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2025/01/19

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「舊詩集」「マリアヘ少女の祈禱」 (何事か私等に起らせ給へ。……:序詩)・(みそなはせ、私等の日はこんなに狹く、……)・(多くのことの意味が私等に殘りました。……)・(最初私はあなたの園となり、……)・(マリアよ、……)・(何うして、どうしてあなたの膝から、……)・(私には明るい髮が重荷になりまする。……)・(それから昔はいつも……)・(皆は云ひます。お前には時がある。……)・(この激しい荒い憧れが……)・「祈りの後」

 

 マリアヘ少女の祈禱

 

何事か私等に起らせ給へ。

みそなはせ、私等は生命を求めてふるへてゐ、

また立ち上らうと思つてゐます。

光耀のやうに、また歌のやうに。

 

[やぶちゃん注:岩波文庫の校注に、『『詩抄』では「マリアヘ少女の祈禱」のタイトルを付し、活字も「マリアヘ少女の祈禱」という一篇の詩であるかのように普通の大きさで組まれていたが、『詩集』では「マリアヘ少女の祈禱」は以下の詩全体のタイトルであるため、扉として立てられ、ここは序詩として然るべく小さな活字で組み直された』とある。以下、無題の九篇と、最後の「祈りの後」を三行空けで示した。この詩篇群、ドイツ語のテクスト・サイトや、「Internet archive」で探したが、二時間以上、調べてみたが、遂に原文に当たることが出来なかった(それらしきものは見つけたものの、機械翻訳では、これらの詩篇群と類似するものを見出せなかった)。何故、原詩に拘ったかというと、これらで(序詩)の後の十篇が総てではない、と踏んだからである。理由は簡単で、「(私には明るい髮が重荷になりまする。……)」の詩篇は、校注によれば、後の再版「詩集」では、収録されていないからである。何方か、原詩を指示して戴き、この私のモヤモヤを解いて戴けると、恩倖、之に過ぎたるは莫い。

「みそなはせ」ご覧になって下さい。]

 

 

 

みそなはせ、私等の日はこんなに狹く、

夜の室は氣づかはしい。

私等はみな倦みたわまず、

赤い薔薇を願つてゐます。

 

マリアよ、あなたは私等に優しくしなくてはなりませぬ。

私らはあなたの血から花咲いたのです。

また憧憬がどんなに痛いかは

あなたのみ知ることが出來まする。

 

實に魂の少女の痛みを

あなたはみづから知つてゐられます。

魂はクリスマスの雪の如く感じながら、

それで全く燃えてゐる……

 

 

 

多くのことの意味が私等に殘りました。

わけても軟いもの、優しいものについては

私等が何かの知識を持つてゐます。

祕密の園のこととか、

まどろみの下に押入れられる

絹の枕のこととか、

惑はすやうな優しさで

私等を愛する或物のこととか。

 

しかし多くの言葉は遠い。

 

多くの言葉は意味から、

世界から逃去つて、

高まる音を取りまくやうに、

窺ひながらあなたの王座を取卷いてゐます。

母、マリアよ。

そしてあなたの子は

その言葉に笑ひかけてゐられる。

 

みそなはせ、あなたの子を。

 

 

 

最初私はあなたの園となり、

蔓草と花壇とで、

あなたの美を蔽はうと思ひました。

母らしく疲れた微笑をして

好んであなたが立歸るためにと。

 

しかし――あなたの往來(ゆきき)には

何かが一緖に入つて來て、

あなたが白い花壇から麾く時

赤い花壇から私を呼びまする。

 

[やぶちゃん注:「麾く」「さしまねく」。]

 

 

 

マリアよ、

あなたの泣かれるを――私は知つてゐます。

私もまた泣きたい

あなたの爲に。

額を石の上にして

泣きたい……

 

あなたの兩手はお熱い、

その下に鍵盤を押しやれたら、

あなたの歌が一つ殘つたのに。

 

しかし時間は死ぬ、遺言もなく……

 

 

 

何うして、どうしてあなたの膝から、

マリアよ、そんなに多くの光と、

そんなに多くの悲みが來ました。

あなたの花聟は誰でした。

 

あなたは呼ばれる、呼ばれる――そして

冷かだつた私へ來た

同じ方(かた)ではもう無いのを忘れてゐられる。

 

私は未だ花のやうに若いのです。

何うして足爪立てて

小兒から受胎告知へと、

あなたのあらゆる薄明を通つて

あなたの園へ行かれませう。

 

 

 

私には明るい髮が重荷になりまする。

丁度うす暗いレモンの枝の、

花ざかりで靑白み、

もう春が殆ど充ちたのを感ずるために、

いよいよ重くなるのが、

私の髮を搔き亂すやうです。

 

 取つて下さい、私の

 この悲しい飾を。

あなたは未だ冷(つめた)く綠でゐられる。

何故となら、あなたの荆棘の下には、

少女のミルテが咲いてゐますから。

 

[やぶちゃん注: 「荆棘の下には」「いばらのもとには」と訓じておく。

「ミルテ」双子葉植物綱フトモモ(蒲桃)目フトモモ科ギンバイカ属ギンバイカ Myrtus communis を指す。当該ウィキによれば、漢字表記は『銀梅花、銀盃花』で、『地中海沿岸原産。イタリア語でミルト(Mirto)。英語でマートル(Myrtle)。ドイツ語ではミュルテ(Myrte)』(☜)。『属名からミルトス(Myrtus)とも呼ぶ。花が結婚式などの飾りによく使われるので「祝いの木」ともいう』。「文化」の項に、『シュメールでは豊穣と愛と美と性と戦争の女神イナンナの聖花とされた。 古代ギリシアでは豊穣の女神デーメーテールと愛と美と性の女神アプロディーテーに捧げる花とされた。古代ローマでは愛と美の女神ウェヌスに捧げる花とされ、結婚式に用いられる他、ウェヌスを祀るウェネラリア祭では女性たちがギンバイカの花冠を頭に被って公共浴場で入浴した。その後も結婚式などの祝い事に使われ、愛や不死、純潔を象徴するともされて花嫁のブーケに使われる』。『ユダヤ教ではハダス』『と呼び、「仮庵の祭り」』((かりいおのまつり;当該ウィキによれば、『ザドク暦第七のホデシュの』十五『日から』七『日間』、『行われる。ユダヤ暦(太陰太陽暦)によると満月の日となる。一般には太陽暦』十『月頃に行われるヤハウェの祭りである』。『仮庵の祭りは、過越祭(ペサハ)と七週の祭り(シャブオット)とともにユダヤ教三大祭の一つ』で、『仮庵祭(かりいおさい)、スコット』(英語:Sukkot)『ともいう。Sukkot とはヘブライ語で「仮庵」のこと。ユダヤ人の祖先がエジプト脱出のとき』、『荒野で天幕に住んだことを記念し、祭りの際は』、『木の枝で仮設の家(仮庵)を建てて住む』『。)『で』、『新年』、『初めての降雨を祈願する儀式に用いる四種の植物』の一『つとされる。ユダヤ教の神秘学カバラでは男性原理を表すとされ、新床に入る花婿にギンバイカの枝を与えることがあった。生命の樹』(当該ウィキを見られたい)『の第六のセフィラであるティファレトや、エデンの園と』、『その香りの象徴ともされる』とあった。]

 

 

 

それから昔はいつも

私は氣だかく樂しうございました。

あなたの不思議をかこむでゐた

美しい天使の群のやうに。

……私の母はあなたによく似てゐました……

 

それから始めて母の接吻が

靑ざめた時以來私は悲しいのです。

私が聞耳をたてたり、せかせかしたり

豫感したりするのも、新しい

優しさを求める手探りです。

 

[やぶちゃん注:「氣だかく」「けだかく」。]

 

 

 

皆は云ひます。お前には時がある。

何が足りぬのだと。――

私には黃金の飾が足りませぬ。

私は子供の著物では步けませぬ。

皆はもう花嫁めかして

明るく又神々しいのですもの。

 

足りないのは少しの空間だけです。

私はある追放にあつてゐます。

さうして私の夢は愈狹くなります。

絹の笹緣(ささべり)から高く

花の木まで兩手を

さしあげられるだけの空間が……

 

[やぶちゃん注:「笹緣(ささべり)」「私の生家」で既出既注。「ささへり」とも読む。衣服の縁、或いは、袋物や茣蓙(ござ)などの縁(へり)を、補強や装飾の目的で、布や扁平な組紐で細く縁取(ふちど)ったものを指す。]

 

 

 

この激しい荒い憧れが

私の姉妹たちに重くなると、

彼等はあなたの御像(みざう)へ遁れてゆきます。

すると柔和なあなたは身を擴げて

彼等の前に海のやうになられます。

 

あなたはやさしく彼等に向いて流れ、

彼等はあなたの路を通つて

あなたの奧底へ身を救ひ――そして

願がやうやく靜まつて、

靑い夏の雨となつて

軟い島々の上に降るのを見るのです。

 

[やぶちゃん注:「願」「ねがひ」。]

 

 

 

  祈りの後

しかし私は感じます、私は暖く、

いよいよ暖くなつてゆくのを、女王よ、――

そして夕ゆふべに貧しく、

朝あさに疲れてゆくのを。

 

私は白い絹を裂き

私の臆病な夢は叫ぶ。

 ああ、私にあなたの惱みをなやませて下さい、

 ああ、私等二人を、

同じ不思議で傷かして下さいと。

 

[やぶちゃん注:「夕ゆふべ」岩波文庫の校注に、再版「詩集」では、「夕(ゆふべ)ゆふべ」とルビしている旨の記載があるので、誤りではない。

「傷かして」「きずかして」で、全体は、かのキリストの受難と同じ、「物が皮膚を掠(かす)って生じる軽い傷(擦過傷)を与えて下さい」というのである。これは、「スティグマ」(英語:stigma )、則ち、「聖痕」、「スティグマータ」(ラテン語: stigmata)である。]

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