やす清涼止渇作用があり、果汁液にコレラ菌や腸チフス菌に対する制菌作用が報告されている。果皮にはビタミンCが豊富に含まれ、ウンシュウミカンとの比較で約』四『倍量(約』百五十ミリグラム『)ある』。『収穫時期の冬場に、果実全体または果皮を布袋にいれて、浴湯料として湯船に浮かべる。薬効の成分は特定されていないが、血行を促進させることにより』、『体温を上昇させ、風邪を引きにくくさせる効果があるとされている。肩こり、腰痛、神経痛、痛風、冷え症などに良いとされる』。『果実は橙子(とうし)、果皮は橙子皮(とうしひ)と称して薬用にする。悪心、嘔吐、二日酔い、魚やカニの食中毒に薬効があるとされ、果実を』十一~十二月に『採集して冷暗所に保存するか、輪切りに切って天日乾燥して用いる』。『民間療法として、乾燥果実』一『日量』二~三『グラムを』四百『ccの水で煎じて』三『回に分けて服用する用法が知られる。また、風邪の初期に、就寝前に生の果皮を削ったものを小さじ半分量か、果実』一『個分の果汁を搾り、砂糖か蜂蜜を適宜加えて熱湯を注いだ「ポン酢湯」を飲んで』、『すぐに就寝すると、咳も和らげて効果が期待できる。疲労回復、冷え症などには果実が青い未熟果を切って焼酎に漬けたユズ酒を、就寝前に盃』一~二『杯ほど飲むとよく、飲みにくいときは蜂蜜で甘く味付けしたり、水や湯で割ると良い』。『その他』、『果汁には、顔や手足にすり込むと』、『肌荒れやあかぎれ予防に役立つとされる』。『ユズの種子油には、メラニンの生成抑制やアレルギー性皮膚炎の症状緩和の効果があるとする研究報告もなされている』。
以下、「文化」の項。『ユズは生長が遅く、種子から育ってから結実するまでには長い年月を要する樹種で知られる』ことから、「桃・栗三年、柿八年、枇杷は九年でなりかかり、柚の大馬鹿十八年」『などと呼ばれ、ユズは』十八『年のほか』、九『年』、十六『年』、三十『年などと言い伝えられる地方がある』。『冬至の柚子湯は、日本の家庭に今も残る冬の季節の風習である』とある。
「本草綱目」の引用は、「卷三十」の「果之二」の「柚」の項(「漢籍リポジトリ」のここの[075-38b]以降)のパッチワークである。]
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