茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「第一詩集」「家神奉幣」(一八九五年) 「私の生家」 /「家神奉幣」~了
私の生家
幼い日の至愛の家は
追億から消えはしない。
私が碧い絹張りの客間で
繪本を見た處、
太い銀糸で豐かに
笹緣(ささべり)をつけた人形の著物が
私の幸福であつた處、『計算』が
私に熱い淚を押出した處。
私が暗い呼聲に從つて、
詩に手を出したり、
窟の段の上で
電車や船の遊戲をした處。
向うの伯爵家から、いつも
一人の娘が私を差招いた處……
あの頃輝いてゐたあの宮殿が
今ではあんなに寐ぼけて見える。
それから男の子が接吻を投げると
笑つたブロンドの子供は
今は去つて、遠くに息(やす)んでゐる。
もう微笑(ほほゑ)むことも出來ない處に。
[やぶちゃん注:……これは……我が身に擬えれば……永劫に……哀しい…………
「笹緣(ささべり)」「ささへり」とも読む。衣服の縁、或いは、袋物や茣蓙(ござ)などの縁(へり)を、補強や装飾の目的で、布や扁平な組紐で細く縁取(ふちど)ったものを指す。]
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