茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「巡禮の歌」(一九〇一年) (永遠者よ、お前は私に姿を現はした。……)
永遠者よ、お前は私に姿を現はした。
私は一人の愛兒のやうにお前を愛してゐる。
その子は幼くて私を捨てた。
國々もすべてその前には谷に等しい
王座へと運命に呼ばれたものだから。
私は、偉大な我が子がもう解らない、
子の種の意志が求めてゐる
新しい事物を殆ど知らない
老人のやうに取殘されてゐた。
私は澤山の見知らない船に運ばれる
お前の深い幸福の爲に時折は身震ひし、
お前を生み育てた此薄闇へ、
私の内心へお前を呼戾さうと願ふ。
佛は時代に餘り負けると、
もうお前はゐないのかと心配する。
そのとき私はお前のことを讀む、
到る處で福音者はお前の永遠について書いてゐる。
私は父である。併し子はより多い、
父があつた凡てだ。そして
父が成らなかつたものが子の中に大きくなる。
子は未來だ、そして囘歸だ、
彼は胎だ、大海だ……
[やぶちゃん注:「胎」「たい」。]
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