茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「第一詩集」「家神奉幣」(一八九五年) 「若い彫塑家」
若い彫塑家
私は羅馬へ行かなくては。この町へは
年を經て名譽を擔つて歸つて來る。
泣くのではない。ねえ、戀人よ、
私は羅馬で傑作をつくるのだ。
さう云つて、彼は醉心地で
望むだ世界を步いて行つた。
しかし魂は屢〻心の中の
非難に耳を傾むけるやうだつた。
いやな不安が彼を故鄕へ返した。
彼は泣濡れた眼をして
棺の中の憐れな土色の戀人を彫むだ。
そしてそれが――それが彼の傑作だつた。
[やぶちゃん注:岩波文庫の校注によれば、再版「詩集」では、本篇は削除されている。ローマは永い間、芸術家が必ず行かねばならない必須のランドマークであった。私の偏愛する画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich 一七七四年~一八四〇年)でさえ、ローマ旅行をせねばならないという重圧に悩んだほどであった。この詩は、読んだ瞬間、フロイト(私は少年期から心理学を専攻したく思い、特にフロイトは小学校高学年の時に「夢判断」を読み切り、二十代までに、著作集を粗方、読破していた)の「妄想と夢」を想起した。最もお薦めするのは、種村季弘訳の『W・イエンゼン「グラディーヴァ」/S・フロイト「妄想と夢」』(一九九六作品社刊)である(今は『平凡社ライブラリー』で読める)。因みに、大脱線になるが、私は、九年前、この訳を読んだ時、ふっと、中学一年の時、高岡で見た、「チップス先生さようなら」( Goodbye, Mr. Chips )を思い出したのを記憶している(原作の時代背景は第一次世界大戦で、チップスが旅するのは、イタリア(ローマ・ポンペイ)ではなく、イングランドの湖水地方であった)。大好きなピーター・オトゥールも良かったが、キャサリン役のペトゥラ・クラークに魅せられて、カメラでスクリーンの写真を撮ってしまったものだった(やってはいけない行為であったので、焦って、二眼レンズのカメラの蓋を取り忘れてしまい、写真はないが、何故か、その撮ろうとしたシーンは、脳裏に、こびりついている)。彼女がV-1の爆撃で亡くなった報知を授業中に受けたチップスのシークエンスは、今も思い出しただけで、涙が出る。……しかし……私は遂に……チップス先生には、なれなかったな、…………。
「望むだ」望んだ。
「彫むだ」「きざむだ」。彫(きざ)んだ。]
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