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2025/01/20

和漢三才圖會卷第八十七 山果類 櫠椵

 

Yukou

 

ゆかう   鐳柚 香欒

      臭柚

櫠椵【廢賈】 【和名柚柑】

        【俗左牟須】

さんす

 

本綱柚大者謂朱欒最大者謂香欒爾雅謂之櫠椵

△按櫠椵柚屬也其樹葉花皆與柚無異實形色亦似柚

 而最大芳馥如乳柑其瓣味如橙而苦微酸蓋此兼柚

 柑橙之三也和名抄謂柚柑亦相兼之義乎

 

   *

 

ゆかう   鐳柚《らいいう》 香欒《かうらん》

      臭柚《しういう》

櫠椵【≪音≫「廢賈」】 【和名、「柚柑《ゆかう》」。】

        【俗、「左牟須《さんず》」。】

さんず

 

「本綱」に曰はく、『柚《いう》の大なる者を、「朱欒(まゆ)」と謂《いふ》。最《もつとも》大なる者を、「香欒」と謂ふ。「爾雅」に、之れを、「櫠椵《はいか》」と謂ふ。』≪と≫。

△按ずるに、櫠椵《ゆかう》は、柚《いう》の屬なり。其の樹・葉・花、皆、柚と異なること、無く、實の形・色も亦、柚に似て、最《もつとも》、大≪にして≫、芳馥《はうふく》、「乳柑(くねんぼ)」のごとく、其の瓣《なかご》、味、橙《だいだい》のごとくにして、苦《にがく》、微《やや》、酸《すつぱし》。蓋し、此れ、柚《ゆず》・柑(くねんぼ)・橙《だいだい》の三《みつ》を兼《かねる》≪物≫なり。「和名抄」に、「柚柑」と謂《いふ》も、亦、相《あひ》兼《かね》るの義か。

 

[やぶちゃん注:まず、問題は、「椵」という漢語である。まず、この「椵」では、「維基百科」・「拼音百科」・「百度百科」の孰れもヒットしない。そこで、「」と「椵」でやってみたが、「」は「百度百科」で「柚属」とあるだけだった(『「椴」の字注を見よ』とあったが、収穫無し)。「椵」は「拼音百科」と「百度百科」で同じ記載が載っていた。中国語の「柚子」=ザボン(タイプ種: Citrus maxima )類の一種とし、果実は鉢のように大きく、皮が厚く、食用になる、という情報のみであった。しかも、情報元は、総て、古書なのである。なお、「廣漢和辭典」では、『柚(ゆず)の一種』として、引用書は、「說文』や「爾雅」等を引く。

 実は、当初、私は、この「」は、良安の語っているのは、日本原産種である、

双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科ミカン属ユコウ(柚柑・柚香) Citrus yuko 

ではないか? と思っていたのだが、当該ウィキを、よく見ると、『徳島県や高知県で古くから栽培され』、昭和五六(一九八一)年の『の大寒波以前には、徳島県内に推定』百五十『年を超える老樹が散在していた』とあるのが、俄然、引っ掛かった。当該年から百五十年前は、文政一三・天保元(一八三一)年であるからである。そこで、調べてみたところ、「東京財団政策研究所」公式サイト内のYoko Kurokawa氏の“The Yuko, a Native Japanese Citrus”という論文(同サイトの日本語で調べたが、邦訳版はなかった)に(機械翻訳に手を加えた)、『この果物の歴史ははっきりしていない。一説によると、ユコウはユズやザボンなどの他の種との自然交配から生まれたと言われている。ユコウは種子から自然に成長し多胚性であるか、または単一の種子から複数の苗木を生産することができ、単性生殖、つまり無性生殖を行う。今日では百年以上も経っているユコウの木が数多くあり、この種は十九世紀半ばまでに明確に存在していたと考えられている。』とあったからである。他に、『現在、ユコウは長崎市内の土井首(どいのくび)地区』(長崎湾の現在の長崎市のここの広域地名:グーグル・マップ・データ)『や外海(そとうみ)地区』(サイト「長崎市 外海地域センター」のこのページの地図を見られたい)『などに自生している。江戸時代』『には佐賀藩に属していたが』、二十『キロメートルほど離れており、ユコウは両地区で独自に発達したと考えられている。』『土井首地区の住宅の庭や畑では、文旦や夏みかんの木のそばにユコウの木が生えており、外海と同様、人々がユコウの実を収穫して食べ​​てきた。しかし、この木は地域の道路沿いにも生えているため、鳥が種をまき散らして』、『さまざまな場所で芽を出させた可能性もある。長崎は伝統的にキリスト教徒が多く、江戸時代には禁教令が出されていたが、この地はキリスト教徒と深い繋がりがある。フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ』(Marc Marie de Rotz 一八四〇年~一九一四年:来日は慶応四(一八六八)年六月:当該ウィキによれば、『長崎県西彼杵郡』(にしそのぎぐん)『外海地方(現・長崎県長崎市外海地区)において、キリスト教宣教活動の傍ら、貧困に苦しむ人々のため』、『社会福祉活動に尽力した』とある)『が、この地域の貧しい村人たちの生活水準を向上させる手段として』、『ユコウの栽培を広めようとしたと考える人もいる』と、あった。則ち、良安の生きた時代には、ユコウは存在しなかったと考えざるを得ないのである。

 こうなると、ここに出る、本邦の最も古い「」を検証せざるを得なくなる。当該箇所は、「卷十七」・「菓蓏部」(くわらぶ:「菓」は木に生る実、「蓏」は(蔓)草に成る実)第二十六・「菓類第二百二十一」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの「倭名類聚鈔」(二十卷本・村上勘兵衞版元・寛文七(一六六七)年)の当該部を視認して、訓読した。

   *

椵(ゆかん) 「爾雅」注に云はく、『椵【「廃」「加」の二音。「漢語抄」に云はく、『柚柑』。】は、柚の属《たぐ》ひなり。』≪と≫。

   *

因みに、「ユカン」というのは、現行の和名では、キントラノオ目コミカンソウ科コミカンソウ属ユカン(油甘) Phyllanthus emblica であって、全くの異種を指すので、言い添えておく。当該ウィキによれば、『インドから東南アジアにかけての原産で熱帯・亜熱帯に栽培され、果実が食用となる』ものであるが、混乱を起こすだけなので、リンクさせるに留める。

 しかし、これでは、堂々巡りだ!

 そこで、「本草綱目」を見ると、「漢籍リポジトリ」の「卷三十」の「果之二」の「柚」([075-38b]以下)であるが、その「釋名」と「集解」を示すと(一部の手を入れた。太字・下線は私が附した)、

   *

【音又日華】

 釋名【櫾【與柚同】條【爾雅】壺柑【唐本】臭橙【食性】朱欒【時珍曰柚色油然其狀如卣故名壺亦象形今人呼其黃而小者爲蜜筩正此意也其大者謂之朱欒亦取團欒之象最大者謂之香欒爾雅謂之音廢又曰音賈廣雅謂之鐳柚鐳亦壺也桂海志謂之臭柚皆一物但以大小古今方言稱呼不同耳

 集解【恭曰柚皮厚味甘不似橘皮薄味辛而其肉亦如橘有甘有酸酸者名壺柑今俗人謂橙爲柚非矣案吕氏春秋云果之美者江浦之橘雲夢之柚郭璞云柚出江南似橙而實酢大如橘禹貢云揚州包橘柚孔安國云小曰橘大曰柚皆爲柑也頌曰閩中嶺外江南皆有柚比橘黃白色而大襄唐間柚色青黃而實小其味皆酢皮厚不堪入藥時珍曰柚樹葉皆似橙其實有大小二種小者如柑如橙大者如瓜如升有圍及尺餘者亦橙之類也今人呼爲朱欒形色圓正都類柑橙但皮厚而粗其味甘其氣臭其瓣堅而惡不可食其花甚香南人種其核長成以接柑橘云甚良也蓋橙乃橘屬故其皮皺厚而香味而辛柚乃柑屬故其皮粗厚而臭味甘而辛如此分柚與橙橘自明矣郭璞云大柚也實大如盞皮厚二三寸子似枳食之少味范成大云廣南臭柚大如瓜可食其皮甚厚染墨打碑可代氊刷且不損紙也列子云吳越之間有木焉其名爲櫾碧樹而冬青實丹而味食其皮汁已憤厥之疾渡淮而北化而爲枳此言地氣之不同如此】

   *

良安の引用部は「釋名」の下線部だが、そこでは、「櫠椵」は「爾雅」別々に漢字表記され、「櫠」、また、「椵」と言うとあるのである。ただ、「爾雅」では「廣漢和辭典」では『櫠は、椵。』とあり、共に『柚の一種』とある。則ち、」と「椵」というのは、ある柚の二つの同一種を示す単漢語なのであり、「倭名類聚鈔」の誤りが、蜿蜒と江戸時代まで引き継がれてしまったのであった。

さて、今度は、私が下線を附した箇所を見られたい。これらから、

――私は、良安は、ありもしない「椵」を、恰も、実際に観察して、実も食べた――かのように――「本草綱目」の記載からテキトーに組み合わせて、

……「樹も葉も花を見て柚(ゆず)と異なる所はなく、実の形も色も柚に似ていて、その柚類の中でも、最も大きい」と言い、「その実の芳香は、『乳柑(くねんぼ)』のようで、其の実の果肉は、橙(だいだい)のようで、苦く、やや、酸っぱい。」とやらかし、「これは、まず、柚(ゆず)・柑(くねんぼ)・橙(だいだい)の三つを兼ねる果樹である。」と言い放った……

と、信じてやまないのである。なに? 「くねんぼ」? いやいや! この良安の「クネンボ」と言うのはね、先行する「乳柑」でもやらかしているように――良安お得意の勝手次第にルビを振っている「思い込み」仕儀――なのだ!(「柑」にも堂々と「くえんぼ」と振っとるけんね!)

決して、現行のミカン属マンダリンオレンジ品種クネンボ(九年母)Citrus reticulata 'Kunenbo'

ではないことは、そちらで『「くねんぼ」と、少なくとも、中国で古くに称する「乳柑」「乳橘」の二つは、それぞれ、微妙に異なった種を指していると言ってよいように思われる』と私見を述べてあるので、見られたい。

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